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5.見捨てるには、関わりを持ちすぎている(1)

 

 大勢の侍女と若々しくも頼もしい騎士たちを連れてオークニーを出発したモルガナだったが、ログレスの手前で彼らを解き放った。

 何人かの騎士は渋ったが、彼らの中で一番腕の立つ者だけを連れて行くと言えば、その場で腕比べが始まり、黒い甲冑を纏ったひとりの騎士だけがモルガナの元に残り、他は皆去って行った。

 侍女たちの多くは自らの意思で同行しているわけではないので、許しさえ得られれば嬉々として家に帰って行く。ところが、ひとりだけ忠誠心に厚い侍女がいて、いくら諭しても頑として離れようとしなかった。

 モルガナはそっとため息をつく。本来ならば、喜ぶべき侍女の忠誠心であったが、今の彼女には煩わしいという思いしかなかった。

 そんなモルガナの思いが悪魔に伝わったのか、侍女が死んだ。頭を失い、河に落ちて死んだのだ。なんと無残な死に方だろう。

(だから、ついて来なくて良いと言ったのに)

 冷ややかな気持ちがモルガナの胸にじわりと黒い染みをつくる。

 キャメロット城で通された客間に視線を巡らせると、精巧な造りの化粧机が寝台の傍らに置かれていた。銀細工で縁取られた大きな円い鏡が壁に飾られており、化粧机に向かって座ると、鏡の中に座った者の顔がはっきりと映った。

 モルガナは椅子に腰かけ、鏡に映った自分の顔を見つめた。

『おやまあ、思いもよらぬこと』

 すぐに鏡の中のモルガナの顔の横に大きな蝶の顔が現れる。

『まさか、あの子が現れるなんて』

「貴女が貸してくれた悪魔がもう消えたわ」

『ふふふっ。妾の可愛い子があの方の力に敵うわけがない』

 蝶の言う『可愛い子』は蝶が貸してくれた悪魔であり、『あの子』とは『可愛い子』を消したドルイダスのことだとモルガナは察する。

 悪魔はとにかく名前を呼ばない。自分の名前も告げなければ、他の悪魔の名前も口にしなかった。『あの方』の正体が分からないままモルガナは蝶に話の先を促す。

「既に計画が狂っているわ。河で悪魔に襲われたわたしをあの者が助ける。そして、助けたわたしに心を奪われるという計画だったはず。けれど、あの者は悪魔を倒した後、わたしに見向きもしなかった」

 蝶の『可愛い子』もあの場で退治されるはずではなく、頃合いを見て退く予定だったのだ。そして、今後の計画にも力を発揮する予定だった。

『そう案ずるな。修正できぬ計画など、そもそもろくでもない計画だ。幸い、侍女が死んだ。それだけでも戦争の口実になるというもの』

「戦争なんて私には関係がないわ。私はあの者を……、あいつを地獄に引きずり落とすために、ここまでやって来たのよ」

 ほほほっと蝶が朗らかに笑い声を上げた。心底、喜びに溢れているかのように。

『分かっておる。ええ、分かっておるとも。お前はその身を捧げて、あの者の魂を汚そうというのだね。やると良い。思う存分にやると良い。あらゆる手がある中、お前の選んだ手段はとても正しい。神に見捨てられるために一番効果的だろうからね』

 愉快だと言わんばかりに笑い声を響かせ、蝶の顔が消えていく。すると、その場所に黒々とした獣の顔が現れる。

 ぎょっとしたモルガナは弾かれたように後ろを振り向くと、彼女の背後に黒い甲冑を身に纏った騎士が立っていた。



 ◇◇  ◇◇ 



 寝返りを打つと、顔面が柔らかく暖かいものに包まれた。

「ぶはっ‼」

 ――獣臭い!

 マーシャは瞬時にその柔らかくて暖かいものから顔をそむけた。

 とはいえ、馴染のある感触と臭いだ。瞼を開くと、思った通り! 枕元に黒猫が丸くなっていた。

「ビリーったら、もうっ! いったい今までどこに行っていたのよ。ビリーがいない間にいろんなことがあったのよ!」

 悪魔が――それもかなり力を持った悪魔が現れてマーシャを迎えに来たと言ったのだ。しかも、妻にと。

 ところが、この黒猫。そんな大事件にして大災難など知ったことではないという様子だ。

『ふにゃふにゃむにゃ……むにゃ……マーシャ……おはよう』

「おはよう」

『ミルクが飲みたいなぁ……でも、ここ、どこだっけ? 布団がふかふかで気持ちいいね』

「……」

 マーシャは上体を起こして、ぐるりと辺りを見回した。

 石造りの部屋だ。小さな窓が等間隔に五つあって、そこから朝陽が白い筋となって差し込んでいた。――なのに、なぜか薄暗い。マーシャの木の家に比べたら、明るさも温かみもまったく不足している。

 ビリーの言う通り布団はふかふかで、ベッドには天蓋が付いている。部屋の中央に置かれたテーブルは立派だし、床に敷かれた絨毯の刺繍は煌びやかだ。だけど、それでもマーシャは自分の家に帰りたかった。

(森に帰りたい)

 そうと思うのは、やはりマーシャが自然を尊ぶドルイダスだからだろう。ドルイドたちは常に緑に囲まれていたいと願っている。

 そして、マーシャは人にも土地にも縛られず旅をしたいと願っていた。その旅とは、もちろん『騎士』様を捜す旅だ。『騎士』様の容姿や人となりを想像して、わくわくうきうきしてしまう旅なのである。

 だが同時に、その旅はマーシャにとって悪魔から逃げ続ける旅でもあった。

 悪魔に――おそらくマーシャの父親に居場所が知れてしまった今、どこか別の土地に移動したい。移動した方が良いに決まっている。

 だけど、マーシャがログレスから去れば、アーサーを見捨てることになる。

 ただの人間が悪魔の力に敵うはずがないのだから、悪魔が本気でアーサーを狙っているとしたら、マーシャが見捨ててしまえばアーサーは命を落としてしまうだろう。

「仕方がないわね」

 ここまで関わってしまっては、マーシャにはもうアーサーを見捨てることなどできない。

 『騎士』様のことはログレスにいながら捜し続けるとしても、悪魔から逃げる旅はもはや潮時なのかもしれない。

 見つかってしまった以上ここで立ち止まり悪魔と対峙し、マーシャは己の生い立ちと向かい合う時が来たのかもしれない。

 マーシャはベッドから足を降ろして鹿の皮を重ねてつくられた短靴を履く。

 すると、その時を待っていたかのように部屋の扉が小さく叩かれた。マーシャが返事すると、侍女の身なりをした若い女が手に陶器の水差しを持って部屋に入って来る。

「今日よりマーシャ様にお仕え致します。タバサです。朝食をお持ちしても構いませんか?」

「うん。ありがとう、タバサ」

「朝食を終えましたら身支度をして玉座の間にいらしてください」

「玉座の間?」

「陛下の命で皆さま集まっておられます」

「それなら早く支度をしなくっちゃね」

 マーシャはタバサが運んで来た水差しを受け取ると、ベッド脇の小さなテーブルに置かれていた陶器の平たい器に水を流し込んで、手と顔を洗った。

 その間に朝食がテーブルに並べられていく。ビリーのためにミルクを注文すると、それもすぐに運ばれてきて、マーシャとビリーは朝から満たされた心地で食事を終えた。

 黒橡色のチュニックを着て、黒地に銀糸の刺繍が施された帯を胸のすぐ下で締める。それから漆黒のマントを羽織ると、ビリーを肩に乗せてマーシャは部屋を出た。

 玉座の間の場所はうろ覚えだ。マーシャの記憶力が悪いせいではない。キャメロット城が戦時に備えてわざと複雑に作られているからだ。

 何度も迷いながらマーシャは見覚えのある大きな扉の前に着いた。扉の正面に目立つように大きくドラゴンの彫刻が施されている。

 扉の両脇に兵士が立っていて、彼らはマーシャの姿を見ると扉を大きく左右に開いた。

 様々な顔が一斉に振り返った。

 赤、青、黄、それに緑……色とりどりの衣装を纏い、騎士のような者もいれば、貴族のような者、僧侶のような者もいた。

 少し擦り減った衣を身に付けているのは農民かもしれない。農民と言っても、ただの農民ではなく、どこそこの村の有力者だろう。

 ひしめく彼らの目に悪意や敵意、肩に黒猫を乗せたマーシャを値踏みする気配はない。マーシャをマーシャだと知って見ているのではなく、ただ単に新たにやってきた者に振り返ったのだろう。やがて口々に、どこの誰だ? 何者だ? と囁き合う声が聞こえてきた。

 玉座の間は縦に長い石造りの薄暗い広間だ。床には赤い絨毯が敷かれ、それを目で追っていくと、広場のずっと奥の方に段がある。それを数段上がった先に玉座があり、アーサーが座っている。

 アーサーはマーシャと視線が合うと、さっと立ってマーシャを手招きした。

 今度は奇異な目に晒された。人々の囁きはざわめきに変わり、彼らは王が自らの近くに得体の知れない少女を招いたことへの驚きと好奇心を露わにする。

 次の展開をなんとなく予想しながらマーシャは肩にビリーを乗せたまま赤い絨毯の上をしずしずと歩いた。わずかな高揚感と人々に注目されている緊張で足元が浮く感覚がする。物理的に絨毯が柔らかいのかもしれない。

 よろけそうになるのをこらえながらマーシャが段のすぐ下までたどり着くと、アーサーは声を高くして人々に告げた。

「紹介しよう。オークの賢者メルディンの四番目の弟子、マーシャ。ログレスのドルイダス(女賢者)だ」

 マーシャは肩の黒猫が落ちない程度に黒いマントを翻して人々に振り返ると、背筋を伸ばし、チュニックの裾を摘んで貴婦人がするようなお辞儀をした。

 それは、自分はただの小娘ではない、力あるドルイダスなのだと、そう人々に分からせるための仕草だった。

 おおーっ、と人々の口から歓声が上がる。

「賢者を迎えたのですね!」

「素晴らしいことだ!」

「これでログレスも安泰だ。よかった。よかった」

 人々の顔に笑顔が浮かぶ。皆、大歓迎という様子でマーシャに向かって手を叩いた。

 波打つような拍手にマーシャはくすぐったかったが、これこそ正当な反応だと思った。

 彼らの感覚では、ドルイド(賢者)やドルイダスは百人の――いや千人の兵士に匹敵する。自然の声を聞き、風を起こし、雨を降らし、河を氾濫させる、その人知を超えた力が自分たちの味方となったのだ。大歓迎して当然だった。

 アーサーにさらに手招きされて、マーシャは段を上がる。一段、一段、どこまで上がるべきか悩みながら踏み出し、ついに段を上りきってしまった。

 マーシャが玉座の隣に立った時、人々の歓声は絶頂に達し、その声に惹かれるようにマーシャは彼らに振り返る。そこから見渡すことのできる景色はまさに為政者のものだった。

『マーシャ、すごいね! まるで王様か王妃様にでもなったような眺めだね』

 ビリーが興奮したようにマーシャの耳元で声を上げる。

「しっ、黙ってて。今はしゃべっちゃダメ」

『大丈夫だよ。僕の声なんて誰も聞こえないよ。みんなすごく喜んでくれているよ』

 ビリーの言う通り、拍手と歓声は嵐のように広間に鳴り響いていた。だが、それも突然終わりを告げる。

 次に、とアーサーが言葉を発すると、ざぁっと波が動くように広間が静まり、人々の視線はマーシャからアーサーに流れていく。

「客人を紹介する。ティンタジェル公ゴルロイスの娘であり、オークニーのロット王の妃の妹君、モルガナ姫」

 アーサーは言葉と共に広間の入口に向かって片手を掲げた。すると、人々の視線もその手を追うように一斉に移動して、それを待っていたかのような絶妙なタイミングで、大きく左右に開け放たれたままになっていた扉から艶やかな姫君が姿を現した。

 おおっ、と人々の口から感嘆が上がる。その声はマーシャの時とはまったく異なった音を広間に響かせていた。

 モルガナは誰もがハッと息を呑むような、袖や襟に金糸の刺繍を施された純白のドレスを身に纏っていた。だが、本当に美しいのはドレスではない。それを身に纏っている彼女自身であり、彼女が軽やかな足取りで赤い絨毯を進むと、誰もが心を奪われたかのように彼女を目で追い、すべての言葉を失った。

 人々は、ただ、ただ、沈黙して彼女を見つめ、彼女が自分たちの前を過ぎ去り、アーサーの前へと歩いて行くのを見守る。そして、そのアーサーの一番近いところに佇んでいるのが、黒橡色のチュニックを着たマーシャだ。

 にゃあ、と小さくひと鳴きしてビリーがマーシャのマントのフードの中に潜り込んだ。

 モルガナの青く澄んだ湖のような瞳がちらりとマーシャを一瞥したような気がしたが、マーシャが彼女の瞳を見た時にはすでに彼女はまっすぐアーサーだけを見つめてドレスの裾を摘むと、非の打ちどころのない完璧な淑女のお辞儀をした。

「長く修道院で暮らしていましたが、ロット王に請われてこちらに参りました」

 女性にしては低めだが、不思議と耳に心地の良い声だ。たとえるのなら、それは質の良い化粧水がすっと肌に馴染んで浸透していくような感覚である。

 モルガナは上体を起こし、再びアーサーを青く澄んだ瞳で見つめると、艶やかに微笑みながら言った。

「この度はログレスのアーサー王の妃として受け入れて頂き、とても光栄に思っております」

「なに?」

 アーサーが玉座から背を浮かせる。マーシャも思わずアーサーに振り向き、それからモルガナの顔をまじまじと見つめてしまった。

「昨夜はふたりで熱く濃い夜を過ごしました。わたくしたちのことをロット王にご報告しましたら、きっと喜んで頂けます。陛下とロット王は義兄弟になられるのですから」

 ざわっ。

 皆、戸惑いを露わにしている。喜ぶべきことなのか、両手を叩いて祝福しても良いのだろうか、お互い顔を見合わせて探り合っていた。

 というのも、ロット王とアーサーには浅からぬ因縁があるからだ。

 アーサーは、石に突き刺さった剣を引き抜いたというだけで王になった。

 だが、そうと口にするのは彼の即位を認めない者たちだ。アーサーを認める者はあまりにも単純な事実の背景にある予言をちゃんと知っており、またその予言を神聖なものとして信じていた。

 予言はカンタベリー寺院の庭に突如として現れた大きな石に書かれていた。


 ―― この剣を抜いた者はブリタニアの正統な王である ――


 見れば、石には煌々と光を放つひと振りの剣が深々と石に突き刺さっている。

 この時ブリタニアでは大きな力を持ったひとりの王が後継者を決めずに亡くなったばかりだった。彼と敵対していた王はもちろん、友好関係を結んでいた王たちは己の領土を広げようと動き始め、また配下であった貴族たちは自ら王を名乗り、騎士たちも次々と去って、ブリタニアは殺伐とした状態であった。

 人々は正統な王がブリタニアを平穏な国にしてくれることを心から願っていた。

 まず予言を知った王たちが各地からカンタベリー寺院に集まり、剣を石から引き抜こうとした。だが、誰ひとりとして剣を引き抜けた者はいない。王たちは、予言などくだらない、嘘だと唾を吐き、それぞれの領土へと帰って行った。

 次に、こころざしを――あるいは野心を持った貴族や騎士がやってきて剣を抜こうとした。だが彼らも肩を竦めて自身の領地へと帰って行った。

 その後、力自慢の者たちがブリタニアのあちらこちらから集まってきた。筋肉隆々な男たちが石に足を掛け、力任せに剣の柄を引く。ふたり兄弟が、あるいは兄弟同然の仲間たちで力を合わせて引っ張ったこともあった。だが、彼らも皆、苦笑いを浮かべながら自分の家へと帰って行った。

 それからはもう、石に書かれた予言を実際に目にした者、人づてに聞いた者、たまたま通りかかった者、ありとあらゆる者が皆こぞって剣を抜こうとブリタニア中から集まったので、カンタベリー寺院には毎日毎日、長い列ができていた。

 だが、その列は年月が過ぎると共に短くなっていき、やがて誰もが剣が刺さった石の存在も予言のことも忘れ去ってしまった。

 アーサーが剣を引き抜いたのは、予言が現れてから十数年後だ。ブリタニアは乱立した王たちの領土争いにより内戦状態であった。

 長く続く戦争に嫌気がさしていた人々は、アーサーが剣を抜いたことで一瞬にして予言の存在を思い出し、アーサーを王として迎え入れたのである。

 ところが、その時、アーサーは十五歳。

 あまりにも若い王に反発する者も当然いて――もちろん彼らにとって若さだけが理由ではなく、内戦に乗じて得た領土や財、武力を取り上げられることを恐れて、アーサーの即位を認めようとしなかった。

 その代表的な人物が、ロット王なのである。

「ロット王が味方になれば、今まで陛下を認めていなかった者たちも味方になるのではないだろうか?」

「少なくともロット王が我々の味方になれば、敵対する勢力は求心力を失う」

「陛下がブリタニア全土を制定なさる日も近付くというわけだな!」

「なんだ、喜ばしいことではないか」

 ぱらり、ぱらりと、手を打ち鳴らす音が響き始めた。人々がお互いの顔を見合わせ、頷き合いながら拍手をし始めた時、アーサーがさっと手を掲げた。

 アーサーは僅かに強張った表情で、静まり返った広間に低く声を響かせる。

「誤解があるようです、モルガナ姫」

「誤解?」

「昨夜は貴女とわたしと、ここにいるマーシャと共に過ごしました。それもほんの僅かな時を」

「確かに陛下は、そこのドルイダスと共にわたくしの部屋を訪れました。けれど、その後ドルイダスは部屋を去り、わたくしたちはふたりきりで過ごしました。そうでしょう?」

 不意打ちのように突然マーシャはモルガナの視線を受けて心臓を跳ねさせる。

 モルガナの美しくも艶やかな眼差しは、男であれば身も心も蕩けてしまうものかもしれないが、女のマーシャからみると、わたくしに従いなさい、わたくしに逆らってはいけない、許さない、という無言の強い強い圧力をひしひしと感じるのだ。

 しかも、モルガナの言っていることは事実だ。少なくともマーシャの知る範囲で事実なのである。

 マーシャは昨夜モルガナの部屋をアーサーと共に訪れ、アーサーを部屋に残して自分だけ先に去った。

 なので、その後モルガナが主張しているのように彼女がアーサー以外の男性には嫁げない身にされたのかどうかは、マーシャには分からない。

 時間的に無いだろうとは思うけれど、そうとマーシャが言ったとしたも、マーシャはその場にいなかったのだから分かるわけがないとモルガナに言われてしまえば、おしまいである。

 ――とはいえ、マーシャはドルイダスである。並の人間と同じだと思われては困る。

 バカな、ありえない、というようなことでも、ひょっとしたらドルイダスにはできてしまうのではないかと思わせてしまえば良い。そう、たとえばこんな感じに。

 マーシャは、ぐっと下腹に力を込めて立つと、挑むようにモルガナを見つめ返した。

「ありえません。わたしはモルガナ姫に不名誉があってはならないと考え、モルガナ姫の部屋を去る時に陛下にまじないをかけました。けしてモルガナ姫の名誉を傷つけてはならないという呪いです。その効果があって、陛下はわたしが去ってすぐにモルガナ姫の部屋を出て来られました。故に、数多あまたの精霊に誓って、モルガナ姫の名節は固く守られていらっしゃいます!」

 もちろんそんな呪い――かけときゃ良かったと思いはしたが――かけてはいない。だが、ドルイダスが自信満々に言い切れば、それを聞いた広場の人々は皆、そうなのか、だったら何もなかったのだろうな、と思うだろう。

 しかも、モルガナが黙ってしまったから余計である。事実、アーサーとモルガナの間には本当に何もなかったのだ。

 ぎゅっと悔しそうに下唇を噛み締め、血走った眼でモルガナがマーシャを睨み付けてきた。その美しい顔の怖いこと、怖いこと。

「ロット王がモルガナ姫を送られたのは、ブリタニアの平和を願ってのことだろう。その想いはわたしも同じだ。だが、わたしはまだ王妃を迎える準備ができていない。モルガナ姫――貴女を王妃に迎えることはできないが、それでも構わなければ、貴女やロット王の気が済むまでログレスに留まれるといい」

 にっこりと微笑みながらアーサーは更に続けた。

「もしかすると、ログレス滞在中に貴女に相応しい方が見付かるかもしれませんね」

 ざわりと広場が色めき立つ。未婚の貴族や騎士、既婚だが若い――あるいは既婚だが気持ちばかりは独身の男たちが、もしや自分こそが美しいモルガナの恋の相手に選ばれるのではないかと襟を正し、髪を手櫛で整え始めた。

 アーサーが、彼女さえ許せばモルガナとの恋の駆け引きを楽しんで、あげく射止めてしまっても良いと公言したようなものだから彼らが浮き立つのも無理もない。

 そんな彼らにモルガナは瞳を細め、冷やかに視線を送ると、アーサーに一礼する。今はこれ以上アーサーとの婚姻を主張し続けるべきではないと見定めた様子だ。モルガナは男たちの熱い視線を受けながら赤い絨毯から出て、貴婦人たちの列に並んだ。


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