◇琉衣◇
「ルカ。親御さん、近いうちにドイツに来るそうだ。………逃げるなよ?」
分かってます。逃げたらどうなるか、セシルさんに存分に脅されたから逃げませんて。
二人にそれを伝えると、リヒャルトさんは声を出して笑い、セシルさんはまたも満足そうに微笑んだ。なんかムカつく。
ていうか、リヒャルトさんはお母さんとそのことを話してたのかな。
あー、お母さんたちいつ来るんだろ。覚悟決めとかなきゃなぁ。
リヒャルトさん、ちゃんと怒られなくて済むよう言ってくれるのかな。言ってくれなきゃ、私死ぬよ。それほどに、本気で怒ったお母さんは怖いんだ。
ヤバイ。考えただけで身体に震えが……。
「寒いのか?ルカ。早くベッドに戻って横になれ」
「いや、これは寒いからじゃなくて…」
「いいから寝なさい。まだ熱は下がってないだろう?」
言い切れなかった。言い切る前にリヒャルトさんは口を挟む。
確かにまだ熱下がってないけど、途中で遮るように言わなくてもいいと思う。これだから大人は……。
「あぁ、やっぱりまだ高い。無理をするな。まだ辛いだろう?」
リヒャルトさんは私の額に手を当てながら言う。
「今はとにかく休め。返事は?」
「はぁい」
優しく微笑みながら言うリヒャルトさん。そんなリヒャルトさんに、私はベッドに横になりながら返事を返した。
それを見たリヒャルトさんは満足そうに微笑んで、私の頭を撫でる。
そして私はそのまま眠りに堕ちる。久しぶりに、夢を見た。
―――*―――*―――*―――*―――
「久しぶりだね、琉嘉」
「琉衣」
眠りに堕ち、着いた先は見慣れた世界。そう。琉衣の築き上げた世界だ。
つまり、私はリヒャルトさんに頭を撫でられた後、眠ってしまったということか。
「今日は無理やりこの世界に連れて来ちゃってゴメンね?ちょっと聞きたいことがあったからさぁ」
そう言って琉衣は笑う。ケラケラと声を上げて。
ていうか、無理やり?そんなことも出来るのか。そう関心していると、琉衣が不意に笑うのを止めて此方を向く。
………あれ?目が怖いよ?
「ねぇ、琉嘉。どうしてこんな無茶したのかなぁ?」
…………琉衣も私の行動にご立腹の模様。後ろに黒いオーラが佇んでいる。
「君の思考を読もうとしたけど、僕には無理だった。だから直接聞くよ。どうして?何であんな無茶をした?そんなに死期を早めたいの?」
死期を早めたい、か。そうなのかな。実はそうなのかもしれない。無意識に、それを望んでいたんだろう。
琉衣にそれを伝えると、琉衣の表情が悲しみのそれに変わる。何なのさ。
「どうして、君まで夭折しなきゃならないっ!?君には生きて欲しいのに……っ。僕の分まで幸せになって欲しいのに……」
「琉衣?」
「ねぇ、琉嘉。君は、僕の正体を知ってる?」
琉衣はそう言って、歪んだ笑みを見せる。そして、続けた。
「僕はね、君の双子の姉なんだよ。……生まれて少しして死んでしまったけれど」
双子?知らない。そんなの、聞いたことがない。
「初めて聞いた、って顔だね。それも仕方ないか。僕は、生まれて2日しか生きれなかったから……」
知らない。お兄ちゃんは知ってたのかな。知らなかったのは、私だけか?
なんだそれ。面白くない。
「あぁ。多分、お兄ちゃんも私のこと知らないと思うよ。私たちが生まれたとき、お兄ちゃん、まだ2歳だしね」
お兄ちゃんも知らなかったのか。……なら良し。
「私は死んで、妹・琉嘉の中に入った。だから、その時名前を捨てた」
「捨てた。……名前を?」
「そ。お母さんたちはね、お腹の中にいる子供が女の子の双子だと分かったとき、名前を二人分考えていてくれた。だから、生まれて少ししか生きれなかった私にも名前があったのさ」
「琉衣の………本当の名前は何?」
「琉衣。だから、琉嘉が琉衣っていう名前をくれた時は本当にビックリしたよ。お母さんから私のことを聞いてたのかと思った」
あぁ、そうか。あの時琉衣の表情に見えた翳りは、このせいだったのか。
私が何も考えず、こんな名前を琉衣に与えたから。
私が琉衣にあんな表情をさせた。
「あ!琉嘉。私にこの名前を付けたこと、後悔しないでよ。私はね、夢の世界ではあるけど、琉衣として、姉として琉嘉に会えたことは、私にとって、とても幸福だったんだから」
琉衣は優しい。
私を恨んでいいのに、守ろうとしてくれる。……私は何も返せないのに。
逆に傷つけたのに、琉衣は変わらず私を守ろうとする。
何故。どうして。罵倒された方がまだ気が晴れる。それなのに、何故。何故。
温かい水が頬を濡らす。
いつから涙を流しているんだろう。何故、私は泣いているんだろう。
分からない。ワカラナイ。
「琉嘉。どうして泣いてるの?」
「分かんない」
「そか」
涙を流す私を見て、琉衣が問う。
私は分からないとしか答えられない。
琉衣は深く追求してこない。そんなところも、優しい。
「おっと。そろそろ起きようか、琉嘉。もう随分と時間が経ったハズだよ」
「え?……あ、そうか。ここって、時間の流れ違うんだっけ」
「そう。だからそろそろ戻らなきゃね」
琉衣はそう言った後、微笑んで言った。
「ねぇ、琉嘉。さっき言ったこと、気にしないでよ。私は、琉嘉が元気に幸せに暮らしてくれれば嬉しいから。琉嘉は全く悪くないんだからね」
あぁ、やっぱり琉衣は優しい。優しすぎる。私は何も返せないのに、一方的に優しくしてくれる。
ねぇ、どうして琉衣はそんなに優しいの。自分は生きられなかったのに、双子の片割れはのうのうと生き延びてる。ねぇ、それを守るなんて、どうして出来るの。私なら無理だ。きっと、片割れを恨む。
なのに、どうして琉衣はそんなに優しいの。
視界が滲む。涙が止まらないよ。
「さ、早くお帰り?」
そう言って琉衣は私を扉の元へ誘う。
「琉嘉。今日僕が言ったことは忘れなさい。君のためにならないから。ね?ただ、君には姉がいたっていうことだけ覚えていて」
「忘れない。琉衣が言ったことも、私には琉衣って言う名前のお姉ちゃんがいたことも、ね」
「………ありがとう、琉嘉」
「お礼を言うのは私のほうだよ。返せないのに、守ってくれてありがとう」
それを聞いた琉衣が悲しそうに微笑む。……変なこと言ったかな。
「ねぇ、琉嘉。僕がお礼を狙って守ってるとおもう?そんなの関係ないよ。僕は、琉嘉が大事だから守る。お礼なんていらない。おっけぃ?」
「……そなの?」
「琉嘉、人間不信過ぎ。少しは姉を信じなさい」
あぁ、そうか。信じていいんだ。お姉ちゃんを。
「うん。ゴメン琉衣」
「分かったならいいよ。だから、泣き止んで?可愛い妹の泣いている姿を見るのはちょっと辛いから。しかも、原因が自分だとさらにね」
そんなものなのか。なら、頑張らなきゃ。琉衣のために、頑張って泣き止まなきゃ。
その努力の結果、数分後には泣き止むことが出来た。
「よし。じゃ、そろそろ帰りなさい。また、会おう」
「うん。約束だよ。絶対にまた会おうね」
「琉嘉が強く願ってくれれば会えるよ。今日みたいな強引な手は邪道だからね」
琉衣はそう言って私を見送る。私は、扉を潜った。
―――*―――*―――*―――*―――
目を開くと、見慣れない天井が目に入る。そうだ。ここはドイツ。リヒャルトさんの家だ。
電話が終わったあと、まだ熱が高いからって、無理やり寝かされたんだ。…だから、夢の中で琉衣と会ったんだ。
……喉渇いた。何か飲み物が欲しい。辺りを見回して、何か飲み物が無いか探す。
「喉渇いたな……」
じっくり見回してみたが見つからず、仕方なくベッドから降りて台所へ向う。冷蔵庫にミネラルウォーターがあるはずだから一本貰おう。
「おや?目が覚めたのか」
ベッドを降りて部屋を出ると、リヒャルトさんがちょうど通りかかる。
「ちょうど診に行こうと思ってたんだが……大丈夫か?」
「まだ頭ボーっとしてる」
「ならどうして起きてるんだ?」
「喉渇いた……。何か飲み物頂戴」
「持ってくるからベッドに横になって待ってろ。いいな?」
「ありがとーリヒャルトさん」
リヒャルトさんは私の様子を診に来ようとしていたらしい。グッドタイミング。実はまだ頭がボーっとして、フラフラするんだ。立って歩くのも実はまだちょっとキツいんだ。
ベッドに横になってしばらくすると、リヒャルトさんがミネラルウォーター(2リットル)の入ったペットボトルとコップを持ってきた。
「この一本は此処に置いておくから、飲め。コップも置いておくから」
「うん。ありがとーリヒャルトさん」
私はお礼を言って早速コップに水を汲み、飲む。喉が潤う。美味しい。
「あぁ、それと、ルカ。俺のことはリヒャルトでいい。敬称はいらないから。セシルも多分そうだと思うぞ?」
「分かった。んじゃ、今度からリヒャルトさんじゃなくて普通にリヒャルトって呼ぶね」
「ああ。俺もそのほうがいい」
そんなものなのか。ていうか、最近はなんだか驚くことがいっぱいあるような気がする。
久しぶりに病院じゃないところにいるからかな。……っていうか、ここも一応病院だから違うか。
「それと、親御さんから連絡があった。ドイツ行きの飛行機のチケットが取れたそうだ。来週来るらしいぞ」
「……………」
「…逃げるなよ?」
あぁ、来週は勝負の時間ですね。
逃げはしないけど、逃げたいっていう感情はあるな。逃げたら後が怖いから逃げないけど、やっぱり逃げたいな。
ていうか、何人で来るつもりだろう。間違いなくお母さんは来る。お父さんも来るって言ってたし、お兄ちゃんも同様だ。この三人で済めばいいけれど、他に誰かが来たらもう最悪だ。疲れること間違いなし。
リヒャルト、その辺聞いてないのかな。聞いてみよう。
「ね、誰が来るって言ってた?」
「とりあえず、チケット四枚取ったって聞いたけど、誰が来るかは聞いてないな」
…四枚?お母さんとお父さんとお兄ちゃんと、もう一人は誰だろう。まさかのまさかでおじいちゃん?おばあちゃん?
……誰にしても、疲れることは決まったな。
そう思いながら深い溜め息を吐くと、リヒャルトが頭を撫でてくれる。
「そんなに嫌そうな顔をするなよ。ご家族だって心配してたんだから。な?」
「それは分かるけどさ。ただね、その四人が来れば間違いなく疲れるだろうから、それを想像するだけでもう疲れきっちゃうんだ」
それを聞いたリヒャルトの手が止まる。言わないほうがよかったかな。ま、いっか。
「ほ、ホラ。とりあえず今はそういうことを考えず、休め。休んで熱を下げろ。な?」
話しを変える手に出ましたか。まぁ、それが最善策かな。
とりあえず、寝よう。起きててもダルいから。
「おやすみー、リヒャルト」
「ああ。ゆっくり休め」
そして、私はまた眠る。深く、深く眠る。夢は見ないけれど、眠る。
数日後。
私は熱が完全に下がったので、ドイツの街の探索をすることにした。来たばっかりの頃は辺りを見回す余裕も無かったし。
家を出るときにリヒャルトとセシルに携帯を持たされ、出掛ける。迷子になったら家に電話をしろとのこと。……迷わないよう努力しましょう。
結果、迷うことなく無事に帰ってくることが出来た。よかったよかった。
そしてそれからまた時が流れ、勝負の時がやってくる。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴る。今日は、お母さんたちが来る日。このチャイムを鳴らすのはお母さんたちだろうか。
「すみませーん。どなたかいらっしゃいませんかー?」
ドイツ語で在宅か問う声。……お母さんだね。
それを聞いたセシルが「少々お待ちください」と言って、玄関へ向かう。あぁ、恐怖の時間がやってくる。
「娘がご迷惑をおかけしてます。片桐琉嘉の母です」
「父です」
「兄です」
「従姉です」
うわぉ。最後の一人は彩ねぇですか。ちょっと予想外だ。
「ルカー。ご家族の方がいらしたよー」
玄関を開け、お母さんたちの姿を確認したセシルは私を呼ぶ。……呼ばなくてもいいのに。
私は恐怖に慄きながら玄関に向かう。覚悟を決めよう。
「ひ……久しぶり……」
「琉嘉!」
私が挨拶をした途端、お兄ちゃんが私の名前を呼び、抱きついてくる。予想外の展開だ。……っていうか、苦しい。
「この馬鹿!心配かけさせやがって!」
「全くだ。お前から電話の入るまでの数日間、お父さんたちがどんな気持ちでいたか分かるか?」
「こうやって、無事に会うことが出来たからいいけどね」
「そうそうー。お母さんもおばあちゃんたちもみーんな心配してたんだかんねー?」
お兄ちゃん、お父さん、お母さん、彩ねぇが続けて言う。
うん、言ってることは正論なんだけど、ちょっと、苦しいな………。もう……ダメ…だ。……きゅう。
「琉嘉!?」
「どうした!?琉嘉!!」
「李旺。あんた力込めて抱きすぎ!それで苦しいのよ!」
「李旺!琉嘉を離しなさい!」
うわー、彩ねぇがゆっくり話す余裕も無いくらいに焦ってるよ。っていうか、ホント早く離して。苦しいよ、お兄ちゃん。
そして、そこまで言われて、漸くお兄ちゃんは私を離す。あぁ、苦しかった。
「琉嘉、ゴメン。ちょっと興奮しすぎた」
「うん。苦しくて死ぬかと思ったよ。マジで」
私が言うと、お兄ちゃんはさらにヘコむ。死ぬかと思ったは言い過ぎたかな。
「とりあえず、玄関で話さないであがりませんか?」
とここで、ずっと黙っていたセシルが口を開く。今まで日本語で話してたから理解出来ず、話の止まった今を狙って声をかけたのかな。
「院長ー。ルカのご家族がいらっしゃいましたよー」
「ん?ああ。もういらしたのか」
お母さんたちはリビングに通され、セシルはリビングにいないリヒャルトを呼びに行く。
お母さんたちの来訪を知らされたリヒャルトは、のんびりとリビングに姿を現した。
「はじめまして。リヒャルトと言います。申し訳ありませんが、自己紹介をしていただけますか?呼び方が分からないとどうしようもないので」
まずは自己紹介ですか、リヒャルトさん。とりあえず、私が怒られないようにしてくれるのならば、目を瞑ろう。
「はじめまして。琉嘉の父親の片桐陸です」
「母親の理沙です」
「兄の李旺です」
「従姉の彩夏です」
「リクに、リサ。そして、リオにアヤカ、ですね」
ソッコーで名前呼び確定かい。ま、いっけどさ。
そう思いながらお母さんたちを見ていると、突然、リヒャルトが此方を向き、言う。
「ルカ。俺はちょっとリクやリサと話したいから、ルカは部屋にいてくれるかい?リオとアヤカもルカと一緒にいてくれると嬉しいな」
「後でお菓子と飲み物持って行くからね」
セシルもリヒャルト側に付くか。なら間違いなく私が不利だ。なので、大人しく与えられた部屋に引っ込むことにした。後ろからはお兄ちゃんと彩ねぇが着いて来る。
リヒャルト、お母さんたちに何を言うつもりなんだろう。後から何を言ったのか聞いてみようっと。
そして部屋に着くと、まず、お兄ちゃんが口を開いた。
「さて、先に家出の理由を聞いていいか?」
「分かんない」
そう言った瞬間、二人の表情が一気に怖くなる。あたりの温度も下がったかな。
「分かんないってどういうことだ?」
「分かんないは分かんないだよ。気が付いたら病院抜け出してたんだから。それまでの記憶が無いんだよ」
「じゃあ、どうしてドイツに逃げた?」
「ドイツ行きの飛行機の席が空いてたから」
「つまり、病院を抜け出した後の記憶はあるわけだな。どうして戻らなかったんだ?」
「だって、戻ったらまた手術を受けろ、嫌だの押し問答が始まるじゃん。それが嫌だった」
私はお兄ちゃんの目をしっかりと見据え、続ける。
「あのままいたら、私は多分壊れてたよ。お母さんたちのために手術を受けないと、ていうプレッシャーと、怖いから受けたくない、っていう自分の感情に押し潰されて。だから、逃げた。日本にいたらすぐに捕まると思ったから、外国に逃げた。言葉の分かる国で、一番早く日本を出る飛行機はドイツ行きだったからドイツに逃げた」
私を見るお兄ちゃんたちの目が哀れむ目に変わる。私はそんな目で見られるのは嫌いだよ、お兄ちゃん。彩ねぇ。だから、止めてよ。
「なぁ、琉嘉。手術を受けろって言う俺の言葉はそんなに重かったのか?」
「うん。あの頃は本当に重かったよ。潰れそうだった。だから、逃げた」
「そか。ゴメンな、琉嘉。お前が逃げたの、俺のせいだな。ゴメン」
止めてよ。お兄ちゃんのせいじゃない。私の自己満足だ。全部、私が悪いんだよ。
「違うっ!李旺にぃは悪くない!悪いのは私なんだよ!!」
「俺が悪いんだ。琉嘉は悪くない。全部俺のせいだ」
違う。違う。違う。
どうして勝手に自分のせいにしてるんだ。私が悪い。それでいいじゃないか。それでもお兄ちゃんは自分が悪いと言い張る。…強情だな。
「てか、二人とも悪いってことで決着つければいいんじゃないのー?」