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再会のおうじさま

——俺、今すごく君に会いたいんだ——



(天然なのかな、たらしなのかな……)



背筋にゾクリと何かが走るような声で囁かれてしまえば、頬が真っ赤になるのが分かった。電話で話しているというのに頷いてしまい、尭葵くんにもう一度訊かせてしまったのは内緒だ。まったく天然王子様というのは困る。



「あ、でも友達もいて……」

『俺のこと知ってる人……なんだろうね。あの……女の子……だよね?』

「うん、今日のイベント誘ってくれた子」

『……ん、良かった。なら良いよ、連れておいで。今日の服装教えてくれるかな?スタッフが迎えにいくから……出口で待ってて。スタッフジャンパーを着てるから』



帽子を被っているだの伝えて、通話を終える。くるくる回って今日の余韻に浸る麻衣子を振り返った。尭葵くんに会えることになったのも、やはり麻衣子がかな……否多少強引に私を誘ってくれたからだし、先程の5分足らずの時間でもこれなのだから、今から楽屋に行きますと言えば喜んでくれると思う。

御礼といってはなんだか恩着せがましいが、彼女がこれだけ湯川尭希が好きならばと私は彼女に声をかけた。



「麻衣子、そのオフ会多少遅れても良い?」

「ん、いいよ。用事あるなら先に行ってもいいけど」



……例えば先に行ってもらったとして、後で私が"タカ"と知り合いでしたーなんてバレたら私の生命問題に発展しそうなので、ここは選んで貰うことにした。



「それはどっちでも良いけど……えーとね今から」

「失礼します、吾妻柚希さんとそのお友達ですか?」

「はやっ!」



思わず口から本音が零れてしまった。まだ麻衣子様にご説明申し上げてないというのに。



「あはは、尭希が早く行けって笑顔で脅すものだから……あっ、こういう言い方してたって言っちゃだめだよ!」


(随分お茶目なスタッフさんだな……)



色々とだだ漏れしそうな人である。こういう人には秘密を託してはならない。ちゃんとご挨拶をしてから、再度麻衣子を向き直るとハテナマークがたくさん浮かんでいるような表情だった。分からないでもない。



「えーとね、今から……中に知り合いがいて、湯川尭希の楽屋に行けるんだけど、麻衣子はどうす」

「行く」

「そう仰ると思っておりました」

「今ものすごくあんたを誘って良かったと思っております、柚希様」



こういう彼女の分かりやすい態度は大好きだ。私たちはにこにこ笑うスタッフの後に続いて未知の舞台裏に向かうことになったのである——。







リノリウムの床が靴音を反響させる。舞台上ではスタッフさんたちが片付けに勤しんでいた。スタッフジャンパーの秘密がだだ漏れの人は、湯川尭希の事務所の方らしい。

麻衣子は私のコートの端っこを握っている。ドキドキしているのだろう、どんどん握る力が強くなっていてコートが伸びそうだ。やめてくれ。

勿論私も俄かに緊張していて、心臓の音がちょっとうるさい。身体中の血管が鼓動を増幅している。



「尭希ー。お連れしたよ」



ノックと問いかけの声。このドアの向こうにいるのは確実に尭葵くんなのに、有名人がいるみたいに思える。……いや有名人か。

くぐもった声の答えがあり、麻衣子からの引力が増した。転けるので緩めて欲しい。


ゆっくりとスタッフジャンパーさんがドアを開ける。あまり広くはない部屋で椅子から立ち上がった人は、紛れもなく先ほどまで舞台の上で乙女たちに魔法をかけていた湯川尭希、だった。



「柚ちゃん、……会いたかった」



スタッフジャンパーさんに促され中に入る。ドアが閉まった瞬間に、引力が後ろから前へ。するりと私のコートは麻衣子の手から抜けて、私は温かな腕の中にいた。微かにシトラスの香りがして、目の前が暗くなる。私の背中や肩を覆う感覚、優しいのに力強い手。驚きで声が出ない私の耳を、心地良いテノールが撫でた。



「やっと、……これで」

「た、尭葵くん?」

「ずっとね、俺……柚ちゃんに会いたかったんだよ」

「え?でも、尭葵くん……私のアドレスとか知って……」



やっと塞がれていた視界が開ける。彼を見上げると、このアングルなのに綺麗に整った顔が嬉しくて堪らないといった風に微笑んでいた。格好良くて可愛い笑顔に、流石に照れてしまう。



「理希が許してくれなかったから。でもやっと、柚ちゃんが俺のこと知ってくれた。すごい嬉しい」

「あやちゃん、なんでそんなこと……」

「まぁ、それは多分妹を心配してだと思うけど……」

「おーい、尭希……吾妻さん?」



突然の男性の声に驚き振り返った。すると居心地の悪そうなスタッフジャンパーさんと呆然とした麻衣子。私は血相を変えて尭葵くんの腕からすり抜け、麻衣子に近付く。



「もしもし!麻衣子さん!」

「知り合いって……スタッフさんじゃ……」

「実は……その湯川尭希さんご本人でして……」

「……どうして早く言わないんですか?!」

「すみませんでした……?」



よく分からないが怒られたので謝罪。ガクガクと揺さぶられた状態で魂が抜けそうになる。するとそっと麻衣子の手の上に自分のそれを重ねて尭葵くんが止めてくれる。なんという紳士か。



「ああああの私、湯川尭希さんの大ファンで……!」

「柚ちゃんのお友達だよね?ありがとう……あ、さっき握手したよね?」

「はい!その、とっても嬉しいです!柚希とお知り合いだったなんて……」

「そう。……いや待って、もしかして」



尭葵くんが思案するように手を顎にやった。ともすれば気障な仕草なのに、彼がやると様になるから困る。



「柚ちゃんは、彼女に誘われて来た?」

「あ、はい。そうです。って言ってなかったですっけ?」

「ああ……いや興奮して聞いてなかったんだ。そっか……うん。俺もまだまだだってことだね」



そう言って尭葵くんは切なげに笑んだ。それはなんだか悲しそうで、私は言い訳するように言葉を紡ぐ。



「でも、今日尭葵くん、とても格好良かったですよ。歌にも感動しちゃって、アニメも見るしライブも行きます!ファンクラブも入ろうかなって思うくらい」

「理希はルート指定しなかったから……条件は達成、で良いだろうね。ありがとう、柚ちゃん。これからは連絡もするから良かったら遊んでやってね」



にっこりと笑う尭葵くんには、もう先ほどの憂い顔は無かった。条件、とかルート指定、とかはよく分からないけれど、これからも彼と遊べるならそれに越した事はない。

ただ、彼も社会人だ。これまでのようにはいかないだろう。



「勿論!でも尭葵くんも社会人だし、無理はしないでね。休むときは休まないと」

「俺にとっては柚ちゃんと一緒にいられる事が癒しなんですよ」



甘い。甘過ぎる。砂糖菓子に蜂蜜をたっぷり、チョコレートもかけちゃえ!と言わんばかりの台詞にクラクラする。それを紡ぐのがこの王子様フェイスなのだから、尭葵くんは結婚詐欺師の素質があるだろう。

スタッフジャンパーさんが時計を見出した。それを目端で捉えた私は、尭葵くんにそろそろお暇することを伝える。



「そっか、また遊ぼうね」

「えっ!」



送り出そうとする彼の声に麻衣子のそれが重なる。先程一瞬重なった手にドリームワールドにトリップしていたのだが、現実世界に帰って来てくれたらしい。



「麻衣子、オフ会。待たせてるよね」

「あ……うん……じゃああの……尭希さん!サイン、いただけませんか?」

「お安い御用ですよ。どれに書こうか?」

「えっと……CD、とあの、ファンクラブのカードに……」

「CDはもう書いてあるのあるかな……前田さん」



スタッフジャンパーさんが、テーブルからCDを二枚とサインペンを持ってくる。前田さんというらしい。



「君の名前を教えてくれるかな?」

「ま、麻衣子です!植物の麻に衣服の衣に子どもの子です」

「うん、ありがとう」



歯で蓋を外した尭葵くんは(その様すら格好良い)、麻衣子から受け取ったファンクラブカードとCD2枚に何かを書きこんだ。



「はい。これからも応援してくれると嬉しいな」

「は、はい!勿論ッ!ありがとうございます!」

「柚ちゃんにも。ファンクラブ入ってくれるの?」

「入ります」

「ん、じゃあ特別仕様のカードを次会うまでに用意しておくね」



"柚ちゃんへ"と"Takaki"のサインが入ったCDを受け取る。どうやら音楽のCDではないようだ。麻衣子が受け取ったものにも、"麻衣子ちゃん"へと入っているのだろう。

いよいよ本当にお暇するとなったときに、尭葵くんは私の頬にかかる髪を耳にかけて、言付けを頼んだ。



「理希に伝えてもらって良いかな?柚ちゃんの口から伝えることが、とても重要なんだ」

「うん、どうぞどうぞ」

「"条件達成"と、"これからは遠慮しません"って」

「はーい」



兄にしろ尭葵くんにしろ、遠慮し合うところなどついぞ見たことがないが、それ以上に、ということだろうか。意味は深く考えずに私は頷く。



「じゃあね、またね」



スタッフジャンパーさんがまた出口まで送ってくれるらしい。私はとろけるように甘い微笑みの尭葵くんに手を振って、楽屋を後にした。


行きは絶えずコートを引っ張られていたというのに、カードを見ながらニヤニヤしてしまっている麻衣子のコートを仕返しとばかりに引っ張って外へ向かう。スタッフジャンパーさんは、"これからも尭希をよろしくお願いします"と言って手を振ってくれた。お辞儀をして私はスマートフォンでサイゼリヤを探す。その頃には麻衣子も多少受け答えができる程にまでは(うつつ)に帰還していて、オフ会メンバーと合流した。

私や麻衣子の持っているサイン入りCDは羨望の的になり、楽屋に出入りしたことを言えば羨望どころか最早何を言われてるのか分からないほど興奮された。麻衣子は私が尭葵くん——湯川尭希の知り合いだということを知っていたはずだが、楽屋に入れる理由については言わないでくれた。私はこの子のこういうところも好きである。


オフ会をお開きにした時には少し厳しい麻衣子の家の門限にギリギリだったので、麻衣子は"明日授業終わったら覚えてろよ"と不穏なセリフを残して帰って行った。明日は質問攻めだろう。






「ただいまー」

「おかえり」



誰もいないかと思ったが、兄が帰っていた。今日は相談のアポイントだけだったらしく、いつもより早めだったとのこと。



「あやちゃん。ごはんは?」

「食ってきた。よしぎゅー」

「あ、いいなー」



まだ牛丼屋に一人で行く勇気はないので、よく兄に連れて行ってもらうのだが、私と二人となると兄は値の張りそうなレストランに連れて行こうとする。これは父もそうなので、遺伝なのかもしれない。



「また今度連れてってやるから。柚は?ご飯食べたの?」

「食べたよ」



こっちへ来いと兄が座ったソファの隣を叩いている。素直に私はそこに座った。大きな手が頭を撫でる。兄はシスコンであるが、これを許す私も多分ブラコンなのであろう。現に私は兄・吾妻理希が大好きだ。

ふと、今日の尭葵くんの手を思い出した。彼の手は兄と同じくらいの大きさだし、温かさだって変わらなかったのに、あの腕が背中に回って肩に手が触れた時、心臓が跳ねた。ドクドクと鼓動が煩いのにその手を離して欲しくなくて、拒むこともしなかった。

きっとそれを大学の友人にやられたら私は拒否していたろうし、兄に抱き締められてもドキドキなんてしない。


——一体、何が違う?



「……ず?柚?」

「あ、何?」

「今日はどこ行ってたんだ?麻衣子ちゃんとだっけ」

「うん、そう……あっあやちゃん!」



思考の淵から引き戻されて、私は今日のことを篤と兄に語ってやろうとした。そこで尭葵くんのメッセンジャー役を思い出したのだ。



「尭葵くん、声優になったんだね!教えてよ」

「……まあちょっと色々あってね」

「何それ。あやちゃんが尭葵くんに私とメールするのを禁じていたことはネタとして上がってるのですよ」

「……尭葵に会ったの?柚」



兄の真っ黒な双眸が、全く同じ色をした私のそれを覗き込む。どこにもそんな要素はなかったのに、兄の瞳は酷く真剣だった。



「うん。麻衣子が尭葵くんのファンで……今日ファンイベントだったの。メールしたら尭葵くんが楽屋に呼んでくれて……そうそう、あやちゃんに伝言があるよ」

「予想がつくよ。……条件達成、じゃないか?」

「何で分かったの……怖い、盗聴?」

「尭葵の言いたいことが分かってるからだよ。俺が出した条件、だしね」



そう言う兄の瞳は、真剣さの他に寂しさを帯びていた。尭葵くんが昼間したように、私の髪を耳に掛ける。



「あと、"これからは遠慮しません"とも」

「はぁ?ムカつく」



ぎゅ、と力を込めて兄は私を抱き締めた。ソファで隣り合っているので、正直腰が微妙に辛い。でもいつもの、私を猫可愛がりするような雰囲気では無いので、静かにそれを享受する。兄の愛はときどきウザったいこともあるけれど、分かりやすく愛してくれていることはとても嬉しい。



「予想外に早かった。麻衣子ちゃんは伏兵だったな……それだけアイツは真剣だった、ってことか。夢にも……」



独り言は続くと思われた。意味はわからなかったが、もしかしたら兄は尭葵くんと賭けのようなものをしていたのかもしれない。だが兄はそこで空気を震わせるのを止めた。



「よし柚。これから尭葵が誘ってきたりすると思うけど、遊ぶ時は絶対俺にも言えよ」

「うん、分かった」

「邪魔しないとは、言ってないからな」



わしゃわしゃと人の頭をぐちゃぐちゃにした兄を、"もー!"と言いながら剥がす。もう目に寂しさは宿っていなくて、安堵した。兄の呟きの意味は分からないが今に始まったことではないので、いつも通りスルーする。



こうして、王子様と私は再会したのだ。

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