仕組まれた罠
「セレブライト様!ようこそおいで下さいました」
ラグーロが店先で出迎えたセレブライト様と呼ばれた男は使用人を何人も従えて豪勢な馬車から豪勢な服を靡かせてゆったりと降りてきた。
セレブライト伯爵。この国の貴族の中でも絶大な力を持つ家の当主であり、規則を重んじる厳格な男であった。セレブライトに睨まれた家は社交界からの追放を意味し非常に恐れられていた。
セレブライトは立派に蓄えた髭を一撫でして「うむ」とだけ返事をした。
そんなセレブライトにラグーロの腰は非常に低く、執務室での偉そうにしていた男と同じ人間とは思えない程だった。
「セレブライト様直々にお越しくださるとは嬉しい限りでございます」
「陶器は自身の目でその価値を確かめなければならないからな」
セレブライトの趣味は陶器収集である。それも筋金入りの収集家である。
彼が良いと言えばどんなものでも最高級品の証として通ってしまうほどの権威であり、それ故彼が買い物をするだけでその動向が界隈に注目される事になった。
「流石セレブライト様!本日もご満足いただけるよう古今東西あらゆる名品を取り寄せております。どうぞごゆっくりお楽しみください」
「では、見せてもらうか」
「ささ、こちらへ」
ラグーロの案内の下セレブライトは店の中に入っていった。
店の中は裏の倉庫と違い埃一つ無く掃除が行き届いており、窓も見るものを写すほど綺麗に磨かれていた。
陳列された陶器の数々は見るものを魅了する最高級のものばかりであり、この日の為にラグーロが取り寄せた選りすぐりの品であった。
「相変わらず素晴らしい品数だ。それにどれも最高品質だ」
「お褒めに預かり光栄でございます」
セレブライトの機嫌はすこぶる良く、この日の為に奔走していたラグーロは一安心した。
ここからセレブライトの豪快な買い物が始まった。
「このティーセットを四つ貰おう」
「はい!」
「それとこの花瓶もいい」
「こちらでございますね」
気に入った物を値段も見ずに次々に注文していくセレブライトにラグーロは必死に着いていく。
セレブライトは一見好き勝手に品を選んでいるようだが、選んだ物はどれも名工が作った最高級品ばかりでありその審美眼は確かなものであった。
「今日のところはこれでいいだろう」
ひとしきり店内を周りセレブライトはようやく満足した。その言葉聞きラグーロはようやく肩の荷が降りた。
「お買い上げ誠にありがとうございます!直ぐに屋敷の方へお届けに上がります」
ラグーロが店の外までセレブライトを送り馬車を見送っている中、裏の倉庫では大急ぎで発送の準備を進めていた。
「さあ!早く梱包しろ!でき次第馬車に積み込むんだ!」
コントラートの指示が飛ぶ倉庫では従業員が駆け回りセレブライトが注文した品を次々に馬車へと積み込んでいった。
セレブライトが注文した品は多く、ティーセット、花瓶、壺、置き物、食器の数々と人手はいくらあっても足りなかった。
誰もがバタバタと動いている中、コントラートが一人の男に声を掛けた。それは昨日コントラートが目を付けた男である。
「おい、そこのお前」
「はい、なんでしょう?」
「着いて来い、運ぶ物がある」
「分かりました」
コントラートに連れられて男が向かったのは倉庫の奥のそのまた奥であった。そこにあった平たく大きな二つの箱をコントラートが指差し、「これを運ぶんだ」と命令した。箱にはセレブライトの名が書いてあり男は馬車に積み込むものだと理解した。
「分かりました」
男が箱の一つを持ち上げて運ぼうとするとコントラートの怒声が飛んだ。その声に驚き箱を落としそうになったが男は何とか耐える事が出来た。
「何をしている!二つ同時に運ぶんだ!ダラダラしている時間は無いぞ!」
「え、でもそれだと危ないんじゃ……」
「口答えするな!早く運べ!」
反論する暇を与えずコントラートが怒鳴りつけるので男は恐る恐る持っている箱をもう一つの箱の上に置き、二つ同時に持ち上げた。
二つの箱は非常に重く、大きな箱の為足元も見えない。疲れと不安が男の足取りを鈍らせた。
丁寧に運ぼうと意識しているが後ろではコントラートが早くしろ急かしてくる。
男がフラフラと歩いていると突如足が何かに躓いた。
大きく重い荷物を持った状態では踏ん張る事も出来ず男は木箱を床に落としてしまった。
ガシャンと大きな音を立てて床に落ちた木箱を男は絶望した表情でただ見る事しか出来なかった。
「何をやっているんだ!」
「いや、何か躓きまして……」
コントラートが怒鳴り必死で男は弁明しようとするが辺りを見るが何も落ちていない。
コントラートが箱に駆け寄り箱を開けるとそこには綺麗に割れてしまった大皿があった。
「割れているではないか!お前はこれを弁償出来るのか!」
「いえ!そんな!私は!」
「こっちに来い!」
有無を言わさずコントラートは男の手を引っ張り何処かへ連れて行った。男は呆然としてただ力無く後を着いていく。
二人が何処へ去って直ぐにひょっこりとホーディが現れた。
「はい!来ました!あれ?誰もいない?呼ばれたんだけどなぁ」
ホーディはコントラートが怒鳴って言った「こっちへ来い」を自身に言われたと勘違いしてわざわざ駆けつけたのだ。
ホーディはキョロキョロと周りを見渡すが誰もいない。床に目をやると無操作に二つの木箱が置かれていた。そこにはセレブライトの名が書かれている。
「これを運ぶのかな?二つは運べないな……もう一度来ないと」
ホーディは誰に命令された訳でもなくその場にあった大きな木箱を一つ持ち上げて去っていった。
一方コントラートに引っ張られた男はラグーロの執務室に連れていかれていた。
執務室にはラグーロの他に複数の従業員が待機しており、表の店頭で働く従業員は倉庫で働く者とは違い綺麗なスーツを着用していた。
男はラグーロの前で床に膝をつき死んだような顔をしていた。額からは汗が滝のように流れており背中も汗でびしょびしょである。
そんな男にラグーロは芝居がかった口調で話し始めた。
「何と商品を壊してしまうとは!ここで働く時に契約したはずだ。商品を壊したら弁償してもらうと」
「はい……」
ラグーロは契約書を取り出してヒラヒラと男の前で見せびらかした。先程ここに連れてこられた筈なのにもうラグーロの手には男の契約書がある。そんな違和感に極限状態の男は気付くはずがなかった。
ラグーロはニヤリと下品な笑みを浮かべた。
「そこでだ。私の伝手でいい働き先がある」
「それは……何処ですか?」
男は恐る恐る質問した。いい働き先なんて嘘に決まっている。そんな事子供でも分かる。それでも僅かでも希望があるならそれに縋りつきたかった。
「鉱山だ。直ぐに人がいなくなるからいつでも人員を探しているんだ」
「い、嫌だ!」
男が逃げようとすると周りにいた従業員が取り押さえた。
ラグーロは懐から真っ黒なナイフを取り出した。
「お前はここで奴隷になるんだ!ラグーロ商会、会長の名によって命ずる。お前は鉱山で金貨千枚分働くまで奴隷の身分とする!」
ラグーロが契約書をナイフで貫きそのまま男の手の甲にナイフを突き刺した。
男の手からは血は流れなかった。その代わり手の甲に紋様が浮き上がった。
それを確認した従業員が男から手を離したが男はその場から一歩も動けないでいた。
「う、動けない……身体が……」
「隷属魔法の効力は絶対だ。逃げ出す事は出来ない。大丈夫、金貨千枚分働けば勝手に魔法は解ける」
ラグーロが黒いナイフで行ったのは隷属魔法による儀式である。
契約書を貫いたナイフで契約者を刺すと魔法が発動する。その者は契約を必ず遂行しなければならず、反抗する事が出来なくなってしまう。それがラグーロが行った隷属魔法である。
「さあ!裏に停まっている馬車に乗り鉱山に行け!」
ラグーロが命令すると男は立ち上がり歩いていった。体は従順であるがその顔は恐怖で歪んでおり、これから身に起こる悲劇を予見していた。
その悲壮感溢れ出す背中をラグーロは満足そうに見ていた。
「馬鹿な男です。あんな単純な仕掛けに引っ掛かるとは」
コントラートは馬鹿にした目で言い放った。
「教養のない平民に陶器の価値など分かるはずない。割った皿が贋作なんて見分けなんてな」
ラグーロは下品な笑みを浮かべている。周りの従業員もクスクスと小馬鹿にしていた。
これがラグーロ商会に纏わる噂の真相である。
無理矢理大きな荷物を待たせて不安定な状態して転ばせる。そして商品が割れたと騒ぎ立て契約書に基づいて奴隷にする。
転ばせたのも周りが見えない男の後ろからコントラートが足を引っ掛ける単純なものであった。運ばれていた商品は勿論割れるが贋作なので価値はなく商会にとって痛くも痒くもない。
奴隷になった者はラグーロ商会の後ろ盾であるロマク侯爵が所有する鉱山に送り込まれる。
ラグーロ商会の黒い噂の真相とは組織ぐるみによる奴隷の強制労働なのであった。
「では私は下に戻ります」
コントラートが執務室から出ようと扉を開けた瞬間、「ガッシャーン!!」と何か割れる音が聞こえた。
「何の音だ!」
ラグーロは叫びながら慌てて執務室を出た。
二階から下を見るとホーディで床にうつ伏せで倒れていた。しかもその両手の先には大きな木箱がある。誰が見ても転んで木箱を落としたのが分かった。
「何をしている!」
ラグーロは怒鳴りながら下に降りていった。その顔は血の気が引いており、セレブライトへの荷物であったら大問題になるからだ。
「すいません、荷物を運んでいたら躓いて」
「それより品は!」
謝るホーディを押し除けてラグーロが木箱を開けて中を確認すると大きな皿が入っていた。
「なんだ……こっちか……」
それ見たラグーロの緊張は一気にとれた。これは奴隷にする為に用意した贋作だからだ。
「すいません!弁償します!」
「あ?ああ、そうだな……」
必死に謝るホーディにラグーロは生返事をしながら考えた。
――まさか自分から罠にかかるアホがいるとは……まあ、一人増えても問題ないか
そう結論付けたラグーロはコントラートを呼び出した。
「コントラート、こいつの契約書を持ってこい」
コントラートは急いで執務室に向かった。
残ったラグーロはペコペコ謝っているホーディに話しかけた。
「お前が割った商品は非常に高価なものでお前が一生ここで働いても到底返せる額ではない。しかしここよりいい働き先がある。特別に私の伝手で紹介してやろう」
ニヤニヤ笑うラグーロにホーディは満面の笑みを浮かべた。
「本当ですか!ありがとうございます!」
ホーディは深く、それは深くお辞儀をした。
予想外の反応にラグーロは思わずたじろいでしまった。まさか明らかに怪しい仕事先の紹介にお礼を言われると思っていなかった。
「う、ううむ。そこで金貨千枚分コツコツ働け」
「分かりました!」
契約書を持ってきたコントラートは何故か引いているラグーロとニコニコのホーディを見て状況が掴めなかったがとりあえずラグーロに契約書を渡した。
ラグーロは懐から黒いナイフを取り出し、ホーディはそれをぼけっと見ていた。
「ラグーロ商会、会長の名によって命ずる。お前は鉱山で金貨千枚分働くまで奴隷の身分とする!」
ラグーロが先程と同じように黒いナイフに契約書を貫きながらホーディの手の甲にナイフを刺した。
するとホーディの手の甲に紋様が浮かび上がった。
「なにこれ?」
物珍しそうに紋様を見ているホーディにラグーロはニヤニヤと答えてあげた。
「隷属魔法による奴隷紋だ。お前はこれで逃げる事は……おい!何処へ行く!」
なんとラグーロが説明している途中にホーディは何処かへ歩き始めた。
「へ?まだ仕事が残っているのでそれを終わらせてから鉱山に行きます」
「え?ああそうか……逃げるつもりがないから動けるのか……」
足早に去っていくホーディにラグーロは唖然としながら見送った。
隷属魔法は一度主従関係が出来ると主人に反抗する事が出来なくなる。しかしホーディは逃げるつもりはなく本心から仕事に戻っていった為勝手に動く事が出来たのだ。
呆然としていると何故かホーディが駆け足で戻ってきた。
「所で鉱山って何処ですか?」
「あ、ああ……裏に馬車が停まっているかそれに乗れ」
「何から何までありがとうございます!必ず弁償します!」
「おお、頑張れよ……」
元気にお礼を言い去っていくホーディを眺めるラグーロは最後まで調子を掴めず行き場のないモヤモヤを持ったまま執務室へ帰っていった。




