鉱山
「すいません!遅れました!少し準備をしてました!これからお世話になるホーディです!」
ホーディはあれからしばらく作業をした後、諸々の用事を済ませて鉱山行きの馬車に駆け寄った。
御者台に座る髭の生えた中年男性は興味なさげにホーディを見た。
「え?ああ、話に聞いてた二人目か」
「もう一人いるんですか!」
「そこに座ってる奴だ。お前もさっさと乗れ」
ホーディが馬車を覗き込むとホーディよりほんの少し前に奴隷になった男が俯きながら座っていた。そんな明らかにおかしいな状況でもホーディは気にする事なくズカズカと馬車に乗り込んだ。
「ホーディです!一緒に弁償頑張りましょう!」
ホーディが男に挨拶をしたが男は聞こえていないのか、それとも無視しているのか分からないが何の反応もせず黙ったままであった。
「体調が悪いんっすか?何かあったら言ってください」
「あーじゃあもう行くからな」
「よろしくお願いします!」
「……コイツ本当に奴隷なのか?」
ホーディの明るさに戸惑いつつも御者の男性は馬を出発させた。
うなだれて焦燥している男と対照的にホーディの顔には必ず弁償してやるという固い決意が溢れていた。
それから馬車旅が始まった。
鉱山まで長い道のりを馬車に乗り続け、休憩は馬の為にとるだけである。
夜になると三人とも馬車の中で横になり、朝になって馬の食事が終わると出発する。奴隷は馬以下の存在であった。
日中ホーディは起き上がり外を眺めたり御者と話をしていたが、男は初日に横になって以来ずっと横になったまま起き上がらなかった。
食事の時だけむくりと起き上がり食べ終わるとまた横なって動かなかった。
そうして馬車に揺られて三日経った頃にはすっかりホーディと御者は打ち解けていた。
ホーディは御者のすぐ後ろに座り、二人して前を見ながら楽しく会話していた。
「へーそんなに長くこの仕事やってんですね!」
「まあ、馬車に乗れれば食いっぱぐれないからな」
「自分も村で馬に乗ってたんですが直ぐに周りに止められました。そそっかしくて見てられないって」
「ははっ!兄ちゃんどんなやらかしをしたんだ?」
「うっかり馬房の扉を開けっぱなしにして馬を全員脱走させたり、馬に馬車に繋がずに出発したり」
「それは駄目だな!」
ホーディの明るく話す失敗談に御者は退屈であった鉱山への道のりが初めて楽しいものになっていた。
この馬車に乗せるのは人間と言えばラグーロ商会で奴隷になった者だけである。逃がしてくれと懇願する者、手で顔覆い泣きすする者、表情が死に空を見ている者。そんな人間ばかりを乗せてきた御者の心も擦り切れていた。
だが散々待たせて朗らかに乗り込んできたこの男は違った。道中ずっと喋り続け、退屈する暇なんてまるで無かった。
久しぶりに心の底から楽しいと思える時間が過ぎていった。
「それで色々あって仕事を探しに都に来たんです。またやらかして仕事が無くなりそうでしたが会長の優しさで仕事を紹介してくれたんです」
ホーディの言葉に御者は言葉が出なかった。御者はすっかり失念していた。自分が奴隷を鉱山に送っている事を。この明るい青年の悲惨な運命を。
「ああ、そうか……兄ちゃん奴隷だったな。明る過ぎて忘れてた。俺と同じ奴隷なのに」
御者は言葉が続かなかった。先程まで一生分位喋っていた筈なのにまるで話し方を忘れてしまったようであった。
そんな御者の変化にも気が付かずホーディは明るく喋り続ける。
「おっちゃんも奴隷なんすか!」
「ああ、積荷を割ってな。それからずっとラグーロ商会の御者だ」
「弁償って中々終わんないんっすね」
次の言葉が出てこない御者が気まずそうに顔を逸らすと大きな山が見えた。
「まあ、俺の事はいいじゃねぇか、ほら見えてきたぞ。あそこがお前達が働くロマク領の鉱山だ」
「おお!あれが!」
ホーディは身を乗り出して山を見ているが御者はその顔を見る事ができない。まるで自分がホーディを騙しているような感覚に陥っていた。
それでも馬を止める訳にはいかない。と言うより隷属魔法によって縛られている御者は止める事が出来なかった。
御者の思いとは裏腹に馬はしっかりと歩みを進め指示通りに鉱山に連れていってくれた。
長旅が終わりホーディと旅の最中一言も喋らなかった男が馬車から降りた。
「じゃあな兄ちゃん達者でな」
「はい!送ってくれてありがとうございました!」
御者の別れの挨拶にホーディは深々と頭を下げてお礼を言った。お礼なんて言われる筋合いなど御者には無い。だから御者は願いを込めて一言「生きて帰って来いよ」と言った。
これまで鉱山に送り届けたことはあっても鉱山から人を連れて行ったことは一度も無い。生きて帰れる訳がない。頭では分かっているのに自然とその言葉が出てきた。
「大丈夫です!俺一度も風邪を引いたことないんで!」
「それはいいことだ」
明らかに御者の思いが伝わっていなかったが、この三日間でホーディの人柄を知った御者は笑って受け入れた。
「おっちゃんは帰るんすか?」
「いや、馬を休ませないといけない。近くの村で一泊する」
「都に着いたらラグーロ会長に無事着きましたって言って下さい」
「ああ、報告はするから安心しろ」
「じゃあまた!」
そうして御者は馬車を走らせて去って行った。御者としては今生の別のつもりだがホーディにとっては違かった。帰りも馬車に乗せてもらうと当然のように考えていた。
馬車に向かって手を振るホーディの後ろからいかつい顔の男が現れた。
「あ?補充は一人って聞いてたがどうなってんだ?」
この男はこの鉱山を取り仕切る監視官である。相手が奴隷なのをいい事に劣悪な環境で非道な指示を出す極めて悪辣な男である。
そんな事なんてここに来たばかりのホーディはつゆ知らず元気に挨拶をした。
「ホーディです!今日からよろしくお願いします!」
「へ、元気だな。まあここでコツコツ働けば直ぐに解放されるから頑張れよ」
ニヤニヤと馬鹿にするような言い方の監視官にホーディはニコニコと応えた。
「はい!短い間ですがよろしくお願いします」(頑張って直ぐに弁償するぞ!)
「ああ、短い間だがよろしくな」(どうせ直ぐ死ぬからな)
お互いにニヤニヤニコニコする謎の時間が終わると監視員はホーディともう一人の男に命令した。
「じゃあさっさとツルハシ持って鉱山に入れ、後は見れば分かる」
「はい!」
ホーディは元気に返事をすると瞬く間に鉱山に向かった。しかしもう一人の男は俯いたままそこから動かない。
「早く行け!」
監視官は男に命令すると男は誰かに助けを求めるような顔をしながらトボトボと鉱山に向かった。
坑道の入り口に着くとそこにいた男に、
「今日からお世話になります!ホーディと言います!よろしくお願いします!」
ホーディは坑道中に響き渡る程の声で元気に挨拶をした。
男はチラリとホーディを見るとぶっきらぼうに返事をした。
「ああ……よろしく、とりあえず奥まで行って石運べ」
「はい!」
ホーディは言われた通りに坑道の奥へとズンズン歩いて行った。坑道の中は薄暗く埃っぽい環境の悪いところですれ違う奴隷達は皆顔から正気が消え失せていた。
坑道には幾つもの分かれ道があったが荷車に鉱石を乗せた奴隷が奥から歩いてくるのでそっちの方へと向かっていった。
奥からはカンカン石を砕く音が響いてくる。少しすると奴隷達がツルハシを振り下ろし岩を砕いているが見えた。
その近くでは黙々と荷車に鉱石を積み込んでいる奴隷もいる。その一人にホーディは近付き質問した。
「これを外まで運べばいいんですか?」
「ああ」
簡単な返事をされたホーディは鉱石が乗せられた荷車を入り口へと運んで行った。
入り口に向かう途中、空の荷車を奥へと持っていく奴隷に何度もすれ違った。
ホーディは外に出ると新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込んだ。そうして空の荷車が出てくる方に鉱石を運んでいく。
そこは鉱石の選別場であり、鉱山から採れた鉱石を手作業で選別していた。そこにいる奴隷の顔は坑道内の奴隷より少しは明るかったが複数の監視官が見張っているのか誰もが黙々と運ばれてくる鉱石の選別をしていた。
ホーディは荷車から鉱石を下ろすとまた坑道の奥へと戻っていった。
「運んできました!」
先程雑な返事をしてくれた奴隷に声を掛けると、「交代だ、今度はお前が掘れ」と言われた。
「はい!いっぱい掘ればいいんですね!」
「ああ」
ホーディはツルハシを持って皆がガンガンやってる岩の前に立った。
そしてガンガン岩盤をツルハシで削り始めた。何か考えるより体を動かす事が好きなホーディは劣悪な環境ながら朗らかに強制労働に従事した。
流れる汗もホーディだけ謎に爽やかで見る者全てが「コイツ本当に奴隷なのか?」と疑問に思った。
そうしてホーディは一番過酷な採掘作業を誰とも交代する事なく一日の労働が終わった。
外に出ると日は傾き始めており、奴隷達は近くの川へ行き体の汚れを落としていた。
坑道の一番奥にいたホーディは少し遅れて川に入りに一日の汚れと汗を落とした。
「いやー疲れましたね!」
ホーディは隣で汚れを落としていた中年男性に声を掛けた。中年男性は労働が終わり余裕があるのかホーディに応えた。
「お前さんもラグーロ商会か?」
「ここで働けば稼げて弁償できるって」
「はぁ、めでたい奴だなお前は」
「はい!失敗しても直ぐに新しい仕事先を紹介してくれて大変めでたいです!」
「いや、そう言う意味じゃ……」
中年男性は話が若干噛み合わないので話した事に少し後悔した。言葉が詰まる中年男性にホーディはお構いなく喋り続ける。
「セレブライトさんには申し訳ないので早く稼いで謝りたいです。それに何度も仕事場を紹介してくれたギルドにも謝りにいかないと」
「はぁ、じゃあ寝る間も惜しんでせいぜい掘るんだな。それなら何年掛かるか分からねーがちったー早くなるだろ」
中年男性は話を切り上げて川から上がり去って行った。それを見ながらホーディは少し考え。
「なるほど!ありがとうございます」
大声で中年男性の背中に向かってお礼を言った。
奴隷達が寝泊まりする場所は屋根こそあるが個室は無い大部屋である。ここに数十人の奴隷達が寝食を共にする。
そんな大部屋ではホーディの事が噂になっていた。
奴隷になったのに元気に働き、ニコニコと明るく話しかけてくる変わり者としてだ。
しかし噂のホーディは食事の後、大部屋のどこにもいなかった。
「あの騒がしい奴は?」
「まだ掘るってよ。初日だから体力には有り余ってんだろ」
「何日持つかな。この鉱山から逃げるには死ぬしかねーのに」
奴隷達は他人を心配する余裕は無い。勝手に働くホーディを無視して今日の疲れを癒す為に早々に眠りについた。
一方ホーディは坑道の奥で一心不乱にツルハシを振っていた。
「うおー掘るぞ!掘るぞ!掘るぞ!こっちも掘るぞ!」
ホーディはとにかくツルハシを振った。それも坑道のあちこちで。掘っても鉱石を運ぶ余裕がない為、鉱石が溜まったら別の道に行きその奥でツルハシを振った。
掘って掘って掘って、馬車旅で動けなかった分を取り返すかの如く掘りまくった。
ひとしきり掘ってどこの坑道も鉱石が溜まり、いよいよ掘れなくなってホーディは動きを止めた。
「ふーこれだけ掘れば一ヶ月位で弁償できるかな!」
ホーディの心は充実感で満たされており、額の汗を腕で拭う姿はまるで青春の一ページの様な爽やか姿であった。
ホーディは川で簡単に体を洗うと奴隷達が眠る建物に入った。
そこにはギチギチに奴隷達が横になって寝ており、ホーディは僅かなスペースを見つけてそこに横になった。そしてその瞬間眠りに落ちた。殆ど気絶である。
翌日、ホーディが眠っていると外から体を震わす激しい音が鳴り響いた。音だけではない、地面が揺れて屋根から埃が落ちてくる。
鈍感なホーディもこれには驚き目を覚ました。
「おお!びっくりした!ここの目覚ましですか!」
「そんな訳あるか!落盤した音だ!」
ホーディが寝ぼけた事を言ってる中、奴隷達は次々に外に出て被害を確認しに行った。ホーディもとりあえず周りに合わせて外に出てみると坑道の入り口に人だかりができていた。
「こ、これは……」
「完全に入り口が塞がってる」
「こりゃ酷い……」
奴隷達が不安や恐怖を漏らしいると坑道の奥からズズズと音が響いた。
「離れろ!また崩れるぞ!」
一人の注意喚起により奴隷達は一斉に坑道の入り口から離れた。
坑道のからはそれからも何度も何度も落盤する音が響き、奴隷達はそれを呆然と見守る事しか出来なかった。
山の上からも小石がパラパラ落ちてくる。
「早朝だから誰も中にいなかったのが救いだな。もしいたら全員死んでたろ」
そんな事を奴隷の一人が漏らしていたがホーディは特に何も考えていなかった。
今回の落盤はホーディが昨日の夜に坑道を好き勝手に掘ったのが原因であり、ホーディが坑道から出る前に落盤していた可能性も充分あった。
それでもホーディは運が良かった程度にしか考えていない。まさか自分のせいで落盤しているとは少しも思っていなかった。
奴隷達が突っ立ていると鉱山から少し離れた所で寝泊まりしている監視官達がゾロゾロと現れた。
先頭に立つ一番偉そうな監視官が奴隷達に向かって大声を上げた。この監視官はホーディが初めて会ったニヤニヤしていた監視官である。
「おい!何をしている!ボケっとするな!早く掘るんだ!」
監視官の声が響くが奴隷達はたじろぎ動けないでいる。その中の一人がポツリと「いや、まだ崩れてますし」と言ってみたが監視官はそんな事で引き下がらなかった。
「何を言ってる!お前らの命なんて知ったことか!隷属魔法で無理矢理働かせてもいいんだぞ!」
「ぐっ……」
「ほら!さっさと行け!掘らないといつまで経っても奴隷のままだぞ!」
監視官はニヤニヤ笑っており奴隷達が怯える姿を楽しんでいた。
――酷い……
ホーディは怒りで拳を強く握った。いくら奴隷だからと言ってなんでもしていい訳じゃない。
ホーディはラグーロに奴隷紋をつけられた時を思い出した。ホーディの失敗を許し、新たな仕事場を用意してくれたラグーロ会長。
ホーディはラグーロ会長にこの事を伝えなければと決意した。あんな親身になってくれたラグーロ会長がこんな事許すはずない。監視官という立場を利用した外道の所業を。
ホーディは手の甲にある奴隷紋に誓った。しかし奴隷紋を見ると不思議なことに気が付いた。
するとすっかり先程の怒りは消え失せた。
「あっ!消えてる!昨日の採掘で弁償できたんだ!本当に鉱山って稼げるんですね」
ホーディの手の甲にあった奴隷紋が綺麗さっぱり消えていたのだ。
「え?何を言ってる」
監視官がホーディの手を取ると本当に奴隷紋が消えていた。しかしそれだけではない。
「俺もだ」「俺も消えてる」
周りの奴隷達も次々に奴隷紋が消えている事に気が付いた。
「おい、なんだ……どういう事だ!」
監視官が狼狽えているとホーディが何かに気が付いた。
「危ないですよー」
ホーディが叫ぶが監視官は気付かない。危ないなら誰が何が危ないのかを言わなければならないがホーディはそれを言わなかった。
大規模な落盤により鉱山の上から大きめの石がゴロゴロと転がってきた。そしてその石が弾けるように飛び上がると監視官の尻目掛けて飛んできた。
「ごふっう!!」
監視官は変な声を漏らしてその場に倒れ込んだ。お尻を押さえて疼くまるその姿はあまりにも情けなく、先程の威勢は少しも残っていなかった。
「だから危ないって言ったじゃないですか」
ホーディが心配そうに監視官に駆け寄り痛そうなお尻を撫でてあげた。
「ウゴゴ!」
監視官は痛みで悶えて言葉にならない音を発した。
「え?ここですか?」
「アゲグゴ!」
ホーディはよく分からず何度も監視官のお尻を触り続けた。
どうにも監視官の言いたい事が分からないホーディは困って周りに助けを求める為に辺りを見回した。そこでホーディが遠くからやってくる馬車に気が付いた。
「あ!おっちゃん!」
ホーディが馬車に乗ってきた御者に手を振る。それを見えている筈の御者は焦った表情で馬車事ホーディに近付いた。
「兄ちゃん!これはいったい……」
御者も朝起きて手を見ると綺麗に奴隷紋が無くなっていたのだ。弁償しなければならないに額に届いていない筈なのに朝起きてみれば消えており、これは何かあったに違いないと都に戻る前に鉱山に寄った。
そして鉱山でも同じ状況の様で混乱しているが見て分かった。
「俺弁償が終わったらしいっす!おっちゃんの馬車に乗せてくれ」
ホーディがそんな訳ない事を言っているが御者はそれについて言及しない。御者は自身の手をホーディに見せた。
「お、俺も奴隷紋が消えたんだ……」
「へーすげー偶然もあるんすね!」
そんな訳がない。




