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8月15日ー1

自分がなにをするまでもなく、時間というものは過ぎ去っていく。摂理であり、誰かにとっては残酷な概念であるのかもしれない。


空はどこまでも広がる青よりも青の背景。それにはどのくらいの高さなのだろうか、モクモクと入道雲が連なっている。


蝉の鳴き声が聞こえる、「ジジジジ」「ミーンミーンミンミーン」「シャーシャーシャーシャー」……。どこで鳴いているのやらわからないその蝉たちの鳴き声は夏の昼に俺たちの鼓膜を意図せず震わせる。


太陽に照らされて額から汗が滴り落ちる。その汗は、この気温よりも熱いであろう黒のアスファルトに落ちて、すぐ蒸発する。


大して涼しくもない風が吹く。潮風か山風かわからないそれは爽やかさを感じさせる匂いで、鼻腔をスゥーっと通っていく。


この暑さの中を歩いていると、非常に喉が渇く。口の中まで乾いてきて、空気の味が鈍くなってしまう。


『夏』、だ。俺は、概念として存在しているその夏は好きだ。

でもいざその場に自分が立つと夏に嫌気がさしてしまう。

写真や、映像、記憶の中の思い出。レンズ越しで見ていたあの夏の風景は、あんなにも眩しく輝いていて、美しさがあるのに。


夏には様々な形が存在する。去年に過ごした夏、100年前存在したであろう夏、誰かが思い描いた夏。


俺は俺の思い描いた夏を、今過ごしているこの夏に近づけたかった。この目の前の夏の風景と、俺の妄想した美しい夏を重ねて、描いてみたかった。


時間を無為に過ごすことはできない。動いても動かなくても、その時間は1秒、1秒と俺を気にせずに進んで行ってしまうから。


夏のある日。遅咲きの鈴蘭と早咲きの紫苑はそれぞれ風に揺れらていた。風にただ吹かれていたのか、風のリズムに乗って揺れていたのか、それは花しか知らない。

これからこの地面には、他にどんな花が咲くのだろう。




『ああ、夏は好きだ。海の夏、山の夏、川の夏、都市の夏、家の夏。いろんな夏が世界には同時に存在している。


そこに自然が存在しても、しなくても、夏を感じる。みんなから見ている景色が違う色をしていても、俺たちは同じ夏の色を見る。


ある人は夏の色は青と言った。また別のある人は緑と言った。もしくは黒と答える人だっているかもしれない。誰がどんな色を想像しても全て夏の色だろう。


ああ、夏は好きだ。俺が見ているこの夏の色は、他の人にとってどんな色に映っているのだろう。』




「ねぇ…」


声が聞こえる。


「ねぇってば…」


聞き慣れた彼女の、透き通ったその声が聞こえる。


「起きてるでしょ?もう」


視界はただ、白で覆われていて、その中で声だけが鮮明に聞こえる。


「……てぇぇええええい!!」


デジャヴ!?

スッと身体を翻して、その攻撃を躱す。躱すときに蹴った毛布がふわりと宙を浮いて、パサリとそのまま地面に着地した。


「おはよ、すず」


「おっはよ、今日もいい天気だね!」


丸めた雑誌を持ったままの彼女は、相変わらずの笑顔を見せる。初めて会ったときとなんら変わらない、純粋無垢な笑顔だ。


「今すっごい懐かしかったわ」


「一週間前のことでしょ、そんなに経ってないよ」


……思い返せば、一週間前のことなのか。色んな人に出会い、色んなことを知り、そうして一つの終わりを見た。濃密な日々だったと感じる。


「いや、それはそうなんだけど。てか今日夏祭りだとよ。準備できてるか?」


「……大丈夫だよ。楽しみだね!」


すずが答えるまでに数秒の間があった。変わらずの笑顔でそう答える彼女に、俺は少し不安を覚えた。


「ん?なんか不安なことでもあるのか?」


「え?ああ!わたしが魅力的すぎてナンパされないか不安なんだよね」


すずが手を頬に当てて照れるような仕草をする。どう考えてもあざといのに、ちょっと可愛いのがずるいと思ってしまう。


「そもそも、この町にそんな若い人は多くないと思うけど」


「汐音ひどい、この町にも未来はあるはずだよ」


「ないかもしれないって思わないとその台詞出ないだろ」


「これは、……まぁ仕方ないよ。うん」


何かを言い返そうとしたが、なにも思いつかなかった様子のすず。納得した様子で少し悲しそうな顔をする。俺は、すかさず話題を変えた。


「浴衣だっけ?夏祭りに着ていくのって」


「うん!怜奈ちゃんが着てたものなんだって!意思を継げるかな?」


「……きっと、すずが着てくれたら大喜びするよ」


「あ!下駄も履く?」


ふと、ハッと思いついたかのようにすずがそう口にする。

なんの意図かわからないが、少しワクワクしたような表情でこちらをじっと見てくる。


「下駄はそもそも買ってないって、そこまで本格的なことしないって言っただろ」


「下駄攻撃力高いのになぁ……」


下駄は蹴とばせば、ガラスくらいなら破壊できるだろう。できれば、そんなことはやらないで欲しいと切に願う。


「変な装備するなよ」


「スナイパーライフル?」


平然とした表情で、すずはそう言った。物騒だ。こやつは下駄では物足りぬと申すか。


「目標は1000メートル先?この町そんなに大きいかな」


「汐音、それはバカにしすぎだよ、流石に全然あるよ」


「そっか、すまぬ」


「そういえば今何時?」


ふと辺りを見渡す。もう外が明るくなっていて、朝であることはわかった。

ただ、夏の朝というのは早い。5時くらいでもかなり明るくなる。


「7時くらい?今日は雪華ちゃんの当番だから台所にいるかもね」


「今日くらいは手伝いに行くか。雪華の当番のとき、大抵起きたら8時でもう朝ご飯出来てるからな」


「かたじけない」


突然、堅物な表情をして胡坐をかき、どっしりと構える。なにをしているんだろうか、こいつは。


「なんで急に武士になったんだよ」


「汐音の真似!」


「……そっか。じゃあ行くか」


「ちょっと、なにか反応してよー!」


【奇行】の称号を手に入れた彼女をさて置き、雪華のいる台所の方に俺は向かった。

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