約束 その2
「……ディムナ」
僕は呆然として彼の名前を呼んだ。
「どうした。そんな驚いた顔をして」
不思議そうな顔をしてディムナは首を傾げた。
黄金の髪が艶やかに輝き、まるで天使が光りの輪を戴いているようだ。
白い肌は透き通っていて、まず日本人ではないと判る。鼻筋の通った端整な顔。
懐かしさで涙が出てきそうだ。
彼を見ると、別れた元彼がいかに似ていなかったのか判る。
横顔にその片鱗が見えるだけだ。彼とはまったく違う。
鳶色の瞳は別れ際の彼の瞳の色。
この世界を動けるよう、己の存在をこの世界に馴染ませるための術の余波で変化したものだ。
その瞳が本来は灰色がかった紫色をしているのを僕は知っている。
元の姿ではない証。
眩しい笑顔を見ていると、押さえていた思いが溢れそうになる。
抱きつきたい衝動を抑えた。
どうして彼がこの場にいるのか、それを正さなければならない。
彼と僕は生きている世界が違う。
現実社会では起こりえない、翼の生えた馬が飛んでいるという事を見ても判る。
「迎えに来た?僕に会いに来ただけではないのですか」
ふと。過去の思い出が蘇ってくる。
出会いは偶然だった。
夏休み、道端で迷子になった小さな子供を拾った。
泣き止まない子供を自宅に連れ帰り一緒に遊んだ。
夜に兄と称するディムナが現れた。
彼をひとめ見た時、僕は恋に落ちた。
彼等は妖精で女王と人間の混血だと紹介された。
父の生まれた世界を見学に来て、弟が逸れ迷子になったらしい。
僕が心の中で「僕の王子様」と呼んでいるのは、そのせいだ。
妖精の世界では女王の息子である王子は沢山いるのだが、僕にとっての王子様はディムナだけだ。
彼は迷子の弟を保護してくれたお礼を僕に言った。
その後、弟が僕に懐いているのを見て、一週間面倒を見てくれないかと提案したのだった。
夏休みだったし、何より一目惚れした彼と離れたくなかった。
彼の提案に乗って僕は妖精の世界へ行き、夢のような一週間を過ごしたのちに帰ってきた。
帰宅して僕を待っていたのは、やつれ果てた祖母の姿だった。
両親を幼い頃に亡くし祖母と二人暮らしだった僕は、祖母に旅行をすると言って家を出ていた。
一週間くらいと言って家を出た僕が帰宅したのは一年後。
妖精の世界での一週間は、現実の世界では一年だったのだ。
祖母は何も聞かず、帰宅した僕を喜んでくれた。
だけど、それ以降は祖母が病で亡くなるまで、僕は旅行を禁じられた。
中学を一年行かなかった僕は、もう一度同じ学年を通うことになったのだけど、修学旅行ですら欠席させられた。
今でも僕は、祖母には悪いことをしたと思っている。
あの祖母の姿を見て、僕は未練たっぷりだった恋に終止符を打った。そして今がある。
「ツカネは言ったではないか。別れたくないと。私もそう思った。だからまた会おうと約束しただろう」
「あれは…違います。このまま別れるのは寂しいと言っただけで…ディムナは、僕に会いにもう一度この世界に来ると約束してくれただけで…」
あの時の約束。忘れるはずはない。
妖精は約束を違えることが出来ない存在だ。
だから彼が僕に愛の告白をして恋人として過ごしても、終りは見えていた。
離れたくなかったけど、離れた。
それが本心だ。
言葉は僕の方が正しい。
だけど心情で言えばディムナの言った通りだ。
一週間しか居なかったのに、僕達は沢山話をした。帰りたくなかった。
でも僕を育ててくれた祖母の事を思うと、帰ってきて良かったと思う。
複雑な思いが僕の中で渦巻く。
戸惑うばかりの僕を見て、彼は表情を曇らせた。
「もしかして、嫌だったのか」
「そんな事はないよ。また逢えて嬉しい」
「ならばもう一度向こう側に来てくれないか。弟が寂しがっている。ツカネに会いたいと言って泣くんだ。困った兄を助けてくれないか。不自由はさせない。もう一度、一週間でいいんだ。弟の子守りをしてくれないか」
コチラの世界では一年が経過するということだ。
行方不明で一年。
せっかく第一志望の大学に入学したというのに…
心の中、現実と感情の天秤が揺れ動く。
「それは…」
「私の我がままだったようだ…」
ハッキリしない僕を見て、ディムナは失望を顔に浮べた。切ない表情。
僕の胸が軋むように痛んだ。
「待って!」
胸が苦しくて切なくて、僕は思うまま感じるままに口を開いた。
「僕。行きます。向こう側に連れて行って。ディムナ」
第一話からずいぶん時間が経ってしまいました。
スミマセン。反省。妖精の世界だと瞬きをする間でしょうけれど(笑)
さて。短編にあまり時間をかけてもしょうがないので、この話は次回で一区切りつけたいなと思ってます。
こんどは目標の「序破急」展開で行けそう。
最終回は現在鋭意制作中。明日か明後日には更新します。