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まいご  作者: 高橋花菜子
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【第3章】熱中症

  それから、月に一度その美容院に通うことになった。

 カラーリングした髪は、しばらくするとすぐに根元から黒い毛が生えてくる。


 しかし、美容院に行く理由はそれだけではなかった。


 私はいつも予約せずに、飛び込みで店に入った。

 人気店なので予約がいっぱいで断られるか、または最後の時間が空くことがあるので、気の遠くなるほどの時間を待つか、どちらかだった。


 私は、迷わず待つ方を選んだ。


 そして、いつも入口近くの一人席ソファに座って、呼ばれるまでぼんやりと店内を眺めるのだった。


 お客さんの大半は女性だ。

 その人たちが、カットやカラーリングでどんどん綺麗になっていく様子を、ソファから眺めるのは嫌じゃなかった。


 その何かを考えているような、考えていないような時間が、私にはとても心地良かった。

 今までのこと、これからのこと、自分のこと、仕事のこと、不安、後悔、そして希望について……。私は想いを巡らせた。

 

 ぼんやりしている私の目は、いつの間にか彼を追っていた。


 彼は確かに目立っていた。

 いつも派手な服を着ていて、笑顔で接客をしている。

 いろんな美容師さんがいる中で、きっと人気なのだろう。女性客も彼にカットしてもらっている時は嬉しそうだった。


 そして、腕も良かった。

 傍から見ていても、その人に合った髪型に仕上げていく。決して派手でも控えめでもない。その人の魅力を引き出すような髪型。


 私の担当は店長さんにしていたので、彼に髪を切ってもらうことはなかったけれど、私はそれをずっと眺めていた。



 私がアイドルを卒業したのは、6月だった。

 総勢20名ほどのグループ。アイドル界では少しずつ人気になりつつあったけれど、テレビ出演はなく、まだまだ無名に等しかった。

 

 私の在籍期間は、5年間。研究生期間を含めると、7年間だ。ただ、ひたすらに無我夢中で走り抜けた年月。卒業後のことなんて考える余裕もなかった。

 

 グループのみんながライバルで、少しでも人気になれるようにダンスや歌の技術を磨くのはもちろんのこと、トーク力を鍛えたり、ファンの人達との接し方などを研究したり、そんな実践と失敗の繰り返しだった。


 ダイエットにも励んで、食べては吐く摂食障害にもなった。

 グループ内の女性同士の複雑な人間関係にも悩んだりした。



 高校を卒業してからは、進学はせずに仕事を始めた。


 同じように東京に住んでいる姉の友達が、洋食レストランを経営していて、ホールスタッフを探していた。

 私は紹介してもらい、そこで働かせてもらってきた。今では正社員として新人の指導にもあたっている。

 

 仕事場の皆さんは優しく、私がアイドルをしていることを知っても応援してくれた。

 アイドルを辞めたあとも、こうして働かせてもらえるのは本当に有り難い。感謝しても仕切れないくらいだった。


-----


 季節は、夏と冬の二季になろうとしているのか。


 月に一度、美容院に行く日。

 

 その日の予報では気温が低いと言っていたので、長袖を着てきたけれど、それが間違いだった。


 真夏のうだるような暑さだ。

 襟元に小さな花が刺繍されているカットソーは生地が厚く、汗でじんわりと濡れている。ロングスカートにパンプスを履いてきたけれど、呼吸をすると熱気が体の中に入ってくる。

 

 日差しの強い太陽を日傘で隠しながら、駅から美容院までの道を歩く。

 そんなに遠くないはずなのに、この暑さでは15分歩いたら熱中症に注意しなければならない。


 美容院に着くと、何と臨時休業だった。

 いつも予約せず飛び込みで入っていたので、私は店が休みかどうかを調べていなかった。

 

 ああ、また駅まで戻らないといけない……。


 どこか休めるところはないかと、辺りを見回している時だった。


 突然、店の扉が開いた。

 扉の前にいた私は、それにぶつかってしまった。


「わっ!」


 その場に尻もちをついた。持っていた日傘が手から離れ、地面に転がる。


「大丈夫ですか」


 扉から出てきたのは、彼だった。

 慌ててしゃがみ、私に声をかける。


「すみません、気がつかなくて」


 彼が申し訳なさそうに謝る。

 

「いえ、こちらこそ、すみま……」


 立ち上がろうとした時、急にめまいがした。

 やばい、熱中症だ。

 

「怪我とかしていませんか?」


 心配している彼に「いえ、大丈夫……」と答える。

 大量に汗をかき、顔が火照って、具合悪そうにしている私の異変に、彼は気づいたようだった。


「中に入って、休んで下さい」


 優しく私を起こして腕を持ち、体を支えながら店の中に入る。

 

 店の中は冷房が利いていて、その涼しさに体が喜ぶのを感じる。

 砂漠の中で見つけた、オアシスに飛び込むような気持ちだった。


 彼は入口近くにある一人用ソファに、私を座らせる。いつも、私が待ち時間に座っている椅子だ。

 

「何か、冷たい飲み物買ってきますね」


 そう言うと、彼は走って店を出て行った。

 

 飲み物は持っていたが、家から持ってきたそれは既にぬるくなっていた。


 しばらく座っていると、少しずつめまいは治まり、視界がはっきりしてきた。

 店内を見回すと薄暗い。

 臨時休業ということで、窓は全てブラインドが閉まっている。

 誰もおらず、いつも明るく活気のある雰囲気とは違う。私は、学校の放課後の教室に一人でいるような寂しさを感じた。


 なぜ休みなのに彼はここにいたのだろう? 何かやることでもあったのかな?

 喋ったのは、あのカウンターで支払いをしてもらった時以来だ。


 彼は帰ってくると、どうぞと言って、ノンカフェインの冷たい麦茶を手渡してくれた。

 

「ありがとうございます」


弱々しくお礼を言い、麦茶を飲む。

 

 ああ、冷たい。

 体の中に冷えた麦茶が流れ込んでいくのが分かる。生き返るとは、このことだと思った。

 

「今日は店は休みなので、しばらく休んでいていいですよ」


 と、彼が言う。


 私は、また弱々しくお礼を言って、気分が良くなるまで、そこで休ませてもらうことにした。

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