◇先生到来◇
―――*―――*―――*―――*―――
「琉嘉。着替えは済んだ?」
「うん。これでいいの?おかしくない?」
「大丈夫。おかしくないわよ」
私が着ているのは、真新しい中学校の制服。
そうか。今日は入学式なんだ。私も、今日から中学生になるんだ。
「さ、そろそろ行きましょうか。入学式に遅れたりしたら大変だものね」
学校へ着くと、人だかりが出来ている。そこで、クラスの発表をしているらしい。そこへ行こうとすると、突然後ろから声がかけられた。
「るぅちゃん?」
「よっちゃん!」
いきなり名前を呼ばれて振り返ってみると、後ろに居たのは小学校の頃からの親友の加々見由佳だった。
由佳だから、よっちゃん。ついでに、私はるぅちゃん。
「るぅちゃん、クラス分け見た?見てないなら一緒に見に行こ」
「うん。お母さん、よっちゃんとクラス分け見に行ってくる」
「いってらっしゃい。気を付けてね」
「由佳も気を付けて見に行くのよ」
『はーい』
互いの親に注意をされて、二人同時に返事を返した。それに気が付いた私たちは、互いに顔を見合わせ、笑う。
クラス分けを見るのは一苦労だった。新入生百五十人ほどが一斉にクラス分けの張ってある掲示板に集っているため、掲示板にたどり着くまでにかなりの労力を要するのだ。
そして、何とかクラス分けを確認できる位置に来て私が何組かを確認する。2組のようだ。
ちなみに、1年生は4組まであるらしい。
「よっちゃん何組だった?」
人ごみから抜け出て、お母さんたちの元へ戻った私は彼女に問う。すると、彼女はニコニコと微笑みながら答えた。
「2組。るぅちゃんも2組だよね。また1年間よろしくっ!」
「ホント!?やったぁ!!」
そして私たちは入学式の行われる体育館へ移動した。中には所狭しと椅子が並べられている。
体育館の入り口で受付を済ませると、先輩が2組はこっちだと、案内をしてくれる。私たち二人は大人しく着いて行った。
「並び順は出席番号順だけど、自分の出席番号は分かる?」
『分からないです』
またも二人で声が揃う。
「だよね。あの人だかりの中そこまで確認できないよね。さて、二人とも、名前を教えてくれる?」
「片桐琉嘉です」
「加々見由佳です」
「片桐さんと加々見さんね」
案内をしてくれた先輩は、そう言いながら手に持っている紙を見ている。それに今年の新入生の一覧が載っているようだ。
「あぁ、あったあった。加々見さんが6番。で、片桐さんが7番だから、此処と此処の席だね。式の開始までまだ少し時間があるけど、座って待っててね」
「はい。ありがとうございました」
私たちはそう言って、指示された席へと着く。その近くには、小学校が同じだった子たちがたくさん居た。
そしてしばらくして入学式が始まった。校長先生の話や、これからの学校生活についての諸注意など、退屈極まりない話が長々と続く。
話が終わると、今度は担任の先生の紹介だった。2組の担任は、まだ若い、20代前半であろう女の先生。受け持ちは数学とのこと。副担任は、おそらく30代後半~40代前半くらいの男の先生だった。受け持ち教科は理科。
全てを終え、教室へ移動する。教室の黒板には、虹が描かれていて、その下に大きく『入学おめでとう』と書いてあった。
「初めまして。これから1年間、皆さんの担任をする本谷といいます。よろしくお願いします」
「副担任の永江です。皆さんの入学を心待ちにしていました。これからよろしくお願いします」
先生が来て、挨拶をする。
そしてその後は、これからのことをすこしずつ説明された。明日の予定。授業の開始の日。学校の校則の簡単な説明などなど。
「何か質問がある人は居ますか?」
それに手を上げる人間は居ない。結果、今日はこれで解散ということになった。
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画面が、飛ぶ。
入学式の日から、何日か経っているようだ。
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「…るぅちゃん。るぅちゃん?次体育だって。着替えに行こ」
「え!?ゴメン、ボーっとしてたや」
「いいよいいよ。早く着替えに行こう」
「うん」
私は体操着の入ったバッグを持ち更衣室へ向かう。そして急いで着替えて、体育館に整列した。
「2組は今日が初めての体育の授業ですね。初めまして皆さん。私は相賀と言います。1年間皆さんの体育を担当します。よろしくお願いします」
『よろしくお願いします』
「おや、いい子ですね。皆さん。では、今日の体育は、体力テストの持久走を行います。さ、皆さん広がってください。準備体操をしますよ」
相賀先生が持久走と言った途端、皆が軽くブーイングをした。だが、先生は気にせずに準備体操を始める。
皆ブーブー言いながらも大人しく準備体操を始める。体操を終えると、男子から走り始めた。
男子が走っている間、私はよっちゃんとお話しをしていた。
「うー、持久走イヤだよー。死ぬ」
「だーいじょうぶだって。自分のペースでゆっくり行けばいいよ」
「よっちゃんは体力あるからいいけど、私体力ないもん」
そうやって話していると、あっという間に女子の番が来た。あぁ、イヤだ。
ピーッと、スタートの笛が鳴る。皆が一斉に走り出す。はぁ、疲れる。
そして、どのくらい走っただろうか。不意に、心臓の痛みに襲われる。だが、まだ我慢が出来る痛みなので、あまり気にせず走り続けた。
そして、それは突然やってきた。
ズキッと言う音が聞こえると同時に、激痛が走る。その痛みに耐え切れず、私はその場で倒れこんだ。
「るぅちゃん!?」
「片桐さん!!」
倒れると同時に、すでに走り終えて休んでいたよっちゃんと先生が急いで駆け寄ってくる。
「男子の足速い人!保健の先生呼んで来て!早く!」
私の様子を確認した相賀先生が男子に指示を飛ばす。
「片桐さん、どこが痛いのか言えますか?言えるなら、どういう痛みかも教えてください」
「…しん…ぞぉっ…、痛い…。ズキズキ……す、る…」
そこまで言って、またも激しい痛みに襲われる。痛みに体がビクッとなる。うまく、息が出来ない。苦しい。
「片桐さん、救急車を呼びました。それまで我慢してください」
そう言いながら、何かを私の口に当てる。それは、酸素だった。
それを当てるのは、初めて見る先生。保健の先生らしい。その横でよっちゃんが心配そうに私を見ている。
「琉嘉!!」
校舎から誰か駈けて来る。駆けてきたのは、お兄ちゃん。誰かが呼びにいったんだろう。お兄ちゃんが来たなら、もう大丈夫だよね。瞼が重い。
眠って、いいよね。
そこで、意識は途切れた。
―――*―――*―――*―――*―――
「琉嘉ちゃん?琉嘉ちゃん、大丈夫?」
「堤……さん?」
「魘されてたから起こしたけど…。怖い夢でも見てたの?」
「倒れたときの…夢。怖い夢よりはいいけど……辛い」
目を開けると、堤さんがいた。心配そうに私を見ている。
「今…何時?」
「4時ぐらいかな。まだ早いからもう一度寝なさい」
堤さんはそう言って毛布を私の肩まで掛ける。瞼がどんどん重たくなる。
また、眠りに落ちた。
窓から光が差す。もう朝のようだ。あの後は、夢を見ることもなくぐっすり眠れた。おかげで頭はすっきりしている。
なので、早速本を手に取り読み始める。
「あれ?もう起きてるの?いつもはまだ寝てるのに」
「堤さん。今日は早く目が覚めたから」
「ま、いいか。おはよう、琉嘉ちゃん」
「おはよー堤さん」
堤さんが朝食を持ってやってくる。これは朝の恒例行事。毎朝、いつも堤さんが朝食を持ってきてくれるのだ。
「はい」
堤さんがそう言って私に体温計を渡す。コレも毎朝の恒例行事。私はそれを受け取り、脇に挟んだ。しばらく待つと測定が終わり、ピピピッと、それを知らせる電子音が鳴る。
「何度だった?」
「37度2分」
「うーん、微熱だねぇ」
私はそう言って体温計を堤さんに戻す。それを確認した堤さんはこっちを見て、ニッコリ笑って言った。
「琉嘉ちゃん。今日、屋上禁止ね」
「えー!?微熱じゃん!大丈夫だよ!」
「ダメ。特に今日は気温が低いからね。それに、今日は金曜日だよ?学校の先生が来るんじゃなかったっけ?」
「来るの3時頃だもん。それまで暇じゃんかー」
そう、今日は金曜日。毎週、金曜日に担任の先生が1週間分のプリントとノートのコピーを持ってくる。そして、分からないところを質問するのが金曜日の恒例。
まぁ、確かに先生が来れば話し相手にもなってくれるから楽しくていい。でも、屋上禁止はやっぱり納得できない。
「堤さーん。絶対に、ダメ?」
上目遣いで訴えてみる。以前、お父さんとお母さんにコレをやったときには効いた。堤さんにはどうだろうか。
「あのね琉嘉ちゃん。そんな可愛い目で見つめてきてもダメだからね。看護師としては許可できません」
「堤さんのケチ」
「ケチで結構。それで琉嘉ちゃんが熱を出さないのなら構いません」
効かなかった。堤さんが私のことを思って言ってくれているのは分かるのだけれど、それでもやっぱり面白くない。
「はいはい、いいからご飯食べようね。ちゃんと嫌いなものも食べるんだよ」
「はーい」
そう言って、私は漸く朝食に手をつけた。適度に冷めていて食べやすい。そのせいか、私はあっという間に食べ終わった。
そして薬を飲んだ後は、また読書に励む。途中で昼食をとり、そして、また続きを読む。
どのくらい時間が経っていたのだろう。ふと顔を上げると、担任の先生が此方を見ていた。
「1週間ぶりだね、片桐さん。元気にしてましたか?」
「お久しぶりです、本谷先生。今週はどのくらい進みましたか?」
1年生から2年生になっても担任の先生は本谷先生のまま変わらなかった。ちなみに、よっちゃんも同じクラスのままらしい。
「はい、今週分のノートのコピー。例によって加々見のノートのコピーですね」
そう言って渡されるのは、分厚い紙の束だった。何だかいつもよりも多いような気が……。
それも気のせいではないらしい。もうすぐ受験生だからと言うことで、授業スピードが早まったそうだ。まぁ、私の場合は受験がどうなるかは分からないが。
「あぁ、そういえば、今日は授業が終わり次第加々見も来るそうです。わざわざ部活を休ませてくれと言いに来ましたから」
「ホントですかっ!?」
「本当です。先生が片桐さんに嘘を言うとでも?」
そう言って先生は笑った。そして、時計を見る。
「そろそろ授業も終わりますから、もう少ししたら来るでしょう。片桐さんはそれまでノートを写しておきましょうか。質問があったら聞きますから」
「はーい」
私はノートを写しにかかる。こうやって写していると、いつも思うことがある。
――コピーがあるんだからわざわざ書かなくてもいいじゃないか――と。
だが、コレは本谷先生曰く、書いたほうが覚えるのだから書いたほうがいい、とのこと。ぶっちゃけ、面倒くさい。
そう考えていると、ノックもなしに、いきなり病室の扉が開いた。びっくりしてそちらに顔を向けると、よっちゃんが少し息を切らして立っていた。
「やほー。るぅちゃん久しぶりー」
「久しぶり、よっちゃん。いつものことながら元気そうだねー」
「もっちろん。私は元気が取り柄だからねー」
よっちゃんはそう言いながらベッドへ寄ってくる。そして側に来ると、「座っていい?」とベッドの隅を指差した。もちろん許可する。
「ちゃんと授業は最後までまじめに聞いてきたんですか?加々見。随分と早かったようですが」
「ちゃんと聞いてきましたよー。急いで走ってきたからこんなに早く着いたんです」
よっちゃんと本谷先生はそうやって言い合いを続ける。果ては病室に入ってくるときはノックをするように、とかなんとか、授業とは関係ない話になっていた。
そして、ノックでふと思う。
「先生、ノックして入ってきたんですか?」
その言葉に、よっちゃんが目を輝かせる。今にも「先生も仲間ですね」とか言い出しそうだ。
「ちゃんとしましたよ。ただ、片桐さんが読書に集中しすぎて聞こえていなかっただけです」
「あぁ、だから聞こえなかったんですね」
「そうです。周りの音が聞こえなくなるくらい何かに集中できる片桐さんはすばらしいですよ」
「わーい。ありがとうございます、先生」
それを横で見ているよっちゃんは面白くなさそうだ。まぁ、いろんな意味で自業自得と言うか、なんと言うか。
まぁ、このまま拗ねさせておくと後が面倒なので、機嫌取りにかかることにした。
「それにしても、よっちゃんがお見舞いに来てくれるの久しぶりだよね。久しぶりにこうやって話せて嬉しい」
私がよっちゃんのほうを見て言うと、よっちゃんは途端に目を輝かせた。
「うん。最近ずっと部活と勉強が忙しかったから来れなかったんだ。本谷先生がスパルタやるから」
「加々見、言葉は選びなさい。先生はスパルタ教育なんてしていませんよ。加々見が居残りで勉強をする羽目になったのはあなたが授業中に居眠りをするからでしょう」
居眠りって…。いろんな意味でよっちゃんらしい。だけど、居眠りで居残りをさせるようにしたんですか、本谷先生。
余談だが、本谷先生が居眠りをした者は居残り、というシステムを導入させてからは、授業中の居眠りが減ったらしい。
だが、よっちゃんは変わらないため、居残りをする羽目になったとのこと。
「大体さ、居眠りしたから居残りって言う考えがおかしくない?寝てなくても聞いてない人はたくさん居るのに」
「うーん、授業の様子が分からないから私は何とも言えないな…」
私たちが2人でこそこそと話していると、突如、今まで傍観を決め込んでいた先生が口を挟んだ。
小声で話していたのだが、しっかりと聞こえていたらしい。
「おや、加々見は先生に喧嘩を売っているのですね。来週の授業は覚悟しておいてください。たくさん当ててあげますから。きちんと予習をしているんですよ」
それを聞いたよっちゃんは泣きそうな顔で先生に懇願した。
「それだけは勘弁してください」
と。それに関しては私にも少しは責任があるので、よっちゃんのフォローに回ることにした。
「そ、そうですよ先生。授業の様子が分からない私が言うのもなんですけど、寝ていなくても聞いていない生徒もいるんじゃないですか?どうせならその人たちも居残りにすれば、よっちゃんは何も言わなくなると思います」
「片桐さん。確かに、加々見の言うことも分かります。ですが、寝ていなくて聞いていない人は分かりにくいんですよ。巧妙に隠していますから」
「後ろから見てるとすぐわかりますよ」
「加々見は黙っていてください。まぁ、あなたは眠っていてもテストできちんと成績を出せるからいいですが、他の人間は授業を聞いていないから点が取れないでしょう。それを避けるために、居残り、と言う手段を取らざるを得ないんです」
先生はそう言ってよっちゃんの頭を撫でた。繰り返し、繰り返し撫でる。
「まぁ、今度から居残りをしたくなければきちんと授業を聞きなさい、加々見。そうすればあなたはもっと点が伸びますよ」
「なら部活減らしてください」
「それも無理です」
「なら授業中居眠りしないと体力持ちません」
「家できちんと寝なさい」
「寝てるけど寝たりないんです」
2人の言い合いが延々と続く。最初のほうは真面目に聞いていた私だが、途中から聞き飽きて、大人しくノートを写しにかかる。
その間も、2人の言い合いは続いていました。
そしてしばらくして2人の言い合いが止んだ頃、私はすでに1教科分のノートを写し終えて、次の教科のノートを写しにかかっていた。
1教科分ずっと書いていると、手が痛くなる。そう思って休憩を入れると、目の前にはジュースが1本置かれていた。
「お疲れ様、片桐さん。コレ、差し入れです。先生の奢りですから、遠慮なくどうぞ」
そう言われてよっちゃんを見れば、よっちゃんもジュースを飲んでいる。よっちゃんも奢ってもらったようだ。
「ありがとうございます」
私は素直にお礼を言って、缶を開け、飲む。冷たい飲み物が喉を通っていって、気持ちがいい。
そして、ふと時計を見ると、もう5時になろうとしていた。そしてよっちゃんもそんな私に気が付いて、一緒に時計を見る。
「あや?もうこんな時間かぁ。るぅちゃん、私そろそろ帰るね。また暇が出来たら来るよー」
「うん。待ってる」
「おや?加々見が帰るのなら先生も帰りますよ。片桐さん、質問があったらメールをください。暇なときに返事をしますから」
「はい。ありがとうございます、先生。また来週待ってますね」
そう言って、2人とも帰っていく。騒がしかった病室が、沈黙に包まれた。その寂しさを紛らわせるために空を見るが、逆効果だった。空は夕焼けに包まれていた。
そして、昨日のことを思い出す。
「ヤバイ!おじいちゃんへの手紙書くの忘れてた!!!!」
声に出して、そういった途端、病室の扉がノックされた。まさか、もうお父さんが来たのだろうか。驚きに体がビクッとなる。
病室の扉が開く。そこにいたのは、やはりお父さんだった。
「何をしてるんだ琉嘉。疚しいことがあるのか?」
「あ、いや……そのぉ……」
疚しいことはとっとと白状するに限る。そう思って、私は口を開いた。
「おじいちゃんへの手紙、まだ書けてないです。忘れてました。ゴメンナサイ」
それを聞いたお父さんは目を丸くした。
「まだ書いてなかったのか。どうせ今日も1日中本を読んでいたんだろう?それなのに思い出さなかったのか?」
「う……うん。それに、今日は先生も来て、色々話してたら楽しくて、それで忘れてた」
「ん?あぁ、そういえば今日は金曜日だったな。まぁ、それなら仕方がないな。明日…、いや、明後日までに書き上げなさい。いいね?」
「うん。でも、どうして明後日なの?」
「だって、明日も明後日も郵便局休みだろう。明後日お父さんが手紙を受け取って、明々後日の朝に投函するから」
そういえば、明日明後日は郵便局休みだっけ。助かった。
「それと、伯母さんが来るって言ってただろう?外出許可が取れたよ。行きたい場所は決まったのか?」
「うん!!遊園地!!」
「またか。琉嘉は遊園地が好きだな」
「うん。たまにしか行けないから行けるときに行くの!」
「じゃあ、伝えておくな。詳しい時間とかは明日来た時に教えるよ」
そして、私は期待に胸を膨らませ、今日と言う1日を終えた。