逃避行
「というわけでウェンディの結婚の為に都まで買い物に行くから留守番よろしくね」
自宅に戻ったリトスはホーディにしばらく家を空ける事を伝えた。それもウェンディの結婚の為の買い物という理由にして。
しかしリトスは都に行く予定は無かった。
本当の目的は隣町に行き、ウェンディとフレンが逃げる時に乗る馬と数日分の食料を用意する為であった。
リトスはウェンディとフレンが逃げる事を兄であるホーディに伝えなかった。これはホーディを信じていないからではない。ホーディは友達思いの優しい人だとリトスは知っている。協力して欲しいと言えば必ず力を貸してくれるだろう。
しかしホーディにも村の生活がある。協力した事がバレれば村から追放されるのは明らかであった。
だからリトスはホーディに逃げ出す事を知らせなかった。リトスもバレれば危ないがその時は自分一人が村から出ればいいと考えていた。
そんな事を知る由もないホーディは呑気に「いってらっしゃい」とリトスを送り出した。
リトスが村から出て数日後、作戦は朝日が出るから出ないかの早朝に決行された。
フレンが屋敷の庭に忍び込み、ウェンディの部屋の窓から顔を出した。
それを見たウェンディが窓を開けて小さな声で挨拶をした。
「おはようございます」
「本当にいいんですか?」
フレンは最後の確認をした。このまま逃げれば今までのような安定した生活は送れなくなり、お嬢様として暮らしていたウェンディも働きに出る事になるかもしれない。
ウェンディもその事は分かっており、この数日間ずっと考えていた。しかし何度考えても結論は変わらなかった。
「はい、私は貴方と生きたいのです」
揺るぎない瞳をしたウェンディの覚悟をフレンは受け取った。
「分かった。手を」
ウェンディは差し出された手を取りフレンと共に屋敷から逃げ出した。
「ウェンディがいない!どういう事だ!」
ウェンディが屋敷から出て数時間後、屋敷にはオジーヌの叫び声が響いていた。
「それが部屋に入ったら誰もおらず、使用人の誰も見ていないと……今、総出で探して……」
使用人の一人が狼狽えながら部屋の状況を説明するがオジーヌは話半分でそれを遮った。
「直ぐに探すんだ!昼前には侯爵の使いが来るのだぞ!早く行け!行くのだ!連れてくるのだ!」
オジーヌに怒鳴られた使用人は大急ぎで去っていった。
それから屋敷の中は誰もが走り回りウェンディを探し回った。しかしどんなに探してもウェンディは発見されることはなかった。
オジーヌが苛つき落ち着かずその場でウロウロしていると一人の使用人が血相を変えて走ってきた。
「町長!大変です!」
「どうした!見つかったか!」
「村の者に聞いたところ早朝からウェンディ様とフレンが馬に乗って村を出て行ったと……」
フレンとウェンディは誰にも見つからないように早朝に出発したが、この村では朝日と共に目を覚ます住人が多く、その内の一人にしっかりと見られていた。
「フレン!アイツか!娘を唆したのは!」
オジーヌは怒りで震えるその顔は真っ赤に染まっていた。頬の肉も顎の肉もブルブル揺れている。
「直ぐにリーダスに連れ戻すように言え!」
オジーヌは唾を飛ばし怒鳴りながら命令した。
フレンとウェンディは一頭の馬に二人で乗りながら隣町に向かっていた。逃避行と言えど馬を常に走らせながら逃げる事はできない。早朝、村から出発した時に少し走らせたが今はゆったりと馬を歩かせている。
そんな二人をリーダスが追い着こうと遥か後方から馬にまたがり迫って来ていた。
それにいち早く気付いたのはフレンの後ろに乗っているウェンディである。いつ追っ手が来るか心配で何度も振り返っていたからだ。
「追っ手が来てます!リーダスです!」
リーダスの姿を確認した瞬間ウェンディは叫んだ。フレンも後ろをチラリと見ると確かにリーダスと思われる小さな影を見つけた。
「鞍には細工した筈なのに」
フレンがした細工とは鞍のベルトや手綱を切り装着できないようにしたのだ。それだけで馬に乗り慣れて無い者はまともに馬を操れず走らせる事ができない。
他にも大胆な妨害工作を考えたが残った村人達の事を考えるとフレンとウェンディにはできなかった。その甘さが今二人を追い詰めていた。
「ウェンディ!掴まって!」
「はい!」
フレンの合図と共に馬は駆け出した。しかし二人の体重を支える馬の速度は上がらず、背後から迫るリーダスにどんどん距離を詰められていく。
「この丘を越えたら街が見える!」
馬は息を切らせながらも坂を上っていく。坂に入ったことで更にリーダスとの距離が詰まっていく。
なんとか坂を上りきると眼前に街が見えてきた。都程とはいかないがそれでもフレンが住む村と比べれば大きな街である。
下り坂になるとフレンは一気に馬を加速させた。馬もそれに応えるよう丘を駆け下っていく。
大きく揺れる馬の上でウェンディは必死にフレンにしがみつき振り落とされないよう堪えた。
ウェンディは目を瞑り、全身に力を入れていると馬の揺れが軽減した瞬間が訪れた。恐る恐る目を開けると下り坂は終わり平地を走っていた。
ウェンディは直ぐに振り向いて丘の上を見た。だがまだリーダスの姿は見えない。
そのまま街に向かって走っていくがいつまで経ってもリーダスは現れない。
「振り切ったか……?」
「そのようです。なんで追いつかないのでしょう」
フレンもウェンディも何故か丘の向こうから出てこないリーダスを不審に思ったが立ち止まる訳にもいかず、そのまま走り続けた。
ウェンディは丘の上を注意深く見続けた。リーダスが現れたら直ぐにフレンに知らせる為に。しかしリーダスは姿を現さないまま街に到着した。
街に着くとこれまで必死に走ってくれた馬を馬宿に預けた。
「ありがとう」
ウェンディは馬の顔を優しく撫でて労った。馬はウェンディの顔を少し舐めてから横になった。
「リトスが待ってるから合流しよう」
馬宿から出るとフレンに案内されるままウェンディは歩いた。
街の反対側に向かうとリトスが周りをキョロキョロしながら心配そうに立っているのを見つけた。その腕には大きな荷物を持っている。
リトスはウェンディとフレンを見つけると安心した表情をしながら駆け寄ってきた。
「ウェンディ、逃げ切れたのね」
「ええ、でも直ぐに追っ手が来る筈」
ここで再会を喜ぶ時間はない。
「こっちの馬宿に新しい馬を用意してるからそれに乗り換えて次の街を目指して。そこまで行けば隣の領に入るから。それからこの袋にお金と通行証が入ってるから」
リトスは駆け足気味に説明をして革袋をフレンに渡した。
「ありがとうリトス」
ウェンディはリトスに感謝の意を伝えた。その瞳には涙が溢れていた。それを見たリトスも泣きそうになってしまった。
「いいの、それより幸せになってね」
「ええ」
二人は抱き合い別れを惜しんだ。恋人との逃避行にはリトスという友人との別れが付いてきた。それでもウェンディはフレンと生きる事を選んだ。
「じゃあなリトス。ホーディに謝っておいてくれ」
「分かった。フレンもウェンディを必ず守ってね」
フレンとリトスの別れの挨拶は呆気ないものであった。
リトスは二人を見送った後、追っ手に見つかる可能性を考えて三日かけてゆっくりと村へと戻っていった。
リトスはあくまで都へ買い物へ行っているだけで逃避行には関係無い事になっている。
そうして久しぶりに村に帰ると外で畑作業をしていた村のおばさんがリトスを見つけた途端大慌てで走ってきた。
「リトス!何処に行ってたんだい!」
「お嬢様の買い出しだけど……どうしたのおばちゃん」
何やらただごとでは無い様子のおばさんだがリトスはウェンディが逃げた事だと分かっている。それでも知らないふりをしてすっとぼけた。
「そのお嬢様が貴族の結婚が嫌になって逃げたのさ!」
「ウソ!お嬢様が!シンジラレナイ!」
リトスは真面目な性格なので嘘は苦手であり、だいぶ大根演技であったがおばさんはそれに気付く様子はなかった。
「その責任をホーディがとらされて村を追放されたのさ」
「え……」
おばさんの言葉にリトスは言葉を失った。これは演技ではない。
リトスはおばさんとの話を打ち切りとにかく急いで家に戻った。すれ違う村人達はリトスを心配そうな表情で見ている。
「ただいま!お兄ちゃん!」
自宅の扉を開けてホーディを呼ぶがなんの返事も返ってこない。ただ静寂だけが家の中にあった。
「そんな……」
リトスは扉も閉めずその場で崩れ落ちた。
「それが兄が追放された理由です」
リトスは村で起きた知る限りの事をアンに話し終えた。まさか村でそんな事が起きていたとはアンは想像もしていなかった。なにせホーディは失敗して村から追放されたとしか言っておらず、それも笑いながら。
「兄は逃げ出す事を何も知らないのに責任をとらされたのです。だから兄に会って謝らないとダメなんです」
リトスは深刻な顔をしてそう言っているがアンの考えは違った。
――絶対ホーディ君も何かやってる……
何故だかそう強く思った。




