おうじさまとわたし
どっすーん!
そんな音と共に私の前には雑誌がうず高く積まれた。
「さて、柚さん。お勉強の時間ですよ」
「え、家族法のお勉強?」
「そんなのどうでも良いのよ!」
ハラミー(家族法の教授)の授業は中々難易度高いのに。私は目の前の雑誌の背表紙を見つめた。何々、声優雑誌?
「さて、家族法までの90分……話していただきましょうかねぇ」
麻衣子の目がギラリと怪しく輝く。吾妻柚希は逃げられないことを悟ったのである——。
「へぇ、お兄さんの友達?」
「そう、あやちゃんの。この学校の法学部だったんだよ、二人とも有名だったらしいけど」
「え、じゃあ伝説の湯川さんってタカなの?」
私は彼女が持ってきた雑誌を読みながらパフェを食べていた。広い食堂はザワザワと賑やかで、誰も私たちの話など聞いていない。ちなみに今私の大学の食堂ではパフェ選手権をやっており、生徒考案メニューのパフェが食べられる。
「そうだよ。本名は尭に葵って書いてタカキの筈なんだけど。メールも通じたし」
雑誌では尭葵くん——いや、尭希くんがモデルみたいにポーズをとって写っている。隣にも格好良い人が写っていたので、声優も顔が必要なのかしらと邪推する。名前は、江口賢人というらしい。尭希くんとは違って、少しワイルドなイケメンだ。
「タカのメル友とか!なりたい!いいなぁ!」
「流石にメルアドは……」
「分かってるよ、手に入れるなら自力です。それでー……」
自力でも手に入れる心算なのか。なんという機動力。ニヤニヤとだらしなく笑う麻衣子の目が輝いた。
——良かったら、今度遊びに行かない?オススメのカフェがあるんだ
そんな言葉で誘い出されて、美味しいケーキで舌鼓を打って、ショッピングをして。夜は夜景の見えるお洒落なレストラン。別れ際に離れ難い手を引かれて、彼の腕の中。
『本当はね、初めて会った時から、気になってたんだ。俺が今こうしてるのは、きっと……君のお陰なんだよ。声優は夢だったけど、もしかしたら君とこうするために、俺は頑張って来たのかもしれないね』
艶っぽい溜息とテノールが耳に触れる。ぞくりと背筋が粟立った。
『……もうね、君なしじゃいられないんだ。……俺の、彼女になってくれませんか?』——
「なんちゃってーっ!」
「逞しい妄想力です」
と彼女はシンデレラストーリーを語った。タカは乙女たちをシンデレラにすらしてしまうらしい。
「ちなみにこのセリフが聞きたかったらコレッ」
と言って、彼女は携帯ゲームを出してきた。雑誌の記事から目を離してそれを見ると、イケメンのキャラクターのイラストと"こえのおうじさま"なるゲームタイトルが表示されている。
「これね、画期的なのよ!実在の人気声優をモデルにした乙女ゲームなの!事務所と本人完全監修!」
「す、すごいゲーム……そんなゲームあるんだ……」
乙女ゲームとは、男性キャラクターと恋に落ちることが出来るゲームだ。私もいくつかやったことはある。でもそういうゲームはやはり実在しないキャラクターがお相手になるものだ。といっても近頃は男性向けでも女性向けでも実在のアイドルと恋愛するゲームも発売されているし、おかしくはない。
「すごいんだね、尭葵くん」
「そうなのー!この熱い告白も、タカがちゃーんと考えてるんだよ!ほらこの雑誌のこれがそのインタビューなんだけど」
雑誌山の真ん中から麻衣子は一冊を引き出した。少しだけ小さな雑誌はそのゲームの特集本らしい。
「これこれ!」
「ん、えーっと……」
雑誌の表紙には5人の声優が椅子に座ったりカッコ良いポーズで並んでいる。尭葵くんは優しそうな微笑みで椅子に手を掛けて立っていた。麻衣子によれば、これは"こえのおうじさま"のゲームのジャケットの立ち位置を真似したものらしい。中の記事はそのゲームの紹介に始まって、全員一緒のインタビューと、声優一人ずつのインタビュー、そして作成者のコメントと続いていた。
「みんな仲良しなんだよー!もう本当かっこ良くて、ラジオとかも楽しそうでさ!」
「うんうん」
尭葵くん以外の皆様はよく知らないので、とりあえず湯川尭希のインタビューを読むことにした。とろけそうな微笑みでこちらを見つめている写真に少し照れてしまったのは、尭葵くんには知られたくない。恥かしい。
——今回は声優と恋をしようがテーマのゲームとなりました。いつもの作品とは違う印象など受けられましたか?
『乙女ゲーム自体は初めてではないのですが、こんなに分厚い台本を貰ったのは初めてでした。タウンページくらいの厚さがあるんですよ(笑)他のみんなもいつも仲良くさせてもらってるみんなで、随分楽しい現場になったなという印象です。アフレコのシーンをアフレコするっていうレアな体験も出来ましたね』
——この企画、大分長い時間がかかったようですね?
『プロデューサーが持ち込んでから3年掛かったみたいですね。起用が決まったあとに集められて、企画の説明を受けたときは正直驚きました。本もシナリオすらないという状態で、不安もありましたが期待の方が大きかったです。これは、スゴイゲームになるぞ、と』
——最初の顔合わせで何もなかったんですか?
『はい。決まっていたのは、俺たちをモデルにしたゲームにすることと、女の子の基本設定で、それだけで。他にはもっと決まっていたみたいですけど、俺たちに知らされたのはそれだけだったので、ケンさんとか裕樹くんたちと"何をやらされるんだろう"って話したりしましたね』
——その後、デートコースを実際に決めるって聞かされたと。
『そうなんです。デートコースを考えてくださいって言われて、本気で雑誌を買ってきて悩みました(笑)。こういうの、慣れてなくて……気に入って貰えるデートになれば良いなと思います』
——湯川尭希さんとデートするとこうなる、ってことですね。セリフも結構考えられたとか?
『はい。退屈なデートかと思われるかもしれないな……(笑)セリフは、全部チェックをしました。脚本さんに、"湯川さんが言いそうにないことは遠慮なく言ってください"と言われて。"湯川さんが言いそうなセリフというのがプレイヤーにとって重要なんだ"と聞いて、本気でチェックしました。告白の言葉は一言一句俺が考えました』
——じゃあ、本気の湯川さんの告白になってるんですね。
『はい。本当に告白するときは、このまま言ってしまうかもというくらい真剣に考えました。その分気持ちがいつもより篭っているかもしれません。それはみんなもそうだったみたいですね』
すごいゲームだ。それと同時にインタビューが活字化していて雑誌になっていて普通にそれが本屋で売られている尭葵くんとの隔たりを更に感じた。有名になっても私を覚えていてくれて、遊ぼうと言ってくれたけれど、やはり尭葵くんはとてもみんなに人気のある王子様なんだと再確認する。
(やっぱり、尭葵くんは王子様だ)
「告白といえば、私、柚とタカの再会のときのあれとかも、ドキドキしちゃった」
「へ?」
「だってタカ、いきなり柚を抱き締めてさ……ずっと会いたかったとか、すごい嬉しいとかさ……タカじゃなくても恋に落ちちゃうよ」
「そう、かな……」
確かにそう言われたときは、本当にドキドキしたのだ。尭葵くんの声が耳朶に触れて、何とも言い難い衝動が背骨を抜けて行った。感情を隠すことなく尭葵くんの整った顔が綻んで、今すぐ離れてしまいたいのと、抱き締めたいという相反したそれを私は持て余して、彼を見られなくなったっけ。
それでも、私は、尭葵くんにはきっと、恋をしない。しては、"いけない"。
「でも尭葵くんは今やタカだしさ」
「まぁそうだけどさ……柚?」
「うん?」
彼と一緒に歩けば羨望と嫉妬の目が付きまとったし、彼にも兄にも言わなかったけれど、実は少し嫌がらせをされたりしたのだ。尭葵くんと歩いているところを高校の誰かに見られたときは、それは酷かった。陰湿で、子供みたいな真似なのに地味にダメージを受けた。上履きがないなんて典型的ないじめでもちょっぴり……いや結構辛かった。面と向かって言われることはなくても、上履きがなくて自分だけお客様スリッパだとかすれ違う度に心ない言葉を囁かれるとか、昨日まで普通だったのに掌を返したような行いに心が痛む。聡い兄の事だから多分、知らないなんてことはないと思う。
兄の"妹"は良いのだ、"恋人"にはならないから。
でも尭葵くんは違う。だから尭葵くんを好きな人たちは私が邪魔だったのだと思う。
尭葵くんとメールでやりとりすることが多くなってからは、徐々に減っていって忘れかけてしまうくらいになったけれど。
——忘れかけてしまうくらいにはなったけれど、忘れることは、出来ない。
尭葵くんのことは好きだ。あんなに私に優しくしてくれる人を嫌いになれる訳がない。
でも、それは恋じゃない。恋で、"あってはいけない"。臆病だと言われたって良い。
尭葵くんの"お姫様"になりたい人はたくさん
いるんだろう。だから私じゃなくて良い。
麻衣子は私が読んでいる以外の雑誌を袋に入れながら、とても大人びた表情で、言った。
「きっとね、それが恋になったら、何にも、考えられなくなるんだよ」
私はパフェの食器を返却口に返して、笑った。その顔はきっと少しだけ、歪だったと思う。
私は、"お姫様"じゃないのだから、"王子様"には、恋をしない。