第九章ー5
◆◇◆
「クロ!」
「へ?」
バキンという音と共に、氷が砕ける。
黒江に飛ばされた氷の槍を、灰球で阻止した。
ごめんごめんと苦笑いを浮かべる黒江を見て、綾乃は一息吐く。
透香の相手をしていて詳細までは把握できていなかったけれど、黒江は龍海を打ち破ったようだった。
「クロ、大丈夫?」
「なんとかね」
駆け寄り、黒江の状態を確認すると、なかなかに酷いありさまだった。
腹の傷は言うまでもなく、顔も腫れあがり、前歯が欠けている。ぱっと見ただけでもあちこちあざだらけで、どこが打撲で、どこが骨折なのか、よく分からないほどだった。改造制服は千切れ、消失し、もはや原型を留めていなかった。
「綾乃の方こそ、大丈夫?」
「なんとか」
黒江ほどではなかったが、あちこち痛いは綾乃も同じだ。
打撲や骨折は黒江より少ないだろうが、その代わり、氷による切り傷や擦り傷が多い。
砂埃と汗にまみれて、長い髪が鬱陶しい。
どうせ片側は切れてしまっているのだから、選定式が終わり次第、ショートにしようかと思うほどだった。トレードマークの花飾りが、未だついていることが不思議なくらいだ。
「透香は?」
「あそこ」
指差す方向は、上空だ。
透香は氷牙狼にまたがり、空へと退避していた。
高さ、およそ十メートル。
黒江の能力では届かないし、綾乃も空中戦には自信がない。
絶対的優位を保ったまま、決着をつけるつもりだろう。
「どうする?」
上空の透香へ厳しい視線を送り、問いかけてくる黒江を見て、綾乃は嘆息する。
――やっぱり、クロは強いな……。
綾乃以上に傷つき、倒れそうになりながら、黒江は当たり前のように『戦闘続行』を宣言してくる。
グラウンドでの戦いが始まる前から、綾乃には、ずっと引っかかっていることがあった。
それは、樋春から託された想いだ。
樋春は最後の瞬間、他の誰でもなく、綾乃に向けて『任せた』と言葉を遺した。
ドローンで状況を把握していた茜に向けたものかとも思ったけれど、何度思い返してみても、樋春は明らかに、自分の方を向いていた。
何故、自分だったのか。
綾乃には分からなかった。
――そんな器じゃないのに……。
樋春が誇っていた強さは、戦闘に限った話ではない。
樋春には、カリスマ性があった。
自信に満ち溢れていた。
自分について来れば大丈夫だと周囲を安心させるような、王者としての風格、威厳があった。
綾乃には、そんなものはない。
人より少し、周囲を見る能力に長けているだけだ。
むしろ、強いのは黒江だと感じる。
黒江に多少問題があるのは、綾乃にも分かる。
周囲の思惑を無視して勝手に突っ走って行ったり、自分から一歩踏み込んでおいて、勝手に自己完結して踏み出した足を引こうとしたり、綾乃からすると、「もうちょっと、こう、あるでしょ!」と言いたくなる面も、確かにある。
けれど、黒江は、自分の気持ちに正直なのだ。
少なくとも、自分は切り替えが早いから大丈夫だと思い込み、混乱して、迷惑をかけたりすることはないし、中途半端に隠し事をして、心配をかけたり、怒らせたりすることもない。
黒江は、考えが浅い部分もあるかもしれないけれど、その分、不器用でも、自分の気持ちに嘘をつかず、行動に移せる強い人なのだと思う。
事実、黒江は龍海を打ち破った。
茜の助力を得て、腕を一本破壊していたとはいえ、傷の度合いから言えば、龍海よりも黒江の方が余程、重傷だったはずだ。
戦いながら綾乃の窮地を救い、その上で勝利したのだから、殊勲賞ものだ。
綾乃が同じ立場だったとしたら、とても同じことはできなかった。
綾乃は考える。
もしも、なにか意図があって、樋春が自分に託したのだとしたら。
もしも、茜が言うように、本当に戦闘技術に差がないのなら。
それはどうしてなのか。
なにが足りていないのか――。
透香たちと戦う中で、薄々、気付いてはいた。
茜は『実力』とか『戦闘力』とか、そういった言葉を使わず、『戦闘技術』と言っていた。
技術面では負けていない。
けれど、現実に差が出ている。
実力差を痛感している。
技術面で互角なら、なにが違うのか。
透香や龍海、樋春と、どこに差が出ているのか。
樋春がもし、なにか理由があって自分に託してくれたのなら、それはなんなのか。
託されるだけの『ナニカ』が自分にあるとしたら……。
答えは、もう出ていた。
勝利への鍵は、既に手の中にあるのだ。
「クロ」
「なに? 良い策が思い付いた?」
「えっと――」
言い淀む。
綾乃が困っている時も、泣いてしまった時も、いつも隣にいてくれたこの人は、絶対に『大丈夫』だと言うだろう。
だからこそ。
綾乃はその言葉を口にするのが怖かった。
自分自身のことだけで済むのなら、恐れはない。
そんな切り替えは、とっくの昔に済んでいる。
生き残りたいと、本気で思う反面、いつか、その時が来ることだって覚悟している。
これは、そういう次元の話じゃない。
立っているのもやっとのはず黒江に、さらに過酷なお願いをしなければならない。
自分だけでなく、黒江を巻き込んで――場合によっては、黒江が先に死ぬかもしれない策を、言わなければならない。
怖かった。
でも、今はそれ以外、策が思い付かない。
「……」
綾乃は大きく息を吐いて。
「クロ、昨日の夜、屋上で話した必殺技、やろう」
言い切る。
黒江は驚いた顔をしたけれど、
「分かった。頼りにしてるよ」
予想通り、すんなりと受け入れてくれた。
綾乃は一つ年上の〝先輩〟に、頭を下げた。




