1.青年王は美形につき、お断り(2)
「任じるって、どんだけ上からよ! しかも‘禁じる’って何? どうして、あたしが貴方に従わなければならないのよっ‼」
「従えないのであれば、魔女として火炙りに処す」
「はぁ? 魔女ですって⁉ あたしは魔女じゃない‼」
「俺には、魔女とドルイダス(女賢者)の違いなど分からない。どちらも怪しげな術を使う」
「ぜんぜん違うわよっ! どこがどう違うのか、何も知らない人間に教えるのはちょっと時間がかかっちゃうんだけど……」
「だったら、時間をかけて教えてくれればいい。王の相談役というのは、そういう役目も担うものだ」
「嫌よ。どうして、あたしが。お、こ、と、わ、り!」
きっぱりと告げて、マーシャは青年王の顔を睨み付けた。ところが、その顔が彼女を怯ませるほどの美形だったことが、彼女の不幸の始まりだ。
結局、マーシャも他の女性たちとそう大きくは違わない。綺麗で美しいものが好きで、寂しげで未熟なものを放っておけなかった。
一度去りかけて、再び青年王の前に戻ってきたマーシャは、これまでで一番穏やかな声音を響かせて彼に尋ねる。
「どうしてあたしなの? もっと優秀なドルイドがいるわ。あたしの師匠や兄さんたちを紹介してもいい」
プラチナブロンドが左右に揺れる。
「お前がいい。お前でなければダメだ」
「だから、どうして?」
青年王は押し黙った。なぜそこで黙るのだ。じれったい。三年もかけてマーシャの行方を追い、マーシャがキャメロットにやってくるのを待ち構えて捕らえたくせに。
そうせずにはいられない想いがあるはずなのになぜそれを言おうとせずにマーシャをただひたすら理不尽に縛り付けようとするのだろう。
(そんなに恨んでるの?)
いや、違う。そうまでして執念深くマーシャを恨んでいるのだとしたなら、相談役として常に傍に置こうとするだろうか。マーシャの顔を見たとたん、その首に剣を突き付けていたはずだ。
実力を認められているわけでもない若い王が、これまでにどんな苦労と困難を重ねてきたのか想像するに易い。だが、だからと言って、自分を王にした――と彼は考えている――マーシャのことを憎んでいるようには見えなかった。
マーシャは青年王を見つめながら両手を腰に添えて首を傾げる。
「あたしのことを恨んでいるわけではないのよね?」
「恨む?」
「貴方に玉座を押し付けておいて、自分は自由に旅をしているから……?」
さらに首を傾げながら尋ねて、違うのだとマーシャは確信を得た。
(――だとすると、彼のこの執着心は、いったい何なの?)
他国や諸侯たちの干渉を退けたくて賢者を欲しているのであれば、それこそマーシャのようなドルイダスよりも、いかにも知識を蓄えていそうな老齢なドルイドの方が良いに決まっている。
マーシャでなければならない理由が、いったいどこにあると言うのか。
(分からない)
けれど、もはやマーシャには、目の前で悲痛な表情を浮かべ玉座に座る青年に、何の言葉もかけずに去ることができなくなっていた。
「譲歩してあげる。だから、貴方も一歩ゆずって。あたしはしばらくキャメロットに留まる予定だから、その間は貴方と揉めたくないわ。貴方の望み通り相談役を引き受けてあげる。でも、あたしがキャメロットを去る時は絶対に引き止めないで」
「いつ、キャメロットを去る?」
「探している人がいるって言ったでしょ? その人が見つかるまでか、もしくは、キャメロットにはいないと分かるまで。そうね、だいたい一年か二年くらいかしら」
「そんな短い期間しかいない相談役に意味などあるものか。ドルイダスを失った王と嘲りを受ける上に、そのような王が治める国だと軽んじられ、キャメロットが侵略を受けることになる」
「そっかぁ」
マーシャは視線を漂わせながら、おずおずと頷いた。彼の言うことにも一理ある。十分に起こり得ることだった。
「それなら、あたしに人を預けて。ひとりね。なるべく賢そうな人がいいわ。その人を弟子として迎えて、ドルイドにする――とまでは行かなくとも、それなりの知識を与えるまでちゃんと面倒を見るから」
「弟子がドルイドの知識を物にするまではキャメロットを離れないと言うのだな」
「ええ、そうよ。二年でそこそこにしてみせるわ」
それなら文句ないでしょ、と言えば、青年王は渋々といった様子で頷いた。マーシャは、ほっと胸を撫で下ろす。
「それじゃあ、あたしの住まいに人をよこしてね。先に帰るわ」
「何? ……待て! 城で暮らせと命じたはずだ!」
慌てたように玉座から立ち上がった彼を見上げてマーシャは人差し指を立てた。
「あたしがひとつ譲ったら、貴方もひとつ譲るべきよ。相談役になるわ。弟子も取るわ。その代わり、相談役は期間限定。弟子がそこそこ知識を得るまで。その弟子の教育は城ではなく森でする。もともと、ドルイドの修行は自然の中でするものなのよ。人の手で積み上げた石や鉄ばかりの城ではできないわ」
「……分かった」
漆黒のマントを大きく翻して、今度こそマーシャは二度と振り返らない決意で玉座に背を向けた。大扉に足を向けると、左右の兵士が反射的に槍を交差させたので、キッと睨み付けてやる。彼らは気まずい表情を浮かべて槍を元の位置に戻した。
森に戻ったマーシャを迎えたのは、一匹の黒猫だ。すーっとどこからともなく現れて、マーシャの足に柔らかな体を擦り寄せてきた。
「もうっ、ビリーったら、いったいどこにいたのよ?」
にゃあ、とまるで普通の猫のような声を出す相棒を抱き上げて、マーシャはその緑がかった金色の瞳を覗き込んだ。
黒猫の両脇に両手を差し入れて持ち上げると、細い両足と長い尻尾がぷらぷらと揺れ動く。ビリーはマーシャに見つめられて、髭をそよがせ、三角に尖った耳をぴくぴくと動かした。
『だって、マーシャが僕のご飯を忘れて家を建てるのに夢中になっているから。だから、僕が自分でどうにかしなくっちゃって思ったんだ』
ひと気がなく静かな森に甲高く響いた幼い男の子の声は、猫の口から聞えてきたものだった。
『小鳥を捕まえて食べてやろうと思ったんだけど、あいつらすばしっこくって。今度こそ捕まえたと思って飛び掛かったのに、目の前をバタバタ飛んで行くんだ。本当にあともう少しで捕まえられたのに。だから、次こそは捕まえるぞ、次こそは……って』
「追い回すのに夢中になってしまったのね」
『うん。それで、気が付いたらマーシャがいなくなってたんだ。いったいどこに行っていたの?』
「ちょっとね」
マーシャはビリーを肩に担ぐと、ふわりと空に浮かぶ。羽毛が風に吹かれて舞い上がるように、ゆっくりと上昇していき、オークの木の上に建てた家の戸口の前で降り立った。
家の中は、今朝飛び出して行ったままの状態に保たれていた。飲み掛けのハーブティーがテーブルの上に放置されている。すっかり冷めてしまっているが、これはこれで飲めなくもないので、マーシャはテーブルの脇を素通りしてキッチンに向かった。
マーシャの家は、外観に反して中は想像を越えて広い。戸口から入ると、奥に広い部屋となっている。
すぐに目に付くものは、部屋の中央に置かれた大きなテーブルだ。それから、森を見渡せる窓辺に置かれた揺り椅子。窓のある側とは反対側の壁は、一面が本棚になっていて、童話から歴史書、図鑑まで、ありとあらゆる本をコレクションしており、棚に入りきらなかった本たちは中央のテーブルに積み重ねてある。
キッチンは部屋の一番奥だ。研究に使っている薬剤瓶もそこに並んでいるので、調味料と誤らないように注意が必要である。
黒猫をキッチンの床に下ろすと、マーシャはマントを脱いで、キッチンの入口に下ろされた梯子にマントを引っ掛けた。梯子は屋根裏に繋がっており、マーシャはそこを寝室として利用していた。
「それで?」
マーシャは腕捲りをする。
「小鳥は捕まえられたの? あたしはお腹ペコペコだわ」
『マーシャが何か食べるのなら、僕も食べるよ』
「食いしん坊」
呆れたように笑ってから、マーシャは貯蔵箱の蓋を持ち上げる。数日前に焼いたライ麦パンを取り出すと、抱えるほど大きなそれから食べる分だけ――ひと切れとひとかけら――をナイフで切り分け、残りは貯蔵箱に戻した。
かまどに火を灯す。底の浅い鉄鍋を火にかけて、薄く切って燻製にした豚肉を鍋の底に並べて敷く。しばらく経つと、肉から染み出てきた油が熱々の鉄鍋の上で、じゅうじゅうと音を奏で始めた。白い煙が鍋を覆い始めたのを見て、マーシャは肉をひっくり返し、その焦げ目のついた肉の上に卵を落とす。
じゅわっ、と激しく油が弾け飛んだ。すかさず、鍋蓋を盾にして、顔めがけて飛んできた油を防ぐ。そして、そのまま蓋を鍋に被せた。
「スープは昨日の残りでいいわよね」
『僕はミルクがいいなぁ』
「おととい貰ったものしかないわよ?」
『傷んでなければいいよ』
ミルク壺から平皿にヤギのミルクを注いで、さきほど切り分けたパンの欠片をミルクの中に落とす。
スープは昨日調理した鍋に入ったままだった。いろんな野菜を煮込み、塩で味を調節しながら作ったスープの上澄みだけを掬って、取手の付いたコップに注ぐ。
ミルクとスープをテーブルに運んでから、かまどに戻り、鍋蓋を取った。ほんの少し固まり切れていない目玉焼きとよく焼けた豚肉の芳ばしい香りがマーシャの鼻をくすぐる。ビリーも食欲を刺激されて堪らないのか、マーシャの足元をぐるぐると歩き回って、にゃあにゃあ鳴いている。
白い湯気の立った目玉焼きをパンの上に移して、マーシャはテーブルに移動した。
「頂きます」
マーシャが椅子に腰掛けると、すぐにビリーも追ってきてテーブルの上に飛び乗り、平皿に顔を突っ込んだ。ぴちゃぴちゃと舌でミルクを掬って飲んでいる。
マーシャもパンにかぶり付いた。作り置きのライ麦パンは、とても歯ごたえがある。 肉汁が染み込んだ部分はいくらか柔らかくなっていて食べやすいが、表面は硬いので、スープの中に入れてふやかしておく。
大きく口を開いて、目玉焼きを頬張った。黄身が壊れて、とろりと鮮やかな黄色が流れる。それをあわてて吸うと、マーシャはさらにパンを頬張った。
ぺろりと先に食事を平らげたビリーがマーシャの袖に爪を引っ掛けてくる。マーシャは豚肉を小さくちぎってビリーの鼻先に置いた。
「ねだっても、もうあげない。もしブタになったら猫に戻るまで水桶の中を泳がせるから」
人差し指を立てて厳しい口調で脅せば、いったんビリーの口の中に入った肉片が、ぽろりと出てきてテーブルの上に転がった。
スープを飲み干して食事を終えたマーシャは、窓辺の揺り椅子に本を持って座る。すぐにビリーがマーシャの膝の上に飛び乗ってきて体を丸めた。その柔らかで暖かい毛並みをひと撫でしてから、本のページをめくる。
おーい、と声が聞こえたのは、その時だった。マーシャは眉を潜めて窓の外に視線を向ける。
こんな森の奥に人がやって来るはずがない。聞き違えたことにしようと思ったが、今朝のこともある。また、この国の酔狂な王がマーシャにちょっかいを出してきたのかも知れなかった。
「もうっ、何なの!?」
窓の下を見れば、確かに人がいる。質の良さそうな藍色のマントを羽織っている。その藍色に伸びて広がる襟足の長い髪は、月明かりのようなプラチナブロンド。薄い唇を引き結び、真っ青な瞳でこちらを見上げてくる。
マーシャは膝からビリーを下ろすと、揺り椅子から立ち上がった。
(嘘でしょ……)
とても信じられない。いや、信じたくない。いったいどうして、と込み上げて来る戸惑いを堪えられそうにもなかった。
戸口を開いて、マーシャは家の中から飛び出した。
「あたしは人を寄越してと言ったはずよ!」
身を乗り出すように木の下を覗き込みながら声を荒げる。
「なのに、どうして王が自ら来てしまうのよ!」
「この国で俺が一番賢い」
「んなわけあるかっ!」
「何のためにお前を足止めしていると思っているんだ」
「何のためよ?」
「……一緒にいたいんだ」
「はあ? 聞こえない!」
マーシャは眉間にしわをつくって耳に片手をそえる。
ログレスの青年王は苛立って地団駄を踏み、マーシャを仰ぎ見ながら声を張り上げた。それは半ば自棄になっているように見えた。
「国なんてどうでもいい。賢者なんか知らん。俺はただ、王でいればいつか、あの時に出会った少女にまた会えると思ったから王で居続けていただけだ。そして、彼女がドルイダスだと知ったから、賢者を求めただけだ」
マーシャは言葉を失った。
「側に置けると思ったから相談役に命じたんだ。それなのに、…こんなの……意味がない…」
ああ、まただ。この青年王は寂しいと訴える表情がなんて上手なのだろう。寂しい、悲しいと、言葉にされなくとも伝わってくる。
きっと彼はこうしてこれからも人の情を上手に操って結局は自分の思い通りに事を進めていくのだろう。相手に、仕方がないなぁ、と思わせ従わせる彼の性質は、一種の王たる素質なのかもしれなかった。
マーシャは深くため息をつく。
「あたしはどうすればいいわけ?」
「城に来てくれ」
「無理」
「なら、俺がここに」
「あたしの弟子になるというの? 正気? 城はどうするの? 王としての執務は? 内乱が起こるか、起こらないかの国の危機なんでしょ?」
「国に何か起これば、使いが来るか、のろしが上がる。ここから城まで大した距離じゃない。それに、俺はカンタベリー司教の名のもとに即位した。つまり、ローマ帝国の後ろ盾を持っている。よほどの名分がなければ内乱は起せないはずだ」
「だから、三年も玉座に座り続けることができていたってわけね」
「むしろ城にいると、暗殺される危険がでかい。あちらこちらから間者が送り込まれているし、裏切り者も多い。……信用できる者があまりいないんだ」
「そう……」
ほら、また悲しそうな顔をする。仕方がないわね、とマーシャは木の下に向かって言った。
「弟子にしてあげる。ただし、ここまで登ってくることができたらね。ログレスの王、覚悟なさい。あたしは厳しい師匠だから」
「アーサーだ」
「え?」
「俺の名前。それからもうひとつ。はっきり言わなければ伝わらないだろうから言っておく」
「なに? まだ何かあるの?」
「俺はお前が好きだ」
言い放つと、青年王――アーサーは、大きく見開かれたマーシャの紫色の瞳から視線をそらし、オークの太い幹に足を掛けた。