◇家出◇
病院を抜け出して、一週間が経った。私は未だに帰っていない。
幸いにも、発作を起こすこともなく、家出生活を送れているが、やはり、空気が違うと辛い。
空気の違うドイツは、体力が削られる。言語の壁は無いに等しい程にドイツ語を話せるが、環境の違いはかなり辛い。
そう。私は今、ドイツにいる。一度家により、パスポートを取り、空きのあるドイツ行きの飛行機に乗り込んだのだ。
熱を出した気がする。ダルい。
このまま路上の何処かで眠れば、死ねるのかな。それもいいな。
勝手に病院を抜け出して外国に来た報いだ。一人寂しく、死のう。
「お嬢ちゃん、どうしたんだ?具合でも悪いのか?親は何処にいる?」
体力の限界が来て路上に座り込むと、一人の男性が話し掛けてくる。
五月蝿い。放っておいてくれ。そんな目で見ていると、質問をしてくる。
空気読めよ。
「どうした?返事が出来ないくらい具合が悪いのか?」
「………五月蝿い。大丈夫だから放っておいて」
あぁ、ダルい。もう色々考えるの面倒だから早く消えてくれ。
それでも、しつこい男性はしつこく話し掛けてくる。ウザいよ。
「具合が悪いなら暫くうちで休むといい。そうしろ。な?」
「……んなっ!」
男性は言い終えると同時に、私を持ち上げた。……しかもお姫様抱っこで。
「ちょっ!降ろして!大丈夫だから」
「大丈夫そうに見えない。それに、君は無理やり運ばないと大人しく来そうにないからね」
そう言いながら、私の額に手を当てる。
「やっぱり、熱がある。家はどこ?電話番号は?」
「日本」
「ツーリストか。親は?ホテルは何処?」
「日本。ホテルは取ってない」
私が言うと、男性は目を真ん丸にする。驚愕の目付きだ。
「まさか、一人でドイツに来たのか!?お前何歳だ?まだ小さいだろう」
「14。そんなに小さくない」
「14は立派に子供だ。うちで暫く休んで、親に連絡しろ。迎えにきてもらえ」
親に連絡?出来るわけないじゃないか。
私は、逃げて来たんだ。
「どうした?俺が連絡したほうがいいか?」
「連絡しなくていい。大丈夫だから」
「子供が何を言ってる。子供は親に遠慮せずに甘えるもんだ」
「今まで、甘えすぎるくらい甘えて来た。これは、その報いだ」
最後のほうは、小さな声で言った。聞かせる必要は無いから。
それから暫く、男性は何も言わず、ただただ、歩いた。
「着いたぞ。ここが家だ。中々深い事情があるようだが、今は、休め。眠ってろ」
案内された先は、個人病院。中に入ると、まずベッドへと案内され、寝るよう促される。
「今は眠るんだ。目が覚めたら、話せる範囲で事情を聞かせてくれ」
あぁ、もう疲れたよ。何だかとっても眠いんだ。瞼が、重い。
………堕ちた。
「あら?院長。この子なーに?」
声が、聞こえる。誰だろう。
「あぁ。さっき拾ったんだ。具合悪そうにしてたから休ませてるんだよ」
「親御さんに連絡は?」
「何か事情があるみたいで、連絡したがらないんだ」
そうだ。ここはドイツだ。
私は、ドイツに逃げて来たんだ。
「素性を調べようと思わなかったの?」
「あぁ。本人の口から聞きたいからな」
この男性は、いい人のようだ。……話しても、大丈夫かな。
そう思っていると、誰かの手が額に触れる。反射的に、目を開いた。
「あら?起こしちゃったかしら。お嬢ちゃん、具合はどう?」
「…え?あ、大丈夫デス」
「はい、嘘吐かない。まだ熱高いよ?」
あー、バレバレだね。確かにまだダルいです。
「やぁ。大丈夫ではなさそうだけど、話しは出来るかな?」
「何を聞いても親に知らせない、というのなら話します」
それを聞いた二人は、渋い顔をする。だが、すぐに元に戻り、言った。
「…分かった。さて、なら自己紹介をしようかな。俺の名前はリヒャルト。ここの病院の院長だよ」
「私はセシル。住み込みの看護婦。あなたは?」
「ルカ。で、どこから話せばいいのかな?」
私たちは自己紹介を済ませ、向き合う。セシルの目が、キラキラ光って綺麗だ。
「まず、どうして一人でドイツに来たの?ていうか、どうしてそんな、ジーッと私を見つめてるのかしら?」
「目が綺麗だから」
私が言うと、セシルさんはにっこり微笑む。
「ありがとう。で、どうして一人でドイツに来たの?」
「……………家出してきた」
それを聞いた二人は揃って目を真ん丸にする。予想通りの反応だ。
「……家出って、日本の家からかい?」
「日本からぁ!?」
「うん」
それを聞いた二人の反応はさらに激化する。あー、五月蝿いな。
「どうして、家出なんかしたんだ?」
「分かんない」
本当に、分からないんだ。気がついたら病院から抜け出してたから。
あの時は、何も考えず、ただただ、お母さんたちから逃げたかった。
「どうして逃げたかったんだい?」
リヒャルトさんにさっきの説明をすると、質問をされる。
「あのままいれば、私はプレッシャーに押し潰されそうだったから。私は弱いから、逃げたんだよ」
「プレッシャー?」
「お母さんたちのために、手術を受けるべきか、っていうのと、怖いから受けたくない。その重圧に挟まれ続けるのは、嫌だったんだ」
それを聞いた二人は、焦り出す。手術という言葉に反応したか。
「何の病気だい?」
「病名は知らない。教えて貰えなかった」
「じゃあ、何処が悪いのかは分かる?」
リヒャルトさんの質問に、私は静かに頷く。そして、言う。
「心臓」
「………どのくらい悪いのかは分かるかな?」
「相当。もう長くないって言われた。助かる方法は手術だけだ、って」
それを聞いたリヒャルトさん哀れむ目で、私を見る。止めてくれ。そんな目で見られたくて話したんじゃない。
「ルカ。知り合いに心臓手術の権威がいる。紹介するから、手術をしてもらえ」
あぁ。あんたも一緒か。純粋に味方をしてくれる人なんていやしないんだ。
ここからも、逃げるか。
次は、何処へ行こうか。
「逃げようなんて考えるなよ、ルカ。俺は医者として、病人をほったらかしになんて出来ない」
きれいごとだ。そんなの、こっそり逃げればいい。
「逃げたら、警察に通報して、日本の警察に連絡取ってもらうぞ。日本で捜索願が出されてるなら、あちらさんはこれ幸いとドイツに来るだろうな」
………卑怯な。それでも医者か。
そう思っていると、今まで黙っていたセシルさんが口を開いた。
「ルカ。先生は純粋にあなたを心配しているの。分かってあげて」
心配?分かるわけないじゃないか。
人の心が分かれば苦労はしない。それに、他人に心配されて、何になる。
それなのに、どうして涙が出る。何故。どうして。
止まらない。涙が。何故だろう。
「あぁ、泣かせるつもりは無かったのよ。ごめんなさいね、ルカ」
そんなセシルさんの言葉が、さらに涙を誘う。鳴咽が零れる。もう、止められない。
「無理に泣き止もうとしなくていいのよ、ルカ。泣きたいのなら泣いてしまいなさい」
あぁ、もうダメだ。今まで堪えていた泣き声が、堰を切ったように溢れ出す。
「よしよし。辛かったのね。もう、大丈夫よ」
セシルさんは、私を優しく包み込む。その温もりが、私に安心をくれる。
彼女たちなら大丈夫だ。全てを話しても。
それから暫く、私は泣き続けた。セシルさんの優しい腕に包まれ、盛大に。
「落ち着いたかい?」
リヒャルトさんの言葉に静かに頷く。
「なら、もう一度言わせてくれるかい?……手術を受けよう、ルカ」
コワイ。嫌だよ。手術は怖い。
「ルカ、手術のどういうところが怖い?言ってごらん」
「手術自体怖いけど、手術中に死ぬかもしれないっていうのが一番怖い。だから、嫌だよ」
そんな私の手を、リヒャルトさんはぎゅっと握る。温かい。
「大丈夫だ、ルカ。この国の医療技術は日本よりも進んでいる。日本で受けるよりは、ドイツのほうが成功率はかなり高いぞ」
でも、無理だよ。そう言われても恐怖は拭えない。
「それに、俺も付いてる。手術中、ずっとお前の手を握っておいてやる」
「……ホントに?」
「あぁ。だから、手術を受けよう、ルカ」
「私も付いてるよ、ルカ。だから、ね?」
二人とも、優し過ぎる。また、涙が流れる。
「ルカ。受けるかい?」
「………うん」
二人を信用しよう。きっと、大丈夫だ。
「あー、でも手術を受けるなら、親に連絡をしなきゃな…」
「……………」
逃げようかな。うん、逃げようか。
今更お母さんたちに会わせる顔なんて無いから。
「逃げるなよ、ルカ。大丈夫。怒られないよう、言ってやるから」
先に釘を刺された。
てか、怒られるのは怖くない。って言ったら嘘だけど、それより、会わせる顔がないのが一番を占める。
「あー。うー」
「何唸ってるんだ?ルカ」
「お母さんたちにどう言えばいいか分かんないー。ってか、会わせる顔がない…」
私が言うと、リヒャルトさんとセシルさんが揃ってどうしてか聞いてくる。
「だって、余命宣告された後すぐに逃げたから…」
「なら、無理に会えとは言わない。でも、連絡は入れろ。今すぐ、目の前で」
………悪魔が目の前にいる。
リヒャルトさんはそう言いながら電話を私の前に置く。…逃げ道が無くなった。
私は仕方なく、番号を押す。………何て言えばいいかな。
プルルルル プルルルル ガチャ
『はい、もしもし』
「……………」
お兄ちゃんだ。ヤバイ。何言えばいいのか分かんない。
『もしもし?』
「………李旺にぃ」
『琉嘉!?琉嘉なんだな!?無事か!?今何処にいる?』
「李旺にぃ。大丈夫。私は元気にしてる。だから、心配しないで」
私がお兄ちゃんの名を呼ぶと、お兄ちゃんは過激に反応する。少しは落ち着け。
『今、何処にいるんだ?琉嘉。父さんも母さんも、ジジイたちもみんな琉嘉を心配してんだぞ』
「大丈夫だから。心配しないで」
「ルカ。ご家族にはちゃんとドイツにいることは話したのか?」
突如、リヒャルトさんが口を挟む。
あぁ、そうか。日本語で話してたから分からなかったのか。
「元気にしてるから心配するな、って言ったよ」
『琉嘉、お前今ドイツか!?さっきのドイツ語だろ?』
あ、バレた。
リヒャルトさんへの説明が聞こえたらしい。それでバレたようだ。……ドイツ語分かんないくせに、よく分かったものだ。
とりあえず、お母さんに代わって貰おう。
「李旺にぃ、お母さんいる?いるなら代わって」
『母さんにちゃんと説明するんだな?それなら代わる』
「うん」
私が言うと同時に、お兄ちゃんがお母さんを呼ぶ。勝負の時間だ。
『琉嘉?』
「お………母さん」
うあー、怖い。何言われるか分からないあたりが怖い。
逃げたい。すっげぇ逃げたい。だが、後ろでリヒャルトさんとセシルさんから押さえられているので逃げることが出来ない。
仕方ない。正面から立ち向かおう。
「久しぶり、お母さん」
『……そうね。琉嘉が元気そうでお母さん嬉しいわ』
「あー、うん。元気だよ。今ちょっと熱出してるけど、それ以外は元気だから」
『そう。で、率直に聞くけど、琉嘉。あなた今何処にいるの?』
うわぁ。すごく率直だね、お母さん。清々しいよ。
『琉嘉』
お母さんの我慢の限界がもう来た模様。静かに私の名を呼ぶ。そろそろ答えなきゃ怖いかな。
「………ドイツにいます」
『ドイツ!?どうしてそんなところに……。ドイツの何処?』
「ベルリン」
『ホテルの名前は?』
「あ。ホテルには泊まってない」
そう言うと、お母さんが物凄い勢いで喋って来た。
『ホテルに泊まってない、って、あなたまさか野宿!?大丈夫なの!?今すぐホテル行きなさい!』
あぁ、答えるの面倒臭い。でも、答えなきゃか。
「昨日までは野宿してた。だから熱出しちゃった。で、今はベルリンの個人病院経営してる人の家にお世話になってる」
電話口で溜め息が聞こえる。野宿のことは言わない方がよかったかな。
『お世話になってる、って、病院で?それともお宅の方?』
「家の方」
『………家主さんはいる?いるなら代わって頂戴』
「うん。ちょっと待って」
私は電話の下を押さえ、リヒャルトさんの方を向いて言った。
「リヒャルトさん。お母さんが話しがしたいらしいから、代わってくれる?」
「あぁ。ルカのお母さんはドイツ語話せるんだよな?」
……………どうだろう。まぁ、大丈夫だろう。そう思いながら、私は電話をリヒャルトさんに手渡した。
「もしもし。お電話代わりました。リヒャルトといいます」
リヒャルトさんはそう言って会話を始める。……お母さんはリヒャルトさんに何を言うつもりなんだろう。
てか、居場所バレた以上、来るんだろうね。お母さんたちが。
それが怖い。恐ろしい。阿修羅が降臨するんだろうな、きっと。黒いオーラの下で阿修羅が微笑むのか。
そしてお兄ちゃんはお母さんと同じ黒いオーラの下でサタンを降臨させるんだ。
…………やっぱり逃げようかな。何処かで一人寂しく死のうか。それとも、自らこの命を絶とうか。それが一番楽だよね。
………もう、疲れたよ。全てが。
「ルカ。変なコト考えてなぁい?」
ギクり。ずっと黙っていたセシルさんが口を開く。…セシルさんの目が怖い。
「なぁんか怪しいんだよねぇ。ねぇ、ルカ。正直に言ってごらん?」
いや、だから目が怖いって。射抜かれそうな鋭さで、セシルさんは私を見る。
正直に言ったら殺されそうだ。それほどまでに怖い。
「へ……変なコトってどーゆーコトかなっ?」
「また逃げようと考えてるとか、自殺しようと考えてるとかかな」
………バレてーら。何で分かるんだろう。そういう雰囲気出しちゃったのかな。
「図星ね?」
私は頷く。すると、セシルさんは大きな溜め息をついた。
気のせいかな。あたりの空気の温度が下がったような気がするよ。気のせいだよね。ていうか、気のせいであってほしい。
でも、それは気のせいではない。
セシルさんが見せ掛けの笑顔を貼付けて私を見る。……目が笑っていない。
怖い怖い怖い怖い怖い。
「ルカ。今逃げたらどうなると思う?」
「え?………えっと…」
どうなるんだろう。
お母さんたちの私捜しが振り出しに戻る、ってことくらいしか考えつかない。
だから、聞いてみた。
「どうなるの?」
「まず、ルカ失踪の知らせがドイツの日本領事館に入る。それが日本に伝わる。そうなったらもう大変」
セシルさんは私の目をジッと見て、続ける。
「ドイツを現地の警察と日本の警察が捜索するでしょうね。…そこまで大事にしたい?」
嫌だ。そこまでされたら、見つかった時が怖い。………特にお母さんが。
「嫌でしょ?なら、家で大人しくしてなさい」
「………らじゃ」
これは降参する以外手は無いでしょう。
そんな私の返事を聞いたセシルさんは満足そうに微笑む。
「はい。少々お待ちください」
私たちがそうやって話していると、リヒャルトさんが手招きをして私を呼ぶ。何だろ。
「ルカ。親御さんが話したいそうだ」
「え゛」
な……何かなぁ。怖いなぁ。
「か……代わりました琉嘉デス」
『琉嘉。俺だ。分かるな?』
「お父さん」
電話で話すのはお父さん。久しぶりだ。
お母さんじゃなくて少し安心した。
『久しぶりだな、琉嘉。元気にしているか?』
「うん。ちょっと熱出しちゃったけど、それ以外は大丈夫だよ」
『発作は起こしてないか?』
「うん」
『よかった……』
お父さんが安堵の息を吐くのが聞こえる。心配かけてゴメン。
『琉嘉。俺たちは近いうちにそっちに行く。頼むからいなくなってくれるなよ?あんな心配するのはもうこりごりだ』
「うん。ゴメンね、お父さん」
『あぁ。……おっと、李旺が話したいそうだから代わるよ』
お父さんが言うと同時に、電話の相手がお兄ちゃんに代わる。
『もしもし。琉嘉。俺だ』
「李旺にぃ。なぁに?」
『母さんから話しは聞いた。……ほんっとーーに、大丈夫なんだな?』
「李旺にぃは本当に心配性だね。大丈夫だよぉ」
本当にお兄ちゃんは心配性だ。小さい頃から変わらない。というか、悪化していたのが更に悪化したような気もする。
……………過保護。
『近いうちに俺もドイツに行く』
来なくていいのに。来たら来たでまた過保護開始じゃないか。激ウザ。
『…その沈黙は何なのか聞いていいか?』
「ダメ」
『聞かせろ』
「いーやーだっ!」
『言え』
「ヤダってば!」
『まあいい。ドイツに行ったときに直接聞かせてもらう』
「絶対に話さないもーん」
話したら悲しむでしょう、お兄ちゃんは。だから話さない。
『無理やり聞き出す。勝手にドイツに行ってみんなに心配かけた罰だ。覚悟しとけ』
「李旺にぃのバカ……っ。言いたくないって言ってるのにっ……。ひどいよ李旺にぃ」
『え!?あ、ゴメン。無理やりは聞かないからっ。な?だから泣くなよ』
試しに涙声で言ってみた。そうすると、お兄ちゃんは焦り出す。
効果アリですね。今度からお兄ちゃんにはこの手を使おう。
琉嘉の小悪魔度が1上がった。なんつって。
『と、とにかく近いうちにドイツ行くからな』
うわー、捨て台詞。カッコ悪いよ、お兄ちゃん。ま、いっか。
「待ってるけど、それまでにドイツ語で日常会話くらい出来るようになってねー。私、ドイツで日本語使う気は無いよん」
『……分かってる』
さぁ、どのくらい上達してくるかな。楽しみだ。
「じゃ、切るよ」
『あぁ』
そうして、私は通話を終える。結構話したなぁ。