第六話
「はぁ…」
「聞いたよ、冬。姫巫女になるんだってね」
「ま、まだ決まった訳じゃ…」
充実様達による話し合いは場所を代えて継続された。
わたしは一度下がってもいいと言われたので、こうして使用人長屋に戻ってくる事ができた。
プレッシャーやその他諸々からようやく解放されて、ホッと一息…つけるかと思ったんだけど、どうやらわたしが迦楼羅丸様を解放した話は使用人の間に広まっていたみたい。
「よくやったぞ、冬」
「大出世ね、冬」
「だ、だから…違うのぉ」
皆の間では、わたしが姫巫女になるのだと決定しているみたい。
わたしには絶対に無理だし、そもそも女中なんだからなれるわけがない。
「お、おめでとうございます。あ、秋さん、喜んでましたですよね」
「おめでとうなんて言わないでよ、八彦」
頭を撫でられたり、肩を叩かれたり…。
皆が喜んで祝ってくれるのは嬉しいけれど、わたしは姫巫女になんてなるつもりないのに…。
どうしたらいいのかと視線をさまよわせれば、隙間から結依ちゃんの姿が見えた。
「あ、結依ちゃ…」
「…っ」
声をかければ、結依ちゃんはわたしから顔をそむけ、どこかに行ってしまった。
……結依ちゃん、怒ってるんだ。
あんなに神託を見たがっていた結依ちゃんが参加できなくて、興味のなかったわたしが神託に参加して、あまつさえ姫巫女になるかもしれないなんて事態になったんだもの。
よく考えなくても、結依ちゃんに悪い事したのは分かるはずなのに…。
わたしって、本当に馬鹿だ。
謝ったら、許してくれるかな?
「仕事をサボって何をしているのですか」
やれやれと肩を竦めつつ、女中頭の紅椿さんが歩いてくる。
女中頭という肩書ではあるものの、紅椿さんは使用人全員を束ねる人。下男の監督もしているの。
下男下女という言い方を嫌う人だからみんな女中頭と呼んでいるの。好き好んで自分を貶めるような言葉は、誰だって使いたくないしね。
「まだ今日の仕事は終わっていませんよ。皆さん持ち場に戻りなさい」
ぴしゃりと言い放つ紅椿さんに返事をし、皆そそくさと自分の持ち場に戻る。
「冬」
「はい」
「協議の結果が出るまで、貴女は自室で待機です」
「わかりました」
それだけ言って紅椿さんも行ってしまった。
仕事をしている方が、気が紛れてよかったのになぁ。
ここにいても仕方がないので、言われたとおり自室へと向かう。
「待機かぁ」
『余計に緊張しちゃうわよね』
「うん」
『もし、姫巫女になりなさいって言われたらどうする?』
「えー、嫌よ。わたしにできるわけないもの」
『あら、どうして?迦楼羅を目覚めさせたじゃない』
「あれは偶然だよ。お姉さんが傍で教えてくれたからだもん」
『教えられたからって、誰もが出来る事じゃないのよ』
「それは……そうだろうけど」
『女中のままじゃ体験できない事、沢山出来るわ』
「わたしは、秋ちゃんとずっと一緒にいられたらそれでいいよ」
『もったいないわね。なりたくてもなれない人がいるのに』
「……」
『何事も挑戦よ、冬』
「だってわたし、秋ちゃんがいないと何もできないもん」
『…いつまでも、秋と一緒にいられるわけじゃないのよ』
「わかってるけど…。だって、突然こんな…」
『そうね。ごめんなさい、冬。こんな事になって混乱しているのよね』
「…ごめんね、お姉さん」
『謝るのは私の方よ。とにかく、紅椿に言われた通り、部屋で休ませてもらいましょう』
「うん」
※ ※ ※
「あ、秋さん!秋さん!」
迦楼羅丸に状況説明を終え、充実に報告する為に廊下を歩いていた秋祇は、その興奮冷めやらぬといった声に足を止めて振り返った。
廊下を小走りで走りながら少年が……いや、青年が秋祇へと走り寄る。
童顔と、どこか頼りない雰囲気が少年と思わせるが、彼はこれでも二五歳である。
彼の名は啼々竈八彦。
啼々家の分家ではあるものの、彼等は神託に関わる事はない。啼々竈の力は、霊力を遮断するものだからだ。
対象の霊力を封印する事を得意とし、霊力を分け与える事を苦手とする。
そして現在は、十年前に八彦の兄『七伏』が起こした事件により、啼々家への奉仕を余儀なくされている。
「どうしました?」
「き、聞きましたです。冬さんが、神託をクリアしたそうですね」
「ああ、その事ですか」
「…あ、あれ?随分と、冷静ですね」
興奮していた八彦だったが、どこか冷めたようにも見える秋祇の態度に困惑したようだ。
眉を寄せ、上目使いに秋祇に尋ねる。
「冬が神託をクリアする事くらい、想定の範囲内ですから。泰時様が冬に神託をさせる事もわかっていましたし。想定外といえば、迦楼羅丸が目覚めたくらいでしょうか」
「予想外なのに、冷静なんですね…」
「これくらいで驚いていては、この先やっていけませんから」
「ご、ごめんなさい…」
「話はそれだけですか?」
「あ…えっと…」
他に何かあったかと視線を宙に彷徨わせる八彦だが、何も思いつかなかったらしく、うなだれて小さく「はい」と返事をした。
「それでは、僕はこれで…」
「あ、秋さん!」
「まだ何か?」
「じ、自分、頑張りますです!か、必ず秋さんのお役に立ちますです!」
「…貴方の力を借りる予定はありませんけど」
「で、でも!償いはちゃんと…」
「あの事件を起こしたのは貴方じゃないでしょう」
「そ、それでも!七伏兄さんの罪は自分の罪でもありますから!」
「頼りないので結構です」
「そ、そんなぁ…。秋さぁん」
泣きそうな情けない声を出す八彦をその場に残し、秋祇はさっさと歩き出す。
深冬を姫巫女にする為に、本物の神託の水晶を探し出した。
深冬は気づいていないが、泰時は深冬に好意を寄せている。好きな子ほどいじめたくなるという、思春期独特の感情。それも利用した。
自分の過去も利用して充実に頼み、神託の場にも参加させてもらった。
今の秋祇にできるあらゆる手段を使って。
すべては深冬を姫巫女にし、自分から離れても生きていけるようにするため。
大切な妹を、守る為。
自分の使命を、全うする為。
ようやく今、十年かけた舞台への第一歩を踏み出したのだ。