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Anyone can't separate my soul from me except love of God

      第4章     エルミタージュの緞帳


 ヴァレリー・エル・ルシードがキエフ公国の君主、スチェパン・チモフェヴィッチ・ラージンにブチャの町での虐殺の首謀者、ヴァシリー・レオニートヴィッチ・バユノフとマリク・ウーター・バーシーの首級(しるし)を届けた頃、ゼノビア暦1626年4月中旬、彼の身柄はロシア帝国軍の憲兵に捕らえられ、帝都サンクトペテルブルクに護送される最中だった。

因みに、彼の部下であるジグムント・カミンスキー、ダヴィッド・アントーノヴィッチ・グリーシン、そして、彼の元妻であるミリアム・クローエ・アグリアスはロシア帝国軍務省から「自宅謹慎」の命令を受けていた。


 それから、ルシードは帝都サンクトペテルブルクのエルミタージュの冬宮殿の会議室で女帝イゾルデ、首相トッカー、そして、ロシア帝国軍元帥のスタリーヒンの「査問」を受けることになった。


 ルシードは会議室の長い机の下端の中央に座ると、長い机の上端の左側にトッカー、右側にスタリーヒンが座った。会議室には大理石で出来た古代ローマ帝国初代皇帝オクタウィアヌス(アウグストゥス)の彫像が中央にあった。

 そして、彼らより数分遅れてロシア帝国の女帝(ツァーリツァ)、ソニア・イゾルデ・ロマノーヴァが机の上端の中央に座り、遂に査問会が始まった。

 イゾルデからルシードに第一声が発せられた。

「ルシード准将、ケガの容態はどうであるか?」

「はい、お陰様で傷口の治りも早いです、こうして、一応五体満足で歩けます」

「そうか、それは何よりで」

 しかし、その後、スタリーヒン元帥から、ルシードへ厳しい指摘が行った。

「ルシード准将、卿はロシア帝国保安庁の特殊部隊隊長のバユノフとオスマン帝国の傭兵隊長であるバーシーの首を斬ってラージン大公に届けたらしいが、それは本当の話かね?」

「はい、それは本当の話であります」

「何としたことか・・・、ルシード准将、卿は重大な軍規違反を犯したことになるぞ」

 ただし、ここで、トッカーがスタリーヒンを宥めた。

「しかし、スタリーヒン元帥、ルシード准将はキエフ国立銀行に保管されていた金塊、銀塊をロシア帝国の国庫に納めてくれた。その総額は1000億ルーブルにもなり、我々の戦いの戦費補充にはそれなりに貢献してくれたのも事実でありますぞ」

「・・・・・・・・・・・・・」

 そのトッカーの言葉にスタリーヒンは暫く沈黙したが、ルシードの上司として、お叱りの言葉を入れた。

「けれども、ルシード准将、卿にはロシア帝国軍人としての責務がある。誰が万人受けするアイドルのような真似をしろと言ったのかね?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 ルシードはその上官の忠告に悪びれることもなく、暫く沈黙していたが、それを破ってイゾルデに質問が飛んだ。

「女帝陛下、かつてバユノフとバーシーは病床の私にこう言いました。ブチャでの民間人の虐殺には女帝陛下の許可を頂いていると、それは本当なのですか?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 暫く黙ってからイゾルデはルシードにこう答えた。

「私はブチャの町にロシア帝国軍の特殊部隊を派遣することは承認したが、その特殊部隊にオスマン帝国の傭兵たちが合流することも、ましてや、彼らがブチャの民衆を虐殺することを意図していたなどということは全く知らなかった」

「その話は本当でありますね?」

「うむ、ここにいるスタリーヒン元帥もトッカー首相も彼らの行動を予想していなかった」

 しかし、イゾルデは右肘を椅子のひじ掛けに当てながらルシードを諭すように言った。

「しかしな、ルシード准将、ここで卿に訊きたいが、「大事の前の小事」という言葉を知っているか?」

「はい、勿論です」

「確かに、バユノフとバーシーの行った行為は残虐無比と諸外国から言われても仕方がない。しかし、我々はキエフ公国に侵攻してしまった以上、公国の領土の何割かを制圧せねば、今まで流してきた血の代償がつかない。ルシード准将、卿は軍人でありながら、国家の大義をないがしろにしているのではないのか?」

「・・・・・・・・・・・・・」

 ルシードはイゾルデのその言葉に暫くはただ沈黙するしかなかった。

 ただ、ここでも、ルシードはイゾルデに反論した。

「女帝陛下、我々は3月中旬、ロシア帝国軍の命令を受けて、キーウから撤退しました。しかしまだ、キーウ州には多数の対人地雷が残っています。バユノフとバーシーの仕掛けたブービートラップも、これらにキエフ公国の国民が被害に遭うことも懸念されます」

 それを聞いたイゾルデはやや嘆息しながらルシードに返答した。

「ルシード准将、確かに無辜の民衆の命を気にすることも大切だ、だが、卿は軍人としては些か性格が優し過ぎるようだ。私がテレビ演説で言った通り、ドネツク、ルガンスクの親ロ勢力は我々に助けを求めに来た。その申し出に答えてあげねば我がロシア帝国としてもメンツが立たないのだ」

「・・・・・・・・・・・・・」

 ルシードはイゾルデの返答に沈黙するしかなかった。

 しかし、暫く間をおいて、ルシードはイゾルデに今回のキエフ公国侵攻の最終的な目的を訊いてきた。

「ところで、女帝陛下、今回のキエフ公国への侵攻の最終目的とは何ですか?」

 暫く考え込んだ後、イゾルデが答えた。

「私は、かつて卿の祖国を分割したように、キエフ公国も分割し、最終的には公国を一旦解体したいと思っている。しかし、それは先の長い話だと思う」

「良く言われることに、戦争は始めるのが易しく、終えるのは難しいと聞きます。ことはそう簡単に上手く行きますかね・・・」

 ヴァレリー・エル・ルシードはロシア帝国出身ではなく、リトアニア=ポーランド共和国の出身であったが、ゼノビア暦1612年、ロシア帝国君主イゾルデ1世がリトアニア=ポーランド共和国の元首であるアウグスト3世が死去した頃から、親ロ派の貴族である元愛人のスタ二スワフ・アウグスト・ポニャトフスキを元首の座に就けると、様々な内政干渉を行うようになった。プロイセン王ルドルフ2世はロシアの動きを見て、ポーランドがロシアに奪われることを警戒、神聖ローマ帝国皇帝フェルディナント4世を誘って、ポーランド分割を提唱した。ポーランド側に復興への改革の兆しが表れたことに不安を感じたイゾルデ1世は神聖ローマ帝国とプロイセン王国の提案に応じ、ロシア、神聖ローマ帝国、プロイセンの三国でリトアニア=ポーランド共和国の全体の3割程の領土を分割したのであった。

 

 イゾルデが一息置いてルシードに伝えた。

「ルシード准将、我々は卿の行動にばかり気を使っていられない。キエフ公国南部の都市マリウポリではスヴォーロフ上級大将、東部セベロドネツクではゲラシモフ中将がそれぞれロシア帝国軍を指揮している。卿の身は暫く自宅で軟禁処分とする、少しは頭を冷やせ、以上」

「女帝陛下、私の話はまだ・・・」

 すると、ここで、会議室にロシア帝国軍の憲兵たちがやって来た。

「ルシード准将閣下、そろそろ参りましょうか」

「・・・・・・・・・・・・・」

 ルシードは黙ってこのエルミタージュ宮殿の会議室を離れた。


 ルシードがこの会議室を離れた後、ロシア帝国首相であるトッカーが君主のイゾルデに耳打ちした。

「女帝陛下、実は神聖ローマ帝国から陛下にお会いしたいという女性がおりまして、その者は屈強な武将を2人程連れてきていますが・・・」

 イゾルデはトッカーに頷いて答えた。

「わかった、宜しい、通せ」


 十数分後、遂に、神聖ローマ帝国からのロシア帝国政府への「訪問者」がやって来たのであった。

「初めまして、ロシア帝国の方々、私の名前はミネルヴァ・フォン・イシュタールと申します。普段は神聖ローマ帝国でプロテスタント側の司令官をしている者です。連れの同伴者はロルフ・フォン・ナハトバウアー、クラウス・シュペーアと申します」

「あいわかった、ではその席に座るが良い」

 ミネルヴァは先程ルシードが座っていた席に向かうと、イゾルデたちに一礼して、これから自分たちが説明したいことの前置きを話した。

「女帝陛下、私たちのお話しを聞いていただく前に、女帝陛下たちの為に3台、こちら側の為に3台ノートパソコンを用意させて下さい」

 ミネルヴァがそう言うと、シュペーアがイゾルデ、トッカー、スタリーヒンにノートパソコンやマウスを用意して、インターネットのケーブルにつなげ、その後、ナハトバウアーが自分たち3人の為にノートパソコンやマウスを用意して、同じくインターネットのケーブルにつなげた。

 ミネルヴァがノートパソコンの画面を操作し、中央ヨーロッパの地図を出すと、マウスでエアフルトの地域を青い色で囲んだ後、イゾルデたちに説明をした。

「私たちはこの神聖ローマ帝国テューリンゲン州エアフルトに兵3万を配置しています、対して、カトリック側の軍勢はバイエルン州のバイロイトに5万の兵を配置しています」

 バイエルン州の地域をマウスで赤く囲むと、ミネルヴァの説明が続く。

「実のところ、今まで我々を支援してくれたフランス王国、スウェーデン王国との関係が急速に冷めてしまいました。それで、女帝陛下に申し入れしたいのは、無論、こちら側で戦費と食糧の負担は致しますから、兵を貸して頂きたいのです・・・」

 この話の最後に、ミネルヴァがパソコンの画面にマウスで白い矢印型の線をロシア帝国から神聖ローマ帝国へ引いた。

「・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

イゾルデ、トッカー、それにスタリーヒンはそれぞれ顔を見合わせて沈黙した。この小娘は何と傲慢な要求をロシア帝国にしてくるのかと。

 それでも、スタリーヒンはミネルヴァに兵数の具体的な内容を訊いてきた。

「それで、イシュタール司令官はどれぐらいの兵を支援して欲しいと欲するのですかな?」

「まず、歩兵が2万、騎兵、砲兵、工兵がそれぞれ合わせて5千から1万ぐらいでしょうか」

 厚かましい厚顔無恥の小娘だな、とイゾルデは心中思いながら、イゾルデはミネルヴァに三つのことを問いかけた。

「卿の要求はわかった、しかし、我が国としては卿に三つのことを訊かねばならない」

 イゾルデの話は続く。質問ごとにイゾルデは右手の指を立てた。

「一つ目は、我がロシア帝国はキエフ公国と交戦中であるということ、二つ目に卿は何故、キエフ公国ではなく、ロシア帝国に支援を求めたのか?ということ、そして、三つ目は卿を支援することにロシア帝国に何のメリットがあるのか?ということである」

 ミネルヴァの表情は一瞬、強張った。

「私のこの三つの質問にきちんと答えることだ。卿の返答いかんによっては、ここで首を刎ねられることもありうるぞ」

「はい・・・」

 ミネルヴァは畏まってイゾルデのその質問に答えた。

「一つ目の件に関しては我々も十分承知しています。二つ目の件に関しては我々の予測ではロシア帝国の方がキエフ公国より余力を残していると見ました。最後に、三つ目の質問は我々神聖ローマ帝国プロテスタント側がカトリック側に勝利した暁には西欧諸国のロシア帝国への経済制裁を解除するように促します」

「ふ、ふっふっふっ・・・」

 ミネルヴァの返答を聞いたイゾルデは一笑に付した。

「イシュタール司令官、卿の言いたいことはわかった。だが、教科書のような返答では人の心は動かせないわ」

「・・・・・・・・・・・・・」

 沈黙するミネルヴァにイゾルデが救いの手を差し伸べる。

「もしも、卿に援軍のチャンスがあるとしたら、それはまず、マリウポリでスヴォーロフ上級大将がロシア帝国軍の指揮を執っているが、帝国軍がその地でキエフ公国軍に勝利することが絶対条件だ」

「そうですか・・・」

 ミネルヴァはイゾルデのその返答にやや落胆した。

「まぁ、卿の立場からすれば、首を長くして待っていることだな、あっ、そうだ・・・」

 ここで、イゾルデは何かを思い出したようにミネルヴァに話しかけた。

「卿がその席に座る前に軍規違反で軟禁処分となったロシア帝国軍の将官がいる、その者の名はヴァレリー・エル・ルシードと言う。もし卿が神聖ローマ帝国に帰る前に会いたいと欲するなら、写真と個人情報が書かれている書類を渡せるが・・・」

 それを聞いたミネルヴァは表情に活気を取り戻した。

「はい、是非とも、私たちの帰り間際にその人と合わせて下さい。資料をお願い致します。これでこの場は失礼させて頂きます」 


 しかし、この時、この場を去ろうとするミネルヴァにイゾルデは「待った」を掛けた。

「待ちたまえ、イシュタール司令官、私は卿に訊きたいことがある」

「はい、何でしょうか?女帝陛下?」

「現在、我が国はキエフ公国と交戦中だが、卿の祖国である神聖ローマ帝国やフランス王国、それにヴェネツィア共和国は我が国の側として参戦できないのか?無論、それぞれの国が占領した領域はその国のものとするが・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

 イゾルデの提案を聞いたミネルヴァは暫く沈思し、黙考した。

「今の私の立場では何とも言えません。皆と祖国に帰って、女帝陛下の提案を斟酌します」

「あいわかった、私の提案を考えてくれたことに感謝の意を表する」


 イゾルデにそう言われると、ミネルヴァたちはその足でロシア帝国軍軍務省へ行き、ルシードの写真と資料を受け取った。


 その日の夕方、サンクトペテルブルクの高級将官用の宿舎の建物の8階にルシードは憲兵に車で連れられて、自宅へと戻った。

 そして、宿舎の入り口のドアを開けたルシードは玄関で元妻であるミリアムと11歳(来月5月で12歳)になる息子のセルゲイがいることに驚いた。

「あれっ?ミリアム、どうしてセルゲイをここに連れて来たんだ?」

「ええ、私もブチャの町の戦いの責任を問われて、ロシア帝国軍の憲兵によってここに連れてこられました。息子のセルゲイはヴァレリーのお母さんがブレストからここに連れて来て下さったのです」

「そうか・・・、それで、お母さんは?」

「ええ、お一人で実家にお帰りになられました」

「そうか、わかった」

「ヴァレリー、夕食の準備はしてあります」

 実は、ゼノビア暦1626年4月上旬、ミリアムは元夫のルシードと行動を共にすることを決意した時、息子のセルゲイをルシードの実家のあるブレストの町に預けたのであった。

 ルシード、ミリアム、そして、セルゲイの3人は何年ぶりかの夕食を一緒に摂り、その後、リビングルームで久し振りの一家団欒となった。

 そして、ルシードがテレビのリモコンのスイッチを付けると、それは国営放送のニュース番組で、丁度戦火が激しくなったマリウポリの都市の映像が流れた。


 テレビのレポーターがこのマリウポリ攻略のロシア帝国軍最高司令官であるアレクサンドル・ヴァシリエヴィチ・スヴォーロフ上級大将へのレポートをしていた。

「スヴォーロフ上級大将閣下、このマリウポリの進撃状況はどうでありますか?」

「・・・ええ、街の大部分は制圧しましたが、市内南東部にあるアゾフスターリ製鉄所にこの街を守備するアゾフ連隊が籠城する可能性もあり、長期戦が予想されます」

 テレビのインタビューに答えるスヴォーロフは鼻の下と顎に無精髭を生やしていた。

「閣下はどのように製鉄所を攻略するおつもりで?」

「それは軍事機密なのでここでは話せません」


「・・・・・・・・・・・・・」

 ここで一旦、ルシードはテレビのスイッチを切った。それから、ミリアムの方を向いた。

「スヴォーロフ上級大将も大変だな、あそこの製鉄所は90年前からあり、その広さは11平方キロメートルもある。敵対するアゾフ連隊だって、武器、弾薬、食糧をかなりそこに備蓄しているだろうに」

 ミリアムが頷いた。

「ええ、上級大将は妻子をモスクワに預けたままだと聞きました」

 ルシードが飼い犬である雌のシベリアンハスキー、「アエリア」にドッグフードを与えていた時、ここで、ルシードとミリアムの息子である小さな軍服と短剣を装備して父親の前に現れた。

「パーパ、僕も大きくなったらお父さんみたいな軍人になるんだ!」

 それを聞いたルシードが息子に諭す。

「おいおい、セルゲイ、野暮なことを言うのは止めてくれ、お父さんは先月のキーウという場所の戦いで死に掛けたんだぞ、お前は僕より立派な技術者、いや、できれば科学者になってくれ」

「・・・・・・・・・・・・・」

 父親に反対されたセルゲイは黙ったままだった。

 このセルゲイの恰好を見たルシードがミリアムにその詳細を訊いた。

「おいおい、ミリアム、セルゲイのこの制服は誰が用意したんだ?」

「サンクトペテルブルクの小学校です。無論、制服代は私が負担しましたが、今回のキエフ公国侵攻には子供も意識を高めるべきだと、国の方針らしいです」

「そうか・・・」

 ルシードはここで今日の昼間に話し合った、ロシア帝国の君主であるイゾルデ陛下には直接の子供がいないことを思い出した。何でも人工授精に2回失敗したという噂を聞いた。だから、もしも、イゾルデ陛下が崩御された後は、イゾルデの実妹であるクリームヒルト殿下がロマノフ王朝の王族と結婚されて子供がおられるので、その子供がロマノフ王家を相続するんだなと思った。

「ピンポーン」

 この時、8階にあるルシードの宿舎のドアベルが鳴った。

「はーい、今行きます」

 ミリアムが玄関に行って、誰何の声を上げた。

「あの、どなたですか?」

「夜分遅く失礼致します。私の名はミネルヴァ・フォン・イシュタールと申します。普段は神聖ローマ帝国で軍人をしていますが、今回、帰り際に是非、ルシード准将にお目にかかりたくて参上しました」

「・・・そうですか、ならば、どうぞ中へお入り下さい」

 ミリアムはミネルヴァを宿舎のリビングルームに案内した。

「どうぞ、ロシアンティーをお召し上がりください、それとブリヌイを」

 ミリアムは突然の客人にサモワールで沸かしたお湯と紅茶の葉をティーポットに入れ、紅茶と添え付けの苺ジャム、それとブリヌイ呼ばれるクレープをスメタナと呼ばれるサワークリームを添えてミネルヴァに差し出した。

 すると、ミネルヴァは紅茶を淹れてある磁器に目が行った。

「ああ、これは我が国のマイセンで作られるマイセン磁器ですね、ロシアに住む方々に使って頂いてありがとうございます」

 ミリアムが懐かしそうに答えた。

「これは、私と今は離婚しましたが、夫であったヴァレリーと神聖ローマ帝国にハネムーンへ行った時のお土産です」

 ここで、ルシードはミネルヴァに本題に入るように誘導した。

「それで、イシュタール司令官は僕に何がお望みですか?」

「実は、今日のお昼に女帝陛下たちと話合ったのですが、私は神聖ローマ帝国でプロテスタント側の司令官をしていますが、もしも、ロシア帝国軍が一時的にでも、我々を支援して下さったら、神聖ローマ帝国へ来るロシア軍を閣下に率いて頂きたいと思いまして・・・」

「・・・・・・・・・・・・・」

 暫く黙った後、ルシードはミネルヴァに答えた。

「我々はこの度のブチャの虐殺の首謀者であるバユノフとバーシーの首を斬ったので、女帝陛下から直接軟禁処分を頂いてしまったのですよ、おそらく、この処分が解除されるには、少なくとも1ヶ月はかかると思います」

 しかし、ミネルヴァはここで首を横に振った。

「いいえ、ルシード准将はその民を愛する心は誰よりも深いと思います。女帝陛下もきっとそれを察しておられると思います」

 ここで、ミネルヴァはリビングルームにあるアップライトピアノに目が行った。

「あっ、この部屋にアップライトピアノがありますね、ルシード准将やミリアムさんはピアノを弾かれるのですか?」

「このピアノはミリアムが小さい時に弾いていたものです。結婚の時に僕の家に持って来た物ですが、今じゃ誰も弾かないので埃を被っています」

「それじゃ、私が一曲、弾いてもいいですか?」

 ミネルヴァがそう言ったので、ミリアムが布巾でそのアップライトピアノの鍵盤を拭いた後、ミネルヴァが自分の鞄から楽譜を出して、ピアノの前の椅子に座ってピアノを弾き始めた。


 曲が終わると、ルシード、ミリアム、セルゲイの3人はミネルヴァの演奏に軽く拍手した。

「ありがとうございます、この曲はモーツァルトのピアノソナタという曲で、ピアノ初心者の為の練習曲の意味もあります」

 そして、ミネルヴァはルシードとミリアムの息子であるセルゲイに目が行った。

「ルシード准将とミリアムさんの息子さんも利発な感じですね、私の年子の妹の子供は7歳の双子の女の子たちですが」

 それから、ミネルヴァはお暇の時間が来たと言わんばかりに、最後に、鞄から自分の持っているデジタルカメラでルシードとミリアムとセルゲイを一緒に納めた写真を一枚、許可を取って撮影した。

「それでは、ルシード准将とは再びお会いできることを楽しみにしています。今宵はこれで失礼致します」

 ミネルヴァはそう言って、ルシードたちが住む官舎を後にした。

 ミネルヴァの後ろ姿を見ながらミリアムはルシードに尋ねた。

「イシュタールさんとか言いましたね、あの人。見た感じ30歳は過ぎていると思いますが、あれだけの外見を誇っているのに、どうやら独身みたいね、何か性格に問題があるんじゃないかしら・・・」

「いや、今の時代、30、35歳過ぎて結婚していないなんてこと特に偏見で見ることはないだろ、僕だって君と出会わなければ、今でも独身だったかもしれないぜ・・・」

 と、そこへ、セルゲイがやって来た。

「パーパ、算数の宿題の問題を一緒に解いて」

「わかった、わかった、じゃあ、お前の部屋に行こう」

 ルシードとミリアムは官舎の玄関のドアを閉めた。

 

 その翌日、ミネルヴァは日中サンクトペテルブルクの写真屋に行き、デジタルカメラの写真を現像してもらうと、その日の夕方、宿泊しているサンクトペテルブルクのホテルのレストランでナハトバウアーやシュペーアと一緒に食事を摂った。

 そして、今日写真屋で現像した1枚の写真を彼らに見せた。

「ナハトバウアー大佐、シュペーア中佐、こちらの人がロシア帝国軍が我々に味方をしてくれた場合、ロシア兵を指揮する予定の将官の方であります」

「Oh―――」

 ナハトバウアーはその写真を見て、驚愕の色を隠さなかった。

「この人は軍人らしからぬ容姿と長い髪をしています、とても戦場で勇敢に戦える為人(ひととなり)とは思えません」

 次にナハトバウアーはその写真を同僚のシュペーアに見せた。

「へぇー、でも、将官ってことは、それなりに実戦指揮の力があるってことじゃないですか?」

 ミネルヴァがそのシュペーアの推察に頷いた。

「私もそう思います。このルシード准将は見た目と違って、男らしい内面を保持していると思います」

 しかし、ここで、ナハトバウアーが自国で行われている内戦について上官に訊いてきた。

「それで、イシュタール司令官閣下、我々が神聖ローマ帝国に戻った時、カトリック側の軍とどのように対峙しますか?」

 ミネルヴァがディナーに出されたバタードミグラスソースの掛けられた仔牛のステーキにナイフを入れた後、ナハトバウアーに答えた。

「そうですね、カトリック側の兵力は約5万、それに対し、我々は3万、暫くはエアフルトのヘルメスベルガー城に立て籠りましょう、女帝陛下が言うには、マリウポリでロシア帝国軍が勝利すれば、それを機にロシア側から援軍が来る見込みであると予測されます。ただ・・・」

シュペーアがミネルヴァを見つめて問いかけた。

「ただ、何でしょう?イシュタール司令官?」

「今回、女帝陛下は我が国やフランス王国に今回のキエフ公国侵攻への参戦を誘ってきました。もしも、ロシア帝国軍が我々プロテスタント側に援軍として来てくれるならば、その「恩」は返さねばなりません・・・」

 ナハトバウアーが頷いてミネルヴァに答えた。

「イシュタール司令官のお話は尤もだと思います」


 この話の後、ミネルヴァ、ナハトバウアー、シュペーアの3人は北カフカス産のロシアワインで乾杯し、自軍の勝利を祈念した。


 一方、ロシア帝国軍に所属するルシードから「ブチャの虐殺」の首謀者であるバユノフとバーシーの首級(しるし)を受け取ったキエフ公国君主のラージンであるが、内心、穏やかにはいられなかった。

「ロシア帝国軍の奴らめ、襟を正したのはうわべだけと言うことか、キエフ国立銀行の金塊と銀塊を丸々持って行くとは・・・」

 ここで、キエフ公国の首相であるエルショフがラージンに具申する。

「ラージン殿下、以前にイングランド共和国、フランス王国、スペイン王国、そして、アメリカ合衆国にオンラインで武器支援、戦費調達支援の願いを申し込み、それである程度我が国に武器や戦費が送られてきたのは事実でありますが、しかし、実は、とある国がその支援の障害となっているのです」

「とある国とは?一体何処だ?」

「神聖ローマ帝国です、この国で今内戦が行われているので、西欧諸国の武器が手に入りづらいのです」

「それならば、オスマン帝国あたりに支援を頼めないのか?」

「それが、オスマン帝国は歴史的にみてもロシアとのつながりが強く、また、今度の侵攻で北欧諸国はオスマン帝国と対立しているので、我が国に支援を促すのは容易ではないかと・・・」

「クソッ、では一体どうすればいいのか?」

「とにかく、この私も、スルコフ外相と共に欧米諸国、清朝中華、そして、ジパングにも現在の状況を知ってもらい、できる限りの支援を求めます」

「うむ、ではそうしてくれ」

 ここで、国防大臣のユリウス・アントーノヴィッチ・ドガジンがラージンの執務室へ入って来た。

「ラージン閣下、こちらに来てこれをご覧ください」

 ラージンはドガジンに案内され、大公府の文書配送センターへと足を運んだ。

「こ、これは・・・」

 ラージンは文書配送センターに来て、ゼノビア暦1626年2月24日からロシア帝国に侵攻されたことでキエフ公国の国民がラージンに対し、励まし、あるいは徹底抗戦する意志を示した手紙や、キエフ公国の象徴である向日葵(ひまわり)の種や花が大公府に送られて来たことを知った。それは即ち、日頃のラージンの徳政に対する感謝の意でもあった。

「ラージン殿下、これらの手紙や向日葵の花は殿下を断固として応援するというキエフ公国の国民の意志の表れです。殿下もそれ相応に国を導いて下さい」

「わかった。ではそうする」

 ラージンはドガジンの言葉に強く頷いた。

 そして、ラージンはドガジンにマリウポリでの戦いについて訊いてきた。

「ドガジン国防大臣、マリウポリの状況はどうなっている?」

「はっ、残念ながら、マリウポリの市内の大半はロシア帝国軍に制圧されましたが、市内のアゾフスターリ製鉄所にアゾフ連隊が立てこもり、籠城戦を続けております」

「それはわかった、しかし、籠城戦を続けていても、いつかは食糧や弾薬が尽きてしまう、何とかアゾフ連隊を助ける方法はないのか?」

「はい、ですから、カラムジン大佐に兵1万5千を率いさせて、マリウポリに向かわせています。しかし、如何せん、クリミア半島から来るロシア帝国軍に進撃を妨げられているので・・・」

 ここで、ラージンは国際的推察を示した。

「クソッ、イゾルデの奴、結局のところ、今回の侵攻は神聖ローマ帝国の内戦を利用したことになるのか」

 その話を聞いたエルショフはラージンに即座に助言した。

「殿下の推察の通りだと思います。ですから、我が国がロシア帝国に勝利する為には神聖ローマ帝国の内戦を停戦させる交渉も肝要だと思います」

「わかった、ではエルショフ首相、スルコフ外相と共に欧米諸国、ジパングなどの先進国に対し、武器供与と神聖ローマ帝国での停戦を交渉してくれ」

「はっ、畏まりました、ラージン殿下」

 それから、ラージンはドガジンの方を向いた。

「では、ドガジン国防大臣はインターネットのズーム機能でアゾフ連隊と連絡を取ってくれ、頼んだぞ」

「はっ、直ちに動きます、ラージン殿下」

 ドガジンはラージンの命令を受けて、すぐさま、インターネットでアゾフ連隊の隊長、ブリャチェスラフ・マカーリヴィッチ・ワディノフと連絡を取ったのであった。


 

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