Anyone can't separate my soul from me except love of God
第2章 女帝イゾルデの宣戦布告
ゼノビア暦1626年2月24日午前6時、ロシア帝国の国営テレビ局は数日前にイゾルデが軍服姿でビデオ撮影した演説を放送した。
「・・・親愛なるロシア帝国の臣民の皆さん、今日は皆さんに特別に大切な話があります。5年前にクリミア半島を私たちの手に戻してから、キエフ公国はドネツク、ルガンスクのロシア系住民に危害を加え続けてきました」
イゾルデは一息置いた。
「それに、近年、アメリカ合衆国を中心とする環大西洋安全保障憲章が東側に拡大を続け、神聖ローマ帝国の皇帝フェルディナント4世やキエフ公国のラージン大公まで、その軍事同盟に加入したいとの旨を発表しています」
更にイゾルデは演説を続けた。
「皮肉なことですが、現在行われている神聖ローマ帝国での内戦が環大西洋安全保障憲章の防波堤になっているのです。しかし、この内戦が終息すれば・・・、西側の軍備拡張は我々の喉元に剣を突き付けることでしょう」
そして、イゾルデはこの演説をこう締めくくった。
「ドネツク、ルガンスクの親ロシア派勢力は我がロシア帝国に支援を求めてきました。これにより、国際枢軸条約第45条により、キエフ公国東部、南部に対し、特別軍事作戦を遂行することを私は決定しました」
このイゾルデの演説と共に、ロシア帝国軍はハリコフ方面、ドネツク方面、オデッサ方面、そして、キーウ方面に目指して進軍し始めたのである。
当然、このイゾルデの演説を見ていた一国の君主がいる。
その名はスチェパン・チモフェヴィッチ・ラージンである。
ラージンはコサック出身の44歳、体格はウクライナ人の平均身長ぐらいでやせ型だった。無論、祖先はユダヤ人の奴隷身分出身だったが、キエフ国立経済大学を卒業後、政治風刺をする漫画、映画、コメディーを制作し、あるいは、勃起した陰茎でピアノを弾く真似をするなど、数々の下ネタで国民の笑いを獲得し、そして、その支持を以って瞬く間に亡くなったヴォロディームィル・オーリヘルドヴィチの後を継いで、第12代キエフ公国の君主となった。
そのラージンはキエフ公国の首都キーウの大公宮殿でロシア国営テレビの放送を見て側近に呟いた。
「イゾルデの奴、遂に事を始める気か・・・」
「はっ、既に我がキエフ公国軍は迎撃態勢を整えております」
ラージンに返答をしたのは、マキシム・レヴォーヴィッチ・エルショフ、46歳。ラージンと同じくユダヤ人の血を受け継ぎ、彼の大学時代の2年先輩で、20代の頃から、政治風刺ドラマなどを一緒に制作する仲であり、現在はラージンの下、キエフ公国首相を務めている。
そして、ラージンはそのエルショフに自国の防衛線について訊いた。
「オデッサ方面、ドネツク方面、ハリコフ方面、そして、このキーウ周辺の防衛はどうなっている?」
「はい、我がキエフ公国の防衛は、ユリウス・アントーノヴィッチ・ドガジン国防大臣に全権を委ねております。ドガジン国防大臣によれば、オデッサ方面はカラムジン大佐、ドネツク方面はアバルギン少佐、ハリコフ方面はサリニコフ中佐、そして、このキーウはコヴァーリ将軍が迎撃致します。迎撃態勢は万全かと思われます」
この時、ラージン大公の執務室をノックする音が2人に聞こえた。
「失礼します。ラージン大公殿下」
「おおっ、これはコヴァーリ将軍、閣下がこのキーウの防衛を担当するのかね?」
ラージンの問いかけにコヴァーリは正装した軍服でラージンへの敬礼を示した。
「はっ、お任せ下さい、ラージン大公殿下、イゾルデの差し向けた侵攻軍など、2,3週間もあれば一蹴できましょうぞ」
ヤロスラーブ・オレクサンドロヴィッチ・コヴァーリはこの時38歳。キエフ公国の国立士官学校を卒業し、5年前のクリミア半島併合の戦いではロシア帝国軍に敗れはしたものの、敵の士官の首級5つを上げるなど軍功を上げていた。
そして、ラージンはこのコヴァーリにキーウ周辺を取り囲むであろうとするロシア帝国軍にどのような戦術で立ち向かうのか?を訊いてきたのである。
「コヴァーリ将軍、卿はどのような戦術で侵攻してきたロシア帝国軍に立ち向かうつもりかね?」
それに対し、コヴァーリは執務室にある大きな机の上の軍事作戦を模擬した模型に手を当てた。
「・・・ロシア帝国軍は三手に別れてこのキーウ郊外を取り囲むと思います。その三つの旅団はおそらく鶴翼の陣形を組むと思われます」
「ほほう、ではそれで?」
ラージンの問いかけに対し、コヴァーリは悠然と答え、机の上の模型を渦巻型に置いた。
「この鶴翼の陣に対抗した私の陣形として、「車懸り(ホイールレヴォリューション)の陣形」を組みまする」
「「車懸り(ホイールレヴォリューション)の陣形」とはどのような陣形でありますか?」
今度はキエフ公国首相であるエルショフがコヴァーリに訊いた。
「まず、第一陣、第二陣が騎兵隊の素早い機動力で一撃離脱を繰り返し、続くマスケット銃の鉄砲隊で続け様に銃撃します。そして、最後に第三陣の歩兵が止めを刺すのです。これを車輪が回転するように高速で続け様に行うのです。これをまず、キーウ北西を取り囲む旅団に攻撃を仕掛け、次に北東、最後に南の旅団になります」
ラージンが腕組みしながら右手をその顎に当てながらコヴァーリに答えた。
「なるほど、その「車懸り(ホイールレヴォリューション)の陣形」で敵軍であるロシア帝国軍に大損害を与えることができるのかね?」
「はっ、必ずや、敵将の首、刎ねて参りましょうぞ、ラージン大公殿下」
「頼もしい発言、コヴァーリ将軍のその奇策に期待しましょう」
ラージンに両手で肩を叩かれると、コヴァーリは毅然とした態度でラージン大公の執務室を出て行った。
そのコヴァーリとの話し合いが終わると、ラージンはエルショフと今後のキエフ公国としての対応を協議した。
「エルショフ首相、アメリカ合衆国や欧州諸国との支援交渉はどうなっているのか?」
「はい、明日はアメリカ合衆国、明後日はイングランド共和国、三日後はフランス王国にオンラインで大公殿下自身が支援を求める演説をするスケジュールを組んでいます」
「わかった。ところで、私は今日、このキエフ公国の国民に対し、戒厳令を敷き、18歳から60歳までの男性に対し、出国禁止命令と予備役に就任することを命令する大公令に署名する。国民には今日中にそれを伝達せよ、エルショフ首相」
「はっ、かしこまりました、大公殿下」
この時、ロシア帝国軍は首都キーウに肉薄していた。
ヴァレリー・エル・ルシード、ジグムント・カミンスキー、そして、クララ・スヴェトラーナ・スプツニカヤの3人はキエフ公国の首都キーウにそれぞれ7000の兵を率いて、キーウ首都の中心地から約15キロの郊外に鶴翼の陣を敷いて持久戦の準備をしていた。
ここで、キーウ北西のオボローニ地区に鶴翼の陣を敷くジグムント・カミンスキー少佐が斥候から敵軍の動きを聞いた。
「・・・そうすると、敵軍であるキエフ公国軍は陣形を渦巻型にしてわが軍に迫っているのだな?」
「はっ、敵軍がそのような陣形を組んだ真意はわかりかねますが・・・」
「とにかく、北東に陣取っているルシード准将、南に陣取っているスプツニカヤさんにも狼煙を上げて敵軍襲撃の報告をするのだ」
「その方がよろしいかと思われます」
そして、カミンスキーがルシードやスプツニカヤに狼煙を上げた直後・・・、
約15000の将兵がグレゴリオ聖歌を歌いながら、カミンスキーの率いる兵に近づいてきたのである。
コヴァーリは采配を振るって、第一陣に攻撃を仕掛けさせた。
「それっ、第一陣、攻撃を仕掛けよ!」
それに対し、カミンスキーは鶴翼の陣形の幅を狭めて、コヴァーリの率いる部隊を挟み撃ちにしようとした。
「今だ!襲いかかってきた騎兵を挟み撃ちにするのだ!」
カミンスキーの指揮でその兵7000はその幅を狭め、騎兵たちを包囲殲滅しようとした。
この戦いでカミンスキーは手に持つパイクで敵軍の将校ウォロディミル・ヨーシフォヴィッチ・ネラソフ少尉を討ち取ったが、すぐさま、コヴァーリ将軍の指揮通りに第一陣は撤退し、第二陣が襲い掛かってきたのである。
そして、その後にマスケット銃士部隊による銃撃、第三陣による歩兵の槍の攻撃、コヴァーリは続けざまにカミンスキーの鶴翼の陣を攻撃し始めたのである。
この戦況を見かねたカミンスキーが急いで再び狼煙を上げた。
「これはいかん!すぐさま、狼煙を上げて、ドニプロ地区のルシード准将、ホロシーイウ地区のスプツニカヤさんに援軍を頼むんだ!」
「はっ、かしこまりました、カミンスキー少佐!」
しかし、カミンスキーの命令で兵士たちが狼煙を上げた頃、コヴァーリの指揮する部隊はその行先を北東に向け始めたのであった。
このキーウ包囲戦の総大将であるヴァレリー・エル・ルシード准将は自らの副官であるジグムント・カミンスキーの上げた狼煙を見て、自分の指揮する兵士たちに、
「皆の者、カミンスキーが援軍を依頼する狼煙を上げた!我々は直ちにカミンスキーが指揮をするオボローニ地区に急行する!いいな!」
と、檄を飛ばした。
「はっ、閣下の仰せの通りに!」
無論、ホロシーイウ地区で狼煙を見たスプツニカヤも駒に乗って、指揮する旅団をオボローニ地区へ向かわせた。
・・・こうなって来ると、兵の数で幾分不利なコヴァーリも戦術を変えざるを得なかった。
「そろそろ撤退の潮時か・・・」
ここで、コヴァーリは1人の女性兵士を呼んだ。
「イネッサ・マルコヴナ・セロヴァ銃士はいるか?」
「わかりました、閣下の前に連れて来ます」
コヴァーリの副官がイネッサを彼の前に連れて来た。
「セロヴァ銃士を連れて参りました」
「はっ、コヴァーリ将軍閣下、私に何の用でしょうか?」
「今現在、ロシア帝国軍がオボローニ地区に集結しつつある。セロヴァ銃士、貴官は私の副官のヴィクトル・ヴィクトロヴィッチ・ボギンスキー大尉の乗る馬と共に、敵将であるルシード准将の射殺を狙うのだ」
「・・・承知致しました。コヴァーリ将軍閣下」
イネッサ・マルコヴナ・セロヴァはこの時22歳。高等小学校卒業後に15歳の時から士官学校に通っていたが、普通の少女がいきなり生身の人間を撃てる筈がなく、士官学校で弾道学の座学やら、円い的、人型の人形、生きている牛をそれぞれ「標的」にして、そして、ついにそのマスケット銃で「生身の人間」を標的にする腕をひたすらに磨いていた。
そして、コヴァーリが自ら立案した「車懸り(ホイールレヴォリューション)の陣形」を撤収して、キーウにある市街にある要塞に自らの兵を撤退させる直前・・・、ボギンスキーがイネッサに叫んだ。
「では、セロヴァ銃士、俺の乗る馬の後ろに付いてくれ」
「はい、わかりました」
2人はこの「車懸り(ホイールレヴォリューション)の陣形」の最後の攻撃となる第三陣の中に入り、二頭の駒を飛ばした。
ルシードが率いる兵士に指示を出した。
「よし、このままカミンスキーやスプツニカヤさんの率いる兵と三方向から取り囲み、キエフ公国軍を挟み込むんだ」
しかし、この時・・・、
「我が名はヴィクトル・ヴィクトロヴィッチ・ボギンスキー、ロシア帝国軍の将官よ、一つ、手合わせをお願いする!」
歩兵隊の中を割って出て来た一騎の武者がハルバードを得物にルシードに襲いかかって来た。
「・・・・・・・・・・・・・」
ルシードは無言で自ら帯びている剣「ミルガウス」を抜いて、その武者と応戦した。
だが、その武者の正体はコヴァーリの副官、ボギンスキーであった。
二、三合、ルシードの剣とハルバードの打ち合いをすると、何と、大柄なボギンスキーの後ろから小柄な女が馬に乗って銃弾をルシードに射ち放ったのである。
ルシードはこの時左肩が熱線に貫かれるような痛みを感じた。
この時ルシードは軽装の鎧に身を守っていたが、弾丸は鎧を貫通し、彼は持っている剣を地上に落とし、仰向けにその身を倒した。
「ルシード准将閣下!」
「ヴァレリー!」
その場を目撃したカミンスキーとスプツニカヤが銃弾を受けて倒れたルシードの所に急行した。
この様子を見たボギンスキーがイネッサに馬上から声を掛けた。
「よおし!これで敵将は討ち取った!これで任務終了、我々はコヴァーリ将軍の下へ返るぞ」
「はい・・・」
二頭の駒は急いでコヴァーリ将軍のいる本陣へと踵を返した。
このルシードへの狙撃を境にコヴァーリは「車懸り(ホイールレヴォリューション)の陣形」の陣形を収束させ、キーウ市街地の要塞へと兵を返して行った。
しかし、キーウ包囲戦に参戦したロシア帝国軍は指揮をする将官、ヴァレリー・エル・ルシードがキエフ公国軍の女性銃士に銃撃され、瀕死の重傷を負っていた。
そして、オボローニ地区に造営された仮設テントにロシア帝国軍の野戦病院が作られ、そこで傷病兵の手当てと、キエフ公国軍の女性銃士に銃撃を受けたルシードの外科手術が行われることになった。
ここで、1人の軍医が野戦病院に姿を現した。その名をアントン・パヴロヴィッチ・シーガレフと言った。39歳のロシア帝国軍陸軍軍医であったが、平時は軍医としての勤務の傍ら、短編の戯曲やハードボイルド小説を執筆していた。
スプツニカヤがシーガレフに嘆願する。
「お願いです、シーガレフ軍医、ヴァレリーの命を助けてやって下さい。私は普段、数学者ですが、今回の外科手術には看護師として手術の手伝いをさせて下さい、何でも致します」
「・・・はい、まぁ人手が足りないので許可しますよ」
シーガレフは暫く考えてから、スプツニカヤの外科手術の手伝いを許可した。
この時、集結したロシア帝国軍の2万の指揮はヴァレリー・エル・ルシードに変わり、その副官であるジグムント・カミンスキーがその指揮を執り、その補佐をダヴィット・アントノーヴィッチ・グリーシンがやっていた。
そして、仮設テントの野戦病院ではルシードの左肩に入った弾丸の摘出手術が行われようとしていた。
ベッドでは呼吸器を付け、右腕の動脈には輸血用のチューブが挿入されたルシードが目を瞑って眠っていた。
医療用のマスクと帽子を身に着けたシーガレフがスプツニカヤを含めた3人の看護師に指示を出した。
「まず、傷口をアルコールで消毒、それから、殺菌したメスを」
「はい、先生」
シーガレフはルシードの銃創にメスを入れると、ここでは麻酔が貴重な為、少量の局部麻酔しかルシードに施されなかった為、さすがにルシードは痛そうな素振りをした。
「汗」
「はい」
スプツニカヤはシーガレフの額の汗を清潔な布巾で拭った。
そして、シーガレフがルシードの鉗子で広げた左肩付近にある弾丸を鑷子で摘出すると、看護師から安堵の溜め息が漏れた。
その後、ルシードの傷口を縫合糸で縫い合わせて、手術が終わると、シーガレフはこのようにスプツニカヤにアドバイスした。
「まぁ、弾丸も摘出したし、左肩の骨格筋もそれ程損傷していない、命には別条ないと思います。ただ、後数センチで心臓に至っていたと思いますが。しかし、ここ数日間は絶対安静が必要です」
「ありがとうございます。シーガレフ軍医」
スプツニカヤは心からシーガレフに感謝の弁を述べた。
しかし、この2人は「医師と数学者」というそれぞれ違う分野の「理系人」であったが、シーガレフは手術後、「このルシード准将の命を助けたことがまた、キエフ公国での戦闘を激化させる原因になるのか?」と、ある意味口には出せないことを自問自答したのに対し、スプツニカヤは、ルシードの外見が性同一性障害者のようであったので、「摘出された弾丸が鼠径部の「それ」でなくて良かった・・・」と、今度のロシア帝国とキエフ公国との戦いとは無関係なことを連想した。
しかし、この時、ロシア帝国保安庁の要人と、あるオスマン帝国出身の傭兵の頭がルシードに対し、「あること」を同意させる為に彼に近づいてきたのであった・・・。