第零話
ザザァ、と葉が揺れる。時刻はもう、夜と呼んでもよかった。
しんと静まり返った本殿で、目覚めの水晶に一人また一人と姫巫女候補が手を翳して霊力を注いでいく。
水晶全体が輝く者。
ほんの少し、あるいは一部のみ輝く者。
まったく輝かない者。
多くの候補者達が神託の儀式を終えていく。啼々(なな)家の七つの派生一族『啼々星』『啼々弤』『啼々鏡』『啼々郡』『啼々樰』『啼々蔭』。
そして順番は、最後の一族『啼々莽』へと回ってきた。
「次、啼々莽小春」
「はい」
名を呼ばれ、小春は水晶の前へと出る。無意識に、唾を飲み込んだ。隣に控えていた小春の式神、鬼の『藤臥』が肩に触れた。
「春、肩の力を抜け」
「ええ、わかっていますわ」
こくりと頷く小春だったが、その顔は強張ったまま。何度も深呼吸をするが、体の力は抜けない。
それもそのはずで、今日で啼々莽家の運命が決まるのだ。
四百年の歴史を誇る啼々家は、代々強い霊力を所持していた。
その中でも強い霊力を誇っていたのが、初代姫巫女の『啼々紫』である。彼女は数多の悪鬼妖怪と戦い、勝利してきた。そんな彼女が唯一封印するにとどまった存在、それが邪神『愉比拿蛇』である。
啼々紫は契約した式神鬼『迦楼羅丸』とともに愉比拿蛇を滅する為に戦ったが、勝利する事は叶わず、命を燃やして愉比拿蛇を封印した。迦楼羅丸は、その戦いで愉比拿蛇により大岩に取り込まれるように封印された。
それ以来、十年に一度、愉比拿蛇を封印している勾玉に霊力を注いで封印を強化する儀式が行われている。その儀式に参加する姫巫女を選ぶのが、現在小春が行おうとしている神託の儀式である。
小春の一族『啼々莽』は、ここ五十年間、一人の姫巫女も誕生していない。本日この儀式に失敗すれば、お家取り潰しが決まっている。
小春の肩には、一族の命運が懸かっているのだ。二四歳の肩には、重い役割である。
「ま、まいります…」
両手を水晶に翳し、小春は霊力を注いでいく。
小春の霊力は、ここ百年の啼々莽家の歴史の中でもかなり強い。パートナーとなる式神と契約したのも、一族の中では最年少だった。
ゆっくりと水晶が輝き始めたが、それは鈍い光。ゆらりゆらりと揺れる蝋燭のような、頼りない光だった。
もっと、もっと強く。
輝かせないと。
焦れば焦るほど、光は弱々しくなっていく。
一族の為に、そしてこれからも家族一緒に暮らしていく為に。
そんな小春の思いを嘲笑うかのように、光は揺らめいて消えてしまった。判定人を務めていた啼々充実は、ゆっくりと首を振る。
「そ、そんな…」
愕然とし、倒れそうになった小春の体を藤臥が支える。小春は、失敗したのだ。
「最後、啼々莽夏琉」
「はい」
よろよろと近づいてきた小春に、妹の夏琉は「アタシが必ず姫巫女になるから」と声をかけた。妹に希望を託し、小春は頷く。
「ごめんなさい、父上、母上」
「何を言うか、小春」
「貴女はよくやったわ」
「そうです、姉上。きっと夏琉姉様が姫巫女になります」
「秋祇…」
拳を握り、弟の秋祇はいう。左手は末っ子の妹、深冬の手をしっかりと握っていた。
「いざとなったら、ぼくが、やります」
神託の儀式は、女子しか行えない。今の啼々莽家で一番霊力が強いのは、十一歳になったばかりの秋祇だった。
だが、秋祇は男児。儀式に参加などできるはずもない。それでも小さな弟は一生懸命考えたのだろう。小春が幼い頃に着ていた着物を身に着けている。今の秋祇は、どこからどうみても女児であった。
秋祇に順番が回ってこなければよいと、小春は期待を胸に夏琉を見る。水晶に手を翳した夏琉の傍には、契約した式神鬼『姫咲楽』が控えていた。
呼吸を整え、夏琉は霊力を込める。ゆらゆらと中心から光りだすが、一向に強さを増す事はない。それどころか、水晶全体を光らせる事すら叶わなかった。
「…っ」
悔しさのあまり、夏琉は唇か噛みしめる。もっと、もっとと霊力を注ぐが、啼々充実は首を横に振った。これ以上やっても変わらないと判断したのだ。
「只今をもって、神託の儀式を終了する。啼々莽家は、本日をもってお家取り潰しとする」
「ま、待ってください!まだ、秋がいます!」
大声をだし、秋祇は啼々充実に待ったをかけた。
「君は…」
「い、妹の秋です」
「秋?…申請書には名前がないが?」
「そ、それは…えっと…し、申請漏れです!」
「……」
「ちゃ、ちゃんと契約式神もいます。直前に契約したから、申請漏れになってしまったんです」
苦しい言い訳だと、啼々充実は気づいていた。だが、秋祇の必死の形相に心を動かされたのかもしれない。顔を真っ赤にし、両の拳を握りしめる秋祇に、
「わかった。ではやってみなさい」
啼々充実は神託の儀式を受ける事を許可した。
「あ、ありがとうございます」
満面の笑顔を浮かべて頭を下げる秋祇に、小春と夏琉、それから両親の左馬之助とお良も頭を下げた。
これが最後のチャンスだと。最後の希望なのだと。十一歳の秋祇に、すべてを賭けた。
「天景!」
「おうよっ」
秋祇の呼びかけに、彼の式神鬼『天景』が応える。天景を連れ、秋祇は駆け足で水晶へと近づく。
「どうか、お願いします!」
両手を翳し、霊力を込めた。
その瞬間、水晶は強烈な光を放つ。
「や、やったぁ!」
秋祇も、小春も夏琉も、左馬之助もお良も、強い光に目を奪われ、喜んだ。
だがそれも、ほんの一瞬の事。
瞬き一つの間に光は消え、後はいくら霊力を注いでも反応する事はなかった。
「な、なんで…?なんで、なんでなんでなんで…っ!光ってよ、ねぇ、光ってってばぁ!」
「秋」
「やだ、やだよぉ。やだやだぁ!」
「秋っ!」
ぼろぼろと涙をこぼしながらも、秋祇は霊力を注ぎ続ける。それは無駄な事なのだと、認める訳にはいかなかった。認めれば、お家取り潰し。正確な意味を分かっていなくても、家族がバラバラになってしまうという事だけは、幼い秋祇でも理解できていた。
駄々をこねる秋祇を、天景は水晶から引き離す。これ以上霊力を注ぎ続ければ、秋祇の命に係わるのだ。
泣きじゃくる兄の姿を見て、末の子は何かを思ったのだろう。
「ふゆもやる」
父親の服を引っ張り、深冬は水晶を指差した。
だがそれは、無理な話だった。
確かに深冬は女児で、神託を受ける事は出来る。だが、
「深冬…それは無理だ」
「どうして?」
「深冬には、契約式神がいないからだよ」
神託の儀式を受ける最低条件は、契約式神がいる事。
啼々家と、その派生一族は、代々精霊や妖怪と式神契約をする事で、一族の使命を果たしてきた。どんなに霊力が強くても、式神を一体以上連れていなければ、一人前とは認められないのだ。
「それでは、これにて神託の儀式を終了する。左馬之助、お良の二人は、これより啼々家の監視下に置く。四人の娘達は繁栄の為、それぞれの一族に花嫁候補として嫁いでもらう。どこへ嫁ぐかは明日知らせる。本日は、家族最後の夜を過ごすがいい」
啼々充実の言葉に、お良は涙を流して崩れ落ちた。そんな妻を、左馬之助が支える。
「すまない、お前達…」
「父上のせいではありませんわ」
「うん。アタシ達に、資格がなかったから…」
詫びる父に、子供達は涙を浮かべた。深冬だけが、よくわかっていないという顔をしていたが。
「み、充実様!」
秋祇が声を上げた。
「こ、これ、秋!」
驚いた左馬之助は、慌てて秋祇の口を塞ごうとする。それを制し、啼々充実は続きを促した。
「なにかな?」
「無礼を承知で申し上げます。どうか秋を、冬と同じ場所にいかせてください」
「冬と?」
「はい。冬はまだ四つです。お取り潰しの意味も分かっていません。ですから、秋が冬の保護者になりとうございます」
「ふぅむ…」
「お願いします、充実様!」
腕を組み、啼々充実は考え込む。顔を真っ赤にし、涙で目を充血させながらも、秋祇の瞳には強い意志が宿っていた。
「いいだろう」
「本当ですか!?」
「ただし、一つ条件がある」
「条件?」
「奉公人として、啼々家に来るのであれば、二人一緒にいることを認めよう」
「ほうこうにん?」
「使用人、ともいうな」
「わかりました」
「使用人になるという事は、嫁としての待遇ではない。厳しく、辛いものになるぞ」
「冬と一緒なら、大丈夫です」
「それと、式神を従える事も出来ん」
「…え?」
「秋、君は君の式神とお別れしなければならない」
「天景と?」
秋祇にとって、天景は幼い頃から一緒に育った兄弟のようなものだった。兄のように慕っている天景と別れなければならないといわれ、秋祇の心が揺らぐ。
深冬を取るか、天景を取るか。
どちらも大事な存在だ。選べる訳もない。
だが、そんな秋祇の背を押したのは、他の誰でもない天景だった。
「悩む必要なんてないだろ、秋」
「天景…」
「小さい冬を守ってやれるのは、もうお前しかいないんだ。しっかり守ってやれよ」
「ぼく、だけ……。うん、わかった。約束するよ、冬はぼくが守る!」
「それでこそオレの秋だ!」
小指を絡め、約束をする二人の姿を見て、啼々充実は頷いた。
「では、秋と冬を使用人として啼々家に迎え入れよう」