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四季の姫巫女  作者: 襟川竜
冬の章 第一幕・神託
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第弐話

「神託?」

「そう、神託よ」

屋敷の廊下を水拭きしていた時、不意に結依(ゆい)ちゃんが言った。

「今年は十年に一度の神託の日。前に行われたのは私がまだ七歳の頃だったわ。あの頃はまだここには居なかったから、見られなかったのよね」

結依ちゃんはうっとりとした目で、ここではないどこかを見つめながら雑巾を握りしめた。

結依ちゃんはわたしと同じ女中で、三歳年上の十七歳。女中として啼々家にやってきたのは五年前。それまでは四歳年上のお姉さんと一緒に啼々星家に仕えていたの。

でもお姉さんが啼々星家当主の啼々星光蔵様の奥様になったらしくて、結依ちゃんは独り立ちする為に啼々家に来たんだって。お姉さんに迷惑をかけたくないのと、自分の事は気にしないで幸せになってもらいたいのが理由だって言っていた。結依ちゃんって、偉いよね。

「でも、神託って姫巫女候補と一部の関係者しか出席できないんじゃ…」

「だからこうやっていつも以上に掃除に力を入れているんじゃない」

「え?どういう事?」

「もう、冬ってばなぁんにも知らないんだから」

首をかしげたわたしに、結依ちゃんはビシッと指を突き付けた。

「神託の儀式を受けられるのは、この里で最も霊力が高いといわれている本家と分家を含めた啼々一族だけなのはわかるわね?」

「うん」

「私達のような『姓の無い者』は神託どころか『下層民』と呼ばれる一般人。啼々一族にお仕えするだけの、奉公人として生まれてきたような存在よ。でもね、そんな下層民が唯一神託を目撃する事が出来る方法があるのよ。なんだと思う?」

「え?…えーと」

うーんとうなって考えてみるけれど、全然思いつかない。

「ぶっぶー、時間切れ。正解は『当主付きの使用人』になる事よ」

「当主付きの?」

「そう。啼々家とその分家の当主は神託の結果を見届ける為に儀式に参加するのよ。当主は一人だけ使用人を連れて行く事が可能なの」

「でも、神託を行う本殿には入れないんじゃなかったっけ?」

「分家の場合はね。本家当主である充実様は特別に連れて行けるのよ」

「それなら女中頭の紅椿(べにつばき)さんが参加するんじゃ…」

「ここがポイントよ」

結依ちゃんは「ふっふっふっ」と不敵に笑う。

「充実様は必要だと思った数の女中を連れて行けるのよ!」

参ったか、とでも言わんばかりに結依ちゃんは胸を張る。つまり、頑張って仕事をして充実様に気に入られれば、もしかしたら神託の儀式に参加…というか、見学をさせてもらえるかもしれないという事になるわけだね。

充実様が何人もつれていけるっていうのは、やっぱり本家当主の特権なのかな?そのあたりのルールはさっぱりわからない。後で秋ちゃんにでも聞いてみよう。

「でも、何で今なの?」

「充実様、今日中に篠崎(しのざき)から戻られるそうなの。帰ってきた時に私が皆より抜きんでて仕 事をしていれば印象に残るじゃない。沢山いる女中の中で少しでも目立てば、選ばれる確率アップよ」

「なるほどー」

「ま、最終的には運と充実様の気分次第でしょうけれど。紅椿さんだけの可能性が高いしね」

「紅椿さんって、十年以上前から充実様に仕えているって言っていたもんね」

「これで紅椿さんが選ばれなかったらびっくりよ」

「結依ちゃん、連れて行ってもらえるといいね」

「うん」

二人で笑い合った時、廊下の向こうから啼々家の長男で次期当主の泰時(やすとき)様が歩いてくるのが見えた。わたし達は慌てて端に寄り、膝をついて頭を下げる。

主人も含め、お偉い様が通るときはこうするのがこの里のしきたり。

わたし達下層民は苗字を持つ上層民に逆らってはいけない。

異議を唱えてもいけない。

たとえ仕えている主人よりも霊力が高くても、地位は最下位なのだから。


わたし達が住んでいる「いすゞの里」は、全員が少なからず霊力を持っている。

霊力は世界に住む人々全員が持つとされているけれど、その力が他の人よりも強いのがわたし達。なかでもずば抜けて強力な力を持っているのが啼々一族なの。

啼々一族は代々式神を従えて阿薙火国(あちかこく)を蔭ながら守ってきた一族で、その功績や噂から、いすゞの里は別名「式神の里」とも言われているわ。


「……おい、冬」

「は、はい」

「このバケツは、ボクに歩くな、という意味で置いてあるのか?」

「い、いえ、そのような意味では…」

「ならば邪魔だ」

バシャン、という音がしてバケツがひっくり返る。勢いよく散らばった水は廊下を濡らし、わたしの着物にも跳ねた。

「申し訳ございませんでした。すぐに片付けます」

「ふん」

さらに頭を低くして謝ると、泰時様はさっさと行ってしまった。

その姿が見えなくなった後、結依ちゃんがぼそりと呟いた。

「…相変わらず、嫌な人だよね。わざわざバケツを蹴らなくたっていいのに」

「歩くのに邪魔な場所に置いたわたしが悪いんだよ」

「だからって、普通蹴る?」

「でも…」

「充実様に比べて、泰時様って器が小さいよねぇ」

「……」

確かに泰時様は意地悪かもしれない。

でも、わたしは知っている。泰時様は、本当は優しい人だって事を。


啼々泰時様は、啼々家の次期当主。わたしより五歳年上の十九歳。啼々一族の当主や次期当主達の中では一、二を争うほどの霊力を持っている。更科(さらしな)さんという狗の式神を使役しているの。黒い髪に少し吊り上った水色の瞳が、遠目からでも目を引く。

わたしは嫌われてしまっているけれど、泰時様はとても面倒見がよくて、不正が大嫌いな正義感の強い人なの。

素直じゃないから、誤解されやすいとは思うけれどね。


「あんまり気にしちゃだめよ、冬」

「…うん」

「私も手伝うから、さっさとここ、片付けちゃいましょう」

「ありがとう、結依ちゃん」

考えていても始まらない。まずはこの床を掃除しないと。

雑巾を片手に二人で床を吹き始めた時だった。

「結依さん、紅椿さんが呼んでいましたよ」

「あ、秋さん」

大きな風呂敷包みを抱えた秋ちゃんが通りかかった。重そうに見えるけれど、秋ちゃんは軽々と運んでいる。細いその腕で、男性顔負けの仕事をする秋ちゃんは、とっても格好いい。中性的な顔立ちをしているのもあって、女中達の中では秋ちゃんに憧れている人も少なくない。

秋ちゃんはわたしと同室で住み込んでいるのもあってか、わたしの事をとても気にかけてくれている。

わたしには四歳より前の記憶がない。そんなわたしに「冬」という名前を付けてくれて、ここまで面倒を見てくれたのは秋ちゃんなの。血は繋がっていないけれど、秋ちゃんはわたしの自慢のお姉さん。秋ちゃんもわたしの事を大事な妹だって言ってくれている。本当の姉妹のように仲がいいんだよ。

…まあ、そのおかげで秋ちゃんファンの女中から嫌がらせを受けちゃう時もあるんだけどね。

でも、秋ちゃんがいるなら、どんな事だって乗り越えられる気がする。

「紅椿さん、何の用事かしら?」

「わからないけれど、急いだ方がいいですよ」

「えっと…」

結依ちゃんが視線を向けてきた。きっと、この床が気になっているんだろう。

「ここならわたし一人でも大丈夫だよ」

「そう?」

「まかせて」

「わかったわ、じゃあお願いね。では秋さん、失礼します」

「廊下は走らないようにね」

「はぁい」

ぺこりと頭を下げて、結依ちゃんは小走りで行ってしまった。どこに行けばいいとか聞かなかったけど、いいのかな?


「ところで秋ちゃん、その荷物って何?」

「これ?神託で使う物なんだ」

「秋ちゃん、神託に出られるの?」

「ただの下準備。本殿を掃除して、座布団を並べて、神託の水晶を置いて…。姫巫女候補達とご当主様達を招く為の準備をするだけだよ」

「それでも本殿に入れるんだね。いいなぁ。本殿って確か、迦楼羅丸(かるらまる)様が(まつ)られているんだよね」

迦楼羅丸様というのは啼々紫(ななむらさき)様の式神で、鬼。啼々紫様と一緒に愉比拿蛇(ゆひなじゃ)を封印したのよ。

でも、その時の戦いで迦楼羅丸様は愉比拿蛇によって岩に埋め込まれてしまったの。今は岩と一体化している迦楼羅様を、啼々家の守り神として本殿に祀っているの。

本殿は姫巫女とその候補者、そして当主と次期当主しか入る事を許されていない。引き継ぎの儀式とか、神託といった特別な儀式が本殿で行われる。

啼々紫様の話は誰もが知っているし、この里があるのも啼々紫様のおかげだから、本殿には一度でいいから入ってみたいのよね。準備とはいえ、入れるなんて羨ましい。本殿の掃除すら姫巫女の修行だとかでわたし達はやらせてもらえない。

「本当にいいなぁ。でも、よく入れてもらえたね。本殿の掃除とかって、姫巫女の修行の一環なんでしょ?いつも掃除させてもらえないもの」

「まあ、僕にも事情があるからね」

秋ちゃんは自分の事を「僕」という。綺麗で、気立てが良くて、優しくて…。とにかく、素敵な女性なのだから「僕」なんて言わない方がいいと思うんだけどなぁ。

もちろん、お偉い様の前では「私」って言うけど、普段が「僕」はもったいない。

「そんなに入りたい?」

「うん。一度、迦楼羅丸様に会ってみたいの」

「そう…。じゃあ、充実様に冬も入れるように頼んでみるよ」

「え!?」

「もちろん、準備の手伝いだけだよ。儀式には参加できないからね」

「わ、わかってるよ」

「それじゃあ、早く床を片付けないとね」

「うん!」

無理を承知でも頼んでもらえるなんて思わなかった。これは張り切って掃除するしかないねっ。

準備の為に蔵へいく秋ちゃんを見送って、わたしは廊下の水拭きを再開した。


※※ ※


建てつけが悪くなってきた重たい蔵の扉を押し開ければ、今度は錆びついた蝶番が嫌な音を立てた。三百年以上前からある蔵は、未だに電気は通っていない。

ランタンに火を灯し、秋は入り口から中へと続く三段ばかりの階段を下りる。傷んできた階段は、降りるたびに今にも抜けそうな音を上げた。

埃っぽく薄暗い室内は、冬の初めもありひんやりとしている。手に持っている小さなランタン一つではとても照らしきれない室内には、骨董品からガラクタのようなものまで、所狭しと並べられていた。床にも箱が積み重なり、大きな壺も置かれている。足元の悪い室内を、秋は迷うことなく進んだ。

辿り着いた先には、漆塗りの蒔絵が描かれた重厚な箱。結ばれた紐をほどき、蓋を開ける。中には顔程の大きさのある水晶玉が入っていた。

「……」

そっと、秋は水晶玉に両手を翳す。そのまま静かに霊力を込めはじめた。水晶玉の中心に光が現れ、眩く強い光が一瞬、当たりを照らす。カメラのフラッシュのごとく、一瞬だけ輝いたのち、光は急速に失われた。あとはどんなに霊力を注いでも反応しない。

「…っ」

ギリリ、と唇を噛んだ秋の背後から、鬼が手元を覗いて言った。

「やっぱりそうだ。これ、霊力が強ければ強いほど、反射するようになってる」

「天景!?」

ほんの少しだけ驚いた後、秋は鬼へと移した視線を再び水晶玉に向けた。

「反射って事は、やっぱりこれ、偽物だったんだ…」

「ま、そういう事だろうな」

天景と呼ばれた少年鬼は、頭の後ろで腕を組む。

「これでまた一つ、証拠が見つかった訳だけど…。どうするんだ?これを使うのか?」

「まさか。もちろん本物を探すよ」

「探すって……この馬鹿デカい蔵のどこを探すんだよ」

「簡単には見つからないような場所、かな」

「マジで?」

「大マジ」

箱の蓋を閉じ、紐を結び直しながら秋は言う。その後ろで天景はすでに疲れきった顔で蔵を見回した。

「もちろん、手伝ってくれるよね?」

ふわりと微笑んで秋は言う。とろけるような笑みとはこの事を言うんだな、なんて思いながら、秋の頼みを断れない自分に天景は苦笑した。

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