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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

辻国のアヤト

作者: シロクマ

「辻国のアヤト」




 古錆びた屋敷に住まう雪美のことを時たま幽霊と呼ぶ者がいた。

 蔦草に囲われた窓辺に座って、薄くカーテンを引いて読書するのが日課だからだろうか。

 近くの小学校に通っているのであろう少年少女たちは夏場に毎年、肝試しへやってくる。

 そういう時は決まって、雪美は幽霊ごっこに付き合ってあげることにしていた。

 ささやかな罠を仕掛け、あの手この手でお子様たちを歓迎してやる。いかにも怖そうなピアノの音を、扉を開けると糸が切れてラジカセが鳴り出すようにしたり。ブレーカーの一部を落としておいて、電気を使えなくしたり。自ら仮装しておどろかせたこともあった。

 うまくいかない時もあるけれど、絶妙にハマると恐怖に震える子供たちの愉快な悲鳴を楽しむことができて、なんともいえない達成感があった。

 そして最後は種明かし。

 なぁんだと安心する来客一同。

 「このことはナイショにね」とちょっとばかしのお菓子をお土産に持たせて口封じ。

 そうしてまた来年、噂に釣られたお客様がやってきて……。

 ただ、今年は少々おかしなことになっていた。


 行方不明になったのは小学五年になる女の子で、名は千夏という。

 夜遅く、警察が屋敷へ尋ねてきて、そう告げた。

 雪美は知っていることを聞かれるままに答えたものの、大して役立ちはしなかったらしく、すぐに帰っていってしまった。

 肝試しの一件で気に入ってくれたのか、時たまこっそりと雪美の我が家へと遊びに来る子も少なからず居た。千夏はそういう子だった。

 深窓の令嬢、という表現が雪美にはよく似合うといわれる。千夏にもよく「雪美お姉さんみたいに綺麗になりたい」なんて言われて、からかわれてるんじゃないかと照れ笑いした。

 千夏は快活で明るく、男子に混じって公園で野球をやってたりする子だ。読書中によく元気な掛け声が聞こえてくる。それが不思議と読書の友になっていた。けれども、さすがに我が家へホームランを直撃されたときは読んでいた本の内容がまるごと真っ白になってしまった。

 千夏は一体、なぜ、どこへ消えてしまったのか?

 このところ家庭の事情がゴタツイて、千夏は家に帰りたがらなかった。当初は家出として届出が出されていた。警察による懸命の捜索の甲斐なく見つからない。誘拐か、あるいは――。

「だって……帰りたくない。もっとここに居るの」

 そう、よく千夏は言っていた。

 だから、雪美は優しく髪を撫でてながらたしなめる。

「わたしは千夏ちゃんのともだち。だから明るいうちにおうちに帰ってほしいの。そうしないと危ないし、ご両親も心配する。悪いお友達にはなりたくないの」

 そう説得すると、渋々と千夏はうなずいてくれるのだった。

 ――雪美は焦燥感に突き動かされて、なにか手がかりはないかと手を尽した。

 ようやく見つけたのは一冊、本が足りないということだった。

 それは雪美が一番大切にしている本。亡くなった両親によく読んでもらった形見の品だ。

 千夏はよく読書に耽る雪美のことをうらやましそうにながめていた。きっと本ではなく、そうやって時を過ごす雪美の有様に心を惹かれたのだろう。もしかすると、千夏は本を勝手に持ち出してしまったのかもしれない。

 その本の名は――。

『辻国のアヤト』

 雪美は急ぎ、出かける支度をして、ずいぶんと久しぶりに古錆びた門を開いた。


 辻国のアヤトのあらすじを要約するとこうだ。

“御使いを頼まれた少女アヤトは言いつけを守らず寄り道しようと、まっすぐに行かなければならない辻を曲がって帰ろうとする。両親が不仲で、アヤトは家に帰るのがイヤだった。

 アヤトは辻国と呼ばれる不思議な世界へ迷い込み、大冒険をする。そこでは友達がいっぱいできて、何もかもが楽しかった。

 けれど、ふと両親が心配しているのではないか、とアヤトは心配になる。

 冒険の終わりにてアヤトは、辻斬りネズミに追いかけられて命からがら辻国を脱出する。

 やがてアヤトは朝方に我が家へ帰りつく。アヤトは大冒険について語ってみせる。アヤト曰く、御使いの品は辻国で落としてしまったとのこと。両親は半信半疑ながら、アヤトの無事を喜んだ。疲れきったアヤトは一安心と眠りこける。

 さて――。

 はたして本当にアヤトは辻国に迷い込んだのか、それとも寄り道して遊んでいた言い訳なのか。それはアヤトだけのナイショだった。”

 雪美は辻国のアヤトのあらすじを手掛かりに、屋敷と千夏の家の中間にある辻を何箇所も当たってみた。やがて雪美はひとつの辻で足を止めた。

 小さく狭い住宅地の十字路を見守るように、小さな社がある。辻社といって、往来の守護を担うべく昔の人々が作ったものだ。

 どちらへ往けばいいだろう。右か、左か。まっすぐ行けば千夏の家へと行けるが、寄り道したならば左右のどちらかになる。

 街灯は薄暗く、どこか不安を煽る。熱帯夜の蒸し暑さを肌に感じる。

 雪美は目を瞑り、辻社にお願いすることにした。

「おねがいします、千夏ちゃんを助けてください!」

 すると――。

 薄闇の中より、金縁に革の表紙という重厚な装飾の本を抱きかかえて、千夏は姿を見せてくれた。さびしげに泣きじゃくり、小さな肩を震わせている。

「雪……みさっ……」

 雪美はそばに駆け寄ると、羽織っていた肩掛けを千夏に掛けてあげた。

 快活で強がりな千夏だけれど、この時ばかりは惜しげもなく泣いて泣いて、雪美にすがりついてくる。雪美のひざがじんわり温もり、湿った。

「千夏ちゃん、迎えにきましたよ」

「うん、うん……!」

「もう怖くないから、ね」

「まだ、まだ……! 早く……逃げなきゃ」

 嗚咽混じりに、震えながら――いや、ある意味では凍えながら千夏はぎゅっと裾を掴む。

「どういうことですか、千夏ちゃん」

「わたし、お家に帰りたくなくて。ずっと遊んでたの。お友達と……」

 胸騒ぎ――。

 ふと視界が真っ暗になる。

 巨大な何かの背が、とても高い位置にあるはずの街灯の明かりを覆い隠していたからだ。

 それは辻斬りネズミ――辻国のアヤトに出てくる最後の追っ手だった。ネズミというには余りに大きく、白毛に覆われた風貌は醜悪。尻尾の先に生えているのは人斬り包丁であった。

 ふたり目掛けて振り下ろされる包丁。

 鈍いぎらめき。

「っ!」

 雪美は思わず、自らの背中を盾にした。千夏を守ろうとして、つい。

「がふっ」

 意識が消し飛ぶ。辻斬りネズミのソレは鈍重でなまくら包丁だが、重く、強烈だった。肉裂き骨砕き、雪美の背骨が未だ繋がっていることが奇跡に思えるほどだった。

 どれほど深い傷を受けたのか、それを千夏に見せないために、雪美はそのまま倒れ伏すことは――できなかった。無理やり体をひねって、背中を地面に向け、仰向けに倒れ込んだ。千夏みたいな小さな子どもを怖がらせるのは、肝試しの作りもので十分だ。

「雪美さ……」

 恐怖と驚愕に染まった千夏の顔を、そっとなでてやる。

「だいじょうぶ、大丈夫だから。辻の社へ、逃げて。そこまで行けば、抜け出せるわ」

「でも! 死んじゃう! 雪美さんが死んじゃうよ!」

「もしも死んだら幽霊になって、あの屋敷で待ってるわ。大丈夫、信じて……くれる?」

「……うん」

 こくり、と千夏は頷く。

 千夏は後ずさり、辻の社へと必死で逃げようと駆け出した。これでいい。

 再び、深雪の世界が暗くなる。

 辻斬りネズミが大上段に、刃の尾を振り上げていた。今度こそ喰らえばおしまいだ。

『アヤト、アヤト、アヤト……なぜ帰るんだい? アヤト』

 辻斬りネズミがうわごとを口にする。

『帰りたがる足を斬ってあげよう』

『おなかの虫をえぐり出してあげよう』

『そうすればキミは家に帰りたがらない。辻国から帰りたくなくなるさ』

 暗澹とした獣の瞳の中には、辻国のアヤトの原文が泳いでいた。

 文獣は狂ってなどいない。寸分狂わず、オリジナルに忠実だった。

『アヤトはぼくらのともだち、ずっと一緒に居ようよ。それが――トモダチ』

 そして寸分狂いなく、雪美の首目掛けて刃を落とさんとした。

 鈍撃。

「あなたみたいな人を――」

 人斬り包丁は真っ二つに切り裂いた。

『辻国のアヤト』を。

「悪友っていうんですよ!」

 盾代わりにされた重厚なる童話のページが天高く四散する。

 物語が紙くずになる。

 辻斬りネズミは苦しみ悶えて、断末魔のうめきをあげる。

『何故だアヤト! ぼくはキミなのに!』

「これでいいんです……。千夏を、わたしの二の舞にするわけにはいきません」

 辻斬りネズミは文字へと解体、還元されてゆく。

 それは雪美も同じだった。

 ひとりと一匹は刻一刻と消滅してゆく運命にある。

「そして千夏はお家に帰りましたとさ」

 なぜならば、ふたりとも――『辻国のアヤト』だからだ。

「めでたし、めでたし」

 

                    ―――end―――


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