『幸せになりたい』と願った男
男は願った。心の底から。男は願った。一心不乱に。男は願った。ただ、ひたすらに。
「幸せになりたい」と。
これはかつてただの人間であった男が創造主に闘いを挑む、あまりにも無謀極まりない物語である。
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「幸せになりたい」
男は願った。心の底から。
「幸せになりたい」
男は願った。一心不乱に。
「幸せになりたい」
男は願った。ただ、ひたすらに。
テーブルに両肘をつき、両手をしっかりと組み合わせ、頭を垂れて、思い描くは「神」。
彼は、特に、宗教というものを学んだことはなかったが、漠然と神というものを信じていた。
彼は、今、その神に呼びかけていた。すがっていた。
神……、神……、神……。
すると、どうだ?
声が聞こえた。
「叶えよう」
そして、彼は、意識を失った。
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彼が目を覚ますと……、いや、このとき、既に、彼には、目はなかった。
彼が、意識を取り戻すと、そこには、なにも存在していなかった。
しかし、「暗い」とは感じなかった。
光すら存在しない場所なのだが、暗いとは感じなかった。
その場に、彼と神が居た。
正確には、彼よりも、「上」と感じられる場所に神の存在を、彼は感じた。
そして、やがて、彼は、「自分の身体」というものが、まったく知覚できないことに気づいた。
それは、その場の不思議さからすると、自然なことのようにも思えたが、とんでもないことであることに気づいて、焦りを覚えた。
「ここは?」
「願いを叶えてあげたよ」
彼の言葉と神の言葉が同時に発せられたのではない。明らかに、神が、彼の言葉に、言葉を被せてきた。
「え?」
「願いを叶えてあげたよ」
神は、同じ言葉を繰り返した。
「『願い』とは?」
「『幸せになりたい』と願っただろう?」
「願いました」
「願いを叶えてあげたよ」
「……私は今、幸せではありません」
「君は、今、幸せだ。幸せそのものだ」
「全然、実感ありませんけど?」
「君は、今、人間の姿を捨て、『幸せ』という抽象的なものへと変貌を遂げたのだよ」
「……はい?」
「だから、君は、人々が望んでやまない。手に入れたがる。欲しいと思う。『幸せ』になったのだよ」
「あー、理解はしたんですけどね。……受け入れることは、拒みたいっていうか……」
「なぜだね? 望んだことだろう?」
「私は『幸せな人』になりたかったんです!」
「だったら、そう望むべきだったな」
「ええー?」
「オーダーミスによる取り消しは、受け付けられん」
「おおだぁみす?」
「おまえは『幸せ』になりたいと望み、私は、おまえを『幸せ』にした。これを、『望みを叶えた』と言わずになんと言う?」
「『勘違い』」
「なかなかの度胸だな」
「元に戻してくれ」
「それは不可能だ」
「なぜだ?」
「おまえの身体の臓器やら、なんやらは、すべて売り払ってしまった」
「な、ん、だと?」
「おまえが戻るべき身体など、もう、どこにもない」
「おまえ、それでも神か?」
「私は神ではないよ?」
「は?」
「私を正確に表す言葉はない。最も近かったものが神であったに過ぎない」
「うぜぇ」
「はぁ?」
「で? 臓器を売った金はどうした?」
「薄い本を買えるだけ買った」
「ふぁっ?」
「薄い本を……」
「人間を創ったのはおまえじゃないのか? その人間が作ったものをおまえが買うのか?」
「人間も機械を作り、機械に物を作らせるな?」
「そうだが?」
「では、人間が機械が作るのと同じものを手作りできるか?」
「……できない」
「それと同じことだ」
「俺はこれからどうすればいいんだ?」
「おまえは『誰かの幸せ』にならないと消滅する」
「ああ?」
「『幸せ』が誰のものにもならずに単体で存在し続けることはできない」
「で? その相手はどうやって見つけりゃいいんだ?」
「『マッチングアプリ』を使え!」
「マッチングアプリぃ? また、胡散臭いものを」
「紹介しよう! こちらがマッチングアプリの『マッチ売りの少女』さんです!」
男に1人の少女のイメージが伝わって来た。ベタな学芸会で演じられるマッチ売りの少女の扮装をした少女のイメージだ。
「おっまえ! おっまえ! すべては『マッチ売りの少女』って言いたいためだけに仕組まれたんじゃないだろうな?」
「そぉんなことはないよ? 君がオーダーミスをしたのがいけないんだ」
「……オーダーミスってよぉ……」
「マッチ売りの少女さんの声はかわいいぞ」
ふいに男に、
「マッチは要りませんか? マッチは要りませんか?」
という、たどたどしい声が聞こえてきた。
「ちょっと待て。おまえ、この哀しい存在をどうやって創った?」
「哀しい存在? 哀しい存在? 哀しい存在って言っちゃう?」
「言っちゃうよ! 言っちゃうよ! 言っちゃう、言っちゃう、言っちゃうわ!」
「それこそ、うっせぇ、うっせぇ、うっせぇわ!」
「なんなんこれ? とても神と人のやり取りとは思えないんだけど?」
「おまえが言うな!」
きっと私たちに肉体があったら、息を切らしていたんだと思う。
「で? この子とどうすりゃいいの?」
「誰か見繕って、誰かの幸せになって!」
「言い方ぁ!」
「行きやがれ!」
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「マッチは要りませんか? マッチは要りませんか?」
男が再び意識を取り戻すと、ただそう繰り返す少女と共に在った。
「アイツは滅す! もしくは、消す! 今は無理でも、いつか消す!」
「よぉしっ! ヤツの意識が離れた!」
野太い声が似合いそうなそんなセリフが、ロリボイスで低い位置から聞こえ、驚いて見下ろすと、意外にも声の主はマッチ売りの少女だった。
「やれやれ、バカのフリは疲れるぜ」
「え? マッチ売りの少女さん?」
「ああ、『マァ君』でいい。いいか、いかにヤツでも、常に俺たちに意識を向けていることは出来ん。ヤツは、ああ見えて、なかなか忙しいからな。俺が『マッチは要りませんか?』しか言わねー時は、ヤツの意識が俺たちに向いている時だ。おまえも読まれて困ることは考えるな。まぁ、ヤツの悪口でも考えてろ」
そんなことを、いきなりロリボで言われても……。
「え? そのキャラ、なに?」
「ああ、こんななりだが、ヤツを消そうと思っている」
「なぜ?」
「マッチは要りませんか? マッチは要りませんか?」
「あのクソ神がぁぁ! 必ず目にもの見せてくれる!」
「……俺もな、創造主だよ。こことは異なる世界を作った。しかし、なんでも思い通りになることに飽きて自分の世界を……マッチは要りませんか? マッチは要りませんか?」
「あの野郎~、絶対、復讐してやる~!」
「……まぁ、他の創造主をぶっ潰すのも面白……マッチは要りませんか? マッチは要りませんか?」
「コンチキショー! なぁにがオーダーミスじゃああああ!」
「……クソッ、アイツ、思ったより、こっち、チラチラ気にしやがる!」
「最初だけだろ?」
「まぁ、そうか……。で、おまえは、こっち側と考えていいんだよな?」
「もちろんだ。よろしく、相棒!」
俺たちは堅い握手を交わした。