それは、デートですか? ・10
side-柿沼
二人は集団から離れ、散策路から少し入った場所で柿沼が腕に触れていた手を離した。
そのまま深く頭を下げる。
「先輩、勝手な事をしてすみませんでした。私は、これで」
そう言って踵を返す柿沼の腕を、慌てて掴む。
「柿沼っ」
引き止められた柿沼は、驚いたように目を見開いて哲弘を見上げた。
「――助かった」
その言葉に、更に目が見開かれる。
そしてすぐに顔を俯けた。
「……いえ――」
言葉を貰えると思わなかった柿沼は、苦しくなってきた胸の上の服を無意識に握り締める。
「お前、どうしてここに?」
怪訝そうな何かを探るような瑞貴の声に、柿沼は唇をかんだ。
そう思われても仕方ない事を、私はこの人にしてしまった。
だから小さく息を吐いて、首を振った。
「今の会社の人と、来ているんです」
さっきまで一緒にいた上司の姿が、脳裏に浮かぶ。
「失礼します」
早く、消えよう。
これ以上、惨めになりたくない。
「柿沼、お前――」
歩き出そうとする柿沼を、瑞貴は呼び止めた。
引かれた腕をその手から引き抜いて、目を瞑る。
「何も。何も、望んでいません」
何かを期待して、こんなことしたわけじゃない。
許されたくて、したわけじゃない。
あの時の私を、許して欲しいなんて……そんな事、望める立場じゃない。
瑞貴は俯いたまま何も言わない柿沼を、じっと見下ろす。
少し前の、自信家で気の強い柿沼は、目の前の彼女から感じられなかった。
美咲を傷つけた柿沼を、今でも許す気持ちは無い。
けれど、課長と美咲から教えてもらった。
話し合う、歩み寄る、理解しようとする、その努力。
俺は柿沼を遠ざけようとするだけで、何も話を聞こうともしなかった。
その憤懣が、結果的に美咲へと向かってしまったのだから。
「ホント、に?」
お前は、何を考えている?
瑞貴の言葉は、柿沼の胸に、広がる。
初めて、向き合ってもらえた。
初めて、言葉を聞いてもらえた。
嬉しさと、“心”の中に沈み溜まっていた澱が綺麗に消えていくような感覚。
だから。
だから――
柿沼は俯けていた顔を上げて、瑞貴を見た。
複雑な表情の、その顔を。
だから、望んでも?――
「私を、許さないでください」
瑞貴はそう言い放つ柿沼を、じっと見つめた。
「――もともと、許すつもりは無いよ」
その言葉に、瞼にうっすらと涙が溜まる。
これが、哲弘先輩。
久我先輩が、一番の。
柿沼は小さく息を吐いて、踵を返した。
「――失礼します」
もう、柿沼を引き止める腕は、無かった。
黙々と歩き続けて、いつの間にか駐車場に立っていた。
目の前には、車に寄りかかって向こうを見たまま珈琲の缶を手にもつ、上司の姿。
手の中の缶は、二つ。
どちらも開けていないのか、持ったまま向こうを見つめている。
このまま、この人のもとに行ってもいいのか。
ただのお礼と言ってたけれど、そんなのが建前な事くらい柿沼にも分かっている。
目に浮かぶ、美咲の呆然と涙を流す姿。
あんな事をした自分が、幸せになろうとして、いいわけが無い――
逡巡したまま立ち尽くしている柿沼の気配に気付いたのか、上司がこちらに振り返った。
「柿沼さん」
優しく微笑むその表情に、いつの間にか頬を涙が滑り落ちていた。
上司は慌てもせずにゆっくりと近づくと、指先で涙をすくい上げる。
「泣きたいのなら、我慢せずに」
頬に当たる、温もり。
寂しくて切なくて、悲しさで満たされている心が、目の前の人へと助けを求めてしまう。
「……私は、卑怯者です」
「うん?」
思わず出た言葉に、自分のしたことが口をつく。
最低な、自分。
思うままに、瑞貴を求めた。
「――だから、私は幸せになれません。いえ、なるべきじゃないんです。最低な、人間です」
車の中に促されて、そこで全てを伝えた。
最低で、最悪な過去の自分を。
いや、今でさえ最低な自分を。
上司は何も言わずに聞いてくれていたけれど、瑞貴と交わしてきた会話にだけ口を挟んだ。
「許して、欲しくなかったの?」
一番、聞かれたくなかった言葉。
「――許して、欲しくなかったんです……」
「……それだけ?」
聞き返される言葉に、思わず息を詰める。
「……許されなければ、私の存在が消える事はないと、そう思いました。……最低ですよね、私」
愛情よりも、憎しみの方が勝る感情だと、思う。
許されて、忘れ去られたくなかった。
過去に、して欲しくなかった。
じっと、柿沼は手の中の缶珈琲を見つめる。
何を言われるか分からないけれど、冷たく、非難される言葉が上司から告げられるのは確実だから。
身を硬くして、それを待つ。
けれど――
「それだけ、その人のことを、あなたは想っていたんだね」
「え……?」
返って来たのは、とても優しい言葉だった。
思わず見上げた上司の表情は、とても穏やかで。
「やり方は、間違っていると思う。傷つけた方には、とても申し訳ないことをしたと思う。わかっているよね?」
止まっていた涙が、目じりを歪めていく。
「でも、その想いは綺麗なものだったはずだよ。何があったとしても、全てはそこから始まるはずだろう?」
――だから
「幸せになるべきじゃないなんて、言ってはダメだよ」
そんな言葉が、来ると思わなかった。
柿沼は小さく、首を横に振る。
「でも、最低な事をした私は――」
「なら、あなたはまた人を不幸にするの?」
――人を、不幸、に? ……また?
意味を掴む事ができなくて困惑した視線を向ける柿沼に、上司の視線が注がれる。
「あなたがそのままじゃ、僕はずっと不幸のままだ」
そう優しく微笑む上司に、柿沼は涙を止めることができなかった。
すみません、大分蛇足になりました。
柿沼のその後ー、てな感じです。
次回から、視点は美咲たちに戻ります。
ちょっと遠回り、失礼しました^^