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1.青年王は美形につき、お断り(1)


「お、こ、と、わ、り!」

 大きく口を動かし、はっきりと。けして相手が聞き誤ることのないように言い放てば、対面した美しく整った顔があからさまに歪んだ。

 冬の夜空に煌々と浮かぶ満月の光で染めたかのようなプラチナブロンド。厭味なくらいに高い鼻は額からすっと筋が通っていて形が良い。その両脇の目元は深く窪み、長い睫毛に縁どられた瞳は南国の海のように真っ青だ。

(綺麗な顔って、不細工な表情をつくっても、結局は綺麗なのね)

 マーシャはこれほどの美形を未だかつて見たことがなかった。――とは言え、彼女がその美しい造形に見惚れたのはわずかな時間だけだ。

 美形だから何だと言うのだ。美形贔屓は世の常だが、誰もがそうとは限らない。少なくとも自分は無条件で美形を優遇したりしない。だいたい、美女や美少女ならともかく、男の顔が美しいだなんて‘美しい’の無駄遣いではないか! と、自分でもよく分からない苛立ちが込み上げてきた。

 かくいうマーシャは、自分の容貌を人に褒められたことが一度もない。腰まで届く黒髪は艶もなく湿気を含んで広がり放題だし、紫色を帯びた瞳は気味が悪いとしか言われない。誉められないままに長い長い時を見送り、しだいに、いまさら誰かに何かを言われたところで素直に受け入れる気持ちもなくなってしまっていた。

 マーシャは儀礼のために跪いていた体を起こして立ち上がる。すると、裾の長いチュニックが布擦れの音を響かせながら流れるように彼女の細い足首を隠した。

黒橡色のチュニックは胸のすぐ下で帯を締めており、帯には黒地に銀糸の刺繍が施されている。マーシャは目元が隠れるくらいにフードを深く被ると、漆黒のマントを翻して玉座の青年に背を向けた。

 石造りの縦長の部屋は謁見の間だ。その出口をマーシャは睨み付ける。両開きの大きな扉の左右に槍を掲げた兵士が立っていて、彼らはマーシャと視線が合うと互いの槍を交差させて彼女の行く手を阻んだ。

 マーシャは地団太を踏んで体ごと大きく玉座を振り返った。

「あたし、忙しいの! この都にだって長く留まるつもりはないわ。人を探しているの。その人がここにいないのなら、あたしだって、ここにはいられない‼」

 玉座はマーシャが踏み締める床よりも数段高い場所にある。その大部分は鮮やかな赤い生地に覆われ、背もたれや肘置きは金で飾られている。そうした位置関係のせいで、マーシャが玉座の青年を見ようとすると、どうしても上目遣いになってしまう。

一方、青年の方も不機嫌を取り繕おうともしない青い瞳でマーシャを見下ろしてくる。

「探し人は何者だ?」

「あたしの運命を変えた大事な人。――あたしの『騎士』様よ!」

「騎士様だと?」

「ええ、そうよ、『騎士』様よ。必ず探し出して、彼の力になりたいの。今のあたしがあるのは、彼のおかげだから!」

 捲し立てて言えば、少しばかりスッキリとした心地になってマーシャは顔を上げた。

すると、玉座の方から歯ぎしりが聞こえてくる。ほっそりと長い指がプラチナブロンドを掻きむしり、盛大なため息がマーシャに向かって放たれた。

「俺はどうなる?」

「え?」

「お前が俺に剣を抜けと言ったんだろ。三年前、カンタベリー寺院の庭で、石に突き刺さった剣を。あれを抜いたがために俺は今ここに座っている」

「それは……」

「この国が今どういう状況なのか知っているはずだ。俺の即位に不満を持った諸侯や他国の王たちが戦を仕掛けて来ようとしている。それなのに、お前は、お前が玉座を与えた王を放り出し、どこに行こうと言うんだ? 無責任過ぎると思わないのか?」

「あたしが貴方に玉座を与えた? 違うわ。あたしはただ、師匠に命じられた通りにしただけよ。剣が突き刺さった石のもとに貴方を案内しただけ」

「だから、俺が剣を石から引き抜くと、お前はすぐに姿を消したのか? ――探し出すのに三年もかかった」

 悔しそうに、そして、寂しそうに声を漏らされて、マーシャは次に言うべき言葉を見失った。改めて玉座に深く腰掛ける青年の姿をまじまじと見つめてしまう。

 ほっそりとした手足に、頼りなさを感じさせる肩。伏せた目元には睫毛の影が色濃く下りていて、憂いを帯びて見えた。

 ズルいことに、この美形の青年王は、ある年齢を超えた女性の庇護欲を激しく駆り立てる表情と態度に長けていた。未熟さを隠すためのぞんざいな態度を一変させ、ほんの少し顔を俯かせるだけでいい。そうすれば、大抵の女性たちは彼の望みを叶えずにはいられなくなるのだ。

 この時、マーシャも魂を奪われたかのように動作を止めて、彼の物悲しげな表情を見つめながら、あともう少しで彼の望みを叶えるために優しい言葉を唇に乗せようとしていた。

 ――だが、そうはいかない。

 マーシャは今朝方された彼からの仕打ちを思い出した。



 たかだか石に突き刺さった剣を引き抜いたというだけで王になった青年が治める国をログレスという。

 その都のキャメロットから些か離れた地に深緑の森が広がっており、マーシャはその森の奥に居を構えることに決めた。昨日のことだ。

 大きく育ったオークの木を見つけると、太くて頑丈な枝の上に赤い屋根の小さな家を建てる。まるで子供の秘密基地のような家は、根無し草のようにブリタニアのあちらこちらを旅しているマーシャの馴染みの仮家だ。彼女はどこに流れ着いても似たような小さな家を大きな木の上に建てる。

 マーシャは昨夜遅くに完成したばかりの家で朝陽を迎え、その出来栄えを味わいながら窓の木枠に頬杖を着いて森を眺めた。青みかかった瑞々しい緑色の光が淡く辺りを包み込んでいる。

 陽の光を透かした若葉の屋根が風にざわめく度、ふわふわと羽毛のような苔を敷いた地面に落ちた木々の影がまるで万華鏡を覗いているかのようにその模様をくるくると変えていた。

 木漏れ日は薄絹の長い長いドレスのように揺らめいて、緑青色に輝く木々の上にあるだろう美しい女神の姿を想像させる。

(ああ、良い天気! ブリタニアには珍しくよく晴れたわね。気持ちの良い朝だわ。何か良いことがありそう)

 マーシャは高く両手を空に突き上げ、大きく伸びをした。冷たくて美味しい空気を肺いっぱいに吸い込むと、大きな幸福も一緒に胸の中に吸い込めるような気がした。

(ここなら、きっと会えるような気がする! 今度こそ。きっと‼)

 突き上げた両腕をゆっくりと下ろしながら吸い込んだ空気を少しずつ吐き出していく。――そして、その息がすべて吐き出された時、マーシャの運命の歯車が動き始めた。

 後々になって思えば、彼女が新天地に希望を抱き、腰を落ち着かせた安堵と幸せを噛み締めることができたわずかな時間は、息を吐ききったその瞬間までだったのだ。

 マーシャの耳に草地を踏み荒らす音が幾重にも乱れて聞こえてきた。それは遠くの方から、そして、次第に近付いてくる。

 何事かと眉を顰めたものの、まさか昨日ここに流れ着いたばかりの自分と関係があるとは思わない。放っておけば、近付いてくる足音は自分のもとを通り過ぎ、森は静けさを取り戻すだろう。そう思い、マーシャは家の奥に籠ろうとした。ところが。

「魔女、出て来い!」

 マーシャはぴたりと動作を止めた。自分に向けられたものだとしたら容易には聞き流すことのできない単語が含まれた呼声だった。

 飛びつくように窓に駆け戻り、そこから身を乗り出して外の様子を見渡せば、マーシャが居を構えた大木の下で十数人の男たちが槍や剣を手にしてこちらを見上げていた。

「誰が魔女よ! 失礼なこと言わないで‼」

「一緒に来て貰おう。さもなくば、この辺りの木々を焼き払うぞ」

「ふざけないで。いったい誰の権限でそんなこと言うのよ!」

「ログレスの王。これは王命だ」

 窓の下に向かって声を荒げていたマーシャは思わず息を呑んで、自分を取り囲んだ男たちを凝視する。

 見たところ、確かに彼らは王宮から来た兵士のようだ。皆、身なりが良く、甲冑を纏っている。がっしりとした体格をしており、鍛えられている様子が見て取れた。

(やだ。どうしよう)

 彼らの甲冑が重そうなので、ひとり、ふたりなら隙をついて逃げられるかもしれない。だけど、残念なことに隙をつけるような人数ではない。それに、しばらくはログレスに留まりたいと考えている。となれば、その国の王とのいざこざは可能な限り避けたかった。

「賢者としての扱いを要求するわ。貴方たちがあたしをきちんと遇するのなら、貴方たちの王のもとに出向いてあげてもいいわ」 

 本来ならば、用件のある王が賢者を尋ねて来るべきだと暗に告げたマーシャを、兵士たちは軽く鼻で嗤う。

「我が王は『魔女』を捕えて連れて来いとの仰せだ。――火を」

 彼らの中で一番年長だと思われる男が、マーシャを見上げたまま視線を外さずに、まるで彼女に聞かせるかの如く傍らの男に命じた。

 命じられた男の甲冑がガチャガチャと音を響かせる。マーシャの家の真下に移動したようで、その男の姿がマーシャの視野から消えた。

マーシャの胸に不安が生まれる。いったい何をされるのだろう。姿が見えないだけに不安はどんどん膨らんで、マーシャの胸を圧迫する。

 やがて、カッチカチと独特なリズムが深緑の森に響き始めれば、マーシャは居ても立ってもいられなくなった。

(まさか本当に……っ⁉)

 もどかしさや苛立ちすら覚えるその音は、火打石を打つ音だ。彼らは本当にこの森の中に炎を放つつもりなのだ。それもマーシャの足もとに!

 マーシャは戸口を大きく開いて身を乗り出すように家の真下――大木の根元を覗き込んだ。朦々と白い煙が上がり始めている。いつ、その中心から橙色の炎が生まれても不思議ではない状況だ。

 マーシャは建てたばかりの家と共に激しく荒れ狂う炎に焼かれる自分の姿を想像して悲鳴を上げた。

「分かったわよ! 行くわ。貴方たちの王のもとに行くわよ‼」

 こうして白旗を上げたマーシャは、兵士たちに剣先を突き付けられながらキャメロットの城へと向かうこととなったのだ。


(……だけど、解せないわね)

 マーシャは昨日この地に着いたばかりだ。こんなにも早く王がマーシャの存在を知り、丁重に招かれれば応じるつもりのある者をわざわざ捕えるために大勢の兵士を寄越してくるなんて……。

おそらく王はマーシャがキャメロットにやってくるのを今か今かと待ち構えていて、何らかの強い思いを抱いていて確実に捕えるつもりでいたのだ。

 それほどの恨みを買っていたことに戸惑いを抱くと同時に、マーシャにはまったく身に覚えがないため、その理由が気になってくる。

(誤解があるのかもしれないわ。とにかく、王に会ってみなくっちゃ)


 森を出ると、緩やかな高低差のある草地が広がっている。登っては下りてを繰り返すそれはまるで緑色の海原だ。草地を分断するように大きな河があり、その穏やかな流れに添うように城壁が見えた。

 城壁の内側は、街だ。その中心は小高い丘となっていて、高い城塞が取り囲んでいる。城塞のさらに上空には尖塔がいくつも見えた。

 マーシャは兵士たちに連れられて街の中を城塞に向かって進む。その道は城塞に近付くにつれて細くなり、迷路のように入り組んでいった。

 大きな城門をくぐり、城塞の中に入る。中はもっと複雑だ。城門を入ってすぐはちょっとした広間になっているのだが、そこから一歩でも奥に入ると、マーシャはたちまち方角を見失った。

 肩をぶつけ合わねば擦れ違えないほど道は狭く、階段を上ったかと思えば、すぐまた下りることになる。同じくらいの大きさの石を積み重ねて建てられた壁を横目に何度アーチをくぐったことだろう。屋外なのか、屋内なのか分からない薄暗い通路を抜けて、ようやくマーシャは兵士たちから歩みを止めるようにと指図を受けた。

 大きな扉だ。両開きのそれの前に立ち、首を逸らして見上げれば、全面に大きく動物を模した紋章が描かれている。

 蛇だろうか、蜥蜴だろうか。――いや、ドラゴンだ。裂けた口から鋭い牙が生えている。

 扉は内側から開かれた。促されて中に入ると、扉はマーシャだけを呑み込んで閉ざされる。マーシャは部屋の内側で扉の開閉をしていたふたりの兵士たちを一瞥してから、石造りの薄暗い部屋を見渡した。

 縦に長い部屋だ。床には赤い絨毯が敷かれ、それを目で追っていくと、部屋のずっと奥の方に段がある。それを数段上がった先に玉座があり、そこに足を組んで座っていたのが、――彼だった。

 あっ、とマーシャは短い言葉を呑み込んだ。三年前の出来事が一瞬にして甦り、マーシャの脳裏を駆け巡る。それはその年の最初の雪が降り始めた日のことだった。


 うっすらと雪化粧されたカンタベリー寺院。

 ひどく慌てた様子の少年の口から吐き出される息も白い。

 彼が必死に走って自分を追いかけてくるので、マーシャも必要以上の力を出して懸命に走った。

 寺院の庭には大きな石が転がっている。その石の前まで駆けてくると、マーシャは足を止め、まっすぐ腕を伸ばして少年に指し示す。

 マーシャの指し示した先には、煌々と光を放つひと振りの剣があり、その剣は深々と石に突き刺さっていた。

 なぜ剣が石に突き刺さっているのだろうか、という疑問を抱く余裕など少年にはなかった。その時、少年はとにもかくにも剣が必要で、剣が見つかった喜びに舞い上がる。

 そして、何の躊躇もなく剣に飛びつくと、その剣を石から引き抜いたのだ。


 その後、少年がどうなったのか、マーシャには興味がなかった。マーシャにとって、その少年と自分の関わりはごくごく些細なもので、自分はただ石の前まで走って、剣を指差しただけだった。

 だから、すっかり忘れていたわけで、思い出した今となっても、ああ、そうか、と納得するばかりだった。――石に突き刺さった剣を引き抜いて王になったというのは、あの時の少年のことだったのかと。

 ところが、青年王の方はマーシャとは異なる想いを抱いていたらしい。謁見の間に入ってきたマーシャを青白い炎を宿した瞳で、じっと睨みつけてくる。

 マーシャは突き刺さってくる視線の鋭さを怪訝に思いながら数歩進み出ると、膝と腰を曲げて礼を取った。

「オークの賢者メルディンの四番目の弟子、マーシャ。ログレスの王に精霊のご加護を」

 そのまま跪いたマーシャに向かって、すぐさま高らかな声が響く。

「メルディンの弟子、マーシャを王の相談役として城に招く。以後、マーシャはキャメロットから出ることを禁じる」

「はぁ~?」

 青天の霹靂とはまさにこのことだ。マーシャは唖然として青年王を仰ぎ見た。

「誰が何? 何を禁じるですって?」

「マーシャ、お前を俺の相談役に任じる。この城で暮らし、この街から出て行くな。以上」

「はぁいぃぃ~? えっ、なんで? なんでそうなるの? どうして? わけが分からないっ‼」

 思わず荒げた声は、マーシャが予期した以上に大きく響いて、自分の驚きが相当のものであることを自覚させる。

 王の相談役。――実権はほぼないが、場合によっては王を諌める立場にあり、その言動はけして軽視されてはならない高い地位にある。

 マーシャたちドルイド(オークの賢者)が国王に招かれて相談役になることは度々あることだった。賢者を従えた王には、王としての箔が付くからだ。

 どこかの国の王が賢者を迎える度に、どこそこの国の王には賢者がいるが、どこそこの国の王にはまだいない、などといった噂が一瞬にして広まる。

そして、王に迎えられた賢者が優秀であればあるほど、他国はその国を恐れ、侵略しようなどといった不埒な考えを捨てるのだった。

 そうした故あって、流れ者のマーシャはどこの国に行き着いても歓迎され、歓迎されなくとも酷い扱いをされずに済んでいたのである。

 ところで、豊かな緑に囲まれながらの気まま暮らしを好むドルイドたちにとって、いくら高い地位を貰えるのだとしても、人間社会に組み込まれることは不本意なことだ。

 目的あって旅をしているマーシャにとってみれば、殊更、不本意だ。

 長い旅をしていれば過去には、我が国の賢者にと誘われたことが幾度かあって、心が動きそうになったこともあったが、マーシャはそれらすべてを断っている。それも、豪勢な食事と贈り物を貰い、暖かな部屋と柔らかなベッドで眠らせて貰った翌日の誘いをだ。

腰を低くした王たちに向かって、マーシャは幾度も首を横に振ってきた。それなのに――っ‼


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