第七章ー16
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樋春が、突如現れた少女に斬りつけられ、地に倒れ伏した。
一年生三人にとって、樋春は絶対的な存在であり、誰よりも強いと信じて疑わなかった人間だった。本人すら同格であると認めた虹沢透香にも、結局、勝ってしまったのだ。
これ以上強い人間などいるはずがないと、目の前で見せつけられた、その直後だった。
あっけなく崩れ落ちるその姿は、一年生にとって、衝撃的過ぎた。
事実、対応力の高い綾乃を含めた全員が、何が起こったのか理解するまでに数秒を要し、微動だにできなかった。
――マズイマズイマズイ!!
我に返った綾乃の頭には、焦りのみが浮かんだ。
突然現れ、樋春を斬りつけた少女は、おそらく視覚操作か、それに類する能力だと推測できる。
遠くから見ていた綾乃たちですら、急に湧いて出てきたようにしか見えなかったのだ。斬りつけられた樋春本人は何が起こったのか、理解すらできなかったかもしれない。
――どうする? なにができる? なにが正しい?
綾乃は最適解を必死に探す。
現状、樋春の状態が把握できていない。倒れ伏したまま動かないが、傷の程度が分かららない。
首筋の辺りを斬られたように見えた。
助からない程なのか、それとも、助ければなんとかなる程度なのか、その判断ができない。
「……っ」
息が乱れる。
心臓が脈打つ。
早く、判断しなければならない。
――でないと、死ぬ!!
透香は今、現れた少女の頭を撫で、こちらをさほど気にしている様子はない。龍海も、透香と少女の下へ駆け寄り、こちらへの警戒を緩めているように見える。
樋春を助けるにしても、助からないと判断して退却するにしても、今しか、隙はない。
――向こうは完全に気を抜いてるみたいだし、やられたと思うのが普通だろうけど、もし、まだ生きてたら……? 樋春さんが抜けるのは第三高校にとって痛手過ぎる。でも、助けると言っても私たちでどうやって? けど生死の確認だけでもしないと……違う、無理に動いて全滅したら、それこそ……でも……っ!
思考がまとまらない。
体が凍り付いたように動かず、手足が震えた。
その時だった。
すぐ隣にいた黒江が、飛び出した。
「クロっ!?」
引き止めるどころか、声をかける間もなかった。
――そうだ、佳那の時も……っ!
佳那が殺された時、危険を顧みないで敵へ向かっていった。なにか、スイッチが入ってしまったかのように、命の危険すら無視して突進した。
「クロ、待って!」
必死に追いすがるが、能力を最大出力で使用している黒江に追いつけるはずもない。
前回の選定式ではスナイパーを殺すことができたが、今回の相手は樋春と同格の者たちだ。
無策で突っ込めば返り討ちに合うだろう。
このままでは、被害が拡大するだけだ。
――仕方ない!
腹をくくる。
敵方三人――少なくとも二名は、手練れ中の手練れだ。
討ち漏らしているのに気を抜いたりしないだろう。
やはり、樋春は既にやられていると考えた方が自然だ。
ひょっとしたらまだ息があるかもしれないが、このまま黒江を放置しておいたら、それこそ大惨事だ。全滅の危険がある。
透香たちも、本命の樋春を倒せたことで追撃の手を緩めてくれる可能性もある。
逃げられるとすれば、ここしかないのだ。
綾乃は狙いを定め、
「灰球!」
巨大な鉄球を出現させる。
黒江と透香たちの間に鉄球を設置すれば、視界を遮るだけでなく、黒江の突進を止めることができる。
最大速度で鉄球に激突すればダメージは避けられないだろうが、死にはしないはずだ。ここで、むやみに突っ込ませるよりは断然良い。
その判断に、間違いはなかった。
むしろ、この上なく正解に近い判断だと言っても良い。
だからこそ――。
「えっ!?」
綾乃は目を疑った。
出現させた十メートルにも及ぶ巨大な鉄球が、ナニカに弾かれ、脇へと逸れた。
完璧に、完全に、同じタイミングで。
倒れ伏していた樋春が、巨大な大仏を同じ場所へ、出現させていた。
「なっ!?」
「――っ!」
「これは!?」
驚いたのは綾乃だけじゃない。
樋春を討ち取ったと思っていた透香や龍海、そして、まだ息の合った樋春自身も、弾かれた大仏を見て、想定外の事態に困惑する。
鉄球と大仏は、ほぼ同じ大きさ、同じタイミングで出現したことで、互いが互いを弾き合い、左右に吹き飛ぶ。
それにより、黒江が敵へと向かう通り道ができてしまう。
「クロ、樋春さん生きてるよ!! 止まって!」
透香たちへ向かって疾駆する黒江へ、綾乃は必死に呼びかける。
再度、鉄球を出現させる時間的余裕も、距離もない。
黒江自身が気付き、止まる以外の方法はなかった。
見れば、向こう側では龍海が前へと進み出て構えている。
先ほどまでの攻防で力の差ははっきりしている。
このままでは、ただの自殺行為だ。
――あっ……。
次に、綾乃の目に付いたのは、その横。
樋春も透香も龍海も、猛進して来る黒江に目を奪われる中で。
少女は、黒江に目もくれず、樋春を見下ろしていた。
「樋春さん!」
心臓が悲鳴をあげる。
なにか方法はないかと思考を巡らすが、今更、できることなど何もなかった。
綾乃の声で目の前の少女に気付き、樋春は回避動作を取ろうと身をよじらせる。
が、樋春の体はその場から動かなかった。
「あ……」
座り込んでいる樋春の足元――。
血の水たまりができていた。
前回の選定式で負った傷に加えて、先ほどの無茶が重なり、ついに足が動かなくなったようだった。
「え……?」
一瞬、樋春がこちらへ視線を向け、言葉を発した。
直後。
「樋――」
少女が刃を振り下ろし。
樋春の脳天に、ナイフが突き立てられた。




