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彗民

塩山における金将軍との戦いから一か月が経ち、忠興はそれまでなかったゆったりとした時間を過ごしていた。身体に受けた魔術テポドンの傷も癒え、これから何をしようかと考えていた矢先、戦友であり婚約者の佑凪から、帰郷してみないかと提案される。しかし、後にこの帰郷を忠興は後悔することになる。

横浜から二時間、新幹線だと一時間半の地である伊東温泉に私は、数年ぶりに来ていた。伊豆の温泉地というと周囲の人間は、やれ熱海だ、それ修善寺だと人の溢れている場所しか言わない。熱海から伊東線に乗り約四半時も揺れれば、風光明媚でウザったらしい観光客の少ない伊東があるのにだ。

 熱海の何が良いのだ。坂ばかりで、登ったり下ったり、私は登山をしに来たのではないのだ。日頃の疲れを癒しに来たのだ。修善寺はどうであろうか。伊東に比べて掛かる時間は、たいして変わらないだろう。だが山ばかりで何もない。伊豆という本州の南国に来て海がないというのは、果たしてどうであろうか。

 結局、私は人混みが無く、海があり、平坦な地形の場所がベストな温泉地だと考えているのだ。

 一緒についてきた婚約者は、件の熱海で乗り換える際の笑顔と、このオンボロなローカル線に乗った際のやるせない顔で、私を大いに笑わせてくれた。

「伊豆が故郷と言ったが、熱海とは一言も言ってない」

「詐欺だ!温泉地といったではないか!」

「伊東も十分な温泉地だが?湯量に置いては、三本の指に入るんだけど?」

「ぐ、ぐぬぬ………」

「そんな顔をするんじゃぁない。綺麗な顔立ちが可哀そうだ」

「私の期待の心配をしろ!」

 しばしのふくれっ面を楽しみながら、客車旅を楽しんだ。

 秋の心地は、夏の残暑を吹き飛ばし、綺麗な相模湾を見せてくれた。伊豆多賀駅から網代駅に向かう際の光景は、普遍的な美しさを心に与えてくれる。もう少し半島を下った稲取の方では、丘一面のススキが日の光に照らされ、金色堂の様を魅せてくれるだろう。

 夕方というにはまだ早いが、西日が差し込む時間帯、窓を少しだけ下げると小麦色の風が入り込んで来る。

 吹き込む風で、ふんわりと浮かぶ婚約者の髪を見て、ひどく優雅で感傷的な気分になる。

 婚約者は自分の事を、秋の似合わない女だと言っていたが、私はそうは思わない。

「女の子は季節によって色を変える生き物だからな」

 自嘲気味にそう答える顔に、色を付けたるための返答だったが、いやにキザっぽくなってしまった。

 窓から海を眺める頬杖をついた横顔は、出会った頃からまったく変わらない美しさが内包されていた。

 婚約者である、江蒲佑凪つくもゆなと出会ったのは、梅雨明け宣言前の七月中旬であった。今からおよそ三年前の出来事だ。



 ──τ──



「おい、そこで何をしてるんだ」

 大学の雑木林の奥、六畳ほどの開けた空間で実習に使う装置の組み立てをしていた私は、後ろからかけられた声に身を震わせた。大学の所有地であり、関係者なら誰でも入れる雑木林であるが、実際は環境学部の管轄であり、慣習上、環境学部の誰かしらにお伺いを立てなけれなならないことは、当たり前のように知っていた。勿論のこと、私は環境とは全く関係ない電子工学部であり、数瞬なら伺いを立てなくてもいいかと思い、活用させて頂いていた不届き者である。

 ぶるっと震わせ、冷や汗を垂らしながら後ろを振り返ると、長い黒髪を靡かせた少女と言える、小柄な女学生が立っていた。

「べ、別に?実習で使うための装置を組み立てるために、ちょっと活用させて貰ってただけだ」

 身体は震えるとも、声は震わせまいとハリを込めて喋る。

「それに、ここは大学所有の土地だ。私は無論、学生である。入って作業する権利はあるだろう?」

 ついでに、学生証を胸ポッケから出し、見せつけるように掲げる。

 視界の真ん中で、少女が揺らぐのが見えた。

「ふぅうん?その言い方だと、慣習上のあれこれは理解してるか」

「駄目かい?」

「駄目ではない。慣習というのも明文化されていないものさ」

 なら、と口から出かかるが、右手を顎に当て幾ばくか考える少女を見て、取りやめた。

「…………、気に食わないな。慣習というのは、双方の気分を悪くしないためにあるのだろう?違った言い方で言えば、長く続く配慮じみたものじゃあないか。それを蔑ろにするというのは、些か頂けない」

 いただきますと、食事の際に言わないのか?そう締めくくられ、自分の言い訳や逃げ道が既に無くなったことを認識した。どうやら、この少女は随分と頭が廻る。お手上げもお手上げだった。自分を擁護する言葉は、既に脳内のバンクには無かったのだから。

「なんだ、申し訳ない。君の言うとおりだ」

 素直に頭を下げ、濃い茶色をした地面を見る。三十六計逃げるに如かず、と先人は言ったようだが、尊敬してやまない叔父からは女相手には、潔く謝ることが大切と言われた。ただ、そう言った叔父が謝ることなど女癖悪さ故に起きた出来事なのは、この際置いておこう。

「ただ、これを組み立てないと単位を落としてしまう。頼む、見逃してくれないか」

「ふ、ふふっ、見逃す?見逃すって?見逃すも何も、私は環境学部でも、この大学の関係者でもないさ」

 一瞬、何を言ってるのか分からなかった。この大学の慣習を知っているのに関係者じゃないとは、どういうことか。付近の中学校の生徒だろうか。

 こんがらがって、ぐじゅぐじゅになる頭をどうにかして動かす。しかし、そんな努力は次の一言で霧散した。

「あ、いや、父がいるから関係者か?」

「お、御父上?失礼、名前を聞かせて貰えるか」

 名字でいいかと聞かれ、どうぞと頷き促す。

「つくもだ。江蒲と書く。これでも日本で十数人しかいないだよ」

 驚きで、口が開く。同時に、瞼も大きく開く。

 変態、マッド、学者ではない学者、どうしてお前が教授をやってるんだ、そんな評価や定評のある奇人。ふと、思考が口から漏れる。

「あの人、結婚できたんだ………」 

 なんて失礼なことをと、慌てて口を塞ぐ。が、少女は声を漏らしながら笑い。

「私も思うよ、あれは人の親にするには些か探求心の獣すぎる」

 そう、冷たく表現した。



 組み立てたものを提出し、学部棟の長く広い廊下を歩いていると、先ほど出会った江蒲が長椅子に座って虚空を眺めていた。よく見ると、眺めるその双眸から光が漏れていた。教養科目の現代魔術概論で見たことある奴だと、すぐに気が付いた。

「魔眼使用時における露出粒子光」

「ん?ああ、先ほどの君か。そうだよ、母方の家系がちょっとした末裔でね」

 こちらに気づいた江蒲が、二、三度瞬きをし普通の眼に戻す。にへらっと笑う顔立ちは、普通の少女だ。

「何を見ていたんだ?そこには何もないだろう」

 そう問いかけると、訝しむ顔をした後に優しく話しかけてくる。

「認識の違いさ。私の見る先には、何がある?壁か?壁だろう、そうだ壁さ。だけどこの眼を使うと、それらを透過して空を見ることができる」

 こうやって、こうだと、何度も瞬きをし、普通の眼と魔眼を交互に入れ替える。まるでカメラのシャッターを切るかのように、シャッ、シャッと綺麗な瞳を入れ替える。

「どうだい?自分で言うのもなんだが、私の魔眼より美しいものは無いよ。絶対だ」

 その言葉に、賛同の意を示す。黒色から、黄金色へ。単色ではなく、水彩画のように幾つもの色が散りばめらたとしか言いようのない綺麗な瞳。

「ああ、分かるよ。とても綺麗だ」

「そうだろう?そう言ってくれて嬉しいよ」

 江蒲は、そう言いつつ、あまり嬉しくなさそうに肩をすくめる。

「いや、本当に嬉しいよ。これは本心さ」

「じゃあ、どうして?」

「いやはや、母方から遺伝だと言うのに、母はどうにもこの眼が嫌いでね。父も父であれは、私を大切な実験動物にしか見てないさ」

 魔眼の光を瞼の内側に取り込み、普段通りの黒色に戻す。

 物憂げな表情をしながら、私の顔を覗いてくる。

「聞いたところ、君は父の研究室の学生だろ?橘田きつたくん」

「な、なぜそれを」

「学生証を見せただろう?名前は憶えてたから、他人に聞いたに決まっているじゃないか」

 恐ろしくはないが、昨今言われ始めた個人情報うんたらの重要性を今ここで理解できる気がした。

 腰かけていた長椅子から、立ち上がり伸びをする。それを見て薄い身体だと思ったが、口には出さなかった。辺りを見回した後に、再びこちらを覗いてきた。先ほどとは違い、どこか悪戯心を潜ませた眼差しだ

「なあ、この後予定あるかい?無いなら、少し遊びに行かないか」

「君、いくつだよ。少なくとも中学生かそこらだろ?僕を公共の番犬に、噛みつかせるつもり?」

「失敬な、これでも十六だ。ちゃんとした高校生だよ」

 心を弾ませるような誘いに、否定の意を示す。

 今年乗り切れば卒業で、実家に帰って家業を継ぐのだ。こんなところで、世間様にお騒がせして申し訳ないことを起こして堪るか。

「それでもノーと言わせて貰うよ。アウトだからね」

「そうか残念。じゃあ、イエスと言うまでここで騒がせて貰うよ」

 瞬間、場が固まる。凍り付き、息を飲む音がする。

「ちょっと待て!早まるな!いや、おかしい!どうしてそこまで!」

 真意を問いただす。理由も訳も分からない。

「うるさいやい!私の瞳を綺麗って言ってくれる絶滅危惧種を、この場で逃すわけないだろ!!いい加減にしろ!!」

 呆れて物が言えないとはこのことなのか。深く実感する。

 しかし、その必死な表情から本心で言っているのだろうということは分かる。この少女にも何かあるのだろう。そう理解は出来る。

 どうしたものかと、頭一つ半分低い江蒲を見て悩む。悩んでいる間にも、こちらにずりずりとにじり寄ってくる。私が一歩下がって、江蒲が一歩進んでを繰り返す。思考の端で音頭か何かかとツッコミが入る。

「い、一時間だけ。それでカンベンだ」

「やった!ケー番も交換しよう!絶対に逃がさないからな!」

 終わった、そう思ったのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 魔眼が入れ替わる設定がとてもおもしろかったです これなら日常生活にも支障が出ずにすみそうですね ここからどのようにあらすじの内容へと進んでいくのか、とても興味深いお話だと思いました 日本を…
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