◇先生◇
「琉嘉。琉嘉。起きなさい、もうすぐ夕飯の時間よ」
「んあ?」
お母さんの呼ぶ声で目が覚める。もうそんなに時間が経っていたのか。……というか、相変わらずいいタイミングで起こしてくれるな、琉衣は。
「調子はどう?食欲はある?」
そう言われてふと考える。随分と頭がスッキリとしているような気がする。今までは頭がボーっとしていたのに、それが無い。
「琉嘉?」
「何か、すっごい頭がスッキリしてる」
私が言うと、お母さんは目を丸くして、私の額に手を当てる。
「あら。熱下がってるわね。まだ完全に下がってるわけじゃなさそうだけど、大分下がってるわ。よかったわね、琉嘉」
「うん」
ニッコリ笑って答えると、お母さんもニッコリ笑った。そして、問うた。
「なら、食欲はあるのかしら」
「うん。お腹空いたぁ」
私が言うと同時に、堤さんが夕飯を持ってやってくる。ニオイからして、またお粥の模様。
「あれ?琉嘉ちゃんが起きてるね。調子はどう?」
「結構いいよー」
それを聞いた堤さんは微笑んで体温計を差し出す。測れということですね。はい、測りますとも。
結果はまずまずだった。
「37度4分。もうちょっとー」
「あらあら。随分と下がったわね。ずっと寝てたのがよかったのかな?」
「かな」
そう言って私たちは微笑んだ。そして、私は夕飯の時間。夕飯はやっぱり予想通り、お粥だった。普通の白いご飯が食べたい。
試しに堤さんに言ってみると、額を指で軽く突かれた。
「熱が完全に下がるまではお預け」
何のいじめですか。熱下がっても最初はまだお粥じゃないか。白いご飯が食べたい。噛み応えのある何かが食べたい。………面白くない。
そう思いつつも、お粥を口に入れる。はぁ、軟らかい。軟らかすぎる。
そして全て食べ終えて薬を飲むと、しばらく黙ってみていたお母さんが口を開いた。何だろう。
「さ、薬飲んだなら早く寝ちゃいなさい。お母さん、今日は帰るけど、ちゃんと寝てるのよ?」
「帰っちゃうの!?」
「明日は仕事なの。さすがに2日連続は休めなくてね」
そっか。そうだよね。さすがに2日連続は無理か。そう思っていると、お母さんが呟く。なんだか雰囲気が怖い。
「後輩がもっと使えれば2日連続で休んでも問題無かったのに」
「え?」
「ううん。なんでもないわ。琉嘉は気にしなくてもいいのよ」
私が思わず聞き返すと、お母さんはすぐに表情を戻した。
でも、聞こえちゃったよ。後輩さんは使えないんですかい。気になりますともさ。
でもまぁ、聞かなかったことにしよう。詳しく聞いたところで、どうせ理解できないんだから。
「さ、早く横になって」
お母さんはそう言って私を横にし、毛布を掛ける。でも、まだ眠たくない。熱が大分下がってきたからかな。
でも、とりあえず寝たふりでもしなきゃ、お母さんが安心して帰れないよね。だから、目を瞑る。
そして少しすると、ごそごそと音が聞こえてきた。お母さんが帰り支度をしているのだろう。
その音が止んだころ、額に手が置かれる。お母さんの手だ。
「じゃあ、帰るわね、琉嘉。明日は仕事が終わったら来るから」
寝てないのに気付かれてたかな。でも、いいよね。大分熱下がってたんだから、文句は言われないでしょう。
そうしている間に、お母さんは帰って行ったらしい。病室は沈黙に包まれていた。それが嫌で、私は起き上がる。ついでにトイレに行くことにした。
ベッドから降りると、随分と体がフラフラとする。熱を出すと大体いつもこうなるが、やっぱりきつい。また、壁に寄りかかりながらトイレへ行き、戻ってくることとなった。
戻ってくる頃には、疲れて軽く息が切れていた。飲み物が欲しい。そう思って辺りを見回すと、チョコンと、スポーツドリンクのペットボトルが3本ほど置かれている。近付いて見てみると、書置きのようなものが合った。
『このジュースは玲斗君が持ってきてくれました。重々に感謝して頂きなさい。お母さん』とのこと。
なるほど。そういえば以前熱を出した時もスポドリをくれたっけ。玲君は気が利くなぁ。
私は早速そのうちの1本を開けて飲んだ。美味しい。疲れた体に水分が行き渡る。
その後、私はベッドに横になった。不思議と、すぐに睡魔が襲ってくる。
そのまま、堕ちた。
朝。目を覚ますと、何かが落ちる音が聞こえる。今日は、雨か。
そう思いながら窓の外を眺めると、やはり雨が降っていた。そのせいか室内はどんよりと暗い。
そうしてずっと外を眺めていると、病室の扉が開かれた。堤さんが来たのだ。
「あれ?琉嘉ちゃんが起きてる。よく眠れた?」
「おはよ、堤さん。寝すぎってくらい寝たよ」
だから、今朝は早いうちからスッキリと目を覚ましたんだ。
「調子はどうかな?」
「かなりいい。もう熱下がりきったんじゃないかな」
「そう。じゃ、測ってね」
私は体温計を受け取り、脇に挟む。さて、どうでしょうね。調子はかなりいいから、仮に下がりきっていなくても結構平熱に近付いていると思うのだが。
ピピピッ。
測定終了の音が鳴り、私は結果を確認する。
「どうだった?」
「36度5分。平熱平熱♪」
「でも、今日1日はまだ安静にしててね。まぁ、雨降ってるから屋上には行けないし……大丈夫だとは思うけど」
そう言って堤さんは私の頭に手を置く。
はぁ、確かに今日は雨だから屋上へは行けない。さすがに雨の中屋上へ行く勇気は無い。
「それと、さっきお母さんから電話があって、琉嘉ちゃんにこう伝えてくれって言われたの」
「何?」
「学校の先生が今日病院に来るって。昨日帰ってから連絡があったらしいよ」
……………お久しぶりです、本谷先生。何言われるか分からない人が今日来るんですね。
「さ、朝ごはん、早く食べてね。冷えちゃうから」
そう言われて渡された朝ごはんは、やっぱりお粥でした。そろそろ普通にご飯にしてよ。
そう思いながらも、仕方がないのでお粥を食べる。お昼からは普通のご飯になるかな。なって欲しい。期待して待っておこう。
そして、今日は玲君を呼んでおかなくては。
そう思った私は、ご飯を食べて薬を飲むとすぐに玲君の病室へ向かった。………玲君の病室に行くのは初めてだ。
コンコンと病室の扉をノックすると、中から玲君ではない男性が「どーぞ」と言う。とりあえず、扉を開けた。
扉を開けて部屋に入ると、中の人間全員の視線が私に集中する。…恥ずかしい。
そしてそれで、目的の人間は私に気がついてくれた。
「琉嘉。どうしたんだ?俺の病室に来るなんて」
「おー、玲。知り合いかい?こんな可愛いコと」
玲君は私に気が付くとすぐに私のところへとやってくる。そして、それを同室の男性が茶々を入れる。
「シン。五月蝿い。彼女は2つ隣の病室の子だ。俺の友達。変なちょっかい出すなよ?」
茶々を入れた男性の名前はシンという模様。というか、玲君は4人部屋だったのか。まぁ、満員と言うわけではなく、一つはベッドが空いているようだが。
「琉嘉。俺の病室じゃ五月蝿いから琉嘉の病室へ行こう。そっちのほうが静かに話せる」
「あ……うん」
そして私たちは移動する。病室に着くと、玲君は私にベッドに横になるよう促す。もう大丈夫なのに。
「でも、此処で無茶したらまたぶり返すだろ?」
玲君に大丈夫だと言うとそう返される。…確かにそうだけどさ。そうなんだけどさ。横になってると話しづらいじゃんか。
「で、今日はどうしたんだ?」
私がそう思っていると、玲君はやさしく声をかけてくる。そして、私の頭を軽く撫でた。
気持ちいいな。
でも、その気持ちよさに負けて内容を伝えられなかった、と言うことは無しにしなくては。
私は、口を開く。
「今日、本谷先生がくるらしいから、玲君にも同席して欲しいんだ」
「…………拒否権は?」
「無いよ。前、李旺にぃと喧嘩した時に約束したよね?」
私が言うと、玲君は視線をずらす。…思い出せましたか。
「だって、私さ、いきなりいなくなったでしょ?だから、何を言われるか分からなくて怖いんだ。だから、玲君に付いていて欲しい。ダメ?」
「うっ………………」
涙目で訴えてみると、玲君がたじろぐ。効いているようだ。そのまま了承してくれると嬉しい。
「わ…………分かった」
効いた。
「で、何時ごろ来るんだ?いつも通りか?」
「分かんない。そこまで聞いてないもん。でも、いつも通りじゃないかな」
「そか。なら、その時間帯にまた来るよ。今日はレポートも書かなきゃだから」
そういえば、私が病室を訪れた時に何か書いていたような気がする。それはレポートだったのか。
……邪魔しちゃったな。悪かった。
「邪魔しちゃったね……。ゴメンね、玲君」
「いや、どうせもうすぐ終わるから気にしなくてもいいよ」
玲君はそう言って自分の病室へ戻っていく。また暇になった。
仕方ない。本でも読もう。私はそう思い、本を取り出す。そして、読んだ。時間を忘れるほどに、読書に没頭した。
気が付いたらすでに昼食の時間だったと感じるほどに。
そして、お昼。
「はい、琉嘉ちゃん。熱測ってね」
お昼ご飯を持ってきた堤さんにご飯の前に体温計を渡される。測りますよ。測りますともさ。
どうせ、平熱だ。もう治っているはずだ。そう思いながら体温計を脇に挟んだ。
「平熱だ♪」
「何度だったのかな?」
「36度8分。もう大丈夫だよね?」
「そうだね。でも、まだ無茶したらダメだよ?」
分かってますとも。これで無茶して夜もお粥を食べなきゃいけないようなことにするつもりは一切ありません。もうお粥は嫌だ。
ちなみに、お昼ご飯はまだ軟らかめだけど大体は普通のご飯になっていた。ヤッタね。
そしてご飯を食べてしばらくすると、玲君がやってくる。レポートは終わったのかな。
「や。もう熱下がってた?」
「うん。もう平熱だったよ♪」
私がニッコリ笑って答えると、玲君も笑う。そして、その後ろから人が現れる。……誰?
そう思っていると、その後ろから現れた人が私の手を握って挨拶をしてきた。
「初めまして。俺は鳳叶。カナイって呼んで♪」
「え?あ………初めまして。片桐琉嘉です」
私が何も理解できない状態で一応紹介を返すと、いきなり抱きしめられる。………これは、どうすればいいの?
「うっわー。ちょっとこの子可愛いよ玲斗。抱きしめずにはいられない」
「止めろ。離せ。琉嘉が困ってる」
そんな状態で焦っていると、玲君がカナイ君を止めてくれる。……助かった。
「ゴメンな、琉嘉。いきなり連れて来て」
「それはいいけど。…………この人何?」
「何って、その表現ひどいよ琉嘉ちゃん」
「俺の同室のヤツ。さっきシンは見たよな?もう一人がこのカナイなんだ」
「あぁ。成程。で、どうして連れてきたの?」
私が問うと、玲君はカナイ君を冷めた目で見る。何があったんだろう。
ちなみに、カナイ君は「無視しないでよ」とか「あの、ちょっと?」とか言っている。ま、しばらくは放っておこう。
「さっき、琉嘉が俺の病室に来ただろう?カナイ、さっきは寝てたんだ。で、それを知らなかったんだけど、シンがカナイに言っちゃって……」
「何を?」
「2つ隣の病室に自分と同い年の子がいるってこと。つまり、琉嘉のこと」
カナイ君、同い年だったんだ。
「それで、俺が琉嘉の病室に行くって言ったら自分も連れて行けってしがみつかれて、仕方なく連れて来た。琉嘉が嫌なら追い出すけど」
玲君がそれを言った途端、カナイ君が潤んだ瞳でこちらを見始めた。…若干ウザい。
追い出すか。
「えー?琉嘉ちゃん、俺を追い出すの?せっかく遊びに来たのに」
「あなたは呼んでません。帰ってください」
「ヤだ。せっかく来たもん。てかさ、同い年なんだから敬語止めてよ」
「初対面の人にいきなりため口聞けるほど私の精神頑丈に出来てないんで」
「そんなの関係なーいよぅ。普通に話そ」
「嫌だ。出てって。私は玲君と話すから」
ホント、何かむかつく喋り方してるなぁ。一発殴ってもいいかな。
カナイ君は、はっきりと出て行くように言っても動かない。やっぱり、殴らないと動かないのかな。
「そんな言わないでさーぁ」
「ヤだ!何か鳥肌立つもん!」
しつこいヤツめ。本当に鳥肌が立ってきたよ。よし、殴ろう。そう思って手を強く握った途端、目の前に玲君の腕が現れる。
傍観を決め込んでいたようだが撤回したらしい
「カナイ。いい加減にしろ。琉嘉は嫌がってるだろう」
「だって、仲良くしたいもん」
「なら方法を考えろ。こんな、琉嘉が嫌がるような方法を取るな」
玲君はそう言ってカナイ君…もといカナイの頭を軽く叩く。ぺシっと言ういい音が聞こえた。
叩かれたカナイは、叩かれた場所を手でさする。
「いってー。何するんだ玲斗」
「正義の鉄槌」
「何が鉄槌だ、この独占欲丸出し男」
カナイがそう言った途端、玲君は再びカナイの頭を叩いた。しかもさっきより強めに。
「いいから病室へ戻れ、カナイ。これ以上いたら琉嘉がまた体調崩しかねない」
「え!?琉嘉ちゃん体調崩してたの?大丈夫!?」
「いいから早く戻れ。これ以上いるつもりなら、何回でも叩かれる覚悟をしておけよ」
そこまで言われて漸くカナイは動き出す。やっと静かになった。
「ゴメンな、琉嘉。迷惑だっただろ?カナイ」
「あーうん。否定は出来ないね。でも、玲君のせいじゃないよ。カナイが全部悪いから」
「そか。ありがとな、琉嘉」
玲君の謝罪に私が真実を述べると、玲君に礼を言われる。別に言わなくてもいいのに。玲君はそういうところ、細かい。
「そういえば、玲君。一つ聞いてもいい?」
「ん?何だ?」
「カナイの言ってた独占欲って、どういうこと?何に対する独占欲なの?」
私が質問すると、玲君が固まる。答えにくい質問だったのかな。でも、気になるんだよね。
で、こういうのって気になったらそれが解決するまでスッキリしないから嫌なんだ。だから、時間がかかってでも答えてもらいましょう。
「えっと…………その………」
「なぁに?」
そうやって言いどもる玲君の顔は真っ赤だ。どうしたんだろう。風邪、うつしちゃったのかな。
玲君にそう聞いてみると、すごい勢いで首を横に振る。違うことは嬉しいけれど、本当に大丈夫なのだろうか。
「だから、な。俺は、琉嘉に、他の人とあまり仲良くして欲しくないんだ」
「は?」
真っ赤な顔で漸く口を開いた玲君。だけど、その内容は私には理解できなかった。どういうことだ?
そう思って玲君に尋ねてみるものの、玲君は答えてくれない。何度聞いても「この話はコレで終わらせる」と言って話してくれない。
だから、どういうことなんだろう。分からない。今日先生に聞けたら聞いてみよう。
そしてしばらくはどうでもいいような話をして、いつもの時間になると、病室の扉がノックされた。
開かれた扉の前に立っているのは、やはり先生だった。
「お久しぶりですね、片桐さん。体調は如何ですか?」
「お…………お久しぶりデス、先生」
病室へ入ってきた先生は、ニッコリ笑って私に挨拶をする。ニッコリ笑っているようだが、怒っているだろうか。怒っていないのだろうか。
目もちゃんと笑っているように見えるが、実は怒っていたりするのではないだろうか。
「何をそんなに怯えているんですか?片桐さん。声が震えていますよ」
バレてる。
「片桐さん?大丈夫ですか?風邪をひいたと伺っていましたが、まだ調子は悪いですか?」
「え?あ、いや。風邪は治りました。大丈夫です」
「そうですか。それはよかった」
先生の言葉に反応できなかった私を、先生は心配そうな瞳で見つめる。それに大丈夫だと答えると、先生は安堵の息を吐いた。
さっきまで心配で硬くなっていた表情が、安心で柔らかい笑みに変わる。
…………怒ってはいなさそうだ。でも、気になるので聞いてみることにする。
「せ………先生、怒ってます?」
「はい?」
先生の目がきれいに丸くなる。ついでに玲君を見ると、玲君の目も丸くなっていた。
それから少しして、漸く元に戻ったらしい先生が問う。
「片桐さん。私が怒るようなことをしたんですか?」
「え……あ、その………。いきなり…いなくなっちゃった……カラ…」
「あぁ、そのことですか」
消え入るような声で私が言うと、先生が漸く思い当たったようで、軽く手を叩く。
「怒ってはいませんよ。ただ、心配はしましたが」
「す………すみません」
「これからはあんなことしないでくださいね。片桐さんのお母さんから聞いてびっくりしましたから」
「ごめんなさい」
蚊の鳴くような声とはこのことか。声を出したくてもか細い声しか出せない。
そんな私の頭を、撫でる手が二つ。そう、玲君と先生だ。二人が同時に私の頭を撫でたのだ。
「怒ってはいませんから大丈夫ですよ。だから、前みたいに元気な片桐さんに戻ってください」
「姉ちゃんがそう言ってるから大丈夫だよ、琉嘉。だから元気出せ。さっきカナイと喧嘩した時くらいの元気を出すんだ」
「おや。片桐さんが誰かに喧嘩を売ったのですか?」
カナイと先生は違うもん。ていうか、先生が喰いついた。
「んー。それもそだな。でも、カナイが琉嘉を怒らせたからだな、喧嘩の原因は」
「カナイといえば、玲。あなたの同室の子でしたよね?確か隣のクラスの」
隣のクラス?ていうことは、同じ学校だったのか。…………って、えぇ!?!?!?!?
「カナイ、同じ学校なんですか!?」
「はい。去年と一昨年、同じクラスでしたよ」
「あれ?カナイ、琉嘉と同じ学校だったのか。……あぁ、だから仲良くしたかったんじゃないか?」
「どーゆーことさ?」
「去年と一昨年、同じクラスだったにもかかわらずまともに会ったことの無い元クラスメートと話してみたかったんだろ」
………納得できない。だからって、あんなウザい真似してもいいのか。
玲君に愚痴混じりで訴えると「それはダメだな」とあっさり同意してくれる。そして、またも私の頭を撫でた。
「さて、片桐さんも落ち着いたことですし、溜まっているノートの説明をしましょうか。玲、逃げないように」
さり気無く逃げようとしていた玲君を、先生は言葉で制する。そう言われると玲君は逃げられない。
「たくさん溜まってるから大変ですよ。途中で具合が悪くなったら言ってくださいね」
「はーい」
そうして、私がドイツにいる間にかなり進んだノートの説明が始まる。………しばらくやらないと忘れるものだね。分かんない。
「大丈夫か?琉嘉」
「れーくーん。もうダメ分かんないー」
「おや?どこが分からないのです?説明しますよ」
「全体的に忘れちゃってますー」
玲君に弱音を吐く私に、先生が分からない場所が何処か問いかけるが、何処とは言い切れない。大体が忘れているため分からないのだ。
そんな頭に、ゆっくりゆっくりとまた詰め込む。右から入って左に抜けないよう、慎重に詰め込んだ。
「今日はこの辺で終わらせましょうか。片桐さんも病み上がりで辛いでしょう?」
「わーい。疲れましたー」
「おやおや。大丈夫ですか?片桐さん。……玲」
先生は私のことを気にかけると、静かに玲君の名を呼んだ。玲君がビクッと体を震わせる。
「何をビクついているんですか、玲」
「いや、姉ちゃんにそうやって名前を呼ばれると、昔の記憶上体が勝手にビクつくんだ。で、何だ?」
「あぁ成程。玲。奢ってあげますから何か飲み物を買ってきなさい」
先生が言うと、玲君があからさまに嫌そうな顔をする。
「俺はパシりか?姉ちゃんが行けばいいだろう」
「私は片桐さんと話しがあるんです。あなたは暇でしょう?だから、行って来なさい」
「命令形かよ。ま、いいけどさ」
玲君はブツブツ言いながらも、先生から財布を受け取り飲み物を買いに動く。玲君がいなくなったのを確認した先生は、私のほうを向いた。
「さて片桐さん。我が校の3年生の一大イベントと言えば、何なのか分かりますか?」
「………受験?」
「違います」
………即答はちょっと精神的に辛かったな。いきなり刺されたような感じだ。
その後も私は考えたものの分からず、先生に答えを聞くことにした。
「おや?片桐兄に聞いていませんか?修学旅行ですよ」