【第6章】迷子(1)
この章では、死の描写が出てきます。苦手な方は注意して下さい。
僕は、母が死んだ時のことを覚えている。
遊園地で迷子になった時の思い出だ。
それまで楽しかった景色が、一瞬で恐怖に変わった。確か、まだ幼稚園の年中くらいだったと思う。その時の記憶が、生々しく僕の中に残っている。
あの日、春の風が暖かみを増していく季節。
母は突然「遊園地に行こう」と言い出した。幼稚園に行く日の晴れた朝だった。
僕は大喜びで母と二人で出掛けた。
遺影の母は、笑顔でふっくらしているのに、僕の記憶では痩せ細り、やつれているような印象があった。
海の近くにある遊園地は、いつもはたくさんの人で、ごった返しているのに、平日は驚くほど人が少なかった。アトラクションも並ばないで乗れる。キャラクター達が集って行進していくパレードも、一番前で見られる。
僕は、楽しくて仕方がなかった。
繋いだ母の手を引っ張りながら、遊園地をまわった。
大きなメリーゴーラウンドの前で、僕は立ち止まった。回っていくメリーゴーラウンドは、装飾された飾りがキラキラ光って、まるで夢の世界のように見えた。綺麗な馬車や、いろんな色の馬たちが上下に動いている。
僕は、それに乗りたかった。
母にねだると「乗っておいで」と言って、手を離した。母は外から見ているという。
僕は「分かった」と言い、メリーゴーラウンドの入口まで走った。
たくさんの馬の中から、白い馬を選んで乗ってみた。
思っていたよりも硬いことに少し驚いたけれど、馬に刺さっている棒を両手で持つと、音楽が鳴り始めて、メリーゴーラウンドは回り出した。
本当に夢のようだった。
僕は一人で乗っていたけれど、全然怖くなかった。
外から見ている母に笑顔で手を振った。母も静かに笑い、手を振っていた。
そこで見た姿が、母の最後だった。
メリーゴーラウンドから下りて、出口を抜けると、どこにも母の姿はなかった。
僕は戸惑いながら、メリーゴーラウンドの周りを一周した。それでも、母はいない。
楽しかったはずの遊園地の景色が、一瞬で恐怖に変わった。僕は、必死になって母を探した。
「お母さん、どこに行ったの」
遊園地中を走って探すけれど、見つからない。
走り疲れた僕は、ゴミ箱の隣の空いているスペースに泣きながらうずくまった。
しばらくすると、清掃員のスタッフが僕を見つけて、施設内の迷子センターまで連れて行ってくれた。
迷子センターのスタッフの若いお姉さんは、泣いている僕をなだめて、名前を聞いた。
「桐山悠介」
お姉さんは名前をメモして、僕を部屋の奥にある子供用の椅子に座らせた。
隣にも、いくつか同じ椅子が置かれていたけれど、誰も座っていない。
今、迷子になっているのは、僕一人だけだった。
お姉さんは、入口近くにある機械が置かれた場所に行き、マイクに向かって、僕の名前をアナウンスした。
母に呼びかけているのが分かった。
そして、長い時間が過ぎた。
これが永遠に続くような気がした。
結局、母は迎えに来なかった。夜になり、父親が僕を迎えにきてくれた。
母は遊園地の近くの海に飛び込んだという。
原因は分からないが、鬱だったのではないかと言われていた。
母の死の前と後では、何もかも世界が変わってしまった。それまであった穏やかな景色が、どこを探してもない。
あの日、僕は母の異変に気づけなかった。
あの日、遊園地に行くことを拒めば、母は死ななかったかもしれない。
あの日、ただ無邪気に遊んでいた自分が憎らしくて、後悔せずにはいられない。
あの日、メリーゴーラウンドから手を振って別れたのは母だったけれど、それは僕自身の死も意味していたように思う。
それから、僕は変わった。
強くなりたかったから、変わらなきゃいけなかった。
小学校に入学して、すぐに友達を作った。
勉強に励んで成績は良く、スポーツもできた僕は、学校の人気者になった。
女子からもモテたし、明るくて、よく笑い、声がデカいと注意された。
中学校、高校もそんな感じで過ごした。
そして、いつしか美容師になりたい夢を持った。
高校1年生の夏休み。
当時から派手な服を好んで着ていた僕は、ファッションに興味を持って、お洒落を楽しんでいた。
夏休みの間、髪を染めたいと思い、近所の散髪屋ではなく、都内の美容院に行った。
担当してくれた男性の美容師さんは、気さくに話しかけてくれる人で、僕の要望を真剣に聞いてくれた。
僕は、本当はギラギラした金髪にしたかったけれど、その人は落ち着いた茶髪にしようと提案した。
カラーリングしてみると、それは僕によく似合っていた。カットもしてもらい、僕は自分でもかっこいいと思える姿になった。自分のことを好きになれた気がした。
それから、僕はその美容院に通うようになった。その時間や空間に居心地の良さを感じたからだ。
現実に疲れた心が、安心して自分を大切にしようと思える場所。
カットやカラーリングをして、綺麗になるのは見た目だけではなかった。
心をしっかり充電して、自分を取り戻す。そして、また新しい気持ちで日常に戻っていく。
美容院はその勇気とエネルギーをくれた。
いつしか自分も美容師になることを夢見るようになり、高校卒業後は専門学校に入学して、ひたすら技術を磨いた。
その努力の甲斐あって、都内の有名店に就職できた。僕は、そこでも人気美容師になった。
何もかも上手くいっていた。
僕は自分の人生に満足していた。
母の死の傷が癒やされた訳ではないが、あれから20年以上の月日が経った。
僕はもう大人になり、乗り越えられている。
こうして美容師という夢を叶えて、人が綺麗になって喜んでくれる、その手伝いができる仕事にやりがいを感じている。
これからも、この人生を歩んでいく。楽しくて、明るい、活気のある毎日を。
そのはずだった。彼女に出会うまでは……。




