第四七話
「それではまた明日」
「は、はい」
「遅れるなよ」
「わ、わかっています」
見送りに出た冬にそう声をかけ、誠士郎と泰時は秋桜館を後にした。
冬に微笑みかけて小さく手を振り、秋は二人の後に続く。
三人の背後から薪がどうたらとの声が聞こえてくる。
冬と宿祢の慌てた声の後に、迦楼羅丸のやれやれと言った感じの声が続いていた。
何やら問題に気づいたようだが、無事に解決の方向に向かったらしい。
「なあ、誠士郎。一つ聞いていいか?」
「なんでしょう」
「何でそこまで冬を気にかけるんだ?お前と冬はなんの関係もないだろう」
泰時が不思議に思うのも無理はない。
冬は啼々家の使用人として今まで生きてきたし、誠士郎は当主になって間もない。
顔を合わせる機会があるとすれば、啼々家で行われる定例の当主会議くらいだ。
だが、当主会議で世話を焼くのは女中頭の紅椿で、冬は一度も行った事はない。
二人が直接顔を合わせたのは先月行われた神託の儀式の時だけ。
女中でありながらたまたま神託を受け、たまたま迦楼羅丸を目覚めさせ、たまたま姫巫女になった冬を気に掛ける理由はない。
それに誠士郎は姫巫女達にも当主達にも一番重要で大切な注魂の儀式にも冬を参加させるように取り計らい、自ら冬への伝達を引き受けた。
連絡など紅椿のような信頼できる使用人に任せてもいい事柄だ。
当主自ら出向くなどあり得ない。
冬の潜在能力が気になる、という理由なら納得もできるが、だがそれも他の当主達を敵に回してまでする事ではないだろう。
「冬さんは、私の『大切な人』の『大切な人』ですから」
「冬を大切にしていると言えば…」
自分も冬が大切だ。
そう思った泰時だが、誠士郎の『大切な人』に自分が当てはまるとは到底思えない。
となると、他に冬を大切にしているのは一人しか思い浮かばない。
後ろを歩く秋にちらりと視線を向けるが、表情一つ変えずにしずしずと歩いている。
「お前と秋って、なにか関係あるのか?」
「秋さんと言った覚えはないのですが」
「冬を大事にしていると言えば、秋くらいだろう」
「おや。泰時君も大切に思っているのでは?」
「ボ、ボクは別に…。というか、誤魔化すな!」
「友人関係ですよ。幼馴染で、友人で、私の大切な人です」
微笑を浮かべたまま、恥ずかしがる素振りすら見せずに断言した誠士郎に、泰時の方が赤くなる。
「よ、よく恥ずかしげもなく本人の前で言えるな」
「昔からよく『秋君大好き』って言っていましたからね」
「…こ、恋人同士…なのか?」
「いいえ。ただの友人です」
「身分が違うからか?」
「身分…ふふ。泰時君には申し訳ないけれど、二人とも恋愛感情は抱いていませんよ」
「そうなのか?」
「ええ」
何の裏も隠し事も感じられない誠士郎の笑みに、泰時は少しだけ羨ましさを感じた。
お互いにお互いを大切だと言い切れる関係は、羨ましい。
ボクも冬とそんな関係になりたい。
だが、好きだという想いが募れば募るほど、なぜか苛めてしまう。
本当は笑ってもらいたいのに、どうしたらいいのかわからない。
ボクを見てほしくて、ボクの事を考えてほしくて、気が付いたら意地悪をしてしまっている。
困り顔や落ち込んだ顔、泣き顔、やせ我慢する顔。
そういう顔は見飽きるほどに見てきたけれど、笑顔を向けられた記憶は両手で数えられるほどだ。
秋に向ける安心しきった顔を。
結依に向ける楽しくて仕方がないという顔を。
宿祢に向ける一緒に頑張っていくという顔を。
そして、誠士郎に向けた恥じらうようなあの顔を。
出来る事なら正面から見たかった。
遠くからしか見る事の出来ない輝くあの笑顔を、近くで見たい。
「どうしたら、そうなれるんだ?」
「泰時君?」
「あ、いや…なんでもない」
泰時はぶんぶんと首を横に振って考えを頭から追い出す。
吊り橋効果かもしれないが、冬は一瞬でも誠士郎に対してドキドキしていた。
長い間冬を見てきたのだ、それくらいわかる。
身も心も大人な誠士郎に勝つ為には、少しでも余裕を持たなければならない。
ボクは悔しいけれども、誠士郎と比べたらまだまだ子供なのだから。
※ ※ ※
「それでは、秋めはこのまま誠士郎様を送って参ります」
「ああ、頼む」
無事に啼々家まで泰時を送り届け、秋はその足で誠士郎と共に啼々鏡家へと向かう。
陽はとっくに沈み、足元を照らす提灯が風に揺れた。
分厚い雲に覆われた今夜は、月明かりを期待できそうにない。
「ごめんね」
周囲に人影がないせいか、はたまた無言の空気が嫌だったのか、誠士郎が小さくもらす。
誠士郎が纏う雰囲気から、『女中』ではなく『友』への言葉なのだと感じ、秋は敬語で返すのをやめた。
「なにが?」
「深冬ちゃんの事。勝手に決めちゃってごめん」
「いいよ、いざとなればフォローに回るし。でも珍しいね、誠士郎がああいう事するなんて」
「だって、悔しかったから」
「悔しい?」
「秋君も深冬ちゃんも頑張っているのに、どうして差別されなくちゃいけないの?姫巫女は私利私欲の為にあるんじゃない。人々を守る為の存在なのに」
「腐った奴等の事考えても意味ないよ」
「でも…!」
「ちょっと、なんで誠士郎が泣くのさ」
「だって、秋君は僕の…」
「はいはい、わかったから泣かないの」
顔を歪め目に涙を溜め始めた誠士郎を見て、慌てて秋はその頭を撫でた。
自分よりも背の高い誠士郎の頭に手をやる為には少し背伸びをしなければならない。
その事に少し悔しさを感じつつも、昔と何も変わらない中身に安堵する。
「誠士郎の気遣いは凄く嬉しいよ」
「秋君…!」
「でもね、それで誠士郎に危害が及ぶなんて事になったら、そんなの僕は嫌だ」
「…でも、僕だって秋君の力になりたいよ」
「こうやって『秋祇』として接してもらっているだけで十分だよ」
「本当に?」
「もちろん。啼々莽秋祇でいられる事は、僕にとってとても重要な事だからね」
そういうと、秋は誠士郎に手を差し出した。
小さい頃から不安に駆られた誠士郎の手を引いて家に送るのは秋の――秋祇の役目だ。
幼馴染の友人は何人かいたが、誠士郎は秋祇に一番懐いていた。
秋祇と一緒なら、どんなに怖い状況でもなんとかなると、そう思えるほどに。
いつも守られてばかりいたからこそ、誠士郎は何とかして力になりたいと思ったのだ。
「帰ろう、誠士郎」
「うん!」
ぎゅっと握られた手を軽く握り返し、秋祇は手を引いて歩き出す。
久々に秋祇とゆっくり話せた事に満足したのか、誠士郎の顔には笑顔が浮かんでいた。




