【第13章】海
この章では、人が溺れる描写があります。苦手な方は、ご注意下さい。
もう、ずっと眠れていない。
僕は、真っ暗な部屋の窓際に布団を敷いて、横になっている。
カーテンは無いので、窓からは三日月が見える。まるで、僕を嘲笑うかのようだ。
長い間、不眠症に悩まされてきた。
病院に行って相談すれば、睡眠薬でも出してもらえるのかもしれない。
ただ、僕の場合は眠れないんじゃなくて、眠らないんだ。
ずっと、夜眠るのが怖い。
子供の頃、母が死んだ時から眠ることに恐怖を感じてきた。
仕事が終わると、僕はカフェに寄ってから家に帰る。
コーヒーを飲んで目を醒ますのだ。カフェインを摂らないと、寝てしまって悪夢を見る。
その度に、恐怖に怯えるのだ。
以前は、ずっと電気を点けて過ごしていた。
しかし、それでは体が休まらないので、せめて灯りだけは消している。
もう何年もまともに眠れたためしがない。眠れるのは、朝日が昇ってからだ。
1時間から、2時間くらい眠れたら良い方だ。
僕は月を見ながら、彼女のことを考えた。
彼女は、これまで自分のために頑張って生きてきたのだ。
僕はそれを良いこととして伝えたつもりだった。でも、考えてみれば厳しい言葉にも捉えられる。
彼女には悪いことをしてしまった。僕はいつも泣かせてばかりだ。
それでも羨ましかった。
他人の顔色ばかり見て、他人が喜ぶことを考えて、そのために生きてきた僕と、ちゃんと自分というものを持って、やりたいことを貫いてきた力強い彼女。
僕らは全然似ていない。
きっと、彼女は僕のことを変な人間だと思っているだろう。不気味で嫌がられているかもしれない。
それでも会いたくて、彼女の前では本当の自分でいようと思った。心がそれを求めているから……。
僕の目の前には、大きな海が広がっている。
太陽の光でキラキラと輝いて、とても綺麗だ。
砂浜には、海水浴に来た人たちで埋め尽くされている。
大人も子供も、みんなが楽しそうにはしゃいでいる。それを見て、僕も笑う。
ふと沖の方に目をやると、遠くで何かが動いている。
誰か溺れているのか。
お母さん……?
よく見えないけれど、母が溺れていると思った。
僕は走って海に入った。
母のもとに行きたいのに、波がそれを邪魔する。前に進みたいのに、どんどん足が重たくなっていく。
早くしないと、お母さんが死んじゃう。
助けないと、僕が助けないと。
しかし、どんなに足に力を入れても、前に進めない。
ずっと、そんなことを繰り返しているうちに夜になった。
遠くで溺れていた人が沈んでいく。
大声で叫ぼうとするけど、今度は声が出ない。
やがて、海はネバネバした液体に変わり、僕の体にまとわりついていく。
そうして、海の底へと引きづりこんでいった。
お母さん……!
大声で叫んだ僕は目を覚ました。
いつの間にか寝てしまっていたのだ。多分、眠ったのは数分だったと思う。
それなのに、体中が汗でびっしょりと濡れている。呼吸は荒く、肌の表面には鳥肌が立ち、まだ夢の中の感情が残っている。
僕は額の汗を拭った。
いつもだ。いつもこんな夢を見る。
窓の外には、相変わらず月がこちらを向いている。
時間が経つにつれ、ゆっくり夢から現実に戻っていく。
呼吸が整ってくると、僕は嫌気が差してきた。
だから、寝るのは嫌なんだ。
気怠さと恐ろしさが体を支配していた。




