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「モテるのは幸助くんでしょ」
私は言葉を付け足した。
どうして彼は私がモテるのだろうと思ったのだろう。
彼が何か言おうとした瞬間に「峯川!」という声がどこからか聞こえてきた。
「やばい、逃げないと」
「なんで?」
私の反応を幸助くんは不思議そうに見ていた。
音楽の先生――工藤雅也が私を探している理由なんて一つだけだ。
私は彼に絶対に捕まりたくない。
「じゃあね、工藤くん! ……じゃない! 幸助くん!」
焦り過ぎて、間違えて先生の名を呼んでしまった。
先生とも幸助くんともサヨナラだ。私はこのまま学校から去ろう。
駆け足でその場を去ろうとした瞬間、幸助くんに腕を掴まれた。
「はい?」
…………何が起こっているのだ?
もしかして、私を工藤先生に差し出すつもりなの?
「なんで逃げてるかだけ教えてよ」
なぜあんたなんかに教えなければならない、と言いたくなったが、彼の力があまりに強くて私は腕をはらうことを諦めた。
「教えたら手を離してくれる?」
「いいよ」
「おい! 笠原! そのまま峯川を掴んでろ!」
私たちの会話に工藤先生の大きな声が入ってくる。
……急に幸助くんと工藤先生がグルになったらどうしよう。
「このままだと、先生来るぞ」
この少ししか会話していない時間で、一つだけ分かったことがある。幸助くん、性格は良くない。
梨穂子、この男はやめておいた方が良い。
「無理やりコンクールに出さそうとしてくるの!」
私の言葉に幸助くんは「コンクール?」と訝し気に私を見つめた。
……私の発する言葉をいちいち理解しようとしないで。
そうこうしているうちに私は工藤先生に捕まってしまう。工藤先生に捕まったら、本当に厄介なのだ。
私の下校時間が大いにずれる。
思い切り、腕を振り切った。……あ、抜けた。
幸助くんが「コンクール」が何のことか分からなくて戸惑ったのか、私の手を握る力が弱くなっていた。
おい、という幸助くんの言葉を無視して、私はその場から全力で立ち去った。
もし、彼が私を工藤先生に引き渡していたら、彼のことを八つ裂きにしていた。
…………私はもうピアノと距離を置いたのだ。
元カレの元に戻らないのと同様、私はもうピアノのところには戻らない。
私の居場所は他に新しくつくる。