【第2章】美容院
髪をボブヘアーにして、前髪を分けたのは最近のことだ。
ロングヘアーの真っ黒な髪のぱっつん前髪だった私がカットをして、カラーリングで明るいベージュ色にすると、今までとは違う。ずいぶん大人っぽい雰囲気になった。それまで持っていた可愛さ全開の服が似合わなくなるとは思ったけれど、もう構わない。
アイドル事務所を退所した、その日の帰り道。お洒落な店構えの美容院に、私は飛び込んだ。
梅雨の真っ只中の貴重な晴れ間。土曜日の午後だった。
高級感が漂う、焦茶色を基調にした店内は外観から想像していたより狭い。しかし、観葉植物が置かれ、外からの光が充分入るようになっていたので、とても明るい。
椅子は全部で4つ。そこには既に女性客が座っていた。
私は受付で、今日は予約でいっぱいであることを告げられた。あとか分かったことだが、その店は雑誌にも取り上げられ、芸能人も来るような人気店だった。
唯一、キャンセルが出て空いている時間は、夕方になると言われた。私は待つことにした。
どこかで時間を潰すのが嫌だったので、店内で待たせてもらうことにした。迷惑にならないように入口近くにある1人用ソファに座る。
結構な時間を待つことになったけれど、店内は美容院特有のシャンプーの香りがふわっと広がっていて、清潔な気持ちにさせてくれる。
それは私に、考えるだけの充分な時間をくれた。
「佐藤さん、お待たせしました」
夕方になり、日が陰ってきた頃にようやく呼ばれた。
担当してくれたのは40代くらいの女性で、その店の店長さんだった。要望を伝えると「かなりイメチェンですね」と驚いて、笑顔で対応してくれた。
長い髪にハサミが入る。まるで、手術で体にメスを入れられる気持ちだった。それまで、絶対だったものがバサバサと床に落ちていく。髪に神経は無いけれど、私は痛むかのように涙をこらえていた。
ああ、やっぱり未練があるのかな。
そんなことを考えたけれど、もう遅い。店長さんはいろいろ話しかけてくれたのに、私は曖昧な返事しかできなかった。
隣の席では、男性美容師さんが若い女性客と楽しそうに話をしている。大きな声の彼らの話に自然と耳が傾く。チラッと横目で鏡越しに見ると、その美容師さんは髪を金色に染め、派手な服を着て、笑顔でカットしていた。
それが、彼だった。
私たちは、あの日出会ったのだ。
彼は少し癖のある髪を、ふんわりと前に下ろしていた。グレーのオーバーサイズTシャツを着ていて、袖を肘まで捲っているが、そこには骸骨や筆記体の英字が荒々しく描かれている。ボトムは黒のスキニーパンツを穿いていて、腰には赤いチェックシャツを巻いていた。
「桐山くん、ちょっと声が大きいよ」
店長さんが、軽く注意をする。
「あ、すみません」
申し訳なさそうに、彼はぺこっと頭を下げた。
「悠介さんは、いつも元気だよね。どんな時に落ち込んだりするの?」
と、髪を切ってもらっていた女性客が聞く。
「僕、基本ストレス溜めない方なんで、落ち込んでも一瞬ですね」
桐山と呼ばれる美容師は、軽快に答える。
「本当、いいなあ。羨ましいよ」
二人の会話は続いていく。
素敵な笑顔、話し上手で、見た目もハンサム、個性的なファッション……。彼のような人が、きっとアイドルには向いているのだろうな。そんな風に思った。
私も決してコミュ障ではないし、人見知りでもないと思っていた。しかし、芸能界に入ると、内気で真面目な子と言われるようになった。
もっと積極的になろうとしたけれど、もとからコミュニケーション能力が抜群にあり、ファンの人たちとも親しくできて、心をつかんでいく仲間たちと比べると、それは難しいことだった。
そして、どんどん私は消極的になっていった。
ああ、思い出すと落ち込んでしまう。
彼のように一瞬で忘れられたらいいのに……。
ずいぶん襟足がスッキリした。スッと寒さを感じる。綺麗な仕上がりに、私は満足した。
支払いのために受付カウンターに行くと、店長さんは1本ハサミが見つからないと言い、座席のまわりを探していた。
代わりに彼がカウンターに来て、支払いを担当した。こうしてカウンター越しにいると、アイドルの握手会に並んだファンのような気分になる。
支払いを済ませると「ありがとうございました」と、彼がにこりと笑う。「雰囲気、ずいぶん変わりましたね」と言われ、私はうつむき頭だけを下げた。
荷物をもらうと、ハサミが見つかったのか、店長さんが扉の前で待っていた。
「また、いらして下さい」
そう言いながら扉を開け、私を見送った。
美容院を出ると、日が沈んだ空は夜になっていた。歩き始めると、つーっと一筋の涙が頬を伝った。梅雨の生暖かい風が、切り立ての髪を揺らしていた。




