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おうじさまの笑顔

「柚ちゃん。こっちおいで」



吊革に捕まるのは、少し苦手だった。私にはバランス感覚というものが欠如しているのか、それに掴まっていてもあっちこっちフラフラと揺れてしまう。昔から兄には"危なっかしい"と言われていて、座席にいつも座らされたものだ。尭葵くんも勿論それを承知していて、やはり危なっかしいと思っているらしい。日曜で埋まり切った座席とドアの間に彼は私を招いた。

私だって、自分の吊革掴まり時の危うさは知っている。何も考えずにその隙間に迎え入れられた。ほっと一息吐いて、背中を壁に預ける。これでバカスカ人にぶち当たることがなくなった。ふと、視線が降るのを感じる。なんの気なしに見上げると、尭葵くんが眼鏡の奥の目を細めて、超至近距離で私を見ていた。オプションで、とろけそうな笑顔も追加。



(えええ?!)



内心、汗が吹き出た。いや、実際出ていたかもしれない。あまりにも幸せそうな笑顔に、頬に熱が昇る。

ときどき、尭葵くんはこういう顔でこちらを見ている。それに気付く度に私は顔を真っ赤にした。



(ていうか、近い!近いよ!)



席は埋まっているが、電車が混んでいるわけでは無い。しかし彼はドアにもたれ掛かって私を囲っていた。



「尭葵くん、その、私転けないよ」

「え?転けないって、いっつもグラグラしてるのに?本当にヒヤヒヤしちゃうんだけど」



今すぐこの蛇に睨まれたマングース状態を脱出したくて、申し立ててみる。彼はにっこりと笑いながら、引かなかった。

艶のある低くて柔らかな声が、耳朶に触れた。ぞくりと背筋から腰まで、衝撃が走る。



「本当は、抱き上げてたいくらい心配なんだよ。これでも譲歩なんだけどなぁ」

「じょ……」



こんなに居心地が悪い譲歩なんてあったものか。どうしたって聞いてもらえそうにないので、私は黙り込んで下を向いた。それでも、尭葵くんの視線は質量をもって降り続ける。

大学の最寄駅に着く頃には、既に私は消耗していた。



キャンパスの砂利道を歩く。彼にとっても勝手知ったる庭だ。迷いなく法学棟に向かっている。



「変わらないな」

「尭葵くんが卒業して、そんなに経ってないでしょう?」

「うん、それでも、懐かしいね。自分の居場所、じゃなくなったと認識してるからなんだろうね」



平静に話しているようでいて、私は平静じゃなかった。電車内からドキドキは続いている。少し歩いたところで、周りがざわつき始めた。



「やだ、かっこいい……!」

「あんな人大学にいた?モデル?」



主に女性の声だ。ヤバい、これは大層ヤバい

。私が彼と遊ばなくなった訳は、"こういう嫉妬の目から逃れるため"だ。

慌てて、尭葵くんの服の裾を掴んだ。



「い、行こう。遅れちゃう」

「……そうだね。理希が邪魔したからね」



ウザがられるかな、と思ったら、尭葵くんはまたあのとろける笑みを浮かべた。そして、私が掴んだ服の裾を、手ごと掴む。



「あ、ごめん」

「ん?高杉ちゃんとこでしょ?405だっけ?」



裾を離して欲しいのではなかったのだろうか?うっかり彼は私の手を持ったまま移動し始めた。いや世間的に、これは手を繋ぐというはずだ。



「た、たか」

「いくら高杉ちゃんがお喋りでも、時間には間に合わないといけないね」



確かに約束は守らなければならない。だけど、約束を守るために手を繋ぐ必要は全く無い。なんとなく周りから黄色い悲鳴が聞こえる。



「あれ、伝説の湯川先輩じゃないの?」

「え、ほんとにあんなにカッコいいの?!先輩たちが吹かしてるんだと思ってた!」


(おおお、ばーれーてーるー!)



やはり、腐っても彼のテリトリーだ。どうにか顔を見られていないように、と祈りながら法学棟に入った。



「あの、尭葵くん……」

「柚ちゃん、手、小さいね」



エレベーターで彼はマジマジと私の手を見ていた。やめて!そんな見られるほどの手では無いから!マニキュアなんかもロクに塗っていないので!



「はい、着いた」



手が離されないまま、高杉教授の部屋まで来てしまった。3分ほど過ぎてしまっていたが、丁度前の子の指導が終わったのかドアが開く。



「失礼しました、……吾妻。次?」

「あ、うん。上野くんだったっけ前」

「おう。こってりヤられた……ん?この人……」

「上野君、柚希君いる?って!湯川君か」

「ご無沙汰してます、高杉准……いえ、教授になられたんですね。おめでとうございます」



高杉教授は尭葵くんと握手を交わして部屋に招待した。一応私の指導時間だと思うのだが、まぁ良いか。上野くんへの挨拶もそこそこ、私も教授の部屋に入った。



「そうか、理希君と仲良かったもんな。だから柚希君も知ってるのか」

「ええ」

「理希君にしろ、湯川君にしろ、柚希君にしろ……正直私の指導はいらんと思うよ。柚希君、読ませてもらったけどこれで良い。卒論集に載るくらい出来の良い論文だ」

「ありがとうございます」



それは家でその理希って方が指導しまくってくれているからだと思う。隣からまた質量のある視線を浴びている気がした。



「まぁ現役の弁護士だもんな、理希君は。湯川君だってロースクールに行ってストレートで受かったと思うがね」

「またまた、煽てても何も出ませんから」

「いっそ嫌味なくらい才能があるというのに湯川君は。いや、柚希君も優秀だし、良い兄貴分が二人もいるなんて恵まれているね」



ガン、と頭を打ち付けられたようだった。

教授の笑い声が遠く聞こえる。



"兄貴分が二人"



そうだ。私は、もう一度自分の立ち位置を、思い知るべきなのだ。

尭葵くんが寄越す親切は、妹分に対するものと、そう代わりは無い。彼には兄弟姉妹はいないし、仲良い兄の妹である私を可愛がってくれたっておかしくはないのだ。



何が、嫉妬の目だろう。

何が、何が。

途端に、私は目の前が真っ赤になった。

恥ずかしい、恥ずかしい。

私がこう思ったのは、周りから嫉妬の目で見られるのが恐ろしいだなんて烏滸がましいことを思ったのは。



心の、奥底で、そう、見られたがっていたからでは、ないか?




きっと尭葵くんの隣りで、恋人のように。そう、見られたがっていた。だから————。



「……ちゃん、柚ちゃん?」

「え、あ!」

「ほら、時間だよ。ケーキ食べに行こう」

「おお、柚希君。これで君は提出で良いから」

「あ、はい……ありがとうございました。失礼します」



ぼんやりと、部屋を出る。どこをどう歩いたのか、気付いたら駅にいた。



「柚ちゃん?どうしたの?」



尭葵くんの手が背中に触れた。彼の心配そうな目に、私が映る。


どうしてか、酷く泣きそうになった。

だからその続きを、考えるのをやめた。今考えれば、私は多分ここから、逃げ出してしまうと思ったから。



「なんでもないよ、お腹空いちゃいました」

「そっか。じゃあ早く行こう」



にこり、と心の底が緩む笑みを、彼が浮かべる。応えるように無理やりに作った笑顔が、尭葵くんを騙せたかは、分からなかった。










渋谷は曜日に関わらず人が多い。ハチ公口に出て交差点を渡る。彼お勧めの店は少し奥まったところにあった。ドアを開けるとチリンと可愛らしく音が鳴る。中は女性客が一際多く、分かりにくい場所にあるというのに待っている人もいた。そんな順番待ちの方々は男性に似つかわしくないドアを開けたイケメンに色めき立っている。



「いらっしゃいませ」



そう言った店員も一瞬固まるほど、隣の人の顔は整っていた。



「2人です」

「お、お二人さまですね。ただいま席が満席でして、10分程でお通し出来るのですが」

「待ちます」

「お名前頂戴できますか」

「湯川です」

「ユカワ様……ではお呼びいたしますまで少々おかけになってお待ちください」



ユカワ、と店員さんは紙に書きながら覚えてるんじゃないかと思う。そして連れの私を一瞥した。浮かんだ表情は、読み難い。妹か、と思ったのか笑みを崩さずホールに帰った。



「柚ちゃん、座って」

「え?でも尭葵さん」

「レディファーストです」



椅子は一個しかなかった。固辞するのもアレだし、と座ると隣のお待ちになってるお姉様方がぼうっと尭葵くんを見上げていた。さっきまでお喋りに花を咲かせていたというのに。私も釣られて見上げると、それに気付いた彼が腰を折って顔を近付けた。



「ごめんね、首痛いよね」

「え、あ……」



今は近くて心臓が痛いです。渡されたメニューを弄っていると、尭葵くんは私の手に手を重ねてそれを開けた。



「ここはニューヨークチーズケーキがオススメだよ」

「来たことあるの?」

「うん、そのときはお一人さまでした。柚ちゃんと来れて嬉しい」



心臓が破裂するかもしれない。絶対顔も真っ赤だ。魔法使い湯川尭希……いや湯川尭葵は私にも魔法をかけようとしている。自分の声と、顔の破壊力を知ってやっているなら、本当に結婚詐欺で生計が立てられると思う。



「他の店も行こうね。柚ちゃんが行きたいところもあったら言って?」

「……うん」



隣の3人組が呼ばれた。私が席をズレると、彼が隣に座る。後からきた女性2人組はどっちが尭葵くんの隣に座るか小声で揉めているようだ。



「2名様でお待ちのユカワ様……お待たせいたしました。どうぞご用意できました」



呼びにきたのはさっきの店員さんだった。席に通し、水を持ってきたのも同じ人で、多分他の店員さんに尭葵くんのお相手をするのを譲りたくないんだろうなぁと邪推する。兄と彼とご飯を食べに行くときは大抵そうだったのを思い出した。同時に女性店員から烈火のような視線をもらっていたのも脳裏に閃く。



「柚ちゃん何にする?」

「あ、じゃあチーズケーキのセットで」

「お飲み物は?」

「ミルクティをアイスで」

「俺はチーズフロマージュのセット……ホットコーヒーでお願いします」

「かしこまりました」



店員さんは名残惜しそうにテーブルを去った。お冷やを飲んで顔をあげると、頬杖をついて尭葵くんがやっぱりこっちを見ていた。



(また!)


「尭葵くん……?」

「ん?……ごめん、見過ぎ?」



ちらりと頬を染める様は男性だというのに愛らしい。こちらが照れてしまった。



「俺、柚ちゃんと2人でカフェ巡りしたかったから、ちょっと感激してる」

「えっ?!」

「デート、したかったんだよね」



この人は!照れ笑いで、何もかも許されると!思っているのか!!

心臓が激しく暴れる。口から出てビチビチとテーブルの上で跳ね回ってもおかしくない。

ほら!チーズケーキを持ってきたさっきの店員さんも固まってるじゃないか!



「お、お待たせしました……」



テーブルに並べられるケーキに、震える手を伸ばす。後味がさっぱりとしたチーズケーキは、かかっていたベリーソースととても合っていて美味しかったのだと思うが、はっきり言って記憶には残っていない。彼は彼で"俺のをあげるからそっちのも食べさせて?"などと言い出すし(逆らえるわけが無い)、お互いのケーキをつついている様は親しい間柄に見えただろう。よもや数年ぶりに顔を合わせたなどとは思いもすまい。


押し問答の末、会計は尭葵くんがした。私は頑なに払うと主張したが、ダメだった。



「俺は声優としてちゃんと働いてるし、柚ちゃんは学生なんだから。ね?」



と言われると歯が立たない。私は本当に尭葵くんの笑顔に弱い。これまでの時間で死ぬほど思い知った。

新しく出来た商業施設を見にいきたかったので、それを尭葵くんに言うとあの笑顔で同意してくれた。

並んで歩いていると、こつり、と手が触れる。手を引くことも意識しているみたいで、信号待ちで何もできずにいると、青に変わった瞬間彼が手を引いた。



「え?」



狼狽えと照れが血液に乗って全身を駆け巡る。尭葵くんは私の声が聞こえたのか、何故かぎゅ、と握り直す。



(ずるいなぁ)



魔法使いには、きっと簡単なことだろう。

ひとりの女の子に魔法をかけることなんて。

王子様に見初められたシンデレラの夢を見せることなんて、簡単なのだ。



その視線を、手を、温度を、言葉を、笑顔を、くれる理由はなんだろう。


必死に閉めた扉を、内側からノックする想いを、私は見ないふりをした。

今なら、引き返せると。勘違いはしてはならないと。浮かれちゃいけない。私は、"妹分"だと。


そう誓って、商業施設のお手洗いで自分の顔を見た。笑顔を浮かべる。



(大丈夫、まだ、違うから)





ぼんやりと出口から出て尭葵くんを探す。そこら辺にいると思うのだが、もしかしたら彼もお手洗いかなと振り向いたとき、人にぶつかってしまった。



「ごめんなさい!」

「いや、こちらこそ……」



見上げたそこには、どこかで見た顔が、いた。

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