ホテル
「このホテルかー、今度は何も壊さないように気を付けよう!」
ホーディがやってきたのは大通りに面している五階建ての大きなホテルであった。
アトゥカーラファミリーが運営しているホテルはその外装も内装も洗礼されており高級感が漂っていた。ホテルの中には大浴場、カジノ、レストランが入っており、一日中ホテルの中で過ごせる作りになっている。
勿論マフィアが運営しているホテルの為、その建設資金は違法な物である。しかし出所が分からない以上、国も厳しく追求出来ず建設自体は違法性が無く手出しができなかった。
そんな違法な資金で作ったであろう最高級のホテルは連日金持ちの旅行者が訪れていた。
中にはマフィアが運営していると知っている者もいるがそれでも泊まりに来るほどの満足度であった。
ホーディは気品漂うホテルに臆する事なく正面玄関から堂々と入った。
「いらっしゃいませ。本日は宿泊ですか?」
ホーディの見た目はおよそこのホテルに泊まりに来る客とはかけ離れているがフロントは丁寧に対応した。
「仕事を紹介してもらって来ました!」
「そうでしたか。ではこちらへ」
元気なホーディに一瞬驚いたがフロントはホーディをバックヤードに案内した。
バックヤードも清掃が行き届いており、裏でも手を抜かない仕事への徹底ぶりが見てとれた。
ホーディを支配人の下へ送り届けるとフロントは一礼して帰っていった。
「ギルドの紹介で来ました!ホーディです!よろしくお願いします!」
ホーディは今日も元気に挨拶をした。
中年男性の支配人は他のスタッフに指示を出している途中だがそれを中断してホーディの方を見た。
「よろしく、私はこのホテルの支配人をしています。ここではまず新人は皆清掃からやってもらいます。働きぶりによっては少しずつ新しい仕事を覚えてもらいます」
「はい!頑張ります」
「とりあえず、お客様が使わない地下の通用路の掃除をお願いします。掃除道具は階段裏にあります。水は井戸があるのでそれを使って下さい」
「はい!頑張ります」
「私は少しここを離れるので終わったら近くにいる者に報告をして下さい」
「分かりました」
慌ただしく指示を出した支配人は忙しいのか直ぐにスタッフと話し始めてこの場から去っていった。
ホーディは支配人に言われた通り地下に行き掃除を始めた。井戸から水を汲みバケツに水を入れて雑巾で床をゴシゴシ拭いていく。
地上階と違い、地下の通路は薄汚れていてホーディは懸命に雑巾をかけた。
――やっぱり体を動かすのはいいな!
ホーディは額に汗をかきニコニコしながら床を拭いていく。
長い長い通用路であったがホーディはサボる事なく掃除をしていった為あっという間に端から端まで綺麗になった。
「次はどうするか……」
バケツの水を捨て、掃除道具を片付けホーディは辺りを見渡した。近くにスタッフの姿は無い。一度上の階に行こうか迷っていると地下通路にあった部屋の一つから賑やかな声が聞こえてきた。
この部屋からは最初から声が聞こえていたが掃除に集中するあまりホーディは気付いていなかった。
ホーディは声がした部屋の扉を躊躇う事無く開けた。
「失礼します!」
元気に入室したホーディが見た者は明らかにガラの悪そうな男二人であった。
部屋の中は酒瓶が転がり、机の上には遊んでいたのであろうカードが散乱していた。
そしてなにより目を引くのが男達の腰に下げられている剣であった。ホテルのスタッフと名乗るにはあまりにも暴力的な見た目と装備に普通の人なら怖気付くがホーディは全く気にしていなかった。
「あ?何だ?」
スキンヘッドの男がホーディを睨んだ。
「仕事を貰いに来ました」
それでもホーディは全く動じない。ちょっと見た目が怖いホテルのスタッフだと思っているからだ。
「ん?新入りか?そんな話聞いてねーが」
スキンヘッドの男はアトゥカーラファミリーに新入りが入るなんて話を知らなかった。ただ酒が入っていたので上手く頭が働かない。そんな時に、
「はい!今日からここで働かせてもらってます。何か仕事はありませんか?」
ホーディの大声が部屋に響き、さっきまで考えていた事が簡単に吹き飛んでしまった。
「なら酒買って来い」
スキンヘッドの男の向かいに座っていた頬に傷がある男はホーディに酒を命令をした。
「分かりました!何がいいですか?」
「これと同じ奴。金はそこにあるの使え」
そう言って傷の男は空になった酒瓶を見せた。
「行ってきます!」
ホーディは机の上に置いてある金貨を数枚取り勢いよく部屋から飛び出した。
スキンヘッドの男は新入りなんて聞いてないと改めて思ったが深く考えるのをやめ残りの酒を飲み干した。
ホーディは走って酒を買いに行き、二人が思ったより早く帰ってきた。
「買って来ました」
「はえーな」
あまりの速さにスキンヘッドの男は感心した。
酒瓶を買ってきたホーディは呼吸こそ荒いが疲れは全く見えなかった。
「やけに元気だな?お前本当に裏の人間か?」
傷の男はこの場に似合わないホーディを疑ったり。それなりに裏の世界で生きている傷の男はホーディの様な人間を見た事が無かった。
そんなホーディは疑われているともつゆ知らず質問の意味を考えていた。
――裏の人間って何だ?人間に裏も表もあるのか?もしかしてバックヤードで働いている事を裏の人間って言うのか!
そう結論付けたホーディは元気に答えた。
「はい!裏の人間です!」
ここまで真っ直ぐ答えられると傷の男も少し動揺した。
――そんなはっきり言う奴がいるか。この男、明らかにおかしい……
だがここで引き下がってはいけないと次の質問をした。動揺を悟られないよう先程より更に睨みも効かせた。
「何でウチに来た」
「前働いていたラグーロ商会が潰れたからです」
「なるほど、そういう事か」
傷の男は合点がいった。
傷の男はラグーロ商会が悪どい事をやってるのを当然知っていた。そんな商会で働いてたとなると表を堂々と歩けず、こんな元気な若者だとしても他の仕事が見つかる訳がない。そうなれば必然的に辿り着くのはマフィアや山賊など裏の世界となる。
「そこで何をしてた?」
こんな好青年がラグーロ商会で働いていたのだ何か理由があるかもしれない。この質問は傷の男の単純な好奇心であった。
「最近まで鉱山にいました」
その言葉に二人はギョッとした。ラグーロ商会で働いているとは言っていたがまさか鉱山の方だとは思っていなかった。
そこは隷属魔法により過酷な強制労働を行う非人道的な場所である。
この二人も殺人に手を染めた。しかしそれは仕事としてだ。鉱山では監視官の趣味で人を痛めつける。二人はそこまで堕ちていなかった。
しかしホーディはそこで働いていた事を隠す事無く言ってのけたのだ。
――こいつ……その笑顔の裏でいったいどれだけ人を殺してきたんだ……
傷の男はかなり動揺していたがそれでも態度を崩さないよう努めた。
「そいつは随分と汚ねぇ事をやってたな」
「汚いと言っても慣れればなんて事ないです」
ホーディは明らかに質問された内容を勘違いしていた。
ホーディは鉱山で泥だらけになりながら働いたが特に気にしていなかった。故郷の田舎でも農作業をすれば汚れるため慣れていたのだ。
その為ホーディはさも当然のように答えた。
ホーディのその態度が二人を恐れさせた。何人も殺しておいて全く悪びれることもなく、それを誇ることもない。ただ当たり前のように語るその姿は正に異常者である。
「それで他に仕事はありませんか?」
ホーディが質問すると二人はビクッと体を震わせた。先程までの普通に見ていた笑顔が急に恐ろしい怪物の様に見えてきたのだ。
「そうだな……どうするか……」
傷の男が悩んでいるとスキンヘッドの男が何かを思い付いた。
「あれは?取引の」
「ああ、じゃあサッキーノファミリーへの伝言を頼む」
「サッキーノファミリー?」
傷の男が口にしたサッキーノファミリーと言う名、ホーディは初めて耳にした。ホーディは最近都に来たばかりなのでこの辺りのマフィアの事など何も知らない。
「そうだ、ここらを支配してる奴等だ。サッキーノファミリーに02、南、400、そう伝えろ」
「あ、はい、02、南、400ですね?それで伝わりますか?」
傷の男が全く意味の分からない事を言っており流石のホーディも少し心配になった。
「必ず伝えろ。言えば分かる」
「はい!分かりました!」
意味の分からない事言われた相手は困るのでないかとホーディ思っていたが言えば分かると言われたので特に心配する事なく部屋から出ていった。
ホーディと入れ替わる形で赤髪の男が部屋に入ってきた。
「誰だあいつ?」
「期待の新入りだ」
赤髪の男の質問に傷の男は冷や汗を流しながら答えた。
ホーディは勢いよくホテルから飛び出したが肝心な事を聞き忘れていた。
「サッキーノファミリーって何処に住んでるんだ?ここら辺を支配してるって事は貴族かな?」
ホーディは都の事をまだよく知らない。一度帰って住所を聞こうと思っていると視界の端で巡回している騎士を見つけた。
「ああ!騎士様に聞けばいいんだ!」
そう考えたホーディは駆け足で騎士の下へ向かった。
「すいません!道を尋ねたいのですがサッキーノファミリーのお家って何処ですか?」
突然大きな声を掛けられた騎士は少し驚いた。そして何よりホーディが発したサッキーノファミリーと言う名に反応した。
「え?サッキーノファミリー?」
「伝言を頼まれたんですけど場所が分からなくて。02、南、400って住所ではないですよね?」
「え……あ、違う、西地区の一番大きな屋敷だ……」
騎士も混乱していたのだろう。正直に住所を答えてしまった。
別にサッキーノファミリーの屋敷は特に隠しているわけでもないが一般市民にマフィアのアジトの事を聞かれたら何かあったと考えるべきである。
我に帰った騎士がホーディに質問しようとしたが「ありがとうございます!」とホーディが元気に一礼して走って去ってしまった。
残った騎士は呆然とそれを見ていたが先程の会話を思い返して正気に戻った。
「本部に連絡しなければ」
騎士も足早にその場から去っていった。
都には大きな川が流れており、幾つもの橋が架かっている。
その一つの橋の下に深夜、アトゥカーラファミリーの下っ端がやってきた。
ホーディに伝言を頼んだスキンヘッドの男と傷の男もおり、緊張の面持ちで静かに誰かを待っていた。
「アトゥカーラファミリーか?」
暗闇の向こうから声がした。下っ端が声がした方を見ると武器を腰に下げたガラの悪い男達がやってきた。その中の一人は小さな木箱を小脇に抱えている。
この男達は今日取引するサッキーノファミリーの組員である。
サッキーノファミリーの問いに傷の男は静かに頷いた。
「金は持って来たんだろうな?」
「確認してくれ」
スキンヘッドの男が革袋を取り出しサッキーノファミリーの一人に渡した。
「本物だ、これで取引成立だな」
革袋に入った金貨が本物だと確認すると木箱を持った男が前に出た。
男が木箱を渡そうとした瞬間、暗闇の向こうでバタバタと多くの足音が聞こえた。
「騎士団だ!手を上げろ!そのまま地面に伏せろ!」
橋の周りには多くの騎士が剣を抜き取引していた男達を睨みつけている。
明らかに数も装備も優っている騎士団相手に男達は抵抗すらできない。
「漏れてやがった」
「テメーら漏らしたのか!」
「そんな訳ねーだろ!」
みっともなく情報漏洩の犯人探しをする男達に騎士団は剣で突き出し動きを止めて、綱で次々に縛り上げていった。




