Anyone can't separate my soul from me except love of God
第6章 マドリードに花束を
中欧の小国、ルクセンブルク公国からスペイン王国のマドリードへ行く夜行列車に1人の三十路前半の女と、6,7歳位の女の子2人がその列車に乗り込もうとしていた。
その三十路前半程の女の名はマリア・フォン・イシュタール、あのミネルヴァ・フォン・イシュタールの年子の妹である。
このマリアの経歴として、齢は年子の姉、ミネルヴァと1歳違いで33歳であったが、姉と違って学問の類はあまり好まず、ギムナジウムを卒業した後、マクデブルクの士官学校を2年間在籍し、その後、スペイン王国軍に所属したのであった。
「ママ、私たち、どこへ行くの?」
「パパの生まれた国、スペイン王国よ」
「じゃあ、私たち、そのスペインでずっと過ごすの?」
「それはまだわからないわ・・・」
初めにマリアに声を発したのはマリアと亡くなったカールの双子の長女、イリス、そして、次に母親に声を掛けたのは次女のヴェロニカであった。
それから、マリアは懐から1枚の写真を取り出した。その写真には自分と亡くなったカール・フォン・イシュタールが写っていた。
「カルロス、あなたとの結び付きの証は確実に育っているわ・・・」
[マリアの回想]
ゼノビア暦1624年、ここは神聖ローマ帝国のシュレースヴィヒ=ホルシュタイン州にあるハンザ同盟の盟主的都市であったリューベックの郊外・・・、
カトリック軍とスペイン王国軍の連盟軍とプロテスタント側の軍とスウェーデン王国軍の連合軍が戦火を交えていた。
スペイン王国軍准将カール・フォン・イシュタールはテルシオと呼ばれる約1000人単位で構成される正方形型の密集陣形をこの戦いでは12部隊程指揮し、他、騎兵3000人、砲兵1000人、銃兵2000人合わせて18000人を指揮していたが、この戦いの相手であるプロテスタント側の軍、そして、スウェーデン王国軍はこのテルシオを主体とする連盟軍に対し、グスタフ=アドルフは槍兵より銃兵を重視したオランダ式大隊に改良を加え、この大隊を複雑に組み合わせたスウェーデン式大隊と呼ばれる部隊を合わせてスウェーデン旅団とし、また各旅団の間隔に連隊砲と呼ばれる軽量小型の砲を配置し、全体の火力を高めた。
つまり、グスタフ=アドルフは自ら率いる兵20000人に対し、槍兵を密集させたテルシオ部隊が主体のカトリック連盟軍に対し、プロテスタント側の連合軍の構成は槍兵が半数に留まり、それ以外は騎兵、砲兵、そして、銃兵で構成されていた。
つまり、両軍の戦力的特徴をわかりやすく説明すると、確かに防御力こそカトリック連盟軍が上回っていたが、攻撃力と機動力はプロテスタント連合軍が勝っていたのである。
そして、戦いが進むにつれ、当初はプロテスタント側の槍兵がテルシオ部隊の餌食となっていたが、戦いの中盤にかけ、騎兵隊の抜刀突撃戦術とそれに付き従う銃士隊のマスケットによる攻撃で、カトリック連盟軍の主力であるテルシオ部隊に損傷を与え、そして、連帯砲による集中砲火でテルシオ部隊は大打撃を与えられたのであった。
そして、連帯砲による集中砲火で多くの死傷者を出したテルシオ部隊にカール・フォン・イシュタールが近づいた。
「大丈夫か?お前たち?」
そのイシュタールの問いに対し、虫の息の兵士が答えた。
「准将閣下、この戦いはヤバいです、早く撤退を・・・」
しかし、イシュタールはその兵士の勧めに対し、
「いや、この度の敗戦は私の責任だ、せめて・・・」
と言って、イシュタールはグスタフ=アドルフのいる本陣へ、数人の騎兵を伴って乗る馬にギャロップを掛けて、パイクを持って突撃を仕掛けたが・・・。
「ドォン」
グスタフ=アドルフは装填していたマスケットを側近の部下と共に馬上で発射させ、このイシュタールの体を射抜いたのであった。
全身から血を流して馬上から倒れたイシュタールは最期にこう呟いた。
「マリア、それにイリス、ヴェロニカ、達者でな・・・」
[マリアの回想終わる]
マリアがそのカールの訃報を聞いたのはスペイン王国の首都マドリードであったが、その悲報を聞いた当初はショックで何もできないほどであったが、前述した通り、暫くの間は自らの姉の下で幼い2人の姉妹を育てるつもりであったが、実姉ミネルヴァがフランス王国やスウェーデン王国と不仲になり、遂に、フランス王国軍の女性将校がミネルヴァに向け兵を差し向けるという事実と、ロシア帝国がキエフ公国に侵攻した事実を前に、マリアは「ある決心」をスペイン王国国王フェリペ4世や宰相のガスパール・デ・グスマン・イ・ピメンテル・コンデデクー・オリバレス公爵に伝えるつもりでこのマドリードに来るつもりであった。
この時、この夜行列車の同じ寝台車の向かいに20代後半の女が一人の3,4歳の娘を連れ添って寝台車にベッドに座っていた。
マリアはその女性が深刻な表情をしていたので、そっと状況を訊いてみた。
「あの、どうかされましたか?旅の方?」
「私たちはロシア帝国がキエフ公国に侵攻してきたので、これからスペイン王国に退避するつもりです。無論、夫はラージン大公の出した総動員令でキエフ公国国内にとどまっています・・・」
「そうですか・・・、実は私も神聖ローマ帝国の内戦で夫を亡くしています。私は死んだ夫の代わりに非力ながら女でも槍を持ち騎馬に跨ります」
「・・・・・・・・・・・・・」
暫く沈黙する女に対し、マリアは再び問いかけた。
「あなた、名前はなんて言うの?」
「私の名はポリーナ・マラードヴナ・スタハーノヴァです。娘の名前はスサンナと言います」
「私の名はマリア・フォン・イシュタールです。こっちの娘はイリス、向こうの娘はヴェロニカって言います、短い旅だけどあなたとご同行できて幸せです」
しかし、ここで、マリアに一つの考えが浮かんだ。
「そうだわ、あなた、私の下で兵法や用兵の訓練を受けてみない?あなたも女性にしては体格がいいし・・・」
「エッ?!そんなこと、急に言われても・・・」
「大丈夫よ、怖がらなくても、私が一から教えるから」
暫く考え込んだスタハーノヴァは覚悟を決めてマリアに伝えた。
「わかりました、不肖このポリーナ・マラードヴナ・スタハーノヴァ、初めは一兵卒として戦場に立ち、ロシア帝国の侵略軍から祖国を守ります」
マリアはスタハーノヴァのその言葉にしっかりと頷いた。
夜行列車が2日目の早朝にマドリードにあるマドリード プエルタ デ アトーチャ駅に着き、一旦スタハーノヴァたちと別れ、その日のうちにマリアは宰相オリバレスやフェリペ4世に謁見する予定を組んだ。
そして、マリアの右手には旅行鞄と、そのカバンの上にはヨーロッパアルプスで採ったエーデルワイスとアルペンローゼの花束があった。
しかし、この時・・・、
このアトーチャ駅の構内にて1人の変質者がマリアの次女ヴェロニカの手を引っ張るのをマリアは察知したのであった。
そして、その変質者のヴェロニカの手を引っ張っていた右手をその者の背にやってマリアはこう言った。
「あなた、私の子供に何しようとしていたの?今すぐここから立ち去らないと、この右腕を関節から外すわよ・・・」
「わ、わかったよ・・・」
さすがにその変質者はマリアの体術により観念したかのように思えたが・・・、
しかし、その男が左手からナイフをズボンのポケットから取り出し、マリアの右肩を傷つけたが、マリアはそれに怯むこともなく、相手の足を蹴ることによってその者を構内の床に倒し、透かさず、その者の持っていたナイフを持ち、その者の喉元に当てた。
「ヒ、ヒィー、命ばかりはお助けを」
「フン」
それを聞いたマリアはその変質者の股間を蹴り上げ、愛する娘たちの所へ戻って行った。
「ママ、大丈夫?右腕から血が出ているよ」
次女のヴェロニカの心配そうな声にマリアは、
「大丈夫、浅手よ、それから今のこと、これから会う人たちに言わないでね」
マリアは通常、スペイン宮廷内では、「しおらしい女子」を気取っていたので、こんな「武勇伝」は国王フェリペ4世や宰相のオリバレスの耳に入って欲しくなかった。
その日の昼過ぎ、マドリード王宮の「列柱の間」にて、スペイン王国宰相オリバレスがマリアとその子供たちを迎えた。
オリバレスが右手を上げてマリアたちに挨拶した。
「いやあ、久し振りだね、マリアちゃん、2人の女の子もこんなに大きくなって・・・」
それを聞いたマリアはオリバレスに一礼して言った。
「ええ、お久しぶりです、宰相閣下。まずはこの花束を国王陛下にお届け下さい、特にこの白い花、エーデルワイスは天然の物が取りづらくなっていますから、貴重なお花です」
「そうかい、じゃあ、国王陛下にちゃんと届けるよ・・・、あれ?マリアちゃん、服に血がついているけど、どうかしたの?」
そのオリバレスの問い掛けに、マリアは、毅然と答えた。
「ええ、大丈夫です、ちょっと、夜行列車の二段ベットから落ちただけです」
「エエッ?大丈夫かい?大きなケガなかった?」
「ええ、ほんのかすり傷です」
その後、マリアは話題を変えた。
「ところで、宰相閣下、国王陛下を交えての御前会議は何時からになりますか?」
「大体午後2時位になるかと・・・、マリアちゃん、その時間の少し前にはこの王宮の託児所に子供を預けて置くといいよ」
「はい、わかりました、宰相閣下、その間に私は軍服に着替えますので」
それから、午後の2時、このマドリード王宮で国王フェリペ4世を迎えての御前会議となり、この会議にはスペイン王国の文武の高官が集まったのであった。
会議の冒頭でいきなりマリアはフェリペ4世に具申をした。
「国王陛下、いきなりですが、私はあの神聖ローマ帝国の内乱にスペイン王国として軍事介入を止め、その代わりにロシア帝国に侵攻されたキエフ公国への援軍を出撃させることを所望します」
その提案に対し、フェリペ4世は難色を示す。
「イシュタール准将、わが国の王室と神聖ローマ帝国の帝室は同じハプスブルク家出身、その神聖ローマ帝国帝室がわが国に出兵を要求している以上、簡単に帝国から撤退するわけにはいかん。それから、ロシア帝国のロマノフ家との関係を簡単に悪くする訳にもいかん。その件は慎重な判断を要すると思う」
「・・・・・・・・・・・・」
そのフェリペ4世の応答にマリアはただ沈黙するだけだった。
それからフェリペ4世は自国の強さを自負する発言を行った。
「我が国スペイン王国はイギリスに1588年のアルマダ海戦にこそ敗れはしたものの、中南米、アフリカ沿岸、そしてフィリピンにも植民地を持っている。文字通り、太陽の沈まぬ帝国なのだ。これに加え、海軍力を増強すれば、イギリス、フランスとて恐れることはない」
ここで、フェリペ4世はこのシャンデリアの下の会議室で諸将に意見を訊いた。
「ところで、諸君、我がカトリック連盟軍は2年前のリューベックの戦いでカルロス・フォン・イシュタール准将が戦死して以来、劣勢となっているが、その劣勢を挽回する手立てを諸君らに予は訊きたい、どうであるか?」
「・・・・・・・・・・・・」
暫くの間、沈黙が続いたが、まずは宰相のオリバレスが国王フェリペ4世にある策略を披瀝した。
「実を言いますと、現フランス王国宰相であるリシュリュー奴は私のリセ時代の2年後輩でありまして、同じサークル活動をしていました。それで、学生時代、私も「デブ」だの「脳みそにも食べ物が詰まっている」など罵詈雑言を浴びせられまして・・・」
フェリペ4世は右手を払ってオリバレスに応答した。
「オリバレス宰相、そういう個人的な話はいい」
そうフェリペ4世に言われてオリバレスは一礼した。
「すみません、国王陛下、では、本題をお話し致します。何でも、我が国の間諜によると、ロシア帝国はフランス王国やヴェネツィア共和国、神聖ローマ帝国のプロテスタント側にもこの侵攻の手助けを求めた模様、つまり・・・」
「つまり、何かな?オリバレス宰相?」
フェリペ4世がオリバレスに訊き返した。
「我がライバル国であるフランス王国にロシア帝国の侵攻を支援させるように仕向けるのです。そうすれば、神聖ローマ帝国のプロテスタント側の軍事支援と共に二つの軍事支援をすることになり、フランス王国の財政は一気に逼迫します」
付け加え、オリバレスはフェリペ4世に話しかけた。
「それに、スウェーデン王国、国王グスタフ=アドルフはロシア帝国のキエフ公国侵攻で自国の守りを固めた模様、現在、フランス王国とスウェーデン王国は神聖ローマ帝国のプロテスタント側の軍事支援をしていますが、この件で両者に溝を作らせることができるのです」
「ほほう、それは名案ですな・・・」
声を上げたのは、ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール大将、齢は75歳を過ぎたが、スペイン王国軍の最大の重鎮であった。
この3人の会話の後、マリアは堰を切ったようにこのスペイン王国を支える諸将に語り始めた。
「あの、私、やっぱり・・・」
「やっぱり、何だね?イシュタール准将」
フェリペ4世の問いかけに対して、マリアは、
「亡くなった夫のカルロスに代わって、私がスペインの軍政の改革をしたいと思います。夫のカルロスがスウェーデン王国のグスタフ=アドルフに敗れたのは、戦力の主体をテルシオ部隊に頼りすぎたからだと思います。ですから、亡き夫の為にも、このスペイン王国軍の近代化を推し進めたいと思います」
と、自らが率先してスペイン王国の軍政の改革を推進すると宣言した。
「・・・・・・・・・・・・」
これを聞いたフェリペ4世、宰相オリバレス、そして、外務大臣のクレト・ルシアーノ・デ・ラ・カマラや諜報長官のアルフォンソ・イニエスタが沈黙を守ったが、ここで、ビバールが声を上げた。
「イシュタール准将、それを君が本気でやると言うのかね?」
「はい、必ず・・・」
「わかった、では思う存分卿の力、発揮させてみよ」
「はい・・・」
ここで、ビバールはフェリペ4世に依頼した。
「それでは、このイシュタール准将の階級も少将に昇格してみてはいかがでしょうか?国王陛下」
「あいわかった。イシュタール准将、明日にも辞令を出す。わが軍の近代化はそなたにかかっておる。心して任務に取り掛かれ」
「ハッ、かしこまりました、国王陛下」
しかし、ここで、オリバレスがマリアに釘を刺すようなことを言った。
「しかし、マリアちゃん、いや、イシュタール少将、君のお姉さんはプロテスタント側の最高司令官であり、彼女はキエフ公国に侵攻したロシア帝国と手を結ぼうとしている。少将と国際的な問題で二つも対立することになるかもしれないんだよ」
マリアはその覚悟はできているという感じでオリバレスに答えた。
「オリバレス宰相、私はスペインに嫁いだ身です。姉妹で戦場の雌雄を決するなんてことはできるだけ避けるべきですが、もしもの時の「覚悟」もできております」
「そうかい・・・、わかったよ」
その短いオリバレスの返答に外相のクレト・ルシアーノ・デ・ラ・カマラがこう言った。
「そうしますと、今現在、イシュタール少将の実の姉であるミネルヴァ・フォン・イシュタール最高司令官はどうやら現在、キエフ公国と軍事衝突しているロシア帝国に支援を求めに行ったとのこと・・・、それに関しては皮肉なことに我らにとっては都合の良いことでありますな」
「どうして、カマラ外相はそう思うのかね?」
カマラに質問するフェリペ4世に、彼は左手の手の平に右手の拳を合わせ、一礼して懇願した。
「国王陛下、私をキエフ公国に行かせて下さい。私はスルコフ外相やラージン大公と会談し、我がスペイン王国はキエフ公国に軍事支援する用意がある旨を伝えます」
フェリペ4世は頷いた。
「そのことも会い分かった。カマラ外相はキエフ公国に行く準備を進めるが良い」
ここで、イニエスタが挙手をしてフェリペ4世にこれから自らのする行動を話した。
「それでは、国王陛下、私はアメリカ合衆国へ行って、我がカトリック連盟軍に協力できるかどうか、アメリカ軍首脳陣に尋ねてきますので」
カマラがイニエスタにこれから彼が行くことになるアメリカ合衆国の状況を訊いてきた。
「イニエスタ諜報長官、そのアメリカ合衆国の政情はどのような感じですか?」
「はい、アメリカ合衆国は建国してまだ12年しか経っておりませんが、建国の父ワシントンの意志を継いだジョン・アダムズ大統領の下、環大西洋安全保障憲章の盟主として発展しそうな勢いであります」
カマラが頷いて、
「その新興の共和制国家をこちらにどう協力させるかが卿の力の見せどころですな・・・」
と、イニエスタの力量拝見という感じであった。
それに対し、イニエスタの方も自信を持ってカマラに答えた。
「はい、十数年前のアメリカ独立戦争で活躍したエイルマー・シルヴァなる人物は私と同世代ですが、今、彼はアメリカ合衆国陸軍元帥という地位であり、その彼の心をどうやって動かすかが、一つの勝負どころであります」
ここで、老将のビバール大将が若い将校2人に視線を配った。
「モンレアル大佐、ムフタール中将、2人共、我らスペイン王国軍の行く末をあのイシュタール中将(殉職の為に2階級特進)の未亡人ばかりに負担を負わせてはなりませぬぞ」
「はっ、かしこまりました、ビバール大将」
「はっ、仰せの通りに」
ビバール大将にそれぞれ忠実な挨拶を交わしたルカ・ラウル・モンレアル大佐は28歳、北アフリカの多数派民族であるベルベル人であるオマル・アル・ムフタール中将は36歳、丁度マリアの年齢と上下する関係だったが、彼らは上官であるビバール大将に「今後のスペイン王国の将来を女手だけに任せるな」と釘を差されたのであった。
ここで、フェリペ4世はその2人に顔を向けた。
「モンレアル大佐、ムフタール中将、実はどちらか2人に折り入って頼みがある」
「はっ、何でしょうか?国王陛下?」
声を発したのはムフタール中将であった。
「実は、神聖ローマ帝国の西隣、南ネーデルランドがわが国の統治を拒んでいる。両者のうち、1人は南ネーデルランドへ行って、その反乱を鎮圧して欲しいのだ」
「わかりました。では拙者が南ネーデルランドへ参ります」
フェリペ4世に頭を下げたのはモンレアル大佐の方であった。
それから、この後、フェリペ4世がこの御前会議の終結を宣言した。
「それでは、この御前会議もこれをもって散会とする、そして、今の会議で名前の挙がったイシュタール少将、オリバレス宰相、カマラ外相、イニエスタ諜報官、モンレアル大佐、ムフタール中将の6人は、それぞれ軍事、計略、外交、人事の分野で成果を上げよ!私からは以上である!」
「はい」
「かしこまりました」
「ハッ」
「仰せの通りに」
「我らスペイン王国に神の恩寵を」
「粉骨砕身の努力をします」
そして、イシュタール少将、オリバレス宰相、カマラ外相、イニエスタ諜報官、モンレアル大佐、ムフタール中将の6人はこのシャンデリアの下の会議室でそれぞれ右手を合わせて、これからの活動の成功を誓ったのであった。
しかし、その翌日、マリア・フォン・イシュタールはスペイン・マドリードのレティーロ公園で2人の自分の子供と共にいたが、マリアは項垂れることが多かった。
この時、ルクセンブルク公国からスペイン王国のマドリードまで行く夜行列車に同行したポリーナ・マラードヴナ・スタハーノヴァは、マリアの斡旋でスペイン王国軍に「兵長」として従軍し、このレティーロ公園で木刀やたんぽ槍を振って白兵戦の稽古をしていた。
「国王陛下やビバール大将の前でああは言ったものの、そんな簡単にスペイン王国軍の軍政の改革なんて私にできるかしら?」
「ママ、どうしたの?何か元気ないみたいだけど?」
長女のイリスにそう尋ねられたが、マリアは首を横に振って答えた。
「ううん、何でもないのよ、イリス」
ここで、マリアはこのレティーロ公園で音楽と共に、セクシーな衣装で踊る若い女を見たのであった。
「エリシア、エリシアじゃない、久し振り―――」
マリアがそのエリシアという女に会って懐かしい表情をしたのも当たり前のことであった。
なぜなら、このエリシア・パルラはマリアが8年前カルロスと結婚し、住所をスペインに移し替えた時の住居の隣の家の娘であり、その時、エリシアはまだ13歳であった。
「あっ、マリアさん、このレティーロ公園で再会できるなんて奇遇ですね、ところで、こちらの女性は?」
「いや、実はマドリード行きの夜行列車で知り合ったのだけど、何故彼女が私と行動を共にしているかは後で話すわ・・・」
そのマリアの声に応答したエリシアであったが、マリアからは何故そんな恰好で公園内で踊っているのかと訊かれた。
「ところで、エリシア、あなた何でそんな恰好で踊っているの?」
「ああ、それはですね、もうすぐ大学の学園祭で私の踊りを皆に披露するからですよ」
「そう・・・」
ここで、マリアはエリシアにある依頼をする。
「ねえ、エリシア、あなた、私の副官にならない?私、昨日の御前会議でスペイン王国軍少将となって後進的なスペイン軍を改革することになったのよ」
「エエッ?マリアさん、いきなりそんなことを言われても」
「大丈夫よ、私も夫が亡くなった後、2年間、お姉さんの副官を務めたから、それに、あなたの大学の学費は軍から奨学金を出せるように頼んでみるから」
仕方がないと、エリシアは頷いた。
「わかりました、マリアさん、いや、イシュタール少将、このエリシア・パルラ、一命を賭して、閣下の副官を務めさせて頂きます」
「ありがとう、エリシア」
「ただ、このダンスの練習時間に重なって、マリアさんの副官の仕事で単位落としたら、その時は責任取ってもらいますからね」
「はい、わかりました。で、早速なんだけど、3週間後の日曜日にグラナダで我がスペイン王国軍はオスマン帝国軍との間で親善試合があります。無論、使用する剣や木製か竹製で、槍はたんぽ槍です。マスケットの銃弾もプラスチックのBB弾を使用するエアガンでやりますが、この戦いは本番さながらの真剣勝負です」
エリシアが頷いて答えた。
「はい、でもそうしますと、その親善試合に参加する兵士たちにマリアさん、イシュタール少将がスペイン王国軍の猛者たちを率いることになりますよね?
果たして、兵士たちが納得してくれるかどうかですよね?」
「わかっています、だから、その親善試合の2,3日前に私はスペイン王国軍の兵士たちに戦術指令を出すつもりです」
エリシアはこのレティーロ公園に咲いている水仙の花を見た。
「えっ?その戦術とはその親善試合で使う武器にあそこに咲いている水仙の葉や根っこや夾竹桃の枝の毒を塗るとか、そういうことじゃないですよね?」
「そんな卑怯な真似はしません、私の新戦術は・・・、あっ、そうだわ、エリシア、あなた・・・」
この時、マリアに天啓の閃きが生まれた。
「エリシア、あなた、大学でAiの専門知識を持つ大学院生か教職の人を知らない?私、その人にやってもらいたいことがあるのよ」
「Aiの専門知識を持つ人ですか?私は法学部なんで特にいませんが、明日にも工学部の学部棟を訪ねたいと思います」
「よろしく頼むわ、エリシア」
エリシアの不安げな表情を余所に、マリアの顔は自信に満ちていた。
数日後、エリシアはマリアの執務室にマドリード大学の工学部関係者を連れて来た。
「失礼します、イシュタール少将」
「はい、エリシア、待っていたわ」
そして、1人の眼鏡をかけた35歳位の男を紹介した。
「こちらの方が・・・」
そう言われて、男の方はマリアに自己紹介した。
「初めまして、私の名はイラリオ・モビージャと言います。マドリード大学工学部情報工学科で助手をしています」
モビージャの名を聞いたマリアは、喜んで椅子から立ち上がり、モビージャに両手で握手した。
「私の名はマリア・フォン・イシュタールです。早速ですが、モビージャさん、あなたにあるプログラミングをしてもらいたいのです」
「あるプログラミングですか?」
「はい、約2週間後に私はオスマン帝国軍との練習試合に臨みます。この試合のオスマン帝国軍の動きをAiで予測して欲しいのです」
モビージャは軽く頷いた。
「そうですか、ではそうしますと、過去のオスマン帝国軍との練習試合の資料か何かありますか?」
それを聞いたマリアは机の上の書類の束をモビージャに見せた。
「はい、その資料ならここにあります」
「わかりました、では、明日か明後日にでもその資料のデータを私の研究室のコンピューターにインプットしてみます」
「よろしくお願い致します」
マリアは丁重にモビージャに頭を下げた。
その3日後、モビージャの研究室にて、彼がインプットしたデータを基にAiが今度の練習試合でオスマン帝国軍がどのような動きをするのか、予想し始めた。
それを見たモビージャがマリアに伝える。
「あっ、データが出てきました。イシュタール少将、今度の戦いではオスマン帝国軍はまず歩兵を前面に出し、その歩兵を盾に銃士隊が銃を撃ち、そして、騎兵が二手に分かれて、我々スペイン王国軍を撃退する戦術になりそうです」
「そうですか、では、モビージャさん、このデータをプリントアウトして欲しいのですが、私、そのデータを基に対策を練ります」
「はい、わかりました」
マリアはモビージャにプリントアウトしてもらった資料を嬉しそうに手にすると、モビージャに返礼した。
「誠にありがとうございます。モビージャさん、早速、お礼のお金を振り込みたいので、銀行口座の口座番号を教えて下さい」
「は、はぁ、わかりました」
モビージャに銀行の預金口座の番号を教えてもらった後、マリアは上機嫌でエリシアと共にモビージャの研究室を去った。
そして、その親善試合の3日前、マリアは副官となったエリシアや兵長となったスタハーノヴァと共にスペイン王国軍の兵士たちに指令を出した。そのマリアの両隣にはモンレアル大佐やムフタール中将がいた。
「・・・皆さん、今まで、スペイン王国軍は密集陣形であるテルシオ部隊を主力として戦ってきました。でもこれからは違います、私、マリア・フォン・イシュタールはこのスペイン王国軍を攻撃力と機動力と防御力を兼ね備えた軍にしていきたいと思います」
それを聞いた1人の兵士がマリアに食って掛かった。
「何だよ、テメエ、まだ三十路前半の女のくせに俺たちに命令する気かよ!ふざけるな!」
しかし、その兵士の傍にいたある兵士は、
「まあまあ、いいではないか。この小娘の言うことが正しければ、神聖ローマ帝国での今まで劣勢だった戦争の趨勢も変わるかもしれん、まずは、その新しい戦術を聞こうではないか」
と、答えると、初めにマリアに食って掛かった兵士はこう言った。
「まあ聞くのもいいだろう、一回ぐらいは、但し、今回のオスマン帝国との親善試合で負けたら二度とお前の話は聞かん」
「わかりました、それでは・・・」
マリアの口調は自然と自信に満ちていた。
そして、その親善試合がある日曜日、このスペインの南部グラナダは、ムデハル様式のアルハンブラ宮殿で有名なナスル朝が存在した。イスラム政権下にあるイベリア半島のことをアラビア語で「アンダルス al-Andalus」と 呼ぶ。その支配領域は後ウマイヤ朝の時代に最大となり,以後キリスト教諸国による再征服 レコンキスタ を受け徐々に縮小した。最後のイスラム政権であるナスル朝 ゼノビア暦1232年から1492年までのナスル朝首都グラナダの 周辺は今でもアンダルシア地方と呼ばれ、その名残を留めている。
この王朝はイベリア半島最南部に13世紀から15世紀末まで存在したイスラム王朝だったが、1492年にこの王朝がスペイン帝国に征服されたことで、キリスト教勢力のレコンキスタ(再征服運動)が完了した。
そういった歴史的出来事に関連して、このスペイン王国軍とオスマン帝国軍の「親善試合」はキリスト教国とイスラム教国という宗教の教義の違いを超えて、定期的に行われていたが、オスマン帝国軍がイェニチェリという常備歩兵集団とシパーヒーと呼ばれる騎兵を主力に構成されていたが、今回の親善試合でも、今までのオーソドックスな戦力で戦いに赴いたが、迎え撃つスペイン王国軍は今までとは少し趣が異なっていた。
この戦いに参戦した兵士は両軍とも5000人と前もって決められていたが、今までそのスペイン王国軍の構成の主力をなしていたテルシオ部隊は半分より少し多い程度であった。
それを見たオスマン帝国軍の指揮官、チャンダル・ハリル・パシャは馬上でマリア・フォン・イシュタールの取った戦術をその顔の鬚を揺らしながらせせら笑った。
「フン、一頭の獅子に率いられる部隊なら警戒しなければならないが、一頭の女狐に率いられる部隊ならば恐れるに足りん。我らのイェニチェリとシパーヒーで粉砕してくれる」
この親善試合は2週間前の御前会議に参加したフェリペ4世、宰相のガスパール・デ・グスマン・イ・ピメンテル・コンデデクー・オリバレス、そして、ロドリーゴ・ディアス・デ・ビバール大将が観戦したが、その御前会議に出席していたクレト・ルシアーノ・デ・ラ・カマラは軍事支援の約束の為にキエフ公国へ外交に行き、アルフォンソ・イニエスタはアメリカ合衆国へカトリック連盟軍への協力を促しに行ったのでここには不在だった。
マリアの長女、イリスが叫んだ。
「ママ、頑張って!」
そのイリスの声が谺するなか、遂に親善試合が始まった。
ハリルは馬上から右手を上げて、イェニチェリからなる歩兵部隊に以前より少なくなったテルシオ部隊に攻撃を仕掛けた。
当初は数の減ったテルシオ部隊にイェニチェリの歩兵部隊のたんぽ槍が威勢よく当たったが、マリアの事前の指示通り、暫くすると、そのテルシオ部隊は中央で両分され、後ろに控えていた銃士隊がエアガンのマスケット銃でイェニチェリの歩兵部隊を攻撃した。
「それっ、今だ!騎兵隊は我に続け!」
と、マリアが右手にたんぽ槍を、左手に手綱を引きながら叫ぶと、左翼からは剣[この時は木刀]やたんぽ槍で武装した騎兵が攻撃し、この中には夜行列車で知り合ったスタハーノヴァの姿もあった。右翼からは小銃にBB弾を装填した銃士隊が共に馬に乗って、その銃士隊に怯んだイェニチェリの部隊や後方にいたシパーヒーと呼ばれるオスマン帝国軍の騎兵に横腹から襲い掛かって行ったのである。そして、今回、その小銃を装備した騎兵を指揮したのは、今回のマリアの戦術に同意したルカ・ラウル・モンレアル大佐や、オマル・アル・ムフタール中将であった。
「ク、クソッ!」
ハリルはその顎に蓄えた長い鬚を振るわせて、馬上で怒りもがいた。
と、そこへ、マリアが馬上に乗りながら、ハリルに迫った。
「ハリル将軍、そちらのオスマン帝国軍には何か新しい戦術はないのですか?」
「い、今、考案中である。それを貴官に見せるのは我が帝国の軍事機密に関わるので、スルタン陛下の許可が必要であるのだ!」
しかし、また1人、馬上から若い女がハリルに近づいた。エリシア・パルマである。
「あなた、ハリル将軍ですよね?素直に負けを認めたらどうですか?」
「・・・・・・・・・・・・」
ハリルは黙って、自分の兵の撤収を始めた。
「ママ、やったね」
柵の外でフェリペ4世やオリバレスと一緒にこの親善試合を観戦していたマリアの次女、ヴェロニカが自分の母親を褒め称えた。
フェリペ4世もマリアの新戦術を認めた。
「イシュタール少将、新しい戦術、見事である。これで劣勢だった神聖ローマ帝国での戦況も変えられるかもしれん、頼んだぞ」
「はい・・・」
この時、国王にマリアを少将に昇格を依頼したビバール大将もマリアの戦術に惜しみない拍手を送った。
馬上のエリシアがマリアに話しかけた。
「マリアさん、いえ、イシュタール少将、今回は閣下のAiによる敵軍の動きを予想する戦術がかなり功を奏しましたね」
「ええ・・・」
そして、同じく馬上にいたスタハーノヴァもマリアに話かけた。
「このような戦術や用兵で私も侵攻したロシア帝国軍と戦えばいいのですね?」
「まぁ、実際の戦争はこれほどまでに理想的には行かないと思うけれど・・・」
しかし、マリアはスタハーノヴァとの会話を終えると、フェリペ4世やエリシアにそうは言ったものの、心中では一抹の不安を抱えていた。
「カルロス、私、本当にこれでいいのかしら?」
マリアは心の中でそう独白したが、その心配とは、一つ目はフランス王国軍にはゲアーハルト・クロヴィス・セザール、アゼリア・ラ・トゥールモンドなどの若くて優秀な軍事指揮官が多いということ、二つ目は自らの姉、ミネルヴァ・フォン・イシュタールがもしも、神聖ローマ帝国のプロテスタント側として、あるいは、キエフ公国に侵攻したロシア帝国と手を結んだら、その時は自らの命運を掛けて姉と戦場で対峙しなければならないということ、この2つの悩みはマリアの頭の中から消えなかった。