転移《metastasis》
「はいこんにちは、女神です」
白い光に満ちた空間で、純白のドレスをまとった金髪碧眼の美少女が告げる。
「これからあなたには勇者として、異世界を救っていただきます。うん、不安になるのはわかる、でも大丈夫! この女神が、超強力なチート能力を天賦してあげます!」
身振り手振り交え、ドレスに巻きつくひらひらの布を揺らしながら、時に天を仰いだりしつつ、女神はハイテンションに話し続ける。
「だからどんなにどんくさくても陰キャでも、大活躍まちがいなし! 承認欲求とかそれはもう充っちみち!」
聞かされているのは女神と向き合って立つ、学生らしきブレザーに膝丈スカートの黒髪少女だった。圧倒されているのか、押し黙ったまま。
「なのでしっかり勇者して、女神の威光を世界の隅々まで──」
そこで女神は言葉を止める。
「──え?」
女神が天を仰いだ目線を少女に戻したとき、そこには誰もいなかった。代わりに彼女の首元につたう、ひんやりと冷たい感触。
「そういうのいいから、はやく元の場所に戻してほしい。私、約束があるの」
耳元で声が囁く。背後に立った少女の右手が、女神の白い喉にそっとあてがう、黄色いカバーからすらりと伸びた銀の刃──それはどこの家庭にもありそうな、ごくごく普通のカッターナイフだった。
「……あなた、自分が何をしているか、わかってるの?」
絞り出すように女神が問いかける。
「もちろん。私を道具にしようとする上から目線の女神を、脅迫しているところ」
──ああ。だめだ、こいつ。
女神はそのとき、明らかな人選ミスに気付く。同時に右手の指をパチンと鳴らす。
瞬間、最初から存在しなかったように、少女の姿は跡形もなく消えていた。
「ったく、ありえないくらい罰当たりな人間ね! 罰としてチートなしで人類滅亡寸前のハードモード異世界に放り出してやったわ! そこで役立たずのゴミ勇者として、のたれ死ぬがいい!」
美しい顔を怒りに歪めまくしたてた女神は、ふと、自分の声に違和感を覚える。声が震動している、ように聞こえたのだ。試しに目の前に掲げてみた両の手のひらの、指先もふるふると小刻みに震えていた。
──まるで、死の恐怖に怯える憐れな人間のように。
そこで彼女はようやく、白いドレスの胸元が、鮮やかな真紅に染まっていることに気付く。
「なに、これ……」
喉を真横に走る、ひとすじの裂傷。そこから鮮血がどくどくと溢れだしていた。
この空間から消される寸前に少女は、女神の喉をカッターナイフの刃で、するりと撫でていったのだ。
上位存在たる女神に痛みはない。死という概念もない。
傷も血も見た目だけの現象で、それさえ彼女が認識した瞬間に、みるみる塞がっていった。
いやそもそも、いかに彼女が油断していたとは言え、あんな工作用の刃物で神体に傷を付けられるはずがないのだ。
……では、なぜ……?
「ああくそっ、なんなのよ! あいつはッ!」
女神として存在してきた幾千年ではじめて感じた「恐怖」を振り払うべく、憑かれたように彼女は、少女の情報を全宇宙記憶から手繰り寄せた。
一拍おいて、空中に光の文字が浮かびあがる。
勾坂 羽摘:17歳
体力【C】
筋力【D】
敏捷【C+】
知力【A+】
魔力【F-】
天賦【未付与】
知力は高いが、身体能力は特筆するほどでもない、ごくごく普通の能力だ。
技能リストにも、やはりごくごく一般的な、異世界ではほぼ役立たずの項目がC~Fで並んでいるだけ。
そうだ、それでいい、そうでなくては。きっとあれは、なにかのまちがいで……
…………
………
…………
歌唱【C】
舞踏【D+】
調理【Bー】
殺人鬼【SSS】
裁縫【D】
………
…………
「……ん……?」
女神は二度見した。殺人鬼は、初めて見る物騒なスキル名だ。
しかもSSSと言えば、その世界で確実に歴史に名を──美名、悪名かかわらず──刻むレベルの代物だ。
女神の指先は吸い込まれるように空中の文字に触れ、詳細を表示させた。
スキル:殺人鬼
基本ボーナス:あらゆる武器の戦闘技能/殺傷力倍化
発動制限:純粋な殺意で「人間」を殺める時のみ
※Sランク以上に適用されるスペシャルボーナス
S 基本ボーナスの倍率を3倍(計6倍)
SS 制限緩和:人間→人型(亜人、獣人、魔族、神)
SSS 基本ボーナスの倍率をさらに5倍(計30倍)
「なによ……これ……」
しばし呆然としてから、女神は右手を横に払い、能力表示の代わりに少女──羽摘の転移先映像を空中に投影する。
彼女は鬱蒼と茂る森のなかにひとり、立っていた。
足元にごろごろと転がる無数の黒い塊は、ゴブリンやオークら凶暴な亜人族の、すでにこと切れて物言わぬ骸。その数は十、二十……いや、樹々の暗がりの向こうにまだまだあるのかも知れない。
だらりとぶら下げた右手には、べっとり血糊のこびりついたカッターナイフが、無造作に握られている。
これだけの数を屠って刃こぼれひとつ見えないのは、スキルの効果によるものか、あるいは女神の血を吸って祝福武器と化したのか。
土に沁みこみ切れない血だまりの、どす赤い色の真ん中から彼女は、ふと何かに気付いたように──女神を見た。愛らしい顔立ちのなかの、底の知れない瞳で。
「ひッ」
向こうからは見えているはずのない映像を、めちゃくちゃに両手を振ってかき消して、女神はその場にへたり込む。
──彼女の脳裏には、映像が消える直前に羽摘が浮かべた、ぞっとするほど可憐な微笑がこびりついていた。
こうして、てちがいで人類滅亡寸前の異世界に転移させられてしまった勾坂 羽摘は、世界を救うのか滅ぼすのか。
その結末は、いずれまた──。
(「最凶の殺人姫はチートなしハードモードの異世界も自前の殺人鬼スキルで蹂躙する!」みたいなタイトルの異世界ものは、書いてみたいのですが現状は構想段階です……。
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