おうじさまのお誘い
『今晩も始まりました、こえのおうじさま!ラジオ。本日もパーソナリティは』
『江口賢人と』
『湯川尭希でお送りします』
深夜11時、街が眠りにつき始める頃。全国の乙女たちが、この二人の囁きを聞いていることだろう。
『ところで、つい昨日。オフだったんだよな。俺もタカも』
『そうですね』
『いやそこでさ、俺渋谷に居て』
『ちょっとまってケンさん、それ』
『はい、タカは黙って!で、タカに会ったんだよ!』
『ケンさん!ゲスト!紹介!』
『今日のゲストは仲嶋祐樹でーす』
『えー?!僕そんなおざなりに紹介されるんですか?!』
『そうでーす。俺、タカの面白話語りたいからさ』
『タカさんの面白話なら僕も聞きたいですね』
『ほら、CMいかないと!ね!』
『何をそんなに焦ってるのか?!CM後はタカと江口賢人の楽しいオフ話をお届けします』
『しなくていいですって!』
『お楽しみに!』
ジングルが大きくなり、コマーシャルが始まった。あまりのドタバタラジオっぷりに、深夜テンションの恐ろしさを思い知る。
麻衣子が、"毎週月曜の夜11時はラジオを聞け"と言うので、今回が初めての聴取になる。
(でも……昨日のオフって……)
そう、確かに昨日尭希くん……いや、尭葵くんはお休みだった。そして渋谷で江口賢人に会ったというのも真実だ。何故なら、その場には私——吾妻柚希も居たのだから。
——渋谷に、美味しいケーキ屋さんがあるので一緒に行きませんか?——
尭葵くんがそんなお誘いメールを送って来たのは、先週の月曜日であった。尭葵くんの甘党振りは前々から知っていたし、その舌が肥えているのも承知だった。彼が美味しいというなら絶対美味しいし、とても魅力的なお誘いだと思う。
ただ、私は少し、二の足を踏んだ。
それは、あまりにも、尭葵くん自身が魅力的過ぎるからだ。
尭葵くんとはあれからメールでのやり取りが復活した。パタリと止んでいた2年間のブランクを埋めるかのように、おはようからおやすみまでお話している時もある。
そのメールは、本当に楽しいものだった。"今は○○ってアニメのアフレコ中"とか、写真をつけてくれることもあって、麻衣子だけではなく声優ファンなら垂涎もののレアフォトも含まれている。
過度ではなく、それでも少な過ぎず、尭葵くんは私を気にかけてくれた。
何もかも、錯覚してしまうほどに。
湯川尭葵が、吾妻柚希を好きなのではないかと思うほどに。
でも、"湯川尭希"の人気を知る度に、いろんなところで彼を好きな人を見かける度に、そんなことがあるはずないと恥ずかしくなった。一介の、平凡な吾妻柚希を、王子様のような彼と釣り合うはずがない。周りだってそう思うだろう。
だから、尭葵くんの誘いは心の柔らかな場所に芽生えそうな気持ちに、如雨露で水を遣ってしまいそうで、恐ろしかった。
「何?尭葵?」
リビングのソファで唸る私に、兄の理希が声を掛けてきた。なぜ、唸っているだけで原因が分かるのだろう。シスコンの成せる技だろうか。
「まぁ……そうです」
「あいつそんなマメじゃないよ。返さなきゃって気に負うくらいなら返さなくて良い。で、柚?卒論は?」
「あーうん、そこそこできてるよ。あやちゃんのおかげ」
マメじゃないなんて嘘だろう、というツッコミはおいておいて、私も早、大学三年生であった。うちの大学は学士を名乗るためなら卒業論文の提出は不可欠だ。つまり、卒業要件である。
顧問法務もやりながら、刑事事件も引き受けるスーパージュリストな兄の影響を受けて、私は刑法のゼミに入った。兄や尭葵くんがお世話になった教授は教壇を去ってしまったのだが、私の教授はその方の後輩に当たる。兄もよく見知っていた。
「…………」
私は、相反した感情を抱えていた。
行きたいと思う気持ちが強いのに、誰かに見られたらだとか余計なことを考えて、尭葵くんの誘いを傷つけないよう断る理由を探している。
だのに、その理由が見当たらないことに何故か喜んで、行きたいと返してしまえば良いと思っている自分もいた。
行きたくなければ、用事があると当たり障りなく答えてしまえば良いのだ。律儀に二つ返事で承諾しなくて良い。尭葵くんにとって、私はただの友人の妹だ。
だけど、ドキドキは止まない。
尭葵くんはどこに連れてってくれるだろうとか、何を着て行けばいいのか頭の中でクローゼットをひっくり返したりしている。
矛盾だった。そしてそれは苦痛でもあるのにどこか甘美だった。
「ちなみに、尭葵はなんて?」
「……ケーキ、食べに行こうって」
「柚は行きたくないの?行きたくないなら行かなくていいんだよ」
兄はそういうと、"ケーキくらい買って来てやる"、と付け足す。私は力なく首を横に振った。
「分からない」
「なんだそれ。……いつ?」
「日曜日」
「ゼミの卒論指導入ってるって言わなかったか?」
「!そうだ!」
理由、あるじゃないか!
私はスマートフォンと向かい合う。
"日曜は卒論の指導があります"と打ちながら、何故かわだかまるモヤモヤを持て余していた。断る理由を探していたはず、なのに。
その狡さは、返信にも表れていた。
"卒論の指導がある"としか書いていない。あるから、"行けない"ではなかった。
(……何してるの、私)
ドキドキと逸る鼓動を認めて、私は溜息を吐く。往生際が悪い。
尭葵くんに惹かれたくないと言いながら、結論は相手任せ。刀の鞘だけ抜いてはいどうぞ、なんて優柔不断にも程がある。
渋谷なんてたくさんの人がいる。きっと湯川尭希を知ってる人もいるだろうし、ファンだっているだろう。
私と二人で出掛けるということが、いくら尭葵くんが否定したってデートにしか見えない。それは昨今の声優の売り出し方としてはよろしくはない醜聞かもしれない。でも、麻衣子は結婚してる声優もいると言っていたし、そこのところはよく私も分からないのだが……。
「!」
と言ってる間に携帯が震える。兄はそんな私を横目で見ながら、頭を撫でた。
「風呂入りなよ柚」
「あ、ああ、うん。これ返したら」
「だからアイツ、マメじゃないって。電話じゃなきゃ捕まらない。メルマガだよ」
どれだけ尭葵くんは兄のメールに返さないんだ。これだけメールを送ってくれる人をマメじゃないと言える訳がない。案の定、今しがた携帯を震わせたのは尭葵くんの返信だった。
"それは午前中?もしそうなら、俺も久々に大学に行きたいな"
(な、なんですって!)
ケーキ食べよう会の目的が拡張されてしまった!さすがに大学という私のテリトリーまでくると、焦る。湯川尭葵は大学でも有名なのだ。
"でも、時間がかかりますし。尭葵くんを待たせるのは申し訳ないよ"
"知り合いもいるし、俺は大丈夫だよ。高杉先生にも挨拶したいしね"
高杉、とは私のゼミの教授だ。尭葵くんや兄が卒業した次の年に准教授から教授になった。
しかし食い下がる。これはもう断れない雰囲気では……!
「おー必死必死。笑えるね」
「あやちゃん!?」
隣にいた兄が携帯を覗き込んでいた。いつもは見られて困るようなものもないが、今回のメールに限ってはなんだか恥ずかしい。
「尭葵がこんなメール送ってくるとかウケる。もっと虐めてやってよ」
「何言ってるの。勝手に見ないでよ」
プリプリと怒った雰囲気を滲ませて兄を黙らせた。私はもう一度、尭葵くんのメールを読み直す。
尭葵くんは、何故か、私とケーキを食べに行きたいらしい。しかも用事があるという私に付き合うという。用事があるならば集合を遅らせればよいし、そもそも日を改めたって良い。でもそれを選ばなかったのだから、尭葵くんにはどうしても日曜に行きたい理由があるのかもしれないし。
「もう!行く!分かった!」
何故か私は口で返事をした。勿論、届く訳がないので、了承のメールを送る。尚、卒論指導は11時からだとも書いた。
「……行くの?」
「うん」
「……じゃ家に迎えに来てもらってよ」
「え?」
「どんな顔して来るか見てみたい」
そう言って兄はソファに身を沈めた。左手は私の頭を相変わらず撫でている。
"よかった。一緒に出掛けられて嬉しい。集合はどうする?柚ちゃんの無理ないようなので良いよ"
「あやちゃん、お風呂入ってくる」
「尭葵にやっぱ行かないって返信していい?」
「行くって決めたから、ダメ」
シスコンにも程がある。兄の友達とちょっと出掛けるだけなのだ。疚しいことはない。
尭葵くんは忙しいからこの日曜が良いのだ。ケーキ屋さんに一人で行くのが恥ずかしくて私に声を掛けた、そうだ。そうに違いない。
うっかり兄が返信しそうなので、後にしようと思っていた返信を今してしまう。風呂が冷めてしまうのに。
"あやちゃんが、会いたいから来てと言ってます。尭葵くんが面倒くさくないなら、あやちゃんに会ってあげてください"
"理希が?どうせどんな顔で来るか見てみたいといったところじゃない?(笑)
迎えにいくのはOKだよ。10時で大丈夫かな?"
"はい、待ってますね"
いつもなら吟味する文面も、兄が邪魔をして来るからさっさと返してしまった。失礼のないような文なら良いが。
「柚、冷めるぞ」
「あやちゃんのせいでしょ!」
私は再度怒りのオーラを出しながら風呂場に向かう。親は優しくも下着やパジャマを脱衣所に用意しておいてくれる。だから兄に下着を見られ様が動じない。裸ですらあまり動じなかったりする。兄の裸を見るのは、ちょっぴり恥ずかしいけど。
そうして後にした居間で、兄がどんな気持ちでいるかだなんて、私は知らなかった。
「柚、分かってないのかな。……俺も、妹離れ、しなきゃならないのかな」
短いですが、区切りが良いので。
大変お待たせいたしました。
お気に入り登録、感謝です。