青春は絵師の必修科目じゃないはずだ
「はやく二次元に帰りたい」
そうぼやく上江史郎は、高校生でありながらイラストを描いてお金をもらっている絵師だ。二次元でそこそこの稼ぎと評価を得ている彼はクラスに友だちを作らず、それどころか三次元における日々の人付き合いさえ最低限で済ませたがる変わり者。
ある日、そんな彼にクラスメイトのお気楽ギャル猿渡楓花が詰め寄った。
「あたしを師匠の弟子にして!」
二次元に引きこもりたい高校生絵師と、彼に弟子入りを希望する女子高生の青春ラブコメディ!
☆ジャンル 現実世界恋愛
☆タグ ラブコメ、青春、学園、絵師
昼休みになり、にぎやかさを増す教室のなか。
最後列、それも窓際という最高の立地を有する俺は優雅なひとりの時間を過ごすべく、スマホを取り出した。
スマホ画面を向いていれば、クラスメイトと目を合わさなくて済む。
(あの絵を今日中に仕上げられたら、今月中にもう一件、依頼が受けられるな)
ふと、そう考えたのは完全に気が緩んでいたとしか思えない。
いや待てよ、見たところで学校では描けないぞ、と気づけば良かったのに、無意識のうちに指が慣れた動作に入る。
スマホを起動し指紋認証からのペイントソフト立ち上げ。そして表示された画面に目をやった。
「え、それ上江が描いたの?」
耳に飛び込む女子の声。
(見られた!)
後ろから聞こえた声に、とっさにスマホを机に伏せた。
振り向いてそこにいるのが誰か確認する余裕はなく、驚きのままに思考がぐるぐると回る。
(なんでこの位置にひとが? 掃除用具入れに用があったのか。どうして俺は後ろにひとがいるのに気づかなかった。周囲を確認していれば……いや、そもそもここは学校だ。なぜこんな馬鹿なことを……)
画面を見られてから後悔したところで、もう遅い。
あれこれ考える間に昼休みの教室のざわめきが遠のいて、頭をよぎるのは中学生のときの記憶。
「え、この絵お前が描いたの? うっわ、休み時間にひとりでこんなの描いてるとか、ひくわー。根暗ぁ!」
そう言ったのは、俺がスマホで描いていた絵を見かけたクラスメイトだった。名前は忘れた。
それは、一般的に暴言と呼ばれる類のことばであった。
けれど、俺にとっては背中を押すことばであった。
絵をからかう相手には何度も出会ってきた。いじめられたことこそなかったが、煩わしさはずっと感じていた。
だから。
「よし、二次元で暮らしていける神絵師になろう」
三次元はもう十分だ。他人とのやり取りはすべてメールと電話で済ませられる、そんな世界の住人になろう。
そう決意してから、空き時間はすべて絵の勉強に費やしてきた。
その甲斐あって、このごろは有償依頼もそこそこ増えてきて、ワンルームの家賃と小遣いくらいは自力で賄えている。
学校に行く時間を全部創作に使えたなら受ける依頼も増やせるし、親からの仕送りなしでも暮らしていける程度には稼げる計算だ。
(そこにきて、過去のリプレイのようなこの展開)
きっとこの後、クラスじゅうに聞こえる声で俺のことをあざ笑うのだろう。そして、生まれ育った土地を離れてまで断ち切ったはずのわずらわしい中学時代が繰り返されるのだ。
これはもう、高校卒業なんて待たずに三次元を卒業しろという神のお告げに違いない。何かの神さまのこと、ロリ化して納品しちゃったこともあるけれど。
前を向いたまま、伏せていたスマホに触れてスリープモードにする。
これでロックがかかったから、もう画面は見られない。大丈夫だ。
スマホをポケットにしまって、速やかに三次元から退避しよう。
「え、なんで急に立つの? どこいくの? てゆーか、ねえ、ねえ! さっきの絵!」
「くっ、これだから三次元は!」
ネットの世界なら粘着質な相手はブロックしてしまえば済むのに。三次元ときたら、俺の拒絶を具現化できない仕様で困る。
席を立ち、そのまま教室の扉を目指して歩こうとした俺の腕にしがみつく手が温かくて柔らかくて、振り払いがたい。早く二次元に帰りたいのに。
「さっきの、あたしちゃんと見たんだからねー!」
女子の声がきっぱりと言うのを聞いて、俺は観念してふりむいた。
クラスの女子、だと思う。三次元の人間への興味が薄いせいで、確信も無ければ名前なんて思い浮かびもしない。入学から三ヶ月が経っているというのに、我ながら残念なことだ。
明るく脱色した髪色にくるんと跳ねたアホ毛。小柄で肉付きの薄い身体の女子が、俺の腕にしがみついている。
(ラノベ系のイラストの参考にできそうな体型だな)
ついそんなことを考えたけれど、しかしいま一番重要なのは、アホっぽそうだという点である。
ならば、俺が取るべき手段は。
「おっと、もうこんな時間! 昼メシを買いそびれてしまう。購買に急がなければー」
言って、アホの子(仮)の手をすり抜けて教室の扉に向かう。
「えっ! な、なんで? あたし上江に話しかけたよね? いま、ちゃんと目があったよねー!?」
後ろからなにやら声が聞こえるが、歩調は緩めず颯爽と教室を出て、廊下に満ちる生徒の群れにまざる。
これで、中肉中背にしてありふれた黒髪の俺は埋没したことだろう。
あとは昼休みをどこか人目につかない場所で終わらせて……。
「んもーう! 待ってってばぁ!」
屋上に続く階段に足をかけた俺の背中に、やわらかなものが飛びついてきた。
細い腕が俺の胸にまわされて、肩にあごが乗る。
「聞こえてるでしょー! 止まってよう!」
(耳の横でしゃべるな! 息がかかってる!)
叫びたいが、周囲にはまばらだけれど生徒がちらほらいる。そして俺の後頭部に刺さる視線や「なにしてんの、アレ」などとささやく声から察するに、見られている。
つまり、俺が背後から女子生徒にしがみつかれている姿が目撃されているわけだ。
こんなとき、どうすべきか。
知っている。ネットの世界でよく見かけるからわかっている。
俺は潔く両手を開いて上にあげた。
「俺は無罪です」
「ええー? なに言ってるのー? あたしは上江の絵もがっ」
「その件についてですが」
ホールドアップから勢いよくおろした手でアホの子のくちをふさぎ、その顔を見下ろした。
まん丸の目とぶつかる。黒目がちで下がり眉。ゆるい喋り方と相まって、ますますアホの子にしか見えないな。
「うん! 上江のもがっ」
喋り方のゆるさの割に、意外と俊敏らしい。
俺の手から逃げ出したアホの子のくちを再びふさぎ、そのまま階段をのぼるべく引きずっていく。ここではひと目がありすぎる。
「その件について、ですが」
屋上手前の踊り場で足を止め、視線に「静かにしてろよ」という気持ちを込めてにらみつけたところで、アホの子はきょとんと俺を見上げているばかり。
くそ、アホだから空気が読めないのか。
「俺は上江ではありません」
にっこり笑って、くちをふさぐ手をそうっと離す。
「えっ! あれ、上江じゃないの? え? あれ、あれ?」
いいぞ、だまされろアホの子よ。あとうるさい。
「はい。俺はただ気分転換に屋上にでも向かおうと思っていた生徒そのいちです。あなたの探している相手は、屋上に行くと言っていましたか?」
「そういえば、上江は購買に行くって言ってた!」
ハッとした顔をするこいつはやっぱりアホだ。まあ、俺だってクラスメイトであろう彼女の名前がわからないのだからひとのことは言えないが。
三次元は名前の表示がないのが不便だ。SNSならコメントの前に名前が入るのに。
「えー、でも顔が上江そっくりなのに。うーん、やっぱり上江だと思うんだけどなあ」
(近い近い近い近い!)
階段の段差のせいでひらいた身長差を埋めるためか、俺の顔を見上げるアホの子がやたら詰め寄ってくる。
俺の胸に手を当てて、下からのぞきこむようにぐいぐい近寄ってくるんだが、ここは階段だぞ。足場が悪い。
「うわっ」
「ひょわぁ!」
階段に尻もちをついた俺の胸に、アホの子の顔が押し当てられている。あったかくてやわらかい重み。
「ちょ、はなれ!」
「楓花ぁー?」
生身のぬくもりに慄き、引き剥がそうとしたところで下から声がした。ハスキーな女子の声が「おーい」と続くあたり、誰かを探しているようだ。
ぴょこん、とアホ毛を揺らしてアホの子が顔を起こす。
「ここだよ〜」
「は、ちょ!?」
なにをのんきに返事しているんだ、この楓花なるアホの子は。返事をする余裕があるならはやく俺の腹のうえから降りろ!
「……あんたら、何してんの」
階段下から聞こえた冷ややかな声。
目の前で揺れるアホ毛越しに見れば、長身の女子が半目で俺たちを見上げている。高い位置に結いあげられた長髪に見覚えがあるような無いような気がするから、クラスメイトなのかもしれない。違うかもしれない。正直わからん。
俺のうえでもぞもぞと方向転換した楓花が、ポニテ女子を見て「あ!」とうれしそうに笑う。いや、はやく降りろ。
「あのねー。上江にね、あたしの師匠になってもらうんだ!」
「は?」
「はあ?」
俺とポニテ女子の声がかぶる。たぶん、頭のなかの疑問符もかぶってるだろう。
そんな俺たちをよそに、楓花はむくりと起きあがって「あ!」と大きく開けたくちに手を当てた。
「うそうそ。今のないしょのことだった。ね、上江?」
ひざに乗り上げてにこっと笑いかけてきた楓花に、上江は固まる。
(なにが「ね?」なんだ。というか、内緒も何も師匠の意味がわからん。しかもそんな雑な誤魔化しかたでいけると思ってるのか?)
ぐるぐる回る思考のなかで、導き出された答えはふたつ。
(こいつはやっぱりアホの子だ。こんなのがブロック不可の状態でうろついてるなんて、やっぱり三次元での生活は俺には難易度が高すぎる)
見下ろしてくる揺れるアホ毛と輝く笑顔。足元から向けられる呆れたような怪訝そうな視線。
ここからログアウトする術はなく、対処法も浮かばない。
上江にできることは、仰向けに倒れたまま目を閉じて力なくうめくことだけ。
「……に、二次元に帰りたい……」





