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加奈子のみ知る (お礼SS)

佐和 加奈子(二十七歳)

秘書課所属 会長専属秘書


「猶予は皆無」十四話目と十五話目の間、柿沼が屋上を出た後階段を上ってきた佐和と会った時。

佐和視点の話





「それでは一時間ほど休憩に行ってまいりますので、こちらの書類決済と新規部署の書類を確認しておいてください」

本社ビル六階、廊下の一番奥。

会長室は、そこにあった。


ドアを開けると受付を兼ねた応接セットがあり、右横のドアの向こうに一部屋。

向かいにあるこれまたドアをくぐると、二面ガラス張りの会長のいる部屋となる。



他に、社長室・役員室がいくつか、給湯室と会議室。

そして一番手前に、佐和が所属している秘書課がある。


とは言っても、未だ実権を握っている会長の秘書である佐和は、会長室の中の区切られた一室を勤務部屋として与えられていた。



会長は、そう呼ばれるにはまだ若い五十代前半の柘植 匠。

自分の弟に社長の座を早々に引渡して、会長に退いた。

しかしまだ引き継いで時間が経っていないこともあって、重要案件や対外的なものはほとんど会長が手掛けていた。


社長は、二年間の猶予の元、神奈川支社で実力をつけるために奮闘している。


目の前の座り心地のよさそうな椅子に腰掛けた柘植会長は、頬杖をついて恨めしそうに佐和を見上げた。

「佐和くんは、どうしてそんなに有能なの?」

子供っぽい声音でがっかりしたような雰囲気を醸し出す柘植会長を、佐和は冷たく微笑みながら見下ろす。

「お褒めに預かり光栄ですわ、柘植会長。秘書が有能なのは、仕える上司が有能だからです。まさかそんな方が、これくらいの仕事を放り投げるわけないですわよね?」


下手に出ている雰囲気だけれど、確実に上から目線の佐和に柘植会長は諦めたような視線を送った。


「分かってるよ、やっておけばいいんだろー。ったくどっちが上なのかわかりゃしない」


手元の書類を指で捲りながらぶつぶつと文句を言っていた柘植会長は、言葉もない佐和の冷笑にびくりと肩を震わせた。


「……佐和……くん?」


「分かっていただければ、それで。では、失礼いたしますね? ……私が戻るまでに終わらせてなかったら……」

「やっとくよ! 絶対終わらせるってば!」


佐和はにこりと微笑むと頭を下げて、会長室を後にした。



手元の腕時計は十三時少し前。

さっき美咲にはメールしておいたから、久しぶりに一緒にご飯が食べれそう。




ここずっと、美咲にとってあまりいい日常じゃなかった。

本当は出来るだけ一緒にいたかったけれど、会長秘書である佐和のスケジュールは会長以上にハードで。

年明けてから昼ごはんを一緒に食べるのは、片手で数えるくらい。


「まぁ、私が無理してもあの娘は嫌がるだろうし」


手に持った昼ごはんを揺らしながら、屋上に繋がる階段を上り始めて佐和はふと足を止めた。



上から降りてくる、パンプスの音。

紺の制服。茶色の巻き髪。


この会社で、一番会いたくない……いや、一番会いたかったのかもしれない、柿沼がそこにいた。


佐和の表情に、微笑が浮かぶ。


柿沼は止めた足を動かして数段下りてくると、佐和の前で止まった。


「佐和先輩、どうも」

「柿沼さん、お疲れ様」


挨拶だけなら分かるけれど、佐和は柿沼が目の前で立ち止まっているのを内心怪訝そうに見ていた。

何も、用はないけれど。


柿沼は皮肉げに口端をあげると、お世話になりました、と頭を下げた。

それで思い出す。

今日は、柿沼の最終出勤日。


美咲のことがあってすぐに、柿沼は退職届を出した。

それは総務の磯谷を通じて事務課部長を経由し、すぐに受理された。

内情を知っている磯谷が、“一身上の都合”という理由での退職をなんの追求もなく受け取ったからだ。



佐和は微笑を湛えたまま、軽く頭を下げた。

「そう、お疲れ様」


別に、仲がいいわけではない。

贈る言葉も、何もない。


柿沼は佐和の態度を別に気にすることもなく、その口を開いた。

「久我先輩にも、今、挨拶してきたんですよ」


……いけない

思わず、視線を強くしてしまいそうになって止める。


「……そう」


そのまま階段を上がろうとした佐和を、柿沼が呼び止める。


「まだ、久我先輩は皆に甘やかされているんですね」

佐和は何も答えず、そのまま柿沼の横を通り過ぎた。

柿沼はそんな佐和をじっと目で追いながら通り抜けたその時、もう一度口を開いた。

「甘やかしすぎです。久我先輩の為にならない」


――面白いことを、言うわね……


かつて美咲を苛めていた中心人物である柿沼から言われたことが何かおかしく、佐和は足を止めた。

ただ、何も言わず顔を傾けて、視線だけ柿沼に向ける。


「皆で久我先輩を守り続けて、どうするんですか? 一生面倒を見るわけでもないでしょうに、このままだといつまでも弱いまま生きていくことになりますよ」


あぁ、そのこと……

表情には出さず、ただ一つ、瞬きをする。


それならば、気付いてる。

企画課を見ていると、そう、思う。


全てで美咲を守ろうとする瑞貴くん、傍にいたいと願う加倉井課長。

まるで妹のように可愛がる、斉藤先輩、間宮先輩。

それに真崎まで加えたら、本当に大切に思ってる人達に美咲は囲まれてる。


美咲が一生懸命だから。

心の中で何かに耐えていても、懸命に明るく生きていこうとするその性格に……彼女自身に惹かれたから。

どこか斜に構えていた私でさえ。


だから、守りたい。

本当は、きっと弱い心を持った美咲を。


ただ……、守りすぎは甘やかしに繋がる。

それでいいのか、ふと考えることはあっても……それを流してきてしまったことは否めない。



「何があったかは知りません、ただ何かがあったことは分かります。久我先輩を見ていれば。あんな状態で、心配するなって言う方がおかしいですよね?」


「あなたは、どうしたいの?」


佐和は、静かに言葉を紡ぐ。


「私にそれを言って、何がしたいの?」


柿沼は視線を床に落とし、キュッと唇をかみ締めた。

胸元で揺れる巻き髪が、俯く表情を隠す。


「私は、久我先輩が嫌いです。今でも許して欲しいなんて思わない」


肩先が震えていたから泣いているのかと思ったら、しばらくして上げたその頬に涙の跡はなかった。


「でも、久我先輩がいつまでたってもあのままじゃ、……哲弘先輩が……自由になれない……」


好きな男の為に、この娘は私に訴えているの?


「久我先輩に悪いことをしたなんて思っていないけど、哲弘先輩を悲しませたのは後悔してもし足りない」


好きな男の為に、この娘は私に訴えているの。


「もう二度とお会いしません。……久我先輩の周りにいる方で一番冷静な佐和先輩だから……お願いします――」

じっと見上げる柿沼の目を、冷たく見下ろす。


「久我先輩を、助けてあげてください」

「美咲を、助ける?」

矛盾、してない? それ


甘やかすなといっておいて、助ける――


柿沼は小さく頷くと、無意識に私の袖を掴んだ。


「甘やかすんじゃなくて、本当の意味で」


「あなたは、それを望むの?」


柿沼は、初めて少し笑みを浮かべた。


「それが、哲弘先輩のためだと思うから……」

「……その気持ちは、本物なのね」

ただの、ミーハーな感情かと思っていたわ。

「もう、話しても貰えませんが、自業自得ですし」

そこまで言って、私の袖を掴んでいたことに気づいて慌てて手を離す。


「あの、……私はこれで。失礼します」



そう言って頭を下げた後、階段を降りていく柿沼を見つめる。


この娘のしたことは、許されることじゃない。

それでも、瑞貴を思う気持ちはちゃんとしたものだったのかもしれない。


「元気で」


それだけ呟くと、柿沼の返事を聞くこともなく屋上にでた。




案の定、精神的に追い詰められたような美咲が屋上にいた。

話をずっと聞いて、だんだん感情が昂ぶってきた美咲が言った言葉。


「ここから、消えてしまいたい」


それを聞いた時――


これを叶えるのは自分の役目だ。


佐和は、静かに心を決めた。



美咲が思う通りの道を、用意してあげよう。

美咲の望みを、叶えてあげよう。



未来は、自分で掴むもの。


用意してあげたその道の前に立った時、美咲は何を想う?



「美咲の望み、私が叶えてあげる」



その代わり、私は動くわよ。

美咲が、幸せになれるように。

逃げ出そうとしている美咲に逃げ道を用意しながら、……最善の方法を探す……



最善の方法っていうか――



美咲の背中を撫でながら、佐和は内心微笑んだ。


あの腑外もない男共の背中を、蹴り飛ばそうかしら?

好きならば、繋ぎ止めなさい。

格好なんてつけてないで。


佐和は強い決意を胸に秘めて、美咲に見えないところで寂しそうな笑みを浮かべた。



ねぇ、美咲。



あなたが幸せになるなら、友達として私は行動する


もしかしたら、恨まれるかもしれない


怒鳴られるかもしれない




でも――



……美咲が笑ってくれるなら、私はそれでいい――






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