第六章ー8
黒江が遮った訳でも、特別な要因があったわけでもない。
「あれ……?」
綾乃は、自分の頬に手をやる。
指に、水滴がつく。
「あれ? 嘘……」
「綾乃」
「クロ、これは違――」
「違うってなにが?」
「いや、えと……」
戸惑い、目頭を拭う彼女の姿を見て、黒江は納得した。
――どう受け止めていいか、分からないのか。
綾乃にとって、佳那の死は、始めて体験する『自分に近しい者の死』だったはずだ。
初めての選定式を終えた日、綾乃はよく眠れたと言っていた。だから、自分は他の人間とは感覚が違うのだと。
普通、目の前で同世代の人間が何十人、何百人と殺される現場を目撃したら、トラウマになる。ぐっすり眠れるわけがない。
綾乃は他の人とは少し、ズレている部分があるのだろう。
それは否定しない。
――けど、『違う』んだよな。
自分に近しい人間が死ぬのと、そうでない人間が死ぬのとでは、意味合いがまるで違ってくる。
黒江も同じだった。
姉が自殺したと聞いた時、最初、なにが起こったのか理解できなかった。
たぶん、悲しかったのだと思う。
最愛の姉が亡くなったという事実を知り、心は酷く痛がっていた。
なにかを必死に叫んでいた。
それなのに、頭の方では「そんなことはあり得ない」、「意味が分からない」、「どうしてこんなことになったんだろう」と、信じたくない気持ちや疑問ばかりが優先して思い浮かび、理解することを拒否していた。
涙は溢れるのに、思考が、追いついていかないのだ。
「綾乃」
「クロ、違う、これは、違うの。私は本当に大丈夫で、切り替えが早いから」
綾乃は誰に対してなのか、必死に言い訳を探していた。
自分は切り替えが早いから大丈夫だ、と。
きっとそう言い聞かせて、感情を抑え込んでいたのだろう。
そんな必要はどこにもないのに。
「クロ、ごめん、ちょっとだけ待って。すぐ止まるから。大丈夫だから。ホントに……なんでだろ」
この期に及んで、彼女は笑う。
――なんで信じちゃったんだろうな。
この前も、彼女は笑っていた。
黒江はそれを信じた。
少し変なところはあるかもしれないが、悪い人間じゃないと、彼女の言葉を疑いもせず、信じて、言葉を並べた。
馬鹿だったと、今なら分かる。
大人びているように見えても。
切り替えが早くて、強そうに見えても。
綾乃はまだ十五歳の少女だ。
黒江よりも、年下なのだ。
全く見知らぬ土地へやって来て、選定式なんていう非常識な出来事を体験して、その上、一緒に生き抜こうと誓った友人を失っている。
大丈夫なはずがない。
『アイツ、本当に仕方ないって思ってんのか?』
博也の言う通りだ。
何十回も選定式を乗り越えている猛者とは違う。
樋春のように『仕方ない』と流せる方が異常で、黒江たちはまだその領域には達していない。
「クロ、ごめ――」
「いいから」
抱きしめる程の度胸は黒江にはない。
「もういいから」
ぎゅっと、すぐ近くにあった手を、握り締めた。
「クロ」
「喋らなくていい。ちょっと黙れ」
あえて強めに言う。
喋らせてしまえば、また、言い訳が出るだろう。
誤魔化そうとするだろう。
大丈夫だと言い張るだろう。
自分の心と、向き合おうとしないだろう。
「落ち着くまで、待ってるから」
「――」
握り締めた綾乃の手は、ひんやりと冷たく、震えていた。




