月夜
一週間ぶりに投稿します。
《 3 》
身体を包む冷気で眼を覚ますのと、鐘の音で意識が覚醒するのはほぼ同時だった。
「ん…………」
ラウネが明かりの灯る室内でゆっくりと起き上がる。柔らかな質感に埋もれた頭を持ち上げ、辺りを見回した。いつもより盛大に響く鐘が不思議に思えたのだ。
その原因はすぐに分かった。外へと続く部屋の扉が、無用心にも開いていたからだ。
「閉めなかったけ?」
すぐさま、もう一つの異変に気づく。
「……セレナ?」
眼前のベッドに、黒髪の少女は横たわっていなかった。小さな水竜も辺りにいない。
近くに置いてあったアーシェの手料理。ラウネはその中身を見て納得する。全て空になっていたのだ。食べたのは一人、セレナしかいない。
「ていうか! あいつ、俺の分まで食いやがったっ!」
二人分の料理に残ったのは食い散らかされた痕跡だけだ。
あんな小さな体躯の何処に収まったのか。芽生える疑問は数多くあったが、とりあえず彼女を探すことからラウネは始めた。
「まあ、取って置きのアイスを後で食べるか。それにしても、普通開けっ放しで出て行くか? 昨日もそれでアーシェに入られて…………って、あれ? 昨日?」
昨日。閉めたはずの扉は同様に開いていた。それ故、あらぬ疑いを掛けられたのだが、問題はそれではない。
閉めた扉を開けるのは簡単だ。内側から開ければいい。ラウネはそれをしていなかった。残ったのは一人だけになる。
「鍵を開けたのは、セレナなのか」
自然と放つ推測に、辻褄は容易に繋がった。
誰かが自分をテーブルからベッドに移動させた。誰かが扉の鍵を開けた。誰かが部屋を行き往きした。
それが可能だったのは、セレナしかいないのだ。
「でも、何でそんな無用心なことを? 護衛される立場だって、分かっているはずなのに」
自分が今まで顔を埋めていたベッドを見る。
ラウネは無造作に頭を掻いて、もう一度扉の方へ向き直った。向こう側に闇一面が広がっている。しかし、中には月の光が照らす足場があった。
「ごちゃごちゃ考えても仕方がない! 全部、セレナを探してからだ!」
足場に向けて、ラウネが一歩踏み出す。
窓の飾りは光を通して影となった。走り出す騎士に重なり、頬の辺りで色濃く映る。
それはまるで、魔神の証である刻印のようであった。
辺りに余韻の音響が残っていた。
そこは冷えた風が吹き抜ける広場。騎士学院の屋上だった。第二層、第一層の街並みが良く見渡せる場所だ。
「つき……」
無人の屋上に、澄んだ呟きが生まれた。小鳥が囀るような美しい声だったが、口調には覇気が追いついていない。
風に長い黒髪が舞い上がる。月を見上げる少女の物だ。端正な顔立ちに、全身に鎖を絡めた容貌。全てが相まって、形容し難い雰囲気を放っていた。
「アギャ」
少女の肩に乗っていた水竜、リウが首を上げた。小粒ながら獰猛な双眸が、暗闇の一部分を見つめる。
次の瞬間、リウは翼をはためかせて飛んでいった。
見つめていた一点。闇が詰められた虚空に、人影がぼんやりと浮かび始める。リウはその人影へ鳴き声をかけた。
「…………ラウネ?」
「何やってんだ、セレナ?」
罰が悪そうな顔つきで現れたのは、ラウネ・ユースティティアだった。その肩にリウが乗る。微塵も気にせず、ラウネは一歩を大げさに踏み出した。
少しだけ縮まった間合いを補うように、ラウネは大きく声を出す。
「あのさっ」
「ねえ、ラウネはどうして、きし、になろうとしたの?」
セレナは先手を打ってそれを遮った。未だラウネを振り向かず、月を見上げたまま。
どんな顔をしているのかは、全く分からない。
「急にどうしたんだ? まあ、話してもいいけど……ある事件に巻き込まれてさ。それで、大切な人皆失くしちゃって…………。この世界の正義は酷いなって思って」
「だから、ふくしゅう、しようとおもったの?」
「……っ。答えにくいな」
ラウネは唇を噛みながら、視線を周囲に流す。どこまで見ても、視界に触れるのは暗闇だけだ。最終的に眼に入る前方にも、黒で整えられた少女がいる。
食い込んだ歯を唇から離して、長く息を吐いた。
「俺自身も分かんないんだ。復讐が悪いっていう理由じゃない。…………もしかしたら、自分が、……自分達が悪かったんじゃないか。何て考えてしまうから」
「どういう……こと?」
「お前の言葉で言うなら、愛されない者ってことかな」
魔神という忌まれる血。その発端は神々の戦いにある。塔に住む人々は神の加護を受けているのだ。当然、人々は敵対する魔神を憎むようになった。
かつて、ラウネは復讐を考えていた。両親を、同胞を殺した騎士達を同じ目に逢わせてやろうと思っていた。
その為に騎士学院に入った。
「でも本当に復讐したいのか、分かんなくなった。あの二人に、会ってから」
初めて気を許せる友人が出来た。否、仲間という言葉が正しい。
全ての人間が悪いわけではないことは、充分承知している。対象となる騎士を殺さなければ、正当に復讐とは呼べないのだ。
「だから、第四層まで昇り詰めることを決心した」
ラウネは、根本そのものに復讐することにした。抵抗する気がない魔神を虐殺する正義を、目標に変えたのだ。
それも今や遠い夢に成りかけつつある。気が許せるはずの仲間に、本当の自分を隠すこと。仲間が、魔神を恨んでいること。様々な要因が、ラウネを限界まで追いやっていた。
そこに、セレナという不審物が混入した。
「今度は、こっちから質問していいか」
「いっこだけ」
「ええ……? 一個だけって迷うな」
セレナも一つだけ質問したので、結果的には対等だ。しかし、ラウネは訊きたいことが山ほどあった。なので、最初に浮かんだ疑問を投げかける。
「お前、昔俺に会ったことないか?」
その問いに、セレナは答えなかった。それどころか、ラウネの心を読んだように、更に深い部分まで掘り下げる。
「ききたいのは、もっとべつなことでしょ? わたしが、なにものか」
ラウネは言葉を滑らせようとするが、先にセレナが質問に答えた。
「わたしはね」
自ずと固唾を呑んだのが、ラウネ自身でも理解できた。
一拍置いて、セレナが短く紡ぐ。
「愛さない者」
凛々しさが漂う口調だった。擦れ合う黒髪の裏側で、微かな吐息が聞こえてくる。
二人の間で空気が一変した。月光に照らされる広場。その全体が冷えた風で包み込まれる。光の塔が鳴らす鐘は既に消え去り、零時を過ぎた頃だった。
「私は幸せだったのかもしれない。例え、同情から来る慈愛であろうとも、私は多くの人に愛されてきた。だけどね、私はそれを返せない。受けてきた愛情を、誰にも与えられないの」
「それが……、愛さない者だっていうのか?」
「……うん」
愛されない者と愛さない者。対立する二つの存在は神と魔神のようだ、とラウネは感じた。
ラウネが愛されない者。恨まれる魔神の血を引いた、人間とのハーフだ。
セレナが愛さない者。ならば、彼女は一体何者なのか。
少女が振り返った。
月に照らされた白い顔はラウネを見つめている。月光から鎖は相応に反射して、少女を輝かせていた。まるで舞台を見ているかのような光景だった。セレナはたった一人の主役に思える。
「…………?」
ラウネが顔をしかめた。向かい合う相手の表情が腑に落ちないからだ。
「それでも、私は」
一度たりとも笑わなかったセレナの唇が、とても小さくつり上がっていた。ほんの些細な程度。しかし、ラウネは微々たる変化だと確実に受け止める。
彼女は確かに浮かべていた。小さな、一瞬だけの、笑顔を。
「絶対に貴方を護るから」
力強い一言に、ラウネは喋れなくなってしまった。それ程激しい衝撃を受けたのだ。口を数回開閉させて、目の前を包む混乱に対処を始める。声を出すには短くない時間がかかった。
「どういう……ことだ?」
長く感じる時間を経て、出たのはそれだけだった。
慈愛に満ちたセレナの表情に、戸惑いを隠せないラウネ。肩でリウの重みを実感しながら、反論を試みる。
「違う……だろ? 俺がお前を護衛して…………」
本意を探ろうと、ラウネは数歩分セレナに近づいた。
その時だった。
視界の端に見慣れた光を見つけた。ラウネがとても良く知る光だ。発光の度合いを強めながら、二人に近づいてゆく。
即座に反応して、ラウネは立ち止まる。
「っ!?」
二人の間が空く地面に、閃光が突き刺さった。小さな爆発を起こすそれは、魔術という代物しかありえない。――初歩魔術、魔弾だ。
セレナとラウネが光の根源を振り返る。返って来たのは規則的な足音。誰かが近づいてきていた。
「誰だっ!?」
魔術を使うのは人間。傍にいる護衛の対象からして再びゴロツキ共の襲撃かとラウネは予想した。その予想はすぐに外れた。
何故なら、現れた第三者はラウネが良く知りえる人物だったからだ。
「ラウネ、そいつから離れろ」
「レ、レノン?」
近づいてきたのは青髪の親友だった。細身の体躯に細い目つき。間違いなく、レノンの風貌だ。
ラウネは一時的に緊張を解いて、別の疑問をぶつけた。
「どうしてここに……? それ以前に、いきなり何するんだよ!? 危ないだろ!」
「ふん。よくも普通の人間らしい顔つきが出来るな。貴様は」
彼の瞳はセレナのみに向けられていた。声が届くか届かないか、という辺りでレノンは立ち止まる。魔弾を発した剣先を突きつけたまま、もう一度呟いた。
「ここはお前がいるような場所じゃない。そうだろう? …………黒衣の死神よ?」
「――――――え?」
前置きもなく告げられた事実に、ラウネは顔つきを凍らせた。今までにない感情の波が押し寄せてきて、次第に歪んだ顔つきになる。
「……なんで…………?」
「何で? はっ。隠し通せると思ったのか? それは残念だったな。大量の書庫を調べればすぐに出てきたさ。……お前が、魔神虐殺を行った神名殺しの張本人だと」
「ほんと?」
セレナが間の抜けた声に戻りながら、冷静に首を傾げた。凛々しい気配は感じ得ない。ただ、両目から漏れる眼光に、レノンに負けない冷静さが滲み出ていた。
「ここに来てまで偽るつもりか?」
「あなたは、まちがっている」
「違うだと? 法螺を吹くな、化け物が! 俺が分かっていないとでも思っているのか? 貴様が最近の魔獣大量発生の原因である事は、既に知っている!」
「っ!?」
レノンの指摘を堺に、セレナが持つ壁に初めて罅裂が入った。明らかに表情に焦りが浮かんでいた。
普段よりも流暢に喋るレノンは、空いた隙間に遠慮なく言葉という剣を差し込む。
「ラウネ。……お前は騙されていたんだよ。黒衣の死神に下手な同情を抱かせるようにな。目を覚ませ! そこに立っているのは、お前の両親を殺した化け物だ」
「嘘だ……」
呼吸が塞ぎこむ感覚を、ラウネは執拗に食らっていた。明白に晒される事実に心が追いついていない証拠だった。頬に血流を髣髴させる脈動を覚え、その上、鎖骨へと繋がってゆく。
「嘘じゃない。八年前を思い出せよ。血と炎で塗りたくられたあの場所で! お前の眼前に立っていたのは、誰だっ!?」
「ラウネ、ちがう……!」
記憶の再生にセレナが割り込むが、全ては手遅れだった。魔獣との戦いと同様に、脳裏に一つの光景が浮かぶ。
「あ…………」
赤と紅。――血と炎。
灼熱が漂う広場で、うつ伏す幼い自分が居た。次第に、視界が幼い頃の自分に重なっていく。当時は困憊で歪んでいた視界。ラウネはそこから目前に立つ少女を見た。
自分と同じくらいの年頃である少女。ラウネが護衛する少女と同一ならば、今のセレナはもっと成長しているはずだ。
鎖を付けている様子も全くない。
しかし、服は全て黒で染まっていた。セレナと寸分変わらない衣装だ。
幼い自分が顔を見上げた。
視界に飛び込んできた少女の顔を、ラウネは鮮明に眺められた。
真珠のように白い肌が創り上げる、端正な顔立ちだ。だが、わずかな一点。白の統一を邪魔する部分があった。
血で濡れた赤い頬。
そこでラウネは幼い自分から離れていった。脳裏に浮かんだ光景が、全てを悟らせたからだ。
開いた唇から漏れる嗚咽が、自分でも驚くほど乾いていた。
「ははははは! ようやく思い出したか!? さあ言ってみせろよ。八年前、業火がお前の両親を焼き尽くしたあの場所で、誰が居た!?」
「あ、の、日……、居たのは」
「ラウネ……!」
黒衣の少女が不安げにラウネを見つめていた。怯えるように全身が縮こまっている。そこまで後ろめたいことがあるという、限りない証拠であった。
ラウネが面を上げて、セレナを視界全体に収めた。白い顔立ちに、過去の記憶が重なる。黒衣の死神の顔と輪郭が一致した。
八年前の死神は、セレナだったのだ。
「セレナ…………、お前なのか?」
「っ……! ちがう……!」
首を振ってセレナは全力で否定するが、ラウネが放つ疑惑の視線は衰えない。むしろ、言い訳さえもないのだから、疑いは強まる一方だった。
目の前に立つ少女は表情にまで出さないうろたえる気配を醸し出していた。焦っているだろう内面でセレナが言い放つのは、ただ一言。
「わたしを、しんじて」
その言葉を遮るのが、澄んだ嘲笑だった。
「あっはっはっはっは」
冷静な仮面を剥がしたレノンが際限なく笑う。セレナの行動を茶番だ、と罵っては不遜な顔を作り上げた。
セレナが精一杯眉を寄せてレノンを睨む。
「何……?」
凛とした響きにセレナは戻していた。単に溌剌としただけでなく、怒りや恨みを含んだ口調だ。全身の奇妙な衣服が相まってか、莫大な威圧感が少女から発せられている。
「おいおい。いい加減に言っちまえよ。貴様が、八年前に灼熱の地面を這いつくばっていたラウネの前に居た、ってな」
何が鍵だったのか不明だが、セレナの雰囲気が明らかに一変した。レノンが過去を話す最中、殺意とも呼べる空気を身に纏い始めた。
そして右腕を突き出す。
「お前はっ!」
左手が右腕に巻かれる鎖を引きちぎった。鎖独特の音が響いた後、右の掌は発光して、順々に輝きを増してゆく。鐘の如き音が絶え間なく響く度、大きさも拡大していった。
最終的に大きな光の弾が、レノンに狙いをつけて形成された。
セレナの右腕は動揺により震えており、レノンから狙いが幾度も外れている。それでも光の弾は周囲を捻じ曲げる威力を持っていた。
そこに生まれる一瞬――ラウネは眼前で何が起きようか理解した。
「ぁ」
今、黒衣の少女はレノンへと攻撃しようとしている。セレナが取った動作は、獅子型の魔獣を破砕した時と同じ。あれ程の威力を持つ技を、人間に喰らわせようとしているのだ。
瞬間的に見せ付けられた敵意に、ラウネの神経は烈火を駆け巡らせる。
光の波が放たれるや否か。その直前、無意識に右手を腰に下げた剣に伸ばしていた。ラウネはそのまま走り出す。
セレナは証明してしまった。黒衣の死神だということを広めさせない為、レノンを殺そうとした。それは最早否定しようがない真実だ。
セレナは、神名殺しに加担して大量虐殺を行った。
ラウネが駆け出すのは、目の前で親友が殺されようとしているからだ。決して、復讐だけではない。しかし、憎しみが原動力となって体を動かすこの時。
口からこぼれたのは、絶望だった。
「また、殺す気かあああぁぁっ!!」
光の衝撃波が放たれる寸前。月夜に刃が映えるのをセレナは見た。更に響いてきたラウネの叫びにこれまでにない変化を表す。
「……っ…………!」
ラウネが言ったことは、セレナよりもレノンを信じるということだった。だからなのか、セレナの顔は極限まで歪んだ。
そこでラウネは激しい既視感に苛まれた。
――彼女に浮かんでいた表情を知っている。そう胸中で確信していた。距離を詰める速度は上昇していき、間近でその顔が映りだす。
それは、悲しみの表情だった。今にも泣き出しそうな、年相応の少女の顔だ。強い絶望に心身を傷つけられ、全てに裏切られた顔。
ラウネは全力で走る最中に己の失策を気が付いた。鋭い切っ先を向けている相手は、絶対に護ると約束した少女なのだ。
寡黙ながら我侭で、挨拶は必ず返事をさせる主義で、小さい体躯ながらかなりの重量で、ラウネを護るといって淡く微笑んだ、セレナ。
剣の先端は黒衣に触れていた。延直線状にあるのは、少女の心臓だ。
――止めろ、と静止を掛けても、身体は止まりそうになかった。
ラウネが頬に一際熱い脈動を感じる。
次の瞬間。
剣は少女の身体を無情に貫いた。
月を目掛けて剣が伸びる。その光景を楽しむように、青髪の少年はラウネ達の後ろで頬を大きく吊り上げていた。
来週からは少し余裕が出てくるかもしれません、とにかく頑張って執筆していきます。




