8月12日ー3
買い物から家に帰ると、蓮がインターホンを鳴らしているところだった。
「お、汐音。今はここにいるんだってな、遊びにきたぜ」
「はは……、そこの公園で……」
「はいはーい……」
最悪だった。いつかこうなることは予想していたが、タイミングは今じゃなかった。すずと蓮が鉢合わせた。そのうえその場に俺がいる。
「怜奈!?え?幽霊?」
「は、……初めまして!すずです!」
「すず?い、いや2年前にあの海岸で……。おい汐音どういうことだよ、2年前本当は怜奈は助かってたのか?いやでも」
「汐音……記憶、戻ってるの?」
「あ、いや……。え、戻ってるって、やっぱりすずは知ってるのか?俺の過去」
それぞれがそれぞれで隠し事をしていたせいで、目の前の状況が悪化が悪化を呼ぶ事態になった。
「ちょっと……、考え事してくる」
そう言ってすずは走り出してしまった。
「お兄ちゃん!追いかけて!なにがあったのかわかんないけど多分大事なことなんでしょ!」
「あ、ああ」
「汐音、なんかわかんないけど、俺も」
そう言って蓮が俺の方について来ようとするが、
「蓮くんは、ややこしくなった原因なんだから今は行かないで!」
気の利く雪華がそれを制止していた。
すずは避難タワーの方に向かっていた。多分、すずは誰もいないところに行きたいのだと思う。
追いかけて避難タワーを登ると、その最上階に彼女はいた。
「えーっと、汐音。ここからの景色綺麗だね、やっぱり山より高いからかな」
「どうしたの、汐音?」
そう言いながら振り向いて、いつもの口調で問いかけてくる彼女、その雰囲気はなんら変わりないものだった。
その様子で少し安心した自分がいた。
「どうしたの、って言われてもそれ台詞を言う人が別な気がするけど」
「確かに、そうだね。わたし普段外出ないもんね」
「ああ、怜奈を覚えている人に会うとめんどうだからな」
俺のその言葉で彼女の表情が少し濁る。
「……うん、怜奈ちゃんは2年前に亡くなってるから」
「怜奈ちゃん、ってお前は怜奈じゃない……のか?」
「汐音は思い出したんじゃ、ないの?」
「ああ、何一つ思い出せてることはないよ。蓮とあったのはたまたまだから。
2年前のことも、聞いたことしか知らない。でも俺が2年前の時点で汐音だったことは気づいたよ」
蓮と会っていたことを知られた以上、もう隠しても仕方のないことだ。
「そう、なんだ。ほんとに何も思い出してない?」
「ああ、俺が誰だったのかわからないから、探りたかったんだ。
お前は、怜奈じゃないのか?でも2年前のことを知ってるんだよな?」
「わたしは、怜奈ちゃんでもあるよ。でも、わたしは怜奈ちゃんじゃない……」
その言葉で、俺の夜にした推測が少し間違っているであろうことを悟る。
「怜奈は、本当の意味で死んでるんだな。2年前に」
「うん。どのくらい話したらいい?どのくらい、汐音は気づいてる?」
「今の会話で気づいた部分が多いから、えーっと……俺は2年前のあの日、汐音が死んでないことと、君が、すずであるってことに確信があるってあたりかな」
「今の会話で、って汐音はやっぱり賢いや。汐音のことを知ってる人はこの町にほとんどいないからなんとかなるって思ってたよ。
……時間の問題だったんだね。
えっと、じゃあ、とりあえずわたしはあの日になんで汐音だけを守れたって話をしたらいいのかな。
わたしも怜奈ちゃんの記憶しか持ってない以上は言いにくい話もあるからさ」
「……うん」
「怜奈ちゃんは汐音と出会う数日前、黄昏色に輝く石に触ったの。
でもその石は、触れた瞬間に消えてしまって。ずっと過ごしててもなにもないから、怜奈ちゃんはあれは気のせいだったのかなって思い始めた。
2年前の汐音はね、世界に絶望してたの。だからとにかく現実から逃げるためにこの町に来たって言ってて……。
怜奈ちゃんは、純粋だったから『汐音を元気にしてあげたい』って思った。『この世界のこともっと好きになってほしい』って思った。
『汐音に家族がいないのなら、私が汐音の家族になるよ』って。
覚えてない?この記憶も汐音から消しちゃったのかな」
「覚えて……ないや」
「ごめんね、わたしは悲しい記憶だけ消してあげようと思って汐音の身体をずっと直し続けたつもりだったんだけど、うまくできなくて『思い出』にあたる記憶は全部消えちゃったみたい」
「その黄昏色の石ってのは、人を生き返らせる力なのか?」
「ううん、あれはそういうものじゃない。あれは、誰かを災禍から守るための石。元々の、あの石が生まれた世界では、昔からずっと村の人たちを守るために使われてきた。
時間が経つにつれて伝承は歪んできて、すれ違いもあったけどね」
「あの世界……?」
「ごめん、話が逸れちゃったね。いつか汐音には話すよ。わたしが生まれた、わたしが守りたいと願ったあの世界も、わたしの好きな世界だから」
「お前は、すずはその石なのか?」
「わたしは、何なんだろうね?
怜奈ちゃんの記憶も持ってるし怜奈ちゃんの見た目だけど、怜奈ちゃんの身体じゃないし、怜奈ちゃんはこの世界ではもう死んでるから。正直わからないかな」
「俺は、やっぱり汐音なのか?」
「わたしは、ずっとそう思ってきたけど、考えてたらわからなくなっちゃった。
魂って、なんだろうね……。記憶も、体も全部揃ってなきゃ、自分じゃないのかな」
「そう、か。でもそれは……、これから探していけばいいんじゃないか?」
「これから……」
「俺は、今の生活を手放したくない。だから今日のことだって本当は隠し通すつもりでいたんだ。
そりゃあ、いつかは話して欲しいって思ってたけど、でもそれはすぐじゃなくて良かった。いつか、で良かった。
君が、……君と幸せな時間をずっと過ごせるならそれでいい。
俺にとって、ずっと映ってるのは怜奈じゃなくて、君だ。俺がこの世界を瞳に映してから君のことしか知らない。
だから、君が自分のことを『すず』だって言い切れるようになるまでは、君が何者なのか、一緒に探すよ」
「汐音……」
「君のことをすずって世界で初めて呼んだのは、俺だから、その責任は取るよ」
「……うん!」
いつも笑顔を見せてくれる彼女、……いや、すずが見せてくれたのは、罪悪感も嘘偽りもない、俺を惚れさせた、この世界に一人しかいない女の子の、純粋な笑顔だった。
そうして黄昏だった辺りがもう暗くなってきた頃、俺たちは帰路についていた。
「ねぇ、汐音。さっきのは告白って受け取っていいの?」
「え?えええ?そうか?別にそれでもいいけど」
「はああああ?優柔不断すぎて最悪、地獄に落ちちゃえ!」
「俺、天使に天国に連れていかれるのが確約されてるから。やっぱり善行をした人は救われるんだな」
「汐音は無宗教でしょ、何言ってんの」
「まあごめんごめん、冗談。告白はまたどっかのタイミングでいいか?解決してないことがあるからさ。それが解決してからがいいんだ」
「解決してないこと?なんかあったっけ」
「さっきの言葉も忘れてるのかよ。すずがすずであることの証明をしなきゃ、君は満足に生きられないでしょ」
「正直、汐音に認められただけで十分と思ってるけど、やってくれるならしょうがないなぁ。ってなにすればいいの?全然話読めない」
「夜ってやつと、怜奈を殺した人間探し」
「うわ物騒、だけどそっか。その2人があの石に関わってるからね」
突然出された意外な事実。
「え?そうなの?怜奈に手を出さざるを得ない原因はあると思ってたけど、石関連なの?」
「え、汐音そんなことも知らないで、言ってたの?……いや知らないのは当然か。怜奈ちゃんしか聞いてないんだから」
「さっきまで石の話しかしてなかったけど、そうか怜奈の記憶を持ってるってことは、怜奈を殺したやつの顔を見てるのか」
「うん、ばっちり、汐音の記憶にもあるよ」
「あ、ああ。俺の記憶も持ってんのかお前。返せよ」
「やだよ、だって汐音がもう見たくないって言ってた記憶も一緒に入ってるんだから」
「まぁそうだよな、いい感じに分けれなかったから俺に記憶が何一つ残ってないんだよな。ん?何一つ?」
「どしたの?剃り残しあった?」
「髭みたいに言うなよ。
お前が白いワンピース着た時だったかな、確かなんか思い出した気がしたんだけど……。ビー玉?」
「わたしの手の届かないところにあったものかもね。ビー玉のお話は思い出しても全然大丈夫だよ」
「それが思い出せないから、わだかまりになってんだよな」
「残念、いつからやるの?夜くん探し」
「普通に明日からだな、もう夜になるし」
「ダジャレ?」
「そいつがそういう名前なのが悪い」
「まぁ2年前にあったことのお話は必要だよね。明日、怜奈ちゃん視点の記憶話してあげるよ」
「別に今話してくれてもいいけど」
「正確に自分の記憶じゃないから、ちょっと整理するのに時間がかかるの、せっかちな男は嫌われるぞー」
「でもお前、俺のこと好きじゃん」
「うっさい、まだ一回も好きなんて言ってない」
「……俺は、お前のこと好きだよ」
「…………ぅるさい」
「さーて走って帰るかー。遅い方風呂掃除しろよ」
「あー、待って、ごめん、言うから。す、す……」
「ん?」
「すし。」
「へっ、当分お前にゃ無理だな」
「もうそれでいい!汐音のバカ」
「よし、行くか」
「え、競走は本気でするの?わたし絶対負けるんだけど、ちょ、なに、え、えええ?」
俺はすずを背負って、家まで走った。




