それは、デートですか? ・13
亨は小太郎を腕に抱いたまま、美咲が走り去った後を追いかけた。
って、早いな美咲さん。
高校時代、吹奏楽部という決して体育会系ではない部活に所属していたが、亨は自他共に認める俊足。
ただ、サックスが吹きたかったという理由で、中学から吹奏楽部に所属していた。
その亨が小太郎を抱いて全力疾走するくらい、美咲は遠くまできていた。
亨の脳裏に、先月、瑞貴から聞いた話がふと浮かぶ。
――俺が原因で、昔からいろいろ女にちょっかい出されてたから
ちょっかいっていうか、苛められていたんだろうなとその時思った。
亨自身には覚えはないが、クラスで人気のあった友人の彼女は、よく女生徒に呼び出されていた。
その度に、友人が助けに行っていたけれど。
美咲の性格ならきっと助けを望まずに、呼び出される前に逃げるという選択肢を取りそうだから。
逃げ足は、速くなっただろうと察せられる。
上がった息を整えようと立ち止まって深呼吸を繰り返した時、腕から小太郎が逃げ出して茂みの中に飛び込んだ。
またか――
「――こーたーろーっ」
まるで田口達と遭遇した時と同じシチュエーションに、溜息を吐き出して仕方なくその後を追う。
また他の犬の飯に惹かれたとかだったら、昼飯抜きにしてやる!
大股で茂みに近づいて、その向こう側に身を乗り出すと。
「……亨、くん?」
膝に擦り寄る小太郎に手を伸ばす、美咲さんがそこにいた。
真っ赤に充血したその目から、涙が零れるのをつい見つめてしまった。
「美咲さん……」
呟く亨の声に、美咲は慌てて俯きながら手の甲で涙を拭く。
「また小太郎くんが逃げ出したの?」
そう笑い声を作る美咲の姿に、亨の眉間に皴が寄った。
こんな状態でも強がろうとする美咲に、胸が苦しくなる。
確かに、美咲も悪いと思う。
あんまりにも、天然。
男というものを、もう少し理解した方がいいと思う。
女よりも、嫉妬深い面があることを。
そしてそれを口に出す人間が少ないから、なかなか相手に伝えられない事を。
特に宗吾は年上だから、今までの美咲の状況を考えればいろいろ我慢してきた面があったのだろう。
そう、“いろいろ”。
まぁ男と女が好きで付き合うわけだから、その延長線上に“それ”はあるわけで。
気付いてあげればいいのにと思うけど、なんせ美咲さん。
二十年以上も傍にいた瑞貴の想いにも気付かない、天然の上に鈍い彼女。
ていうか、こんなこと周りで気付かせてやらなきゃとかって、どうかと思う。
“加倉井課長ってば欲求不満でイライラしてるだけだから、大丈夫ですよー。機嫌直して欲しいなら、美咲さん、とっとと喰われちゃってください。はあと^^”
……なんて、言えるか!!
自分で考えた言葉に、自ら突っ込み。
大体さっき真崎に言われたのも、ここまでじゃない。
美咲を宥めて、課長の下に行かせること。
しかも、課長の機嫌が直るようなアドバイスも必須。
その上、課長が何を望んでいるのか、それとなく伝える――
それとなくって、どれとなく!?
まぁ、これは出来ればっていわれたけど。
大体さ。
大体。
あえていうなら。
「邪魔したいくらいなんですけど」
「え?」
怪訝そうな言葉とその声に、亨は考えを口にしていた事に少し慌てた。
「あぁ……いえ、なんでもありませんよ。それよりも美咲さん、どうされたんですか? お一人で」
なんで一人でいるのかを知っている状態で聞くのも申し訳ないけれど、
尾行していたなんて言えないから知らぬ振り。
美咲は悲しそうに目を伏せて、なんとか口端だけを上げて微笑んだ。
「疲れてる課長を引っ張ってきたから、怒らせちゃったみたい」
――いや、そうじゃないですから
内心盛大に突っ込みを入れつつ、美咲の目の前にしゃがみこむ。
美咲は膝にじゃれ付く小太郎を、両手で撫でていて。
亨は年上なのにまるで妹のような感覚で、美咲を見つめた。
「怒らせたわけじゃ、ないと思いますよ?」
亨のその言葉に、美咲は一瞬息を呑んでそのままゆっくりと首を横に振る。
「亨くんは、優しいね」
……いや、だからそうじゃなくて……
力のない声に、思わず地面に腰を下ろす。
そう、美咲は天然で鈍い上に、頑固なのだ。
思い込んでしまうと、なかなかその考えから抜け出せない。
今の美咲の受け答えだと、まったくもって亨の言葉を信じていないのが分かりすぎるほどなのだ。
……どうしよっかなー
溜息しか出ないのは、仕方ないと思わない?
一度目を瞑ってゆるく息を吐き出す。
そのまま美咲さんを見ると、向こうも亨を見ていたのか丁度目があった。
「あのね、美咲さん。加倉井課長って、優しい人、なんでしょう?」
「え?」
あまり接した事はないから亨自身は知らないけれど、今までの過程を聞いていれば分かる。
無表情のあの下で、どれだけ美咲を大切に守ってきたか。
俺が抱く想いなんて、そんな強い気持ちの前では消え去るだろう。
脳裏に浮かぶのは、追い詰められていた美咲の姿。
二人だけで呑んだ夜の、取り付けた約束を。
諦めきった目で頷いた、消え入りそうな笑顔。
きっとあの約束は、最初から守るつもりはなかったのだろう。
後から瑞貴に話を聞いて、それは容易に想像できた。
あんな姿は、二度と見たくない。
「優しい、でしょう?」
強調するように亨が言うと、恥ずかしそうに頷く。
「うん……、分かりづらいけれど」
分かりづらいってことは、分かってるんだ。
言葉遊びのような思いつき。
それに、思わずくすりと笑みが零れる。
「亨くん」
亨の笑いに、非難の表情。
美咲の声に、いけないいけないと手のひらで口元を覆った。
「今日、無理やり引っ張ってきたわけじゃないんですよね? さっきの言い方だと」
「でも、誘ったのは私で」
「それに応えたのは、加倉井課長なんでしょう?」
亨の言葉に、美咲は小さく頷く。
「なら、美咲さんの言う“無理やりつれてきたから怒ってる”っていうのは、当てはまらないですよね」
「……それは、そう……だけど」
小太郎が座り込んでいる美咲の膝に前足を乗せて、じっと覗き込んでいる。
美咲は小太郎の背を、ゆっくりと撫ぜていて。
「男ってね、女の人が思うより繊細なところあったりするんですよ?」
「……繊細?」
それに頷いて、小太郎に手を伸ばす。
その柔らかい腹に手のひらをまわして、美咲の膝から取り上げた。
「例えば、小太郎にさえ嫉妬しちゃうくらいにね」
まさか、俺に牽制してましたよ、なんて言えないから。
そのまま自分の腕の中に抱き込んで、美咲を見る。
少なくとも、俺は只今絶賛嫉妬中ですよ。膝に擦り寄りやがった小太郎に。
……という言葉は、心の中だけにしておこう。
「でも、課長は――」
「悪いが嫉妬深いんだ、覚悟しておけ」
おぉ、面白いくらいに目が大きくなりますねー、美咲さん。
「……でしたっけ?」
ちゃかすように笑うと、見る間に真っ赤に変わっていく美咲の顔。
「そ……、それ。なんで」
「企業秘密です」
って言っても、哲弘から聞いたのばればれだろうけど(笑
「美咲さん、ちゃんと課長に思っていることを伝えた方がいいですよ。
本当は課長こそに言いたいんですけれど、俺にそんな度胸ないんで。美咲さんから、伝えてください」
亨のその言葉に、真っ赤な顔がくしゃりと笑顔を作った。
うーわー、可愛いーんですけど。
年上だけど、頭撫でてイイデスカ?
「そうだね、うん。自己完結するの、私の悪い癖だよね」
美咲さんはそう言うと、手を伸ばして亨の頭をゆっくりと撫でる。
「ふふ、私はいい弟を持った」
にこりと笑うその顔に、亨の胸がちくりと痛む。
けれどそれに気づかない振りをして、亨は満面の笑みを浮かべた。
「それでこそ、美咲さんですよ。仲良くしてくださいね、課長と」
美咲はその言葉に恥ずかしそうに頷くと、立ち上がってスカートについた土を払う。
「ありがとう、亨くん」
いつもに戻った美咲に、亨は“いいえ”と答える。
「今度何か奢ってくださいよ」
にやりと笑ったら、美咲は“調子いいんだから”と笑いながら頷いてそのまま走り出した。
加倉井課長の、もとへ
亨は走っていく美咲の後姿を見送りながら、小太郎を腕に抱えなおす。
「最初っから、弟、だもんなぁ」
思い出したようにちくりと痛みを訴える胸を、小太郎越しに押さえつけた。
最初っから、分かってた事だし。
恋愛感情まで膨らんでいたか分からない、最初から諦めていた気持ちだから。
哲弘と課長に挟まれた美咲に、“弟”と思ってもらえただけでも上々かな。
自分の立場に黄昏ていた亨は、黒いオーラを纏う”奴”が近づいてきているのにまったく気付かなかった。
「……へぇ? お前まで、美咲狙いだとは知らなかった」
「……あれ?」
胡乱げな言葉と、肩にのるずっしりとした重み。
想像はついたけど、視線だけ横に向けて肩にのる腕の反対側を見る。
なんか、俺ばっか面倒な目にあってる気がするけど。
内心溜息を盛大に吐き出しながら、視線を空に向けて苦笑する。
「――哲弘、奇遇だね」
亨の肩に顎をのせて、胡乱げな視線をよこす瑞貴がそこにいた。