それは、デートですか? ・8
Side-柿沼
まさか、と思った。
たまたま、転職先の上司に声を掛けられて、たまたま映画に行く途中で、たまたま時間調整に訪れた公園だった。
上司と歩いていたら、目の前に面白い光景。
女の集団の中心に、男の頭がぽっかりと抜き出ている。
「凄いね、柿沼さん。羨ましいというべきか、怖いというべきか」
隣を歩く上司の男性の言葉に、思わず過去を思い出す。
少し懐かしい目をした私に、彼は口元を上げて微笑む。
「何を思い出しているの? なんだか、寂しそうな表情だね」
「……」
少し目を見開くと、優しく笑う口元が寂しそうになっていくのが分かる。
今の会社に転職した頃、柿沼は精神的に追い詰められた状態だった。
前の会社は美咲と人事の上司のおかげで、苛めの加害者という理由ではなく、一身上の都合といういたってありきたりな理由で退職する事ができた。
それでもプライドを崩されていた柿沼の精神的ダメージは、自業自得とは言え大きいものだった。
転職後も今までとそう変わらない庶務業務を担当する事になりほっとしていた柿沼だったが、時期が時期だっただけに業務に忙殺されて職場の同僚はあまり仕事を教えてくれなかった。
いや、教えたかったのだがどうしても時間が取れなかったのだ。
そこに名乗りを上げたのが、今隣にいる上司の男性だった。
総務担当の彼が柿沼に対するあまりの放置さ加減に、期間限定で総務の手伝いに引っ張ってくれた。
もとの会社で総務を担当していた柿沼にとっては、天の助けにも等しかった。
総務で年末年始を過ごした後、庶務課の同僚に謝られながら柿沼は元の職務に戻った。
それから何回かこの男性に食事に誘われていたが哲弘の事もあり、なかなか頭をたてに振ることができずにいたのだ。
でも、今回はなぜか頷いてしまった。
もう何ヶ月も誘ってくれているのに申し訳なさも感じていたし、ただ映画に行くだけだと、年末のお礼だとそう彼に言われたのもあった。
「柿沼さん?」
思わず思考の波に沈んでいた柿沼は、自分を呼ぶ声にはっと顔を上げた。
そこには、優しい彼の笑顔。
「何でも、ないです」
それに答えながら、胸が痛くなる。
悲しそうに涙を流す、久我先輩の顔が脳裏に浮かぶ。
恐ろしいほど暝い表情の、哲弘先輩も。
そして周りを守る、人たちの顔。
あんな思いをさせてしまった私が、こんなに早く人を好きになるなんてあってはいけない。
惹かれていく気持ちが、無いとは、言えないけれど――
目を一度瞑って、息をゆるく吐き出す。
そうしてもう一度、前を行く集団に視線を移した時だった。
「……哲弘先輩……?」
柿沼の目に、信じられない人が映りこんだ。
もう、二度と会うこともないと思った人。
会いたくても、会ってはいけないと思った人。
声を掛けたくて、その顔が見たくて、何度も前の会社の近くまで行った。
その度に、諦めて帰った。
もう、あの人達の中に、私は存在してはいけない、そう思って。
「――柿沼さん、僕は先に車に戻っています。なんだか、喉が渇いてしまいました」
「……あ」
哲弘先輩を見る、私に気付かれてしまった。
私の、心の中の“何か”に。
思わず見上げると、彼は優しく笑う。
「無理につれてきてしまって、ごめんね?」
それだけ言うと、もと来た道を戻っていった。
その後姿が、歪む。
後輩なのに、年下なのに、敬語を使って優しく話しかけてくれる、あの人を。
……傷つけてしまった。
私なんかに、あんなに優しくしてくれる。
目の縁に溜まり始めた涙を、指先で拭い去る。
そして、足を踏み出した。