第一章ー5
「はっ、はっ……はぁ」
黒江がようやく足を止めたのは、南校舎最上階、六階だった。
正方形の下側、第三高校の校門がある側だ。
――なにが起こった?
足を止めて、一番先に浮かんだ疑問はそれだった。
天を仰ぎ、息を整える。
極度の緊張と、全力で走ってきたからか、吐きそうになる。
口元を抑え、なんとか堪えるが、頭の中はぐちゃぐちゃのままだった。
「くそ。どうなってんだ……」
窓から校舎を見渡してみると、地獄絵図が広がっていた。
正方形型の校舎の真ん中は中庭になっている。美しく刈り込まれた草木や、涼し気な噴水があり、天気が良い日には中庭で昼食を取る者も少なくない。
その中庭は、血で染まっていた。
窓から逃げようとした生徒も多数いたのだろう。
数えきれないほどの死体が転がり、草木も噴水も赤く染まっていた。
黒江たち一年生がいた西校舎一階はさらに酷い。
地獄と呼ぶことすら生ぬるい惨状となっていた。
窓ガラスが全て割れ、廊下には首や足がもげた死体が折り重なるように倒れている。中には原型を留めていないものもあった。
「あっ……」
思い出す。
あの場に一緒にいたはずの博也はどうなっただろうか。
自分のことに精一杯で、博也のことまで頭が回らなかった。
上手く逃げきれていればいいが……。
「さすがに見えないな」
目を凝らすが、六階からでは遠すぎる。
「黒江!」
「え?」
名前を呼ばれ、そちらへ視線を向けると、
「お前、走るの早すぎだろ……」
大柄な男子が息を切らしてこちらへやってきた。
逃げる際にもみくちゃになったのか、制服はしわだらけになり、その上、あちこち血がついている。
博也本人もかなり疲弊している様子で、足をひきずっていた。
「博也、無事だったか」
「お互いにな」
抱き合い、互いの無事を喜び合う。
友人を見つけられて、これほど嬉しく感じたのは人生で初めてだった。
自然と目頭が熱くなる。
「痛っ」
抱擁を終え、体を離すと博也は足を庇うような姿勢を取り、顔を歪めた。
「どこか痛めたのか?」
「ああ……大したことはないがな。逃げる時、隣にいたやつに突き飛ばされた。足をくじいたみたいだ」
確認してみると、足首が赤く腫れていた。
普段なら突き飛ばしたヤツを怒るところだが、この状況下では仕方がない。不慮の事故だろう。
互いに彩粒子を纏っていたはずだ。衝撃も半端ではなかったのだろう。
「それで、とりあえず助かったのは良いが、どうするよ?」
博也が問いかけて来る。
「どうするって言ってもな」
博也は校門側、黒江は中庭側の窓際に向かい合うように座り、再度、周辺を見回してみる。
「まだ、続いてるみたいだね」
校舎のあちこちから、悲鳴や断末魔と思しき声が聞こえている。
今、何が起こっているのかも理解できていないが、予断を許さない状況が続いていることは分かる。
「ここも、いつ見つかってもおかしくないだろうな」
相当痛むのか、博也は足をさすり、ずっと顔をしかめていた。
黒江は選択肢を探す。
博也の言うように、ここが安全だという保障はどこにもない。
先ほどの大剣使いがいつやってくるかも分からないのだ。
選択肢は、大きく分ければ二つしかない。
戦うか、逃げるか。
いや、実質、一つだろう。
あんな人殺し連中相手に立ち向かっても、勝てるわけがない。
そもそもあの爆発は一体なんだったのか。
剣を振ると、振った先が爆発したように見えたが、あれは彩粒子の力かなにかなのだろうか。
――いや、謎解きはあとでもできる、か。
ぶんぶんと首を振る。
起こった事象に対する推察も大切だが、目下、最も優先すべきことは、今、この瞬間をどう生き延びるかだ。
謎解きは生き残った後で、いくらでもできる。
「黒江、ちょっと来い」
博也に手招きされる。
「なに?」
「アレ、どう思う?」
博也は窓の外、おそらくは校門の辺りを指さす。
黒江は促されるまま、窓から外を覗き、
「うわっ!」
思わず、大きな声をあげてしまった。
「おい、静かにしろ!」
「あ、ごめん」
謝りつつ――絶句する。
軍隊が、学校を囲んでいた。
全員が銃を構え、校舎へ向けている。
おそらく、本物の、プロの軍隊だろう。
一ミリも乱れぬ隊列、風格、重厚感。
威圧感が凄まじかった。
そして、その校門付近で血を流し、絶命している生徒がいる。
最初の西校舎襲撃を受け、外へ出ようと試みた者たちだろう。
息のありそうな者はいなかった。
「脱出不可、ってことか」
博也はぐっと唇を噛みしめる。
いくら彩粒子の力があろうと、完全武装の軍隊に囲まれていては、銃撃を回避し、逃げおおせることは不可能に近いだろう。あの大剣使いのような、異次元の能力があれば別かもしれないが、自分たちでは突破できそうにない。
それに、ここまでするということは、彩粒子への対策もしてきていると考えるべきだ。
桜波先生は、注意事項として、敷地内に留まることをあげていたが、こういうことだったのだ。
敷地外へ出ようとしたら殺される。
それが選定式のルールらしかった。