8月7日ー6
自分は茶碗や大皿小皿など種類を合わせて重ねて、置いてあったお盆にまとめて運んだ。
大きい四角いお盆で、運びやすいものだ。
台所まで運ぶと、シンクに水につけながらとりあえず全部突っ込んだ。
洗った方がいいのだろうか、そう思うが見渡す限りに洗剤がない。
一応水につけたしあとで聞いておこう。
と、台所を出ると雪華に会った。衣服をもってお風呂に入ろうとしているところのようだ。
「なんだ?やっぱりすずと一緒に入りたかったのか?」
と茶化しながら聞いてみる。
「ち、違うけど、すずさん出たあとの服も気にせずお風呂入っちゃったので、私のパジャマを貸してあげようと思って」
よく見ると2着分持っている……気がする。あんまりジロジロ見るのは良くないと思って、そちらに視線をやっていない。
「そっか、気が利くんだな雪華」
「汐音さんも、食器運んでくれてありがとうございます」
「いや、居候の身だしこれくらいは。そういや食器用洗剤って知らない?見当たらないんだけど」
「んー?すぐ見えるところに置いてたと思うんですけど」
「あれ、俺見落としたかなぁ」
「ほんとだ、どこ行ったんだろ。
……ああ、気にしなくても大丈夫ですよ。私があとでやっておきます」
「なにやら申し話ないけど、そう言ってくれるなら。代わりに置いてくるよ」
と手を伸ばす。……が、
「え!?脱衣所とはいえ、女の子が風呂に入ってるところに行くんですか?」
失念していた。「意識が洗剤の方に持っていかれたせいだ」と、自分の中で言い訳をする。
「ち、ちが。ちょっと話の流れ的に俺も動かなきゃなって思っただけで」
「ふーん」
雪華が疑心暗鬼にこっちを見てくる。
「誤解だって」
「……まぁ、いいです。そうですね、そういえば今日まだ洗濯物取り込んでなかったのでお願いできますか?
2階に干してあって、窓を開けてすぐですからわかると思います。とりこんだら2階の廊下においてあるかごにいれて1階の階段下にもってきておいてください」
「あ、ああ!任せてくれ」
と握りこぶしを胸に当てて頷く。
そそくさと俺はすぐ横に見えていた階段から2階へ上がって目の前にかごがあるのを確認しそれを持った。
外に出るともう暗くなっていて少し星が見えるようだった。風は夕方よりも冷たくなっていて心地よく肌に当たった。
洗濯物は竿にかかっていてそれほど数はないようだった。
「……」
パンツとかあるんだけど……。これは俺がやってもよかったのか?
逡巡のあと、任された仕事はこなすべきだな、とあまり気にしないようにスピーディーに洗濯物を取り込んだ。
2階のベランダへの戸を閉めて、かごをもってすぐに俺は1階に降りて行った。
「んーっと、雪華は……」
キッチンから水音がする、キッチンにいるようだ。
「取り込んでおいたぞ、畳めばいいか?」
「いえ、そこまでは大丈夫ですよ、階段の前に置いておいてくれますか?私がやっておきます、それにこれから洗濯物は増えますし」
「あ、ああ」
「そういえば、洗剤使い切ってて捨ててたみたいです、いつもここに予備おいてるので」
とシンクの下の棚を開いて右下の空いている空間を指す、新しく出したであろう食器用洗剤はシンクの蛇口の横のスペースに置かれていた。
「なんかやっておくことってあるか?」
「特に……ないと思います、なにかあったらまた言いますね」
雪華はこちらに振り向き、笑顔でそう言った。
「やることないとなんか虚無だな」
客間に戻った俺はおじさんの見ているバラエティ番組を一緒に見ていた。
なにも考えずに見るには楽なもので、目に入ってはいたが、なにひとつ内容は頭に入ってなかった。
しばらく経って、意識が突然ふっと戻ったように考え事を始めた。
今日は8月7日の木曜日のようだ。夏祭りは8月15日、来週の金曜日。
俺たちが目覚めた砂浜には俺たち以外に姿も見えなくて、たまたま通った二人に拾われた。
怜奈さんにすずが似ていたおかげだろう、これが偶然似ているだけなのか本人なのか、記憶喪失なことに関係があるのか、そもそも俺たちはなんであの砂浜で目覚めたのか……。
そして、俺は誰なのか。
不安点はここまでで唯一俺自身の情報が全くと言っていいほどにないことである。すずというか怜奈さんの話は出てくるのだが自分のことは一切関わってきていない。これほどに何一つわからないと不安にもなる。
もし、すずの記憶を戻すことができたら、自分のこともわかるのだろうか。
「おっさん、今更なんすけど、怜奈さんの仏壇って」
「んあ?隣の部屋だが、線香焚くなら言ってくれ。この家は木造だから放置して火事になったら全部燃えるから」
笑いながらおじさんは言うが、あんまり冗談になっていない。
「っす、線香もやらせてもらいたいっす」
「ライター持っていくから先に行っててくれ」
「あざっす」
隣の部屋、廊下を挟んで向かいに障子で閉じられておりその先に仏壇が見えた。
見ると二人遺影が飾られていた。
ちょうどすずを少し幼くしたくらいの容姿、本当に瓜二つで見間違えるくらいだ。
唯一違いがあるなら、怜奈さんは雪華と同じく髪色が日本人らしい黒みがかった茶髪ということくらいか。すずは金髪である。
もう一人は……
「隣のは、エリ。二人のお母さんだ、エリにも線香あげてやってくれ」
ライターをもってきたらしい、おじさんは部屋に入りながらそう言った。
「……はい」
返事をすることしかできなかった。
かける言葉が見つからない。こんな部外者が言える言葉なんて簡単に思いつくほど、俺には経験があるわけでもない。
俺の隣に正座したおじさんはろうそくに火を灯して、仏壇の横にあった線香を手に取って先をろうそくにかざした。倣って自分も線香をあげた。
「特に、聞かないんだな。いつだとか、どうしてだとか」
「それは、……まぁどんな理由なんてあんまり聞くものじゃないですし」
「そうか」
線香を香炉に三本さし、目を閉じて手を合わせる。
(エリさん、怜奈さん、少しの間お世話になります。もし、すずが……)
と隣で畳の軋む音がした。誰かが隣に座ったようだ。
すずがもし怜奈さんだとしたら……そんなことを考えたが、部外者の自分がするには勝手すぎると思い、その思考を中断した。
(しばらくお世話になります)とだけ伝えるようにした。
そうして目を開けると隣にはすずが座っていた。
さっきまでの自分と同じように合掌していた。
実際に写真と見比べても本当に似ていて、奇妙な感覚に襲われていた。
「この人が怜奈さんで、隣の綺麗な人がお母さん…?かな」
「知ってたのか?」
俺はそれに質問で返す。
「んーん、なんとなくだけど」
「そっか」
おじさんはずっと合掌していた。俺たちは先に部屋を出て客間に戻った。
「自分にそっくりな人に手を合わせるって変な感覚じゃないか?」
「まぁ、そう思うけど、でもいざ目の前にしたらそんなこと気にすることじゃないかなって」
「大人、なんだな」
大人という表現が正しいのかわからないが、咄嗟にそう思い、それを口にした。
「汐音は、わたしが怜奈さんとなにか関係があると思う?」
かなり曖昧な質問だ。
その質問に真正直に答えてしまうのならば、全く関係がないとは思えない、思えるわけがない。これは本人もわかっていることだろう。もしこれが本当に偶然なら幾億の確率だろう。
「俺には、正直わからない。すずと怜奈さんは同じ人なんじゃないかって少し思いつつも、それはあり得ないと思ってる自分もいる」
本音を交えて話すならこの回答だろう。
雪華の口ぶりからして、何かを隠しているのでなければ、失踪とかではなく、あの時階段で曖昧にした言葉は2年前に死体を見たということで、明確に怜奈さんは亡くなっているということを示す。
そう、「いなくなった」や、「帰ってこなくなった」だとかの消息を絶ったこと表す言葉ではなく、「死んだ」と断言していたのは、その死体を見てしまったから。そう理由づけて差し支えないだろう。
でも、怜奈さんが実は失踪していてそのまま2年を経て記憶を失ったが戻ってきたかのような、そんな容姿で立っているのが、目の前にいるすずだ。
これがたとえ奇跡だとしても、二年の空白が謎だし都合がよすぎるとも思う。
「そっか、記憶が戻ったら、なにかわかるのかな」
「さあな、俺も戻ってないからその後のことなんてわからないかな」
そう返して前を向くとすずと目が合う。すずはまた、最初にトラックで見せたような不安な顔をしていた。
「大丈夫、なにか問題が起きたらその時考えればいいんだから。今はこの家に世話になってて楽しい、それだけだ」
「……うん」
あの時と同じ言葉をかけたが、すずの表情は戻らなかった。
「出たよ」
後ろから雪華の声がした。
「雪華ちゃんすっごいはやい!ちゃんと身体洗ったの?」
さっきまでのどんよりした空気はまるで存在しなかったように、すずはその表情を明るいものに変え、そのまま驚くような表情をする。
無理をしていないのか心配になるほどに彼女は、雪華には、気丈な振る舞いの面を見せていた。
「私はいつもシャワーなので」
そんなすずの面を露ほども知らぬように、雪華は少しだるそうに、でも少し嬉しげに返事した。
「湯舟に使った方が健康にいいって聞くよ?」
とすずが立ち上がって畳をギシギシ、ギシギシと言わせながら雪華に駆け寄る。
「じゃあ俺いくけど、替えの服って」
「もう置いてます、従弟のお下がりのジャージですけど、多分サイズは問題ないはずです」
ああ、あの時2着じゃなくて3着あったのか。
ふぅ……、自分はきちんと目を逸らせていたようだ。自分の中でしか発生していなかった気遣いの問題であったが、解決した。
「ありがとう、雪華」
「はい」
すれ違いの会話が今発生した気がするが、それはさておきゲームの続きをしようとする二人を背に俺は廊下をでた。
ふと横目に見るとおじさんはまだ仏壇の前にいるようだった。