第壱話
この世界は、二つの事柄で成り立っている。
一つは、『天地伝説』と呼ばれる口伝の物語。よくある、世界の危機とそれを救う異界の勇者物語。ただのおとぎ話のように思われるが、史実と類似する内容が伝わっている為、おとぎ話だと片づけられない。天地伝説はこの世界と、そして世界に住む人々に深く根付いている。天地伝説に由来して、この世界は『地の世界』と呼ばれている。
そして、もう一つは『世界の中心』と呼ばれる『聖地クリスタニア』。ここも、天地伝説に登場する場所で、水晶で出来た大地に水晶の森があり、この世界を中心から支えているといわれている。長らく実在するのか不明だったけれど、近年になりそれらしき場所が発見されたと新聞で大騒ぎになっていた。
わたしの名前は『冬』。わたしがいるのは、世界の中心から見て北北東にある島国『阿薙火』。その北東部に位置する『都ノ厦』の、更に山中。そこに『式神の里』と呼ばれる場所があり、わたしはそこにある啼々家に仕える女中です。
啼々家とは、式神を使役する一族の代表家。分家に、狗神の使役に優れている『啼々星』、精霊の使役に優れている『啼々弤』、霊の使役に優れている『啼々鏡』、天狗の使役に優れている『啼々郡』、付喪神の使役に優れている『啼々樰』、下位妖怪の使役に優れている『啼々蔭』が存在します。啼々家は、分家の力すべてを使いこなす、とても優れた家系なのです。
わたしは、四つの頃に啼々家に拾われ、以来十年間女中としてお仕えしています。
『おはよう、冬』
「あ、おはようございます。お姉さん」
時刻は朝の四時半。いつものように、祠の掃除をしていたわたしに、幽霊のお姉さんが挨拶をしてくれた。
『毎日毎日、大変ね』
「そんな事ないよ。この祠は、邪神を封印している啼々紫様の勾玉を祀っている大切な祠だもの。こうやって、わたし達が平和に暮らせているのも、啼々紫様のおかげなのだし」
『…そうね』
「啼々紫様、本日もわたし達をお守りください」
『…啼々家の人間は毎日祈らないのに、冬は熱心ね』
竹箒を地面に置き、しゃがみこんで祈るわたしに、お姉さんは『ふふ』と笑った。
幽霊のお姉さんと出会ったのは、わたしが祠の掃除を命じられた初日だった。鬱蒼と茂った裏庭は、小さいわたしにはとても怖くて。それでもなんとか勇気を出して掃除をして。手際が悪くて、とても時間がかかったっけ。
帰り際に反対側の茂みを覗いたとき、もう一つ祠があるのに気が付いた。そっちの祠は掃除しろとは言われなかったけれど、きっと大切なものだろうと掃除をしていたら、突然お姉さんが声をかけてきたの。
『ありがとう。この祠、私にとってとても大切な場所なの』
「たいせつな、ばしょ?」
『ええ。私、もう幽霊だから掃除もできなくて荒れ放題で…。とても困っていたのよ。ありがとう』
「おやしきのひとにそうじしてもらうようにたのんだら?」
『それがね、私の声も姿も、誰にもわからないみたいなの。貴女が初めて気づいてくれたのよ』
「そうなんだ…。あ、わたしね、ふゆっていうの」
『ふゆ…。綺麗な名前ね』
「おねえさんは?」
『私は…そうね、「幽霊のお姉さん」でいいわよ』
「…それって、おなまえ?」
『謎めいていて、なんだか素敵じゃなぁい?』
「そういうもの?」
『そういうものよ』
それから、わたしにしか見えない幽霊のお姉さんと、毎朝こうして掃除しながらお話しするのが日課になっていったの。その頃のわたしには家族の記憶がなかったから、お姉さんと話をするのは、毎日とっても楽しみだったのよね。
『ねえ冬、今日のお供え物は何かしら?』
「今日はね……じゃじゃーん、秋ちゃんに教えてもらって作った『おはぎ』でーす」
『まぁ、おいしそう!』
もったいぶって出したのは、昨日教わって作ったおはぎ。勾玉にお供え物っていうのも変かもしれないけれど、それでもお願いしてばかりは申し訳なくて。二つの祠に二つずつおはぎをお供えしていく。
秋ちゃんは、わたしと同じ女中で、七歳年上のお姉さん。とっても優しくて、気立てが良くて、お料理やお裁縫やお掃除も得意で、いつも私の事を気にかけてくれるの。幽霊のお姉さんの事を話したときだって、秋ちゃんだけは笑わずに聞いてくれた。
わたしはいつも思うの。秋ちゃんがわたしのお姉さんだったらなって。寝泊まりしている部屋も一緒で、わたし、秋ちゃんが大好き。
『秋は料理も上手いのね』
「すっごく美味しいのよ。お姉さんにも食べさせてあげたいなぁ」
『そんなに自慢されたら、食べたくなっちゃうわね』
二人で笑い合っていたら、遠くからわたしを呼ぶ声が聞こえた。振り返れば、黒い着物に白いエプロンをつけた秋ちゃんが、こちらに小走りでやってくるところだった。若草色の髪が動きに合わせて揺れている。
「あ、秋ちゃん」
「『あ、秋ちゃん』じゃないよ。もう、やっぱりここにいた。今日は冬が朝餉当番でしょう?」
「あ!忘れてた!」
「やっぱり…。どうせまた、幽霊のお姉さんと話し込んでいたんでしょう」
「う、うん…」
秋ちゃんにはお姉さんが見えない。だから視線をさまよわせて、見えないお姉さんを見る。お姉さんはわたしに『ごめんね』と両手を合わせた。お姉さんが悪いわけじゃないけれど、秋ちゃんがわたし達二人に怒った事はわかる。
「秋ちゃん、ごめんなさい。お姉さんもごめんなさいって言ってる」
「……」
秋ちゃんはじと目でしばらく見た後、
「うむ。わかればよろしい。…さ、お台所に行くよ」
「うん」
秋ちゃんのお小言の後に見られる笑顔が、わたしはすごく大好き。怒ると怖いけど、その後の笑顔と優しく頭を撫でてくれる手が、なんだかわたしをホッとさせてくれる。
「それではお姉さん、冬を借りていきますね」
「じゃあね、お姉さん」
『お仕事がんばるのよ』
秋ちゃんが向いている方向は、少しお姉さんのいる方向とは違う。けれど、秋ちゃんは誰にも見えない幽霊のお姉さんにも挨拶してくれる。その優しい心、わたしは尊敬しているの。
お姉さんに手を振って、わたし達はお台所へと向かった。