第90話
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控室で、リスティナは衣装や身なりを整えていた。
普段は貴族くらいしか使うことのない化粧道具で。
控室には、同じくクルッタもいた。
時折彼女から、恨めしそうな視線を向けられたリスティナだったが、彼女はそれを気にすることはなかった。
それからしばらく、控室で準備を整えていたのだが、二人の準備を手伝っていた者たちが部屋を出るのに合わせ、クルッタがリスティナのほうに近づいた。
「あんた、その服はどこから調達したのよ」
「知り合いに頼んで縫い直してもらったんです」
「ちっ、まあいいわ。あんたの演技、へたくそなのよ。そんなんで、務まると思わないことね」
「……」
リスティナはぎゅっと拳を固め、それでもクルッタを見返した。
リスティナの両目には強い意志が込められており、それに睨まれたクルッタは視線をそらした。
やがて、廊下に足音が響き、二人はどちらかともなく離れた。
もう一度、衣装を再確認しながら、リスティナはぎゅっと一度だけ服の裾を掴んだ。
服の感触を確かめたリスティナは、それから口元を僅かに緩めた。
「準備完了です」
「ありがとうございます」
リスティナは手伝っていた子に、笑顔とともに頭を下げる。
クルッタも同じように言って、先に部屋を出た。
まだ開始まで数分はあった。
リスティナはたくさんの人で溢れていたこれまでの会場を思いだしつつ、適度な緊張とともに、会場へと歩き出した。
〇
自分の出番を迎えたリスティナが、舞台裏から壇上へと出る。
リスティナの役は貴族の令嬢だ。身分違いの相手と恋をし、その相手と結ばれるまでの物語だ。
もちろん、そう簡単に恋は実らない。リスティナの仲を妨害する役目が、まさにクルッタだった。
リスティナが舞台に出たとき、彼女は一瞬だけ驚くように目を見開いてしまった。
それは、貴族たちが並ぶ最前列の席に、当たり前のようにレリウスがいたからだ。
本来であればレリウスはいるはずもない。
時間にして一瞬。レリウスと目があったリスティナは、驚きを笑顔で隠して舞台を歩いていった。
レリウス――彼はアルバイトの先輩に過ぎない。
だが、彼は仕事に関して、非常にまじめで親身に接してくれていた。
多くの人が、リスティナに対して仕事仲間以上の関係を求めようとする中で、レリウスからは微塵もそれが感じられなかった。
だからこそ、気兼ねなく接することができる相手で、それこそ男女の仲を匂わせるようないじりだってできていた。
それはレリウスが一定の距離を保ってくれるからであり、またリスティナが現在進行形で誰かを好きになったことがないからでもあった。
レリウスに対しても同じだ。あくまで彼は一人の友人のようなものだ。
劇は進んでいく。準備、練習――数か月はかけて行ったものが、一瞬の間に過ぎていく。
だが、呼吸一つをとっても劇の密度に関わっていく。
一音一音を発する中で、リスティナは自分の胸に手をあてる。
そうして、最後の言葉を口にして、笑顔を浮かべる。
そこで、劇は終了となる。
盛大な拍手を黙って受け入れる。客席の人々が余韻に浸り終わった頃合いを見て、すべての演者たちが舞台へとあがってきた。
そうして締めの挨拶となる。
すべてが終わったところで、客も席を立つ。
演劇は一時間おきに行われる。ここからしばらくは休憩だ。
リスティナは、貴族の最前列についたレリウスの背中をちらと見ながら、控室のほうへと向かった。
〇
その日一日の演劇を終えたリスティナは心地良い疲労感とともに、屋敷へと戻っていた。
劇団員たちはみなアルスゥス家の晩餐会に呼ばれていた。
歩きながらの食事を楽しむ程度の簡素な食事会だ。
アルスゥス家の身内のみで行われたもので、参加しているのも騎士やアルスゥス家の人たちばかりだった。
とはいえ、一平民でしかないリスティナは緊張していた。
騎士というのは最低の貴族の位であるが、それでも相手は貴族。
リスティナの劇を見た人も多くいて、騎士たちがこぞってリスティナに声をかける。
なんなら、口説く人も多くいたのだ。騎士が貴族と結ばれるというのは可能性としては少ない。
例えば、勲章を与えられるような手柄を立てるなどだ。
または、どこかの家の三男、四男などの立場があれば話は別だが、そういった後ろ盾がない者からすれば、平民と結ばれることも少なくない。
騎士たちに声をかけられたリスティナは気づかれない程度のため息をついた。
(そういうの、考えたことないなぁ)
人を好きになったことだって、ほとんどなかったリスティナからすれば、結婚というのは思考の外にあるものだった。
まだいいかなぁー程度に答えながらも、視界の隅に映ったレリウスへと視線を向ける。
レリウスもアルスゥス家と繋がりがあったために、呼ばれていた。
正確に言うならば、フィーラが強引に呼んだというほうが正しいが。
(別に、レリウス先輩だって、好きだからってわけじゃないし)
それは紛れもない真実だった。
まったく意識していないということはなかったが、それでも好きというほどではなかった。
(感謝はしてるし、良い人だと思うけど……私が好きになるとか、そういうのは絶対にない。きっと、違うんだから)
リスティナは心中でそんなことを考えながら、晩餐会を楽しんでいった。
〇
晩餐会も終わり、解散となる。
庭のテントに戻ってきたリスティナは頭の中にあったもやもやを考えないように首を振っていた。
さっさと眠ってしまおう、と彼女がテントに入ろうとしたときだった。
息を乱しながら、こちらへレリウスが駆けてきた。
「どうしたんですかレリウス先輩?」
「リスティナさん、元気そうでよかったです。なかなか、声をかける暇がなかったので」
「先輩はずっとフィーラ様と一緒でしたもんね」
「ずっと……って見ていたのなら声をかけてくれても良かったのに」
「えー、だって楽しそうにしていたじゃないですか。邪魔できないですよー」
そういったリスティナの頬はわずかにひくついた。
「そういうのじゃないですよ」
「そうなんですか?」「……劇、見ましたよ。凄かったですね」
「え、見に来てたんですか?」
リスティナは、気づかなかった振りをした。小さなプライドのようなものだった。
「ええ、まあ。
フィーラさんに誘われたので。自分もきっと席は空いていないと思っていましたけど、見られてよかったです」
ふっとレリウスが微笑んだ。
「それを伝えに来たんですか?」
「……まあ、そんなところですね。普段のリスティナさんとはまるで違ったので、ああいう顔もあるんだなぁって思いましたね」
「そりゃあそうですよ。今の私みたいないじわるーなことしてたら、主役になれませんからね」
「そういうものですかね? 今のリスティナさんも、悪くはないと思いますけどね」
「え?」
どきり、と心臓がはねた。
リスティナの頬が赤くなり、リスティナはそれを隠すようにそっぽを向いた。
「な、何を言っているんですか? ……え、もしかしてレリウス先輩って人にからかわれるのが好きなんですかぁ?」
「……別にそうじゃないですけど。生意気な後輩ですけど、嫌いじゃないですから」
レリウスは少しだけ頬を染めながら、そういった。
それはきっと本心なんだろう、と考えたリスティナは余計に頬が熱くなってしまった。
「もう……アホなこと言わないでくださいよ」
「……アホって何ですか。また今度、リスティナさんの演技が見たいですから、どこかでやるときは言ってくださいね? 楽しみにしてますから」
それじゃあ、とレリウスは片手をあげた。
リスティナは小さく返事をするしかなかった。彼が去った後で、バクバクと心臓が早鐘を打つ。
「違う、違う……そんなの絶対ありえないから……っ」
リスティナは沸き上がる感情を必死に否定し続けながら、テントへと入っていった。
ここでいったん一区切りになります。
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