第九章ー15
「敬意を表するよ」
完全に砂煙が晴れると、透香はお腹のあたりをさすりつつ、そんなことを言ってくる。
「樋春の弟子……というだけではないだろうね。殺すのが惜しいと感じるくらいだよ」
「そう言っていただけると嬉しいです」
透香の言葉に、黒江は乾いた笑いを浮かべる。
さすがに、もう、終わりだった。
最後まで諦めないで、とは言うけれど、いくらなんでも、ここからもう一度戦う体力は残っていなかった。
なにより、綾乃に限界が来ていた。
先ほど透香に攻撃した際、灰球で体を加速させ、無理やり威力を高めていた。
それは、身体強化という能力があるからこそできる芸当だ。体が強化されていないままに無茶をすれば、体の方が壊れてしまう。
なんとか立ってはいるが、足に力が入らないのか、黒江の方にかなりの体重がかかってきていた。
「二人とも、名前を教えて欲しい。覚えておくよ」
敬意を表する、という言葉に嘘はないようだった。
透香は二人の名前を聞くと、噛みしめるように「分かった」と呟く。
「クロ」
「うん」
ぎゅっと手を握り合う。
氷牙狼か、氷槍乱舞か、それとももっと単純な攻撃か。
透香ならば、一瞬で命を刈り取ることができるだろう。
ここまで戦えて満足……とは思わない。
そんな充実感などいらない。
そんなことで満足したりしない。
願ってきたことは、ただ一つだ。
生き残りたかった。
綾乃と二人で、生還したかった。
でも、それももう叶わない。
「ボクが言うことじゃないかもしれないけれど。……樋春に、よろしく言っておいて欲しい」
透香は最後にそれだけ言って。
二人に、背を向けた。
もう、全て終わったかのように。
自分がやることはないと言っているかのように。
「……?」
黒江には、その行動の意味が分からなかった。
綾乃も、目を瞬かせる。
氷を生成するでもなく、距離を縮めて来るでもなく。
透香は、倒れている龍海のもとへと向かっていく。
――なんだ?
時間にして、五秒程だろうか。
黒江は透香の行動の意味を考えて。
「あっ!」
気付いた時には、もう目の前に刃が迫っていた。
――意識阻害の!
透香は、最後の最後まで『安全』を取ったのだ。
自分がここで接近することで、ひょっとしたら、まだなにかあるかもしれないと警戒したのだ。
選定式を生き抜いてきた彼女は、詰めの一手で命を落とす可能性を、常に想定している。
嫌というほど理解している。
この判断は当然と言えば当然で、虹沢透香が生き抜いてきた証明とも言える、実に彼女らしさが溢れるものだったが――
この時に限っては、裏目に出た。
「――っ!」
黒江は反射的に綾乃を突き飛ばし、自身もその場に倒れ込むことで、凶刃を回避した。
一歩も動けないと思った足が、手が、勝手に動いていた。
――ふざけるなよっ!
黒江は、透香のその判断に怒りを覚えていた。
敬意を表すると、数秒前に言った相手に対して取る行動じゃない。
自分は安全圏に逃げておいて、最後の一撃を他人に任せるなど、敬意を持った相手にする行動じゃない。
どうせ殺されることに変わりはないのかもしれないけれど、それでもせめて、透香自身の手で殺して欲しかった。
全力をぶつけ合い、精根尽き果てるまで戦った相手に、殺して欲しかった。
そして。
この一撃を回避したことが、大きな意味を持つこととなる。
「この!」
意識阻害能力を持つ少女は、殺意に満ちた目を向けて来る。
龍海を倒されたことで頭に血が上っているのか、それとも別の理由か。
「死ね!」
倒れ込んだ黒江に二撃目を繰り出したが――
ガキン。
と、金属がぶつかり合う音がして。
続けて、
「今更、出る幕ではないかもしれませんが……。参戦させていただきます」
凛とした、どこか、樋春にも似ている声がした。
茜色のストールがひらりと舞う。
同色の長髪が目に眩しかった。
筑梨茜が、目の前に現れていた。
「申し訳ないですが」
茜がそう言った次の瞬間、勝負は決していた。
「え……?」
少女の口から、血が零れる。
何が起こったのか、理解できないという顔だった。
「樋春がいたため、前線へ出る必要がなかったというだけで、戦えないわけではありません」
少女の左胸に、大鎌の切っ先が突き立っていた。
茜は躊躇なく振り抜き、少女の胸を両断する。
致命傷、どころの話ではない。
少女は、何もできずに、地面へ崩れ落ちた。
「……」
黒江は絶句する。
今、起こったことを端的に言うならば。
鎌が、大きくなった。
それだけのことだった。
少女のナイフを受け止めた時、茜が持っていた鎌は、所謂、草刈り鎌となんら変わりない大きさだった。
それが突然巨大化し、彼女の胸に突き刺さったのだ。
黒江も綾乃も、勘違いをしていた。
モノを作り出す能力というから、後方支援が得意な人なのだと思っていた。通信機や改造制服を始めとした、前線で戦う人たちのために、モノを作る人なのかと想像していた。
――とんでもない……。この人……。
本人が言った通り、樋春がいたから、前線へ出る必要がなかっただけなのだろう。
『もととなる物質があれば、自由にモノを作り出せる』。
それはつまり、
戦いの最中でも自在に武器を作り出すことができ、トラップだろうがなんだろうが、仕掛けたい放題ということだ。
前線でも活躍できる能力だった。
「透香……は、逃げましたか」
「え? あっ!」
茜の言葉で我に返り、透香がいた場所に目を向けると、姿がない。
倒れていた龍海の姿も消えていた。
おそらく、茜の登場を受けて、すぐに逃げたのだろう。
黒江たちほどではないが、透香と龍海もそれなりに傷を負っていた。ここからさらに無理をしても結果に結びつかないと判断したのだろう。
「追わないと――」
黒江も綾乃も、慌てて立ち上がろうとするが、
「あなたたちは、休みなさい」
思いの外、強い口調で制される。
生徒会室で話しをしていた時の、ロボットみたいな口調が嘘のようだった。
「赤峰がここにいない理由はなんだと思いますか?」
「博也……?」
言われて、気付く。
少女を抑えていたはずの博也の姿が見えない。
周囲へ視線を巡らせる。
「……あ、なるほど」
校舎への出入り口付近を中心に、赤い彩粒子が充満していた。
茜は、こうなることも予想していたのだろう。
博也を校舎側に配置しておけば、いくら神速を持つ透香でも、容易には逃げられない。
「それに、他の生徒会メンバーもこちらへ戻って来ています。『処理』は、こちらに任せてください」
「……分かりました」
素直に頷く。
要は、捕らえて、殺すのだろう。
生徒会メンバーが戻って来ているのなら、安心だった。
自分たちが、これ以上無理をする必要はない。
「あっ、と……?」
くらり、と、目まいがした。
茜が来てくれて気が抜けたのか、それとも、ここまでの無茶でついに限界を迎えたのか。
目の焦点が定まらず、黒江はその場で地面に倒れ込んだ。
「詳しい話は、選定式が終わってからしましょう。あなたたちの身の安全は保障します。ゆっくり休んでください」
穏やかな、労わるような声音だった。
茜の優しい言葉に、眠気が襲ってくる。
「灰霧も、そう警戒しないでください。このタイミングで来たことについては謝ります。それに関しても、きちんと説明しますから、ひとまず、休んでください。……無理をすると、死にますよ」
その一言で、最後に残っていた気力も失せてしまった。
もう、大丈夫なんだという安心感で、急速に睡魔が押し寄せて来る。
「茜さん、そうは言いますが――」
「灰霧、言いたいことは分かります。ゆっくり聞きますから、とにかく――」
綾乃は、茜となにやら話していたようだったが、黒江はもう限界だった。
ぼやける頭で、考える。
結局、自分たちでは透香を倒せなかった。
ここまでやって、まだ、樋春には並べていないのだ。
もっともっと、強くならなければならない。
これからだって、選定式は続いていく。
それは、重々承知していている。
けれど。
とりあえず今は、休みたかった。
「……」
数秒後、黒江の意識は、途切れた。




