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8月10日ー1


……ガリガリ、ガリガリ。


耳障りな音で起こされてしまう。その音は俺が目覚める前からずっとしていたのかもしれない。


「ん、んぅうう……」


目を開けると、イノシシがそこにいた。イノシシというものをおそらく実際に見たことはなかったのだが、目の前にいるそれがイノシシであることは一目でわかった。

それは想像しているイノシシよりも、案外スリムな身体つきをしている。


「うわあああああ!!」


思いがけない光景につい大声が出てしまう。


「え!?なになに幽霊でもでた?」


今日もまた頭を団子に結んでいるすずが、俺に声にびっくりして跳ね起きる。すずが蹴とばした毛布が綺麗に放物線を描く。


「い、いや、そこにイノシシが……」


と、指さすともうそこにその姿はなくなっていた。俺の声のせいか、俺を驚かせたその主は逃げて行ってしまったようだ。


「えっ……いないじゃん、脅かさないでよ汐音。ってきゃあああああああ!!」


「え、なになに急に。俺に見えないなにか見えてるの?」


「く、蜘蛛がぁ……」


「ある日のことで、ございます?」


「御釈迦様は極楽の……ってそんなこと言ってる場合じゃないよ汐音!!」


昨日行きの車で雪華が渋い顔をしていたのは、このことか。昨日はたまたま遭遇しなかっただけで、家の中にも虫がいるんだな、ここ。うむ、大自然。


「まぁ家蜘蛛は、いてこましたらあきまへんから」


俺は比較的に虫は別に苦手でもない、とは言っても好きというわけでもないが。この場で動けるのは自分だけだから、俺が追い払うこととしよう。


「そ、そうだね……」


硬直しているすずを追い越していき、すずの視線の先に向かう、大きい。虫には詳しくないが、アシダカ軍曹であらせられるか。しっしっと手を払う形で見えないところまで追いやる。

蜘蛛自身は悪くないが、共存にはある程度のプライベートゾーンを設けなければならない。


と、和室の向かいから来たらしい、ボサボサの髪のままの親父が襖の戸を開けて顔を出す。


「お前ら朝から元気だな、朝から怪談でもしてんのか?」


「イノシシが……」「蜘蛛が……」


揃えて俺たちがそう言うと、親父が馬鹿にするような顔でガッハッハと笑う。


「そりゃ、すぐそこに山あるんだしイノシシも蜘蛛もいるだろうよ。明日には猿でも出るかもな」


「いや、今日帰るんだろ。ここで過ごす明日はない」


「確かに、汐音1点獲得」


そう言いながらハッとした顔で親父が俺の方を指さした。


「なんの点だよ。雪華はもう起きてるのか?今日も雪華のご飯か、楽しみだな」


「雪華、最近張り切ってるからな。親目線としては、学校に行って欲しい気持ちは強いけど、それ以上に無理はしないで欲しいって気持ちがあるから、いつか自然に雪華が行きたいって言ってくれたら……」


「ていうかお前ら、昨日スマホ……」




……ずっと見てきてわかったことがある。

親父は俺たちを、親子という関係から見ている部分よりも友達のような関係として見ているのだと思う。


でも雪華に対してだけ、親としての目線が強いのは、血縁関係があるから、ではない。


その理由は、親父の目から見ると、まだ雪華が一人で生きていけるようには見えないから、なのだろう。


中学3年生はまだ若いと言っても、第二次反抗期を迎え、親から精神的に自立しようとし始める歳なのだと思う。


雪華は、生活の面においては自分なんて足元に及ばないくらいには優秀で、金を稼ぐあてさえあるのなら、能力としては一人で生きていく能力はあるだろう。


でも、一人で生きていく生活できる能力があることと、一人で生きていけることは字面は同じでも全く違うことなのだと俺は思う。


社会で生活していくと、逃げられない苦痛や越えられない困難が発生する。

どんな人間でも、普通に暮らしていくといつか精神を病む。現状維持をしているだけで十分なはずなのに、自分はなぜもっと上を目指さないのだとか、自分が自由に暮らしていることで誰かに迷惑をかけていないか、だとか。

人間は答えが明確にない問題で深く心を悩ませ、考え込んでしまって、いつかそれに疲弊して病んでいくのだと思う。


そういう時に自分を救えるのは、常に自分じゃなくて他人だ。


自分の気の持ちようすら、頼れるのは自分の言葉ではなく、他人の言葉だ。

それは家族のものかもしれないし、近所の苗字しか知らない誰かかもしれないし、誰もが知っている偉人かもしれない。


人は大人になっていくと、大抵真正面から「助けて」と言いにくくなる。隠れたサインとして出しがちで、それに気づける繊細な人間は比較的少ないように思う。


雪華は、まだ子どもでいいのに、大人になれる段階をまだ踏んでいないのに、大人になろうとしている。

雪華が学校に行かなくなった原因は、……本人に聞かないと本当のことはわからないが、『家族がいる他人を見るのが辛くなったから』なんじゃないか、と思う。


この世の全てを好きになることは、誰にもできない。自己を持つというのは何かを受け入れないことと同じ行為だ。

だから拒絶というのは賢い判断で、でも正しく使わなければ失うものも多い判断なのだと思う。


雪華は他人を認識する前に、他人を拒絶した。でもこの世界で一人で生きていくのなら、他人を認識することから逃れることはできない。


雪華が親離れするプロセスに必要なのは、親の庇護から離れて自立することじゃなくて、親以外のなにかに頼れるようになることだ。


そうするためには、まず親以外の人間である俺が……。




「……ーおーん!おーい?聞こえてる?寝ちゃった?」


すずが俺の目の前でブンブンと視線を切るように手を振っていた。


「ん?ああ、ごめん考え事してて全然聞いてなかった」


「おじさんが昨日せっかくスマホ買ったのにわたしたちが箱から出そうともしないから泣いたんだって」


「へぇ、それは酷いことをしたな」


「嘘をつくな、嘘を。俺は買ったものの中身は、一回くらいは確認しろって言ったんだ」


「えーそれほぼわたしの言ったことと同じじゃんー」


「全然違うわ、ちょっと車の様子見てくる、朝ごはん食べるときは呼んでくれ」


「うーい」「はーい」


言われた通りに開いてスマホを確認する。

うん、綺麗な光沢の青。

どれどれ、……アカウント設定とかメールアドレスからやらないといけないのか。


……うーん、あとでいいかな。一回見るというタスクはこなしたし親父も満足だろう。


「ねぇねぇ汐音、壁紙設定しようよ。ツーショット?」


すずが顔を寄せてきて、「はい、チーズ」なんて言ってくる。


「恥ずかしいわ、なんか景色とか……あ」


昨日せっかくあんなに綺麗な星空を見たのに、見る事に夢中でカメラで撮ることを忘れていた。


カメラなどの記憶媒体の欠点はこれだ。

撮ろうと思って持ち歩いているとき、無難なものは撮ることができるが、最高の瞬間になると自分自身がそっちに夢中になってカメラの存在を忘れてしまう。


なんとなくの後悔。まぁ天の川は新月の日の方が綺麗って言ってたし、いつかまた来るよな、ここ。


「ちょっと、汐音顔逸らさないで、そのまま撮っちゃうよ」


「だから撮らないって言ってんだろ」


「お兄ちゃん、すずさん、朝ごはん……ってなにしてるの?」


「あ、雪華ちゃん。聞いてー、汐音が写真撮らせてくれないの、わたしの写真は撮りたいって言ったくせに」


「それは……、良くない。良くないよお兄ちゃん」


「うっ……、じゃあ3人で撮ろうぜ」


「私も?いいけど……。じゃあエプロン脱ぐから、」


「いや、そのままがいいかも。なんとなくだけど」


「そ、そうなの?う、うん」


「じゃあ2人ともー、撮るよ、もっと寄って」


とすずが左手で内カメラを構える。


「お、おう」


「汐音だけ少し距離ある、もう少し寄って!」


「ごめんって」


とパシャリ、


「もう1枚ー、」


パシャリ。3人で、撮れた写真を確認してみる。


「おお、いい感じじゃない?あ、でもこれ汐音が半目かも」


「撮るって決めたからには付き合うよ。ん、もう一回」


「はい、チーズ」


とパシャリ、今度はピースをしてみる。


「もう一枚、よいしょー」


雪華とすずもそれを見て同じように、すずは空いている右手で、雪華は両手で元気に可愛くピースをする。


「最後に一枚、ピース」


とパシャリ。


「やっぱあと一枚、ピース」


そういいながらスムーズな手で、すずが犬加工のフィルターを入れる。


「おい」


とパシャリ。


「すず、最後のは消せよ」


「やだよー、撮ったもん勝ちだよ。あ、雪華ちゃんにもあとで送っとくね」


「LUKEだっけ、あれ」


チェスの駒の動きになぞらえて、

相手に直接コミュニケーションをとるメッセージアプリがLUKE、同社から出ている全方向に発信するのを目的とするSNSがQUEENとなっていて、

主にこの二つがコミュニケーションアプリとして主流になっている。


すずが言っているのは前者のメッセージアプリの方である。


「せっかくだし、お兄ちゃんとすずさんと私の3人のグループ作らない?」


「いいねぇ雪華ちゃん、わたしもおんなじこと考えてた」


「待って、俺それアプリの入れ方からわかんないんだけど」


「汐音ってほんとに現代人?もう、仕方ないなぁ、わたしがやったげるよ」


「アリガトウゴザイマス」


「お兄ちゃん、なんでカタコト……」


すずと雪華にそのままスマホの使い方を色々と教えてもらって、朝ご飯にすることにした。

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