佐和加奈子の一日 拍手お礼 2
「え、鍵掛けてきたの?」
「何か問題でもある?」
口調も態度もふざけている柘植会長だけれど、本来はほぼ一人でこの会社を大きくした程の敏腕会長。
名の通り既に会長職に引いてはいるけれど、現在も中心となって会社を運営している。
柘植の後に職を継いだ弟でもある現社長は、二年の猶予の元、神奈川支社で経営力を身に付けるために奮闘している。
その二年という期限も、今月で切れるわけだけれど。
そうしたら、社長が本社に戻ってくる。
柘植会長は、その後どうするつもりなのだろう……
そんなことを考えながら午前中の業務を終えた佐和は、一時になると柘植に社食から持ってきたランチのトレーを渡して鍵を掛けて出てきたのだ。
もちろん、外からの鍵。
内からは開けられない。
それは、昨日会長が静岡に勝手に行ってしまった後、佐和の進言=命令で設備課に設置してもらったもの。
よくトイレとかで見る、簡易的な鍵。
……柘植会長はまったく気付いていなかったわね。
気づいた時の反応がとても見ものだわ。
そんな事を思い浮かべながらくすくす笑うと、隣でから揚げを食べていた美咲が引き攣った笑みを浮かべた。
「なんか、加奈子がうちの会社のトップみたい……」
美咲のその言葉に、佐和の口端がゆっくりと上がる。
「そんなおこがましいこと、考えてないわよ? 私はただの一社員だもの」
加奈子が一社員なら私は一体なんだろう、そうぶつぶつ言う美咲を見ながらサンドウィッチを手に取った。
私の同期である久我美咲は、先月、加倉井美咲になった。
色々あって、随分と心配させられたけれど、付き合い始めてからの二人はとても落ち着いていて“色々”を知っている皆はほっとした。
本当に、色々あったから。
そんな二人も、先月結婚式を挙げ家族になった。
本来なら、職場が変更になることが多い同部署での結婚だったが、今の所異動の予定は無い。
その事を本人は不思議に思っているようだが、それは柘植会長の鶴の一声。
二人の結婚が上司に報告された後、人事部長が異動辞令を出すべきじゃないかと、会長室にやってきたことがある。
けれど柘植会長は、“結婚”に関してではなく、加倉井課長と美咲の業績を企画課担当取締役に確認した。
主に、美咲の。
加倉井課長は、元々柘植会長の肝いりで課長に上がった人間だったから。
取締役が提出した報告書を読んだ柘植会長は、異動辞令を却下した。
食い下がろうとする人事部長に、にっこりと満面の笑みを向けた。
“結婚って理由で、業績を下げる辞令を出す意味が分からない。彼女以上に企画課で業績を上げられる人間を、見つけてきてから文句を言え”
あの時の悔しそうな人事部長の顔、見ものだったわ。
写真にとって、額に入れて、エントランスにでも置きたくなるくらい。
ま、そんな事をしたらきっとそのまま自己都合退職なさったかもしれないけど。
「あ、そういえば」
佐和がサンドウィッチを食べながら過去の記憶に思いを馳せていたら、美咲が思い出したように声を上げた。
「今日、真崎さん来るんでしょ? さっき課長の所に連絡来てた」
「あら、まだ課長って呼ぶの?」
そう言うと、焦ったように目を逸らす。
「だって職場だし!」
「この前お邪魔した時、家でも課長って呼んでたわよね?」
あわあわと言葉にならない声を出す美咲を、佐和は微笑んで見つめる。
まったく可愛いんだから。
いつの間にか話を変えられたことに、まったく気付いていない美咲。
課長を名前で呼ばない言い訳を、懸命に佐和に訴える。
そんな美咲を見ながら脳裏に浮かぶ甘ったるい笑顔に、佐和は内心ため息をついた。